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なんでも&緊急連絡版

カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の194件の記事

2017年5月 7日 (日)

メシヤ~わが神、わが主

前回の記事の補足となるのですが、聖書から考察するに

終末になると「多くの偽預言者が起こって、多くのひとを惑わすであろう」と書いた。

その一方でマタイ伝24章には

「また、戦争と戦争の噂を聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起こらねばならないが、まだ終わりではない。」とあります・・・

前回、書いた記事はともかくとして、聖書に書かれていることは、我々の力でどうにかなるものではなく、現状から推察して、そう遠くないうちに、そうなることでしょう。変える事はできないでしょう。

そんな中でふと・・・

これらの事をあなたがたに話したのは、私にあって平安を得るためである。

あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」

ヨハネ 16;33

が脳裏をよぎりました・・・

下手に心を騒がさず、「どうせ死んでも天国だ、永遠の地獄の業火で焼かれることはない。」とする心構えを持たねばなりませんよね。

アタマではわかっていても、肉は弱い・・・この聖書箇所が腹まで落ちてきて不動なるものになるまで、霊的な戦いもあることでしょう。

トマスが復活の主に仰せになったように「わが神、わが主」と、確固たる信仰を持ち、霊的バトルに勝利を得たいものです・・・

2017年5月 5日 (金)

なに?5月13日にWWⅢが開始だって?おそらくは偽予言だろうが?

余興と呼ぶにはあまりにもシリアスな中身なのですが、はて?
おそらくは悪霊の類からでも来ているか、聖母マリヤの名を語る悪霊からのものでしょう?
そもそもファティマの予言そのものからして怪しい。

5月13日と言ったら、あ~た!
来週の土曜日で、あと一週間じゃないですか!

マタイ伝24:11 には 『多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。』
とある・・・・

確かに今の情勢が非常にリスキーなのは認めますが、ここまで来るとねえ~?

以下、スプートニク日本からですが(パスター・べグレーもユーチューブ動画で話してた)、ま、話半分に。
期日指定の予言など当たったためしがないのだから・・・って!下手な鉄砲も数打ちぁ当たるでまさかまさか、とはならないとは思うが。

それよりも7日(日)のフランス大統領決選投票の方が興味深いと思うのですがね?
個性派同士の一騎打ちですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

世紀末予言 2017年5月13日に到来

社会 2017年05月05日 22:33

透視能力を持つポルトガル人のゴラツィオ・ヴァリエガス氏は核戦争開始の期日が明らかになったことを発表した。

スプートニク日本

英タブロイド紙のデイリースターによれば、ヴァリエガス氏は2015年の段階ですでにドナルド・トランプ氏が米大統領選挙で勝利し、「イルミネーションの王」となって「第3次世界大戦をもたらす」と予言していた。

ヴァリエガス氏はデイリースター紙に「トランプ氏がシリアを攻撃する」という予言も伝えていた。

デイリースター紙掲載の記事には「わずか数日前、テキサス州在住のカトリック教徒の透視者(ヴァリエガス氏のこと)はある像を目にした。複数の火の球が空から降ってきて、地球に落ちてくるというものだった」とかかれている。

この像を見た後、ヴァリエガス氏はこれが第3次世界大戦で2017年5月13日に開始されるということを「理解した。」この日はポルトガルの奇跡、ファティマの聖母の最後の出現から100年めにあたる。ヴァリエガス氏の見解では同じ年、つまり2017年10月13日に戦争は終わるが、「多くの者にとってはこれはあまりに遅すぎるであろう。」

世紀末がいつ到来するかという論争が起きたのは今世紀が初めてではなく、この手の話は止むことがない。終末論の予言はマスコミに時折姿を現している。今年3月もペルーで非常に珍しい「燃える」虹が現れ、これは黙示録の前触れだと騒がれたばかり。

https://jp.sputniknews.com/life/201705053609804/

・・・世界統一宗教=ミステリー・バビロンの司令塔からのものでしょうかね?
ま、その日が来ればわかることですが。

2017年3月30日 (木)

いいねえ~♪若かりし頃を思い出す・・・


なんかこの動画を見ているとホッとする。

私の世代はスノボーではなくて、スキーの時代・・・板の長さ=身長+10~15cm、よって私は185cmの板を使ってました。

ところが今はどうよ?身長ー○○cmのカービング・スキーが主流やないかい!
私がスキーから撤退する頃登場したから、私はどんなものだかわからない(涙;)

聞いたところによると、パラレル・ターンが面白いほど綺麗に出来ると従兄弟が言ってた。
「面白いくらいに良くターン出来る」と・・・

あのな~!こちとらロング・スキー板で、緩斜面でのみ!やっとこさ、ウェーデルンもどきをマスターしたと言うのに(涙;)

少しウォーミング・アップすれば身体は覚えているから、カービング・スキーを使えば、ワタクシでも急斜面をウェーデルンもどきで滑って降りることが可能だろうか?コブコブの30度超える急斜面に行くと・・・ラレル・ターンがいいところだった。

とおしゃべりが過ぎました。

で何が言いたいの?と言われますと、とりあえずこのブログはハード・ボイルド路線が原則。
この Eden Media  のサイトはいわゆる、キリスト教系陰謀論ユーチューブサイト。
珍しい、らしくない動画の投稿です。

でもなんか・・・わかる気がする・・・永遠の時間軸から見て、この世の時間は短いもの。
みんな、もがき苦しみながら自戒し、従順に努めようとしているけど、その一方で楽しいこと、心の奥底から笑いが込み上げてくる心地よいものをも求めているのだと思う。これは生きていく上で必要だし、決して悪いことではなく否定するべきものでもない。

我々は「十字架の贖い」によって、罪、律法から解放され自由の身になったのだから。
もちろん、だからと言って、何やっても赦されるというものではないので誤解なく。

そもそもPastor JD にあやかるなら

「救いのABC」と言って

Admit~ 自分が罪人であることを認識する、認める。

Believe ~主イエスこそ唯一のメシヤであると信じる。

Confess~イエスこそ救い主であると告白する。

10:9すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10:10なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。

ローマ書 10:9~10

動画の表題にもあるように「平和と感謝」・・・

さあ~♪賛美しよう~♪救~い主、イエスに~♪ なのである。

今は違うけど、かつては私も「平和と感謝」を実感できる時期があったからわかる。

しかし時代は変わってしまった・・・いわゆる "The point of no return" のところまで来てしまったのではないか。

今は表面上、小康状態で " Watchman on the wall" を自称する私としては???これと言ったニュースもない。

しかし、これだけは真理ではなかろうか。「もう元には戻らない」・・・と・・・

時代はそこまで進んでしまったのですね・・・


ある愛の詩~ライアン=オニール、若かったねえ。
と、私的にはそれはどうでも良く、このSnow Frolic という映画内の挿入歌。

映画音楽界の双璧と言えば私は迷わず、このフランシス=レイ(他に「さらば夏の日」、「個人教授」)と、「太陽がいっぱい」、「ゴッド=ファーザー」、「ロミオとジュリエット」のニーノ=ロータを挙げますね。

2017年3月12日 (日)

絶不調・・・

どうも調子が悪い --;・・・

51:8わたしに喜びと楽しみとを満たし、
あなたが砕いた骨を喜ばせてください。
51:9み顔をわたしの罪から隠し、
わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。
51:10神よ、わたしのために清い心をつくり、
わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
51:11わたしをみ前から捨てないでください。
あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
51:12あなたの救の喜びをわたしに返し、
自由の霊をもって、わたしをささえてください。
51:13そうすればわたしは、とがを犯した者に
あなたの道を教え、
罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。

詩篇 51:8~13

この詩篇51編は、あの有名な箇所、ダビデがバテ・シェバを寝取って、その夫であるウリヤを戦場の最前線に送り、間接的に殺してしまったことを、預言者ナタンに糾弾され、涙を流して悔い改めた時に詠んだ箇所です。

詩篇には度々、「主を待ち望め」と繰り返し出てくる・・・希望を捨てるな!と自分に必死になって言い聞かせるが、人間弱いもの・・・

あの「救われた日の喜び」、確かに聖霊なる爽やかな風がわが心の中を吹き抜けていった・・・この箇所だけ抜粋しましたが、聖書をお持ちの方は是非、51篇を通してお読みいただくことをお勧めします。

今一度、あの時の喜び、平安を返してください、と叫ばずにはいられない・・・

2017年3月 1日 (水)

地球空洞説~信じる?信じない?

またまた久々の更新。このブログもそろそろ賞味期限切れかな?(笑)
ま、10年以上経つのだから、順境の時もあれば、逆境の時があっても仕方がないということにしておこう。

何となく今のところ世の中、小康状態で安定しているように見えます・・・が、こういう時こそ油断大敵、絶えず目を覚ましていよう・・・と無理にでも?自分に言い聞かせる。

では本題。
なんか最近、にわかにプラネットX=惑星二ビル(太陽系にその軌道が入ったらしい?)と共に、「地球空洞説」がネット上で取り上げられる頻度が増えているような?特に南極(Antarctica)関連で・・・
そう言えば、私がブログを始めたころ、「南極のマザー」というフェイク・ブログが大ブレイクしていたのを思い出します・・・
私が小学校の時だったでしょうか?「メギドの火」という「つのだじろう」原作の漫画で、このような話が存在するのを知ってました・・・しばらく忘れてた・・・

私が付け焼刃の拙い解説をするより、4分ほどの動画をまずは見ていただいた方がいいでしょう。


それで、私の考えというか結論!にはなりませんが、正直申し上げて「わからない、だって行った事ないんだもん」としか言えません(爆:)

ただし、異次元の世界の存在は信じております。我々が住んでいる三次元の物質世界がすべてではないでしょう。
これは聖書にも根拠がある。

パウロ自身、ぼかして書いてますが、間違いなくパウロ自身のことでしょう。

12:1わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。
12:2わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。
12:3この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである――
12:4パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。

第二コリント 12:1~4

いわゆる「第三の天」・・・これも異次元の世界であることでしょう。
その他にも堕天使を閉じ込めたなど、異次元世界のことであろうと思われる記述が聖書の中には見られますが、ここでは触れません。この箇所だけで充分でしょう。もちろん、これだって、ほんのさわりに触れているに過ぎないと私は思う。必要以上の深入りは、信仰の破船につながりますゆえ。

いわゆるインナー=ワールドとでも言いましょうか、地底都市シャンバラとか、レプテリアン、堕天使のアジトであるとか、UFOの発着基地があるとか、旧約聖書に出てくる巨人(ネピリム)がいるとか?よくはまあ~想像たくましく・・・この辺にしておきましょう。

本題とは少しずれますが、結局はこういうことではないでしょうか?
自分が博学だと思い込んで、あたかも真実のように断定的に思い込む・・・栄光を帰すのは自分ではなく主なる神であるということ。これはよくよく注意せねばならない!

13:9なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
13:10全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
13:11わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
13:12わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
13:13このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

第一コリント 13;9~13

今はまだ結論を急いで断定する必要はない・・・いずれ真実がわかる時が来る。
「信仰と希望と愛」、自戒せねばなりませんね。

PS:かなり論点がずれたかも? --;

2016年12月26日 (月)

哀悼~ジョージ=マイケル

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老けたね・・・同じ年とは思えない・・・
1963年生まれ53歳・・・私とタメ年だったとは。
ギリシャ系キプロス人とイギリス人の母親との間に生まれた・・・ユダヤ系でもあるそうだ、言われてみればそのような顔つきしてる。
アングロサクソン系の顔つきではないとは思っていましたけど。

25日の朝、死去。死因は不明、一説によると心不全とか・・・
ソロになってからと言うもの、キリスト信仰を持っていると思わせる曲も書いているのだがはて?その真実はわからない。

大衆猥褻や、大麻所持など世間をお騒がせした悪いニュースにも事欠かなかったです・・・不安障害のメンタル疾患も患ったようですし。

最後の最後には罪を悔い改め、安らかに召されたのだろうか?キリストを主と崇めたのだろうか?私などにはわかろうはずもありませんけど。

わが青春の思い出が彼の曲にはたくさん詰まっているだけに、奇人変人の部類だったかもしれないが、才能あるアーティストであったのは間違いない。

彼の霊が救われているのを願うばかりだ。

彼を偲んで、またわが青春の1ページを代表する曲として。
是非とも、天国でお会いしたいものだ・・・

1984年というと私が大学4年生の時・・・若い頃は才能豊かでかっこよかったんだよね。
この曲を聴くと、涙なくしては聴けない・・・今となっては時効だから書いちゃうけど、ちょうど、今のかみさんともう一人の女性の間で揺れていた時期でもあった・・・

私も若い頃はそれなりに女性にもてたんです(嘘;)

2016年12月25日 (日)

クリスマスにまつわる話

 この記事の内容は掲示板「子羊村」に書いたのとほとんど同じであることを断っておきます。板はロムってない人もいるでしょうから。

まずトップ・ヘビーで結論から。

クリスマスとは?

イエス・キリストの誕生日ではなく(こんなこと聖書のどこにも書いてないし、ルカ伝から推測するならば、初秋~仮庵の祭りあたりだろう)、『キリストの生誕を祝う日』ということ。」

12/25日とは異教の神々の崇拝から来ており、ミトラ神崇拝=ニムロデの誕生日が通説になっている。
また、ローマ教会の策謀でローマ帝国と妥協し、ニケイア公会議で12/25がキリストの誕生日と定められた。

しかしながら、しかしながらです。私も知らなかったのですが、冬至あたりの3日間は日の出の緯度が同じらしい。
そして、3日後に日の出の緯度が変わる・・・闇の時間が短くなり、徐々に陽が長くなる。

要するに「死にて葬られ、3日目に甦られた」ではありませんか。

ここまで書けば、私の言いたいことはわかると思います。
捉え方次第でしょう。

ポジティブに考えれば、サタンの嘘偽りすらも超越し、すべてを司るのは全知全能の父なる神、及び御子なるキリストとなるかと。

なので、クリスマスを祝うことを否定はしません。

でも、私は正直言ってクリスマスは好きではありません。あまりにも世俗化し過ぎていて気分が悪くなるから。自分で言うのもなんですが、あのコマーシャル第一主義には辟易する。
教会のクリスマス礼拝に出たことも、仕事にかこつけて一度もない --;

静かに、主の生誕を祝い、感謝したい・・・ただそれだけです。

「世の罪を取り除く神の子羊」~ヘブル語では ヤシュア=ハ=マシヤ と言うそうです。

イエースース=クリストス、ジーザス=クライスト、イエス=キリスト、私はこだわりませんけどね。
でも日本人には、イエス=キリストが一番、フィットするかなあ~

2016年11月30日 (水)

イザヤ書より

35:3あなたがたは弱った手を強くし、
よろめくひざを健やかにせよ。
35:4心おののく者に言え、
「強くあれ、恐れてはならない。
見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、
神の報いをもってこられる。
神は来て、あなたがたを救われる」と。
35:5その時、目しいの目は開かれ、
耳しいの耳はあけられる。
35:6その時、足なえは、しかのように飛び走り、
おしの舌は喜び歌う。
それは荒野に水がわきいで、
さばくに川が流れるからである。

40:28あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。
40:29弱った者には力を与え、
勢いのない者には強さを増し加えられる。
40:30年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。
40:31しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。

42:1わたしの支持するわがしもべ、
わたしの喜ぶわが選び人を見よ。
わたしはわが霊を彼に与えた。
彼はもろもろの国びとに道をしめす。
42:2彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、
その声をちまたに聞えさせず、
42:3また傷ついた葦を折ることなく、
ほのぐらい灯心を消すことなく、
真実をもって道をしめす。
42:4彼は衰えず、落胆せず、
ついに道を地に確立する。

46:3「ヤコブの家よ、
イスラエルの家の残ったすべての者よ、
生れ出た時から、わたしに負われ、
胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、
わたしに聞け。
46:4わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、
白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、
持ち運び、かつ救う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、イザヤ書よりピックアップさせていただきました。

本当に人間とは弱い者、アタマではわかっていても心がついていかない・・・どうしても苛立つ自分をもう一人の自分が冷静に見つめる・・・

月末を迎え、毎度のこと、俗世に属する限り逃げることの出来ないわが宿命?とでも言おうか?

もはやこれまで・・・と思いつつも、まだ行けるのか?己ごときにわかろうはずもなし・・・
今回で何度目であろうか。
「自分で考え行動へ移す時代」と言われても、凡人に何の発想が浮かぼうか。
すべてを主に「明け渡し、委ねるしかないところまで時代は押し詰まっている」との認識はあれど、そうコトは単純なものではない。

泣き言を言うつもりはないが、否、言ってはいけないのはわかっていても・・・「答えをいただきたい・・・もう疲れました」と。

「わが主、わが神」・・・どうかこの役立たずの者を憐れみたまえ。
御国を来たらせ給え、マラナタ。

2016年11月18日 (金)

打ちひしがれた時の祈り

ええ~、今月やっと2本目のブログ記事です・・・書けねえ~!
いよいよ私もお役御免、走馬灯が見えてきたかな?(笑)

今日はネット上で見つけた単純な祈りを紹介しようと思います。
カトリックのシスターのものですが、マリヤに祈ってはいません。我々にとっては当たり前なのですがね。

どうしようもなく落ち込んだり、立ち直れなくなりそうな時。
どう自分を奮い立たそうとしても、勇気が出ない時。

Being in Jesus
Jesus in me

先ほど犬の散歩中、ずっと口ずさんでました。
これは使えるかもしれません・・・

話は変わり、やはり今話題の最先端はトランプ氏。
アメリカでは未だにデモが続いているようですね。

ま、常識的には来年1月20日でしたっけ?無事に大統領に就任するのでしょうが。
アメリカ国債の金利が上昇してますし、可能性は低いと見てますが、内戦、戒厳令の噂が無くもない情勢・・・なんせ、ガセ、ディスインフォと、ワケわからん状態で。

ここは誰かも言ってましたが、下手な予測を立てるより、コトの成り行きを静観するのが賢明かもしれません。トランプの正体がまだ良く見えてないですしね。

ロシアもタイミングよく?シリア沖に巡洋艦を引き連れ、空母アドミラル・クズネツォフを派遣して空爆を再開したようで。シリアからは目が離せない。

そんなこんなで、私もここのところダンマリ状態 --;

今はこれをもう一度。

Being in Jesus
Jesus in me

2016年8月10日 (水)

伝道~妻と息子は私を狂人扱いするが --;

福音伝道・・・正直申し上げて、ここでやっていることが伝道になっているかどうか?
私自身、はなはだ疑問ではありますが、特に家族への伝道は困難と言うか、私には不可能に思える。

母教会の牧師先生、役員の方々は「家族伝道が一番難しいのですよ」という。
以前、何年前か忘れましたが、教団主催のセミナーの牧師先生は「家族伝道とはただ黙っていればいい。あなたの後姿、言動自体が伝道になる。何やかんやと余計なことをしゃべるから、『偉そうに!』と反発を買うのです」と。

自分で思うに、私自身に福音伝道の賜物があるとはこれっぽっちも思えないと言うのが正直なところなのです --;

もちろん、強制、脅迫は御法度、まったく意味がないばかりか、盲人が盲人を手引きして、最悪カルトへと誘う結果ともなりかねない。

そこで私が手本にしているのが雅歌。

2:7エルサレムの娘たちよ、
わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、
あなたがたに誓い、お願いする、
愛のおのずから起るときまでは、
ことさらに呼び起すことも、
さますこともしないように。
2:8わが愛する者の声が聞える。
見よ、彼は山をとび、丘をおどり越えて来る。
2:9わが愛する者はかもしかのごとく、
若い雄じかのようです。
見よ、彼はわたしたちの壁のうしろに立ち、
窓からのぞき、格子からうかがっている。
2:10わが愛する者はわたしに語って言う、
「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、
立って、出てきなさい。

雅歌 2:7~10

>愛のおのずから起るときまでは、
ことさらに呼び起すことも、
さますこともしないように。

ネガティブかもしれないが、私にはこのスタンスで主にお任せするしか術がない。
肉の努力で導くにも限界があろうし、私の得意とするところではないというか、伝道の基本的セオリーすら知らないし^^;

「わが愛する者」とはキリストのことです、また「我が愛する者よ」と呼びかけているのは、救いに与る善良なる一般市民と置き換えればこの箇所は分かり易いでしょう。

カルビンの「予定調和説」、及びアルミニウスによる「アルミニズム」の論点もここで語るべきなのでしょうが、今回はスルーします。個人的には結果は同じであると思うし、基本私は、アルミニウス主義を執りますが、カルビニズムを否定するものでもありませんので。

伝道を焦ってはいけない、「急がず慌てず正確に。可能であれば早く」というのが理想ではあるのでしょうが。

最後になぜ、このような記事を書く気になったのか・・・板の方で、我が愛する姉妹が良いこと書いてたからなのですよ、これが。

>「置かれた場所で咲きなさい。」
ですね(*^_^*)

・・・彼女が宛てた電子メール、必ず時が来ると思う、そして宛てた相手方の姉妹の置かれている状況も私は尊重したいです。

パウロも言っているように、最後に残るのは「愛」なのですから・・・

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