2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

ブログパーツ

なんでも&緊急連絡版

カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の191件の記事

2017年3月12日 (日)

絶不調・・・

どうも調子が悪い --;・・・

51:8わたしに喜びと楽しみとを満たし、
あなたが砕いた骨を喜ばせてください。
51:9み顔をわたしの罪から隠し、
わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。
51:10神よ、わたしのために清い心をつくり、
わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
51:11わたしをみ前から捨てないでください。
あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
51:12あなたの救の喜びをわたしに返し、
自由の霊をもって、わたしをささえてください。
51:13そうすればわたしは、とがを犯した者に
あなたの道を教え、
罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。

詩篇 51:8~13

この詩篇51編は、あの有名な箇所、ダビデがバテ・シェバを寝取って、その夫であるウリヤを戦場の最前線に送り、間接的に殺してしまったことを、預言者ナタンに糾弾され、涙を流して悔い改めた時に詠んだ箇所です。

詩篇には度々、「主を待ち望め」と繰り返し出てくる・・・希望を捨てるな!と自分に必死になって言い聞かせるが、人間弱いもの・・・

あの「救われた日の喜び」、確かに聖霊なる爽やかな風がわが心の中を吹き抜けていった・・・この箇所だけ抜粋しましたが、聖書をお持ちの方は是非、51篇を通してお読みいただくことをお勧めします。

今一度、あの時の喜び、平安を返してください、と叫ばずにはいられない・・・

2017年3月 1日 (水)

地球空洞説~信じる?信じない?

またまた久々の更新。このブログもそろそろ賞味期限切れかな?(笑)
ま、10年以上経つのだから、順境の時もあれば、逆境の時があっても仕方がないということにしておこう。

何となく今のところ世の中、小康状態で安定しているように見えます・・・が、こういう時こそ油断大敵、絶えず目を覚ましていよう・・・と無理にでも?自分に言い聞かせる。

では本題。
なんか最近、にわかにプラネットX=惑星二ビル(太陽系にその軌道が入ったらしい?)と共に、「地球空洞説」がネット上で取り上げられる頻度が増えているような?特に南極(Antarctica)関連で・・・
そう言えば、私がブログを始めたころ、「南極のマザー」というフェイク・ブログが大ブレイクしていたのを思い出します・・・
私が小学校の時だったでしょうか?「メギドの火」という「つのだじろう」原作の漫画で、このような話が存在するのを知ってました・・・しばらく忘れてた・・・

私が付け焼刃の拙い解説をするより、4分ほどの動画をまずは見ていただいた方がいいでしょう。


それで、私の考えというか結論!にはなりませんが、正直申し上げて「わからない、だって行った事ないんだもん」としか言えません(爆:)

ただし、異次元の世界の存在は信じております。我々が住んでいる三次元の物質世界がすべてではないでしょう。
これは聖書にも根拠がある。

パウロ自身、ぼかして書いてますが、間違いなくパウロ自身のことでしょう。

12:1わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。
12:2わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。
12:3この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである――
12:4パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。

第二コリント 12:1~4

いわゆる「第三の天」・・・これも異次元の世界であることでしょう。
その他にも堕天使を閉じ込めたなど、異次元世界のことであろうと思われる記述が聖書の中には見られますが、ここでは触れません。この箇所だけで充分でしょう。もちろん、これだって、ほんのさわりに触れているに過ぎないと私は思う。必要以上の深入りは、信仰の破船につながりますゆえ。

いわゆるインナー=ワールドとでも言いましょうか、地底都市シャンバラとか、レプテリアン、堕天使のアジトであるとか、UFOの発着基地があるとか、旧約聖書に出てくる巨人(ネピリム)がいるとか?よくはまあ~想像たくましく・・・この辺にしておきましょう。

本題とは少しずれますが、結局はこういうことではないでしょうか?
自分が博学だと思い込んで、あたかも真実のように断定的に思い込む・・・栄光を帰すのは自分ではなく主なる神であるということ。これはよくよく注意せねばならない!

13:9なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
13:10全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
13:11わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
13:12わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
13:13このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

第一コリント 13;9~13

今はまだ結論を急いで断定する必要はない・・・いずれ真実がわかる時が来る。
「信仰と希望と愛」、自戒せねばなりませんね。

PS:かなり論点がずれたかも? --;

2016年12月26日 (月)

哀悼~ジョージ=マイケル

2015georgemichael_gettyimages114061

老けたね・・・同じ年とは思えない・・・
1963年生まれ53歳・・・私とタメ年だったとは。
ギリシャ系キプロス人とイギリス人の母親との間に生まれた・・・ユダヤ系でもあるそうだ、言われてみればそのような顔つきしてる。
アングロサクソン系の顔つきではないとは思っていましたけど。

25日の朝、死去。死因は不明、一説によると心不全とか・・・
ソロになってからと言うもの、キリスト信仰を持っていると思わせる曲も書いているのだがはて?その真実はわからない。

大衆猥褻や、大麻所持など世間をお騒がせした悪いニュースにも事欠かなかったです・・・不安障害のメンタル疾患も患ったようですし。

最後の最後には罪を悔い改め、安らかに召されたのだろうか?キリストを主と崇めたのだろうか?私などにはわかろうはずもありませんけど。

わが青春の思い出が彼の曲にはたくさん詰まっているだけに、奇人変人の部類だったかもしれないが、才能あるアーティストであったのは間違いない。

彼の霊が救われているのを願うばかりだ。

彼を偲んで、またわが青春の1ページを代表する曲として。
是非とも、天国でお会いしたいものだ・・・

1984年というと私が大学4年生の時・・・若い頃は才能豊かでかっこよかったんだよね。
この曲を聴くと、涙なくしては聴けない・・・今となっては時効だから書いちゃうけど、ちょうど、今のかみさんともう一人の女性の間で揺れていた時期でもあった・・・

私も若い頃はそれなりに女性にもてたんです(嘘;)

2016年12月25日 (日)

クリスマスにまつわる話

 この記事の内容は掲示板「子羊村」に書いたのとほとんど同じであることを断っておきます。板はロムってない人もいるでしょうから。

まずトップ・ヘビーで結論から。

クリスマスとは?

イエス・キリストの誕生日ではなく(こんなこと聖書のどこにも書いてないし、ルカ伝から推測するならば、初秋~仮庵の祭りあたりだろう)、『キリストの生誕を祝う日』ということ。」

12/25日とは異教の神々の崇拝から来ており、ミトラ神崇拝=ニムロデの誕生日が通説になっている。
また、ローマ教会の策謀でローマ帝国と妥協し、ニケイア公会議で12/25がキリストの誕生日と定められた。

しかしながら、しかしながらです。私も知らなかったのですが、冬至あたりの3日間は日の出の緯度が同じらしい。
そして、3日後に日の出の緯度が変わる・・・闇の時間が短くなり、徐々に陽が長くなる。

要するに「死にて葬られ、3日目に甦られた」ではありませんか。

ここまで書けば、私の言いたいことはわかると思います。
捉え方次第でしょう。

ポジティブに考えれば、サタンの嘘偽りすらも超越し、すべてを司るのは全知全能の父なる神、及び御子なるキリストとなるかと。

なので、クリスマスを祝うことを否定はしません。

でも、私は正直言ってクリスマスは好きではありません。あまりにも世俗化し過ぎていて気分が悪くなるから。自分で言うのもなんですが、あのコマーシャル第一主義には辟易する。
教会のクリスマス礼拝に出たことも、仕事にかこつけて一度もない --;

静かに、主の生誕を祝い、感謝したい・・・ただそれだけです。

「世の罪を取り除く神の子羊」~ヘブル語では ヤシュア=ハ=マシヤ と言うそうです。

イエースース=クリストス、ジーザス=クライスト、イエス=キリスト、私はこだわりませんけどね。
でも日本人には、イエス=キリストが一番、フィットするかなあ~

2016年11月30日 (水)

イザヤ書より

35:3あなたがたは弱った手を強くし、
よろめくひざを健やかにせよ。
35:4心おののく者に言え、
「強くあれ、恐れてはならない。
見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、
神の報いをもってこられる。
神は来て、あなたがたを救われる」と。
35:5その時、目しいの目は開かれ、
耳しいの耳はあけられる。
35:6その時、足なえは、しかのように飛び走り、
おしの舌は喜び歌う。
それは荒野に水がわきいで、
さばくに川が流れるからである。

40:28あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。
40:29弱った者には力を与え、
勢いのない者には強さを増し加えられる。
40:30年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。
40:31しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。

42:1わたしの支持するわがしもべ、
わたしの喜ぶわが選び人を見よ。
わたしはわが霊を彼に与えた。
彼はもろもろの国びとに道をしめす。
42:2彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、
その声をちまたに聞えさせず、
42:3また傷ついた葦を折ることなく、
ほのぐらい灯心を消すことなく、
真実をもって道をしめす。
42:4彼は衰えず、落胆せず、
ついに道を地に確立する。

46:3「ヤコブの家よ、
イスラエルの家の残ったすべての者よ、
生れ出た時から、わたしに負われ、
胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、
わたしに聞け。
46:4わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、
白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、
持ち運び、かつ救う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、イザヤ書よりピックアップさせていただきました。

本当に人間とは弱い者、アタマではわかっていても心がついていかない・・・どうしても苛立つ自分をもう一人の自分が冷静に見つめる・・・

月末を迎え、毎度のこと、俗世に属する限り逃げることの出来ないわが宿命?とでも言おうか?

もはやこれまで・・・と思いつつも、まだ行けるのか?己ごときにわかろうはずもなし・・・
今回で何度目であろうか。
「自分で考え行動へ移す時代」と言われても、凡人に何の発想が浮かぼうか。
すべてを主に「明け渡し、委ねるしかないところまで時代は押し詰まっている」との認識はあれど、そうコトは単純なものではない。

泣き言を言うつもりはないが、否、言ってはいけないのはわかっていても・・・「答えをいただきたい・・・もう疲れました」と。

「わが主、わが神」・・・どうかこの役立たずの者を憐れみたまえ。
御国を来たらせ給え、マラナタ。

2016年11月18日 (金)

打ちひしがれた時の祈り

ええ~、今月やっと2本目のブログ記事です・・・書けねえ~!
いよいよ私もお役御免、走馬灯が見えてきたかな?(笑)

今日はネット上で見つけた単純な祈りを紹介しようと思います。
カトリックのシスターのものですが、マリヤに祈ってはいません。我々にとっては当たり前なのですがね。

どうしようもなく落ち込んだり、立ち直れなくなりそうな時。
どう自分を奮い立たそうとしても、勇気が出ない時。

Being in Jesus
Jesus in me

先ほど犬の散歩中、ずっと口ずさんでました。
これは使えるかもしれません・・・

話は変わり、やはり今話題の最先端はトランプ氏。
アメリカでは未だにデモが続いているようですね。

ま、常識的には来年1月20日でしたっけ?無事に大統領に就任するのでしょうが。
アメリカ国債の金利が上昇してますし、可能性は低いと見てますが、内戦、戒厳令の噂が無くもない情勢・・・なんせ、ガセ、ディスインフォと、ワケわからん状態で。

ここは誰かも言ってましたが、下手な予測を立てるより、コトの成り行きを静観するのが賢明かもしれません。トランプの正体がまだ良く見えてないですしね。

ロシアもタイミングよく?シリア沖に巡洋艦を引き連れ、空母アドミラル・クズネツォフを派遣して空爆を再開したようで。シリアからは目が離せない。

そんなこんなで、私もここのところダンマリ状態 --;

今はこれをもう一度。

Being in Jesus
Jesus in me

2016年8月10日 (水)

伝道~妻と息子は私を狂人扱いするが --;

福音伝道・・・正直申し上げて、ここでやっていることが伝道になっているかどうか?
私自身、はなはだ疑問ではありますが、特に家族への伝道は困難と言うか、私には不可能に思える。

母教会の牧師先生、役員の方々は「家族伝道が一番難しいのですよ」という。
以前、何年前か忘れましたが、教団主催のセミナーの牧師先生は「家族伝道とはただ黙っていればいい。あなたの後姿、言動自体が伝道になる。何やかんやと余計なことをしゃべるから、『偉そうに!』と反発を買うのです」と。

自分で思うに、私自身に福音伝道の賜物があるとはこれっぽっちも思えないと言うのが正直なところなのです --;

もちろん、強制、脅迫は御法度、まったく意味がないばかりか、盲人が盲人を手引きして、最悪カルトへと誘う結果ともなりかねない。

そこで私が手本にしているのが雅歌。

2:7エルサレムの娘たちよ、
わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、
あなたがたに誓い、お願いする、
愛のおのずから起るときまでは、
ことさらに呼び起すことも、
さますこともしないように。
2:8わが愛する者の声が聞える。
見よ、彼は山をとび、丘をおどり越えて来る。
2:9わが愛する者はかもしかのごとく、
若い雄じかのようです。
見よ、彼はわたしたちの壁のうしろに立ち、
窓からのぞき、格子からうかがっている。
2:10わが愛する者はわたしに語って言う、
「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、
立って、出てきなさい。

雅歌 2:7~10

>愛のおのずから起るときまでは、
ことさらに呼び起すことも、
さますこともしないように。

ネガティブかもしれないが、私にはこのスタンスで主にお任せするしか術がない。
肉の努力で導くにも限界があろうし、私の得意とするところではないというか、伝道の基本的セオリーすら知らないし^^;

「わが愛する者」とはキリストのことです、また「我が愛する者よ」と呼びかけているのは、救いに与る善良なる一般市民と置き換えればこの箇所は分かり易いでしょう。

カルビンの「予定調和説」、及びアルミニウスによる「アルミニズム」の論点もここで語るべきなのでしょうが、今回はスルーします。個人的には結果は同じであると思うし、基本私は、アルミニウス主義を執りますが、カルビニズムを否定するものでもありませんので。

伝道を焦ってはいけない、「急がず慌てず正確に。可能であれば早く」というのが理想ではあるのでしょうが。

最後になぜ、このような記事を書く気になったのか・・・板の方で、我が愛する姉妹が良いこと書いてたからなのですよ、これが。

>「置かれた場所で咲きなさい。」
ですね(*^_^*)

・・・彼女が宛てた電子メール、必ず時が来ると思う、そして宛てた相手方の姉妹の置かれている状況も私は尊重したいです。

パウロも言っているように、最後に残るのは「愛」なのですから・・・

2016年8月 9日 (火)

本日の聖句

46:9いにしえよりこのかたの事をおぼえよ。
わたしは神である、わたしのほかに神はない。
わたしは神である、わたしと等しい者はない。
46:10わたしは終りの事を初めから告げ、
まだなされない事を昔から告げて言う、
『わたしの計りごとは必ず成り、
わが目的をことごとくなし遂げる』と。

イザヤ 46:9~10

2:2主はわたしに答えて言われた、
「この幻を書き、
これを板の上に明らかにしるし、
走りながらも、これを読みうるようにせよ。
2:3この幻はなお定められたときを待ち、
終りをさして急いでいる。それは偽りではない。
もしおそければ待っておれ。
それは必ず臨む。滞りはしない。

ハバクク 2:2~3

3:3まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、 3:4「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。

3:5すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、 3:6その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。 3:7しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。

3:8愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。 3:9ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
3:10しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。 3:11このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、 3:12極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。 3:13しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。

第二ペテロ 3:3~10

2016年7月28日 (木)

相模原障碍者施設殺傷事件に思う

本題に入る前に、この事件も偽旗事件のヤラセだという話をネット上で小耳にしましたが・・・何でもかんでも偽旗事件にするのも、極端で行き過ぎた陰謀論思考で、私的には疑問ですが。
このような方は是非、現地へと飛んで取材し、実際に自分の目で確認して実証してもらいたいものです。死亡者の確認、遺族の方へのインタビュー、クライシス・アクターがいたのか?施設関係者の証言など実証すべき命題は多々あるでしょうから。

まあ、犯人がある種のマインド・コントロール、悪霊的影響を受けていた可能性を否定するものではありませんがね。

さて、神奈川県相模原市緑区と言いますと、私と縁深い中央区のお隣、横浜線と京王線のターミナル駅でもある橋本駅があるところです、と言っても施設は町内ではなく郊外の田舎だそうですが。

今問題となっている若者の低賃金長時間労働、ただでさえ介護の仕事は過酷でしょう。
それまでの生い立ちやら、多方面に渡るそれまでの人生・・・犯行に及ぶ動機は本人でないのでその心の奥底に潜む闇、本心まではわかりませんが、一部の人間を除き、今、現世に生きる大多数の一般人は、厳しい現実と向かい合い、塗炭の苦しみを味わいながらも、歯を食いしばって必死に生きているだろうと私は思います。
本当にこんな世の中やってられませんよ、明日の資金繰りどうしよう?(これ私ですが^^;)やるせない怒りをぶつけたくなる時もある。

だからと言って、他人に当たるべきではない。ましてや一個人に他人の生殺与奪の権限などあるわけがない。

人それぞれ、多様な考え、ポリシー、信条があることでしょうが、これはあくまで私個人の考えであって、他人に強制するものではないことをお断りしておきます。

やはり神無き世界に生きていると、もちろん、みんながみんなとは間違っても言いませんが(ナイスガイも大勢いますので)、ルシファーが堕落しサタンとなったように、自分を神の位まで持ち上げ、自分は何をやっても許されると勘違いする人間が出現するようですね・・・実際に世界を動かしているエスタブリッシュメント連中がそうだし ーー;
特に社会的弱者をターゲットにした今回の事件はまさしく「外道」という言葉がふさわしい。

今、日本に限らず世界中で暴力の嵐が吹き荒ぶ中、やるせない気持ちになってくる。
神はいつまで忍耐しておられるのか?いつまで自由気ままに人間のやりたい放題をやらせるのか?

時が近いのはわかるのですが、一体いつまで??

12:9 彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。

12:10 多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。

ダニエル 12:9~10

22:10 またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。 22:11 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。

22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。 22:13 わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。 22:14 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。 22:15 犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。

黙示 22:12~15

私自身、決して他人のこと言える立場にもなければ、日々、反省しては悔い改めの繰り返しです。

しかしながらせめて、ほんの一瞬でいいから、主の御衣のすそにでも触れたいものです。
信仰者としてのシングル・プレーヤーへの道は、まだまだ遥か彼方なり~(涙;)

2016年6月 9日 (木)

海老蔵と小林麻央

なんでも小林真央が悪性の乳がんを患っているらしく、海老蔵が記者会見をやっていた。
個人的には二人に関してはまったく興味も関心も無かったのだが・・・思わず天を仰いでしまった。

あまりにも気の毒ではないか。まだ若いし、子供も小さい。仮に乳房を切除して助かるとしても、あの歳ではあまりにも残酷すぎる。
もし自分が海老蔵の立場だったら?
砕きに砕かれ、幾多の試練を乗り越えてきた信仰も熟練の域に達したキリスト者であれば、何と答えるか?

「すべては神の許しの範囲内、主人が許したのならそれでいいではないか、苦しみも悲しみも主の御旨、あえて甘受すべきであろう。キリストを信じて絶望に終わる人はいない。」

と答える信仰者もいることであろう。

自分自身の事だったら、あるいは受け入れることの出来る可能性はわずかでもあるかもしれない。
しかしツレがそうなったら、平常心で「これも神の御心、なんらかの意味がある。天においてすべての理由がわかる。」と、強がりでも口で言えるだろうか?

考えさせられてしまった・・・自分の弱さ、無力さに気づき信仰を持ったわけだが、やはり弱いだけではダメなのだろうか?
ましてやこれからの時代、強いクリスチャンにならねばならないのだろう。

ジョン=コーソン師の言葉が脳裏をよぎった。時間がある程度の解決になるのは否定しないが、パスター=ジョンも前妻とその娘さんが交通事故で一足先に天に召されている。賜物はもちろんなのだろうが、他人の痛み、苦しみが自分のことのようにわかるから、あれだけのメッセージが出来て、心に染み入るのだろう。
だがメンタル的にはタフで強い!

「人生は悲惨なのです。だから救いの福音が必要なのですよ、みなさん」

それに比べ、私はどうよ?
衰弱しきって、たったこれだけの記事仕上げるにも寿命が縮む思い。
「使い物にならない、キリスト者の恥さらし」とはまさにこのことだね、こりゃ・・・

より以前の記事一覧