だんだん収拾がつかなくなってきたような(^_^;)・・・管理人として見て見ぬ振りは出来ないようですね。
心労で寝込んだ時はしばらくブログお休みします・・・(涙;)。
その時は、わたぴ~さん(また振っちゃッたよ^_^;、でも一番信頼してるということで、ブログやってるし)・・・バルナバさん・・・nnobitaさん・・・enjeruさん・・・あとのことはよろしくお願いしますm(__)m。
サマリア人さん・・・私ごときで納得する答えが出せるとは思ってませんけど・・・付き合いましょう。
わがブログと関わりを持ったのも何らか理由があるかもしれないから。
その前に!三位一体をまず無視しなさい!!
この際、背に腹は変えられません。
それとおかしなサイト、教理関係のネットサーフィンはやめること!
私が思うに、「ホルスの目」のサイトでおかしな影響受けたんじゃないかな?
オカルト=パワーをバカにしちゃいけません。
そうじゃないと、いつまでたっても、サタンの惑わしから抜けられませんよ。
「相手は人間じゃあない」のです、元フォーブス=アジア編集長さんみたいに、「我々で立ち上がって戦おう!」などと言うのは、バカの見本です・・・相手を知らないでノコノコ出て行ったのでは、発狂するだけです。
それと誤解のないよう言っておきますが、悪霊の惑わしは、誰にもやってきます、何もあなただけじゃない。
それにサタンは、どうでもいいような人間、サタンにとって強敵となる可能性のない人間は相手にしません。
サタンがあなたを「今のうちに潰してしまおう」と考えても不思議じゃない。
わたしは、サマリア人さんが、それだけの可能性を秘めていると思ってます。
バルナバさんが紹介してくれたサイトにもあったでしょ、「三位一体を充分に理解しようと思う者は、頭がおかしくなるであろう。」って。これは脅迫でも何でもなく、事実です。
まったくその通りで、三位一体と限らず、聖書を完璧に人間の頭で納得できるよう理解しようと思うならば・・・発狂するのが関の山です。東大卒、ハーバード卒の頭脳をもってしても無理!預言者でさえ、すべてを理解しているわけではないのです、「理解する、神がそのベールを剥ぐ」にも時があるのですよ。
悪い事いわないから、やめましょう。だから「悪霊にやられた・・・」とはっきり言ったのですよ。「惑わしの霊」にやられたわけです。
それとnnobitaさんがいい事言ってくれました。
>愛と同じように信仰も最後の飛翔は理屈では説明できない。
って・・・
いいですか、理屈じゃないのです・・・真正のキリスト者であれば、誰でもわかるはずです。
ということを前提に、サマリア人さんのコメを検証してみましょう。
>これは正統なカトリック、およびプロテスタントクリスチャンとして、洗礼を受けたもののみが最後の審判で復活するというと理解されているのですか?
→私はそうは思ってませんよ。洗礼受けたって、名前だけのクリスチャンだけならいくらでもいます。
総裁選に出馬している、麻生、与謝野、石破だってそうなんですよ。
あんなのがクリスチャンだって?ふざけんじゃねえよ、って言いたくなります。私は絶対に認めない!
洗礼受けてなくたって、素晴らしい信仰を持った人はいるはずです・・・
>反対にエホバの証人だろうが、仏教徒だろうが三位一体の教義をうけてなくても、神の教えに従っていきようとしている人
→残念ながらこれは違うんだなあ。三位一体じゃなくて
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
ヨハネ 14:6
が正解です。これは私じゃなくて、聖書が言っているのです。唯一の救いはキリストによる!って。
いい人と正しい人は違うのですよ。このことは、わが教会で長老の方に言われ、「ハッ!」としました。
>偽クリスチャンでも、彼らより救われるチャンスがあるとお思いなのですか?
→答えは明白ですね?enjeruさんだって、そうは理解してないはずです。これは誤解。イエスをキリストと認めない、自称?クリスチャンは世間一般の人より、サマリア人さんが言うように、ある意味厳しいかもしれませんね。
>教義の同じ人だけが尊敬に値するとでもおっしゃりたいのですか?
→そんなことないでしょう。冷静になってください。キリスト者じゃなくたって、いい人、尊敬できる人はいくらでもいます。それどころか、自称クリスチャンより、よっぽど!「キリストの教えをわかってるじゃん!」という方はいくらでもいます・・・そして無理にキリスト教を押し付けるべきではありません・・・
時があります。そして三位一体がわからないから、クリスチャンになれないという理解も間違ってます・・・それを言ったら、私・・・クリスチャンじゃないです(-_-;)・・・あなたもそのうちわかるときが来るはず!
理屈じゃないのですよ・・・それが、知識と信仰の大きな違いなのです・・・知識だけなら、宗教学者の中に長けた人だっています。牧師先生より詳しい。でも信仰がなければ、絵に書いた餅だと私は思う。
聖霊の助けがなければ、「イエスこそ唯一の救い主である」ことがわからないし、聖書の言わんとしている真理はいつまでたってもわからないと思う。
エホバの証人だって、創価学会の信徒だって、いい人はいますよ。この世的に助けてもらっている人もいる。そういう人には、別の方法があるのかもしれない・・・それは残念ながら私にはわからないし、新しい神学を立ち上げるつもりもありません。
ただし!いいですか!!唯一の救いはキリストです。これは私としても譲れません・・・
>ただ、三位一体については神と神の子キリストが同質だとはわからないのだから、理解しようがないのです。
絶対に、神とキリストが同質でないと信じないと、神に裁かれる、そんなことどこに聖書に書いてあるのですか?
→だから理解できなくていいんです。「わからないのは罪である」と言うのにも似た、サタンの脅迫に惑わされているのです。そうでなきゃ、それほど三位一体にこだわるはずがない・・・みんなわからないで、「キリストの救い」を受け入れているのです。それだけで充分です。
私はキリスト教とは、徹頭徹尾キリスト本願で、キリストを「唯一の救い主=来るべきメシヤ」であると受け入れていれば、それでいいと思っているのです。だからキリストの救いをうまくはぐらかすエホバの証人や、キリストの神性を表向きはどうあれ、認めないユニテリアン=ユニバーサリストはキリスト教ではないと言っているのです。とにかく三位一体の惑わしから離れること!
時が来れば誰でも理解できるように、主イエスが真実を教えてくれるから。それまで待とうよ。
>三位一体という正統な教義を信じないと、救いはないと、どうして言い切られるのでしょう。
罪の悔い改めって、正統教会がいうように、キリストと神が同質でないと信じられない事を罪といわれるのですか。。
→そんなこと誰も言ってないよ。聖書にも書いてないよ。惑わされているのはあなたですよ・・・被害妄想に陥っている。
ただ、「キリストこそ唯一の救い主である」ということがわかっていればいいんだよ。これならわかるよね?それだけで充分です(^_^)v。
最後に私の大好きなエピソード、メッセージなどを少々。何度わがブログで書いても過ぎることはないから。
>使徒のあとの時代の第一クレメンス書簡にはペテロがローマで殉教したと書かれています。それを元にしたのでしょうか19世紀のポーランドの作家シエンキヴィッチはすばらしい物語を書きました。『クオ・バ・デス・ドミネ』(主よいずこに行き給う)という名のこの小説はローマ皇帝ネロの迫害の時の様子が見事に書かれています。大迫害の中クリスチャン達次々と犠牲になります。弟子たちはペテロにローマを脱出するように願います。あなたひとりは私たち数万人にも当たりますどうぞ逃れてください。
ついにローマを後にして郊外に出たペテロは向こうの空に輝く光を見ます。それはやがてペテロの横を通り過ぎようとしますが、弟子たちの目には何も見えないのにペテロの目にはその光の中に主イエスが見えました。ペテロは問います。「クオ・バ・デス・ドミネ」“主よいずこに行き給う”。主は答えられます。「ペテロよ、あなたが私の羊を捨てて逃れるなら、私はローマに行ってもう一度十字架に掛かろう」
「主よ申し訳ありません」老ペテロは驚く弟子たちを尻目にくびすを返してローマに帰ります。そしてついに捕らえられ十字架刑に処せられます。その時、ペテロは私は三度も主を否んだ者だ、主と同じ十字架に掛かることなど出来ないと、両方の腕木が下にある十字架にさかさまに掛かり殉教したと伝承にはあります。
弱く、無学で、普通の人だったペテロ。しかし、彼は幼子のように主に従いました。彼は常に真実でした。ガリラヤ湖の無名の漁師は歴史上もっとも有名な人となり、キリストの教会の柱となりました。
~小石牧師の礼拝説教集 2000/7/9 ペテロ Ⅲ より
* サマリア人さん、この老ペテロのどこに、「三位一体」の概念がありますか?この頃はまだ、アタナシウス神学もアリウス神学もなかったんだよ。そこにあるのは、ペテロの純粋なるキリストに対する従順だけじゃない、それだけでいいじゃん!
次いきます、長くなりそうだけどご勘弁を。
イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」19:5
イエス様はザアカイという名前を知っておられました。前に聴いたことがあったのか、それとも神であるご自身の力で知っておられたのかは判りません。しかし、イエス様はザアカイの名前だけでなく、その心の求めの全てを知っておられたに違いありません。そうでなければ「きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」とは言わなかったと思います。先日学んだイザヤ書の言葉を思い出します。
わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた。わたしは主である。わたしのほかに神はない、ひとりもない。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。イザヤ45:4~5(口語訳)
イエス様はあなたを知っています。あなたの必要、あなたの寂しさ、あなたの苦しみ、あなたの悲しみ。
面白いのはザアカイの家に泊まることにしてあるからという言葉です。ザアカイの承諾があったわけでもなく、全くの初対面なのに、まるで旧知の友人の家に泊まるように、気軽に言われたのです。ザアカイは友を持っていたのです。イエスという親友を持っていたのです。そうです私たちすべてはイエス様という親友を持っているのです。
ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」19:6~8
ザアカイは「急いで降りて来」ました。人々からのけものにされ、鼻つまみ者だったやくざの頭。しかし、彼は今、幼子のように喜び勇んでイエス様を迎えました。案の定、人々はイエス様を非難しました。「何だ、あの男もザアカイと一緒か」。
しかし、ザアカイも、そしてイエス様も全くそんなことは問題にしていません。ザアカイはたちまちにして自分がなすべきことを悟りました。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します」。主よ、というとき人は自分がその人の僕であると告白しているのです。人を人とも思わず、金だけがすべてだと思っていたザアカイ。すべての人に憎まれても、一向に気にせず、荒くれ者の頭だったザアカイがイエス様に「主よ」と呼びかけました。「私はこれからの生涯、あなたを主と仰ぎます。あなたは神の御子、約束のメシヤです。」
イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」19:9~10
ザアカイは失われた人でした。言わばこの世の脱落者だったのです。しかし、そういう人のためにこそイエス様は来たとおっしゃるのです。救いが来ました。アブラハムの約束。永遠の救いがここに来ました。
その日、エリコの町の貧しい人々の家に、ザアカイの僕たちが金銀をばら撒いて行きました。ザアカイの莫大な財産の半分が、エリコの町に流れてゆきました。
イエス様はザアカイの決意を喜ばれました。イエス様はザアカイの差し出す悔い改めの捧げものを受け取られました。イエス様はザアカイに、あの金持ちの息子のように全財産を捨てよという命令はされませんでした。それはなぜだと思いますか。あの青年は「あなたに従ってまいります」と言ったのです。献身するのに財産は要りません。すべてを捨てるべきです。ペテロもヨハネも、網と両親を捨てて従いました。しかし、ザアカイはイエス様に従って行くと言ったのではありません。彼はエリコに留まりました。恐らく取税人もやめなかったことでしょう。正しく行うならそれは間違った職業ではなかったのです。イエス様はザアカイの信仰の度合いに従って、ザアカイを受け入れたのです。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」マタイ11:28~30
今もこの方は変わらずに私たちを待っておられます。イエス様は今日もあなたに言うのです、「急いで降りてきなさい。今日、あなたの家に、あなたの心に泊まることにしているから。私はあなたの親友だから。」
~ 小石牧師の礼拝説教集 2002/8/25 組長ザアカイの回心より
* 私はこのメッセージによって、ハンネが与えられました・・・そこにあるのは、常にキリストと自分との関係でしょ?元祖オリジナルのザアカイさんだって、「三位一体」を信じて救われたわけじゃないよね?主イエスをキリストと信じて救われたわけだよね?これだったらわかるよね?それと二つのメッセージに共通する事、それは、「幼子のように」です・・・小難しい理屈はいらないのです。
私の信仰の基礎の半分以上は小石牧師に教わったものなので、先生に無断ですが、引用させてもらってます・・・あの先生、「陰謀論者」とか「反ユダヤ」のレッテル貼られているけど、それは単なる一面で、あの牧師先生の信仰の真髄は、「三位一体」じゃなく、「キリストの際限なき愛」なんです。これだけで充分です。
これで最後です。
フット=プリント(あしあと)
ある夜、私は夢を見た。
私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人の足跡が残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出された時、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつも私の心を乱していたので、
私はその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ、私があなたに従うと決心した時、
あなたは、全ての道において、私とともに歩み、
私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要とした時に、
あなたが、なぜ、わたしをすてられたのか、
わたしにはわかりません」
主は、ささやかれた。
「私の大切な子よ。 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。 ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、 私はあなたを背負って歩いていた。」
* どうですか?ここにだって、「三位一体」の三の字も出てこないよね?でも私には充分主イエスの愛が伝わってくるし、三位一体などわからなくても、「主よ、私はあなたについていきます!」という気になりませんか?
今は確かにつらいかもしれない・・・キリストを受け入れるということは、つらいことも覚悟しなくてはならないから。それも神の子となる(もちろん、キリストと違った意味でです)ためには必要なのです。
みんなそれを乗り越えて、今に至っている・・・キリスト教とはその初めにして、つまづきの石なんです。来るものを選ぶのです・・・大丈夫!それこそ「わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。 あしあとがひとつだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」
となるから(^_^)v。
今日は不思議と爽やかで、心穏やかです・・・冷静に書けました。こんなしょうもないブログでよければ、いつでもおいで・・・私も覚悟決めたよ・・・とことんまで付き合ってあげるから・・・でもお手上げの時は・・・わたぴ~さん、よろしく~(^_^;)・・・ふり杉だって(笑)。
それにしてもバルナバさん・・・
>バルナバです。
サタンの策略は明確です。
私たち主に在る兄弟姉妹の分裂と、子羊通信の閉鎖です。
私・・・ここまで考えませんでしたよ(^_^;)・・・
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