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なんでも&緊急連絡版

カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の232件の記事

2021年6月12日 (土)

永遠なる命なるもの・・・

「みんな有難う。天国で待ってるね。さよならバイバイ。」
 これは先日7年間のがんとの闘病の末48歳の若さで天に召された佐藤由美子姉妹の最後の言葉です。彼女らしい明るく信仰に満ちた言葉ではありませんか。
 私たちは神の癒しを信じ祈りますが、主の御心によって召される時は召されるのです。パウロ先生は召されることの方が“はるかに望ましい”といっています。


わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。ピリピ1:23


 クリスチャンにとって死は希望であり、喜びであるはずです。それがなんだか癒やされて生き続ける方が正しいかのような風潮があることを不思議に思います。
 最近では死人をよみがえらせることまでエスカレートしてアフリカから人を招いて珍しいことを見たいと興業をしています。私は死人のよみがえりも信じますが、せっかく主の下に安らいでいる魂をまたこの汚濁の世界に呼び戻すことの正当性を疑います。よほど何か事情があれば別ですが。
 私たちは死ぬと新しい体が与えられると聖書は言っています。


わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。Ⅱコリント5:1


 その体は地上の体が幕屋(テント)であるのに対して建物と言われるしっかりした体です。死も無く悲しみも叫びも痛みも無いのです。


「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。黙示録21:3~4


 その体はどんな風に与えられるのでしょうか。一瞬にしてです。


ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。Ⅰコリント15:51


 この箇所は終わりの時のよみがえりを指しているようですが、私は私たち一人ひとりの死と天の新しい命も何らかのつながりがあると思うのです。


そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。それを着たなら、裸のままではいないことになろう。この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。 Ⅱコリント5:2~4


 新しい命は古い命の上に着るのです。それによって古い命が呑み込まれてしまうのです。ああ、それは何とすばらしい瞬間でしょうか。
 ところで私は前から不思議に思っていたことがあります。それは最善のクリスチャンでも死ぬ前には病などに苦しみ痛むことです。何の苦しみも無くぽっくりと死ぬ人も居るでしょうが、ほとんどの場合長く苦しい闘病生活を送ります。私が考えて得た結論の一つは次のようなものです。
 この世は苦しみと悩みに満ちています。カール・ヒルテイは「だからこそ天を慕い求めるのだ」と言っていますが苦難の人生の集大成として死ぬ前に痛み苦しむのではないでしょうか。そして天において感謝と喜びに満ちるのでしょう。
 もし昼間しかない国があったら、そこの住民は朝日の輝きや昼の太陽の恵みを感謝するでしょうか。夜と闇があるからこそ、光とぬくもりをありがたいと思うのです。なんだか神様がわざとそうされるような言い方になってしまいますが、結局、この世に歴史が始まってから罪が入ってきたのも人間が闇と苦悩を知るためであったのだと思うのです。そうでなければ神の恵や愛が理解できないでしょう。闇を知らなければ光の価値は分からず、苦悩や痛みが無ければ平安は無意味です。
 いずれにせよ、みんな死にます。そうしたら天国で会いましょう。

https://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/2012msg/120122.html

**********************************************************

上記のメッセージは2012年1月22日の故小石泉牧師の「いつまでも死なないーⅡ」からのものです。

何とも言えず魂に響き、プリントアウトして、事務室の壁に画鋲で留めています。

私ごときが言うのもなんですが、キリスト信仰のすべてとは言いませんが、核心を突いていると感じたのです。

これぞ、究極の希望ではありませんか!

牧師先生が天に召されてから7年が過ぎ去りました、早いものです・・・

御霊も花嫁も言う。

主よ、来たりませ。マラナタ・・・

 

2021年4月16日 (金)

Truth Seeker さんに共感

>何がこの世界でおきているのかを人々に伝えようとしているが無力さを感じる
人々にイエス・キリストの福音を伝えようとしているが無力さを感じる

多くの人々が広い道を選び進んでいる。 洗脳された人々の選んだ道、進んでゆく道。
多くの人々がその道を進んでいるので、自分もその道を進んでゆく?

多くの人々が滅びの道を選び進んでいる。

それは明白であって、以前からわかっていること。聖書にも書いてある。
私たちの戦い。 難しいことはわかっている。 

わたしは
一人でも多くがイエス・キリストの福音を受けて救われるようと行動する。<

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一部抜粋ですが、激しく共感しましたので拡散させていただきたく<(_ _)>

ただ彼の素晴らしいところは、私みたいに気が向いたら記事を書くのではなく

毎日の日課としているところ。

話は変わりますが

私などは妻からキチガイ扱いされてます。

いくら機会を見計らって話題を振っても、「洗脳って怖いね」ですと(涙;)

長年学校教育その他で洗脳漬けされとるのはどっちやねん?それほど時間は残されておらん、はよう目覚まさんかい。もう勝手にしたらええわ!

となってしまう。

とどめは、「教会の中でもあなたみたいな話する人っていないでしょ?NWOがどうのとか、近いうちにキリストが地上に帰って来るなんて言う人は」 ーー;・・・と攻撃の手を緩めない。

確かに私たちみたいなタイプのキリスト者は、少数派かもしれません。

しかし、我々が艱難辛苦にあえいでいるのは、サタンとサタンを神と崇める世界の政治、経済、宗教、教育、その他諸々を支配し動かしているNWOグローバリスト連中を抜きにしては語れないのです。

そう遠くないうちに主は必ず戻られます。

そして聖書の神の御子、ユダ族の獅子、King of Kings 、来るべき救い主はイエス=キリストただ一人。

1:7しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、
そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである

第一ヨハネ 1:7

2020年11月22日 (日)

トランプはヒーローなのか??

黙示録22章11節から13節

22:11不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
22:12「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
22:13わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。

+++++++++++++++++++++++++

板の方に常連の方が投稿して下さった箇所。

実は私も思うところは同じで、アメリカ大統領選挙を通して、ここ数日、脳裏をかすめていた箇所なのです・・・

ぶっちゃけ本音、トランプ、バイデン(カマラ=ハリス?)どちらが大統領になろうと、世の中は今より良くなることはないでしょう。

聖書からはそのように読み取れます。

そもそもNYで不動産業を営むには国際金融ユダヤ人がバックにいるわけで、実際のところロスチャイルドから融資してもらい破産から助けてもらっている過去もある。ましてやラスベガスのカジノ利権に食い込むからには推して知るべしなわけでして。

もしトランプが大統領に選ばれたら、二期目で次の選挙はない・・・極端な話、やりたい放題。本性がわかるかもしれない?

まあ、まだ最終決着までは時間がかかるでしょうし、どちらが大統領になろうと、すべてを最終的にコントロールしているのは神なのですから。

アメリカの福音右派もそうですが、なぜあんなにトランプ信者が多いのかわからない。

トランプは英雄か?なぜあんなに買いかぶるのか?

主なるイエス=キリストだけが唯一無二の真なるメシヤではないですか・・・

フォーカスすべき方向がずれているとしか思えない。

自戒を込めて、上なるものを見つめましょう、我々はこの世では旅人であって寄留者なのだから。

この物質世界にユートピアなど実現しないのだから・・・

2020年9月25日 (金)

詩篇24篇~門よ、こうべをあげよ。

24:7門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
24:8栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。
24:9門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
24:10この栄光の王とはだれか。万軍の主、これこそ栄光の王である。〔セラ

詩篇24編:7~10

久しぶりも久しぶりの更新、特別やめる理由もなく、ブログを閉鎖するのも、もったいないしで・・・いわゆる「唄をわすれたカナリア」状態なわけでして、久しぶりに書けそうな気がします。

ここはきっと、エルサレムは神殿の丘に接する、イーストゲート=東門=黄金門の事でしょう。塗り固められた、通称、開かずの門です。

伝承によると、ここからメシヤが入場される。開かずの門が開くその時は、千年王国が始まるときにキリストが入場されると思われますね。

Photo_20200925203601

真ん中右よりの塀沿いにある門がそうです。

なんでもメシヤの入場を監視するためにカメラが設置されているとか?イスラエルのユダヤ人の多くは今はまだ、イエスをメシヤと認めてないのでこんな滑稽なことをするのだろうか --?

待ち遠しい、主イエスがエルサレム(私の考えではエゼキエルの第四神殿と思われますが?エゼキエル書の40章以降の記述)から統治されるその時が。

11:1エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、
11:2その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。
11:3彼は主を恐れることを楽しみとし、その目の見るところによって、さばきをなさず、その耳の聞くところによって、定めをなさず、
11:4正義をもって貧しい者をさばき、公平をもって国のうちの柔和な者のために定めをなし、その口のむちをもって国を撃ち、そのくちびるの息をもって悪しき者を殺す。
11:5正義はその腰の帯となり、忠信はその身の帯となる。
11:6おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、
11:7雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、
11:8乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
11:9彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。

イザヤ 11:1~9

千年王国の先には、黙示録20章にあるエゼキエル書とは別の、ゴグ・マゴグの乱(サタン最後の悪あがき)、最後の審判、そしていよいよ最終的なゴールである新天新地=天から降りてくる新しいエルサレムと続きますが、とりあえずは千年王国を目指して!

さて、可能な限り更新頻度を短くして続けるつもりではいますが、唄を忘れたカナリア・・・はて--??

2020年8月 9日 (日)

ヨハネ第一の手紙から~罪(原罪)

1:8もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
1:9もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
1:10もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。

ヨハネ第一 1~8:10

3:9すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。

ヨハネ第一 3:9

以前から疑問に感じていながら、わからなかったここ、ヨハネ第一の手紙のお互いに矛盾すると感じていた箇所。

本日、Behold Israel のユーチューブ=チャンネルのQ&Aシリーズで、マイク=ゴレイ、バリー=スタグナーのお二人の牧師の回答で疑問が氷解した。同じ疑問をもっていた方も絶対にいることと思うので書いておこうかと。

その前に私自身、「罪を犯したことのない人手を挙げて!」と言われても・・・天地がひっくり返っても挙手は出来ない!

ところが3章では「罪を犯すことが出来ない」とある・・・質問者も同じような疑問を持っていたことだろう。本当に新生しているのだろうかと?

そこで出てきたのが、原語であるギリシャ語をたどれと言うこと。

その納得する回答は、「罪を犯し続けることに罪悪感、良心の呵責を感じ、耐えられない」と言うような事でありました。

私的に言うならば、「もうやらない、これで終わり、本当に最後、残るのは罪悪感とむなしさだけ!」・・・と言いつつ

何度でも繰り返してしまうダメクリの自分・・・自分の努力では無理、主に時間をかけて少しずつでも変えてもらうしかない。

いわゆる原点回帰、原罪(crimeではなくsin)が、わからないと先へは進めないのですね。

しかし父なる神は感謝かな、主なるイエス=キリストを遣わしてくださり、罪の代価を支払って無罪放免としてくださった。

ここに神の愛を見ることが出来ますね。

2020年6月18日 (木)

ほんとかよ?ルシフェリアンの計画?

確か6月21日はイスラエルで6時間に及ぶ日食と言う情報があったのですが、本日のディモーラ・サイトから気になった記事・・・

グーグル翻訳で失礼。

http://endtimesresearchministry.com/june-17-2020-rumors-of-wars-china-india-north-korea-south-korea-israel-and-turkey-all-move-toward-war/

F・ディモーラ師 エンド・タイム・リサーチ・ミニストリー

以下抜粋記事~

6月21日の日食「リングオブファイア」期間中の全国的なルシフェリアン行進

一つの世界政府のためのルシフェリアンマーチは、日食中に6月21日に少なくとも9つの米国の都市で開催されます。 デモ行進は混乱を生み出すことを目的としており、デモ隊が南軍や他の人種差別主義者の彫像が取り壊された既存の場所に悪魔の記念碑を建てようとすることさえあると推測されている。 抗議のほとんどは、次の都市の市議会議事堂で行われます。 ノースカロライナ州ローリー。 オハイオ州シンシナティ; オハイオ州コロンバス; ワシントンDC; ウィスコンシン州マディソン; ニューヨーク州バッファロー; ナイアガラフォールズ、ニューヨーク; オレゴン州セーラム。

彼らのFacebookページの詳細は言う:

地球の市民の皆様、

私たちはルシファーの弟子です。 そして私たちは、黙示録の予言を実現し、一つの世界政府を形成するための基礎を始めるためにここにいます。 私たちは地球のすべての市民に、一つの世界政府の設立を支持して立つよう要請します。 2019年7月21日、私たちは地球のすべての市民に、1つの世界政府の形成を支援するために各地で行進を開始するよう呼びかけます。 それはどこから始まりますか?まず、町の計画の行進で独自の章を作成し、1つの世界政府を結成するという言葉を広め、友人、家族、同僚、路上にいるランダムな人々に形成する時間を伝える方法を説明します。 一つの世界政府は今、預言を成し遂げる時です。 ワンワールドガバメントの形成を支援するのに役立つ7月21日のイベントを作成し、チラシを配って、ワンワールドガバメントの形成をサポートすることを知っている全員に伝えます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

にわかには信じがたいのですが、とりあえずアップ。

しかしながら、アメリカが非常にきな臭い状況であるのは確か・・・

 

2020年4月27日 (月)

主を待ち望め

ずいぶんブログから離れてしまってます・・・世の中、コロナ一色でどうも書くべきことが閃かないで困ったものです。終末時計は明らかに進んでいる、しかしながら天界、及び地下水面では動いているのでしょうが、表面上は止まってしまっている錯覚を覚えます。

原油価格がだいぶ暴落して来てますが、このことがこの先どうなるか?気になる情報はこのくらい?

明るい未来は予測不可能ですね・・・しかし希望は確かにある・・・一人でも多くの方が主の差し出された手に触れることが出来ますように。

37:34主を待ち望め、その道を守れ。
そうすれば、主はあなたを上げて、国を継がせられる。
あなたは悪しき者の
断ち滅ぼされるのを見るであろう。
37:35わたしは悪しき者が勝ち誇って、
レバノンの香柏のようにそびえたつのを見た。
37:36しかし、わたしが通り過ぎると、
見よ、彼はいなかった。
わたしは彼を尋ねたけれども見つからなかった。
37:37全き人に目をそそぎ、直き人を見よ。
おだやかな人には子孫がある。
37:38しかし罪を犯す者どもは共に滅ぼされ、
悪しき者の子孫は断たれる。
37:39正しい人の救は主から出る。
主は彼らの悩みの時の避け所である。
37:40主は彼らを助け、彼らを解き放ち、
彼らを悪しき者どもから解き放って救われる。
彼らは主に寄り頼むからである。

詩篇37:34~40

2019年12月19日 (木)

本日のF・ディモーラ牧師のサイトから

これまたあまりにも長いのでグーグル翻訳で。

一部、不自然な翻訳箇所がありますが、おおまかな大意は読み取れると思います。

なお、ディモーラ師はまだ詩篇83篇の預言は完結していないとの立場。また「マゴグの地のゴグ」はトルコであるとの少数派サイド。

しかしながら、興味深い情報記事を提供してくれるのでチェックしてます。

ただね・・・最近のアップデイト記事は長文過ぎて、日本語だとしても読むのが嫌になるくらいなので、もっぱらグーグル翻訳頼み --;

気になった箇所を引用抜粋します、結果、手抜き記事ですが・・・

http://endtimesresearchministry.com/december-18-2019-can-anyone-stop-bible-prophecy-from-taking-place/

ソロスはなぜトランプを失脚させるためにそんなにお金を使っているのですか?ユダヤ人のソロスのすることは、彼がユダヤ人の国のためにしたことについてトランプを支持すると思うだろうが、そうではない。私の質問に対する答えは、トランプ大統領がイスラエルの友人であり、ユダヤ人国家の最も強力な支持者であることが判明したためです。ソロスがユダヤ人だからといって、彼が親イスラエルになるとは思わないでください。イスカリオテのユダはユダヤ人であり、サタンは彼を使って、イエスを殺した者たちにキリストを引き渡した。これまでのところ、ソロスの行動は彼が本当にイスラエルの友ではないことを示しており、ソロスがしていることはすべて、第三ユダヤ人神殿の再建に直接疲れているゼカリヤの預言を成就するのを助けていることです。

今日のニュースには、予言が行われるのを止めようとしている人々に関連する別の報告がありました。以下のレポートはオリーブ山に関するものであり、神殿の山にも関連しています。知らない場合、オリーブ山は、イエスが王権を取るために戻ったときに最初に踏み出すと言われる場所です。アラブ人の中には、オリーブ山につながるエリアを汚すことによって、キリストがオリーブ山に行くのを止めることができると考えている人もいます。次のレポートの2つのセクションを投稿して、発言内容の概要を説明しますが、記事全体を読むことを強くお勧めします。

アラブ人はユダヤ人の墓石でメシアのプールへの道を開く

「大胆な冒涜行為で、エルサレムのアラブ住民は、ユダヤ人の墓の上に直接階段を敷くために、エルサレムの聖なるオリーブ山の墓石を根こそぎにした。アラブ人は逮捕されたが、翌日、仕事に戻った。 。都市のイスラム教徒の多数派セクションに住む少数のユダヤ人居住者の勇気がなければ、世界最古で最も著名なユダヤ人墓地は、存在の痕跡を残さずに破壊されるでしょう。」

「神殿の丘に隣接するオリーブ山は神殿の奉仕に不可欠な部分でした。儀式的に純粋にするために必要な主要成分であるパラアドゥマ(赤牛)が燃やされた場所です。宗教的遺産の一部としての神殿の丘には、必然的にオリーブ山への攻撃が含まれます。聖書の重要な場所として、神殿の丘に近いため、3,000年以上にわたってユダヤ人墓地として使用されてきました。聖書の人物ゼカリヤ、アブサロム、ハガイ、マラキによって伝統的に特定された墓を含む、150,000を超える墓地が含まれています。」

https://www.breakingisraelnews.com/141789/watch-arabs-pave-way-to-messiahs-pool-with-jewish-gravestones/

予言が行われるのを止めようとする試みが何であろうと気にしません。イエスは最初にオリーブ山に戻って着地します。それが起こるまで、あなたはエルサレムが厄介な石であり、イスラエルに敵対する国家としてエルサレムについてさらに多くのニュースを目撃するでしょう。

Cooltextprophecysign国家がイスラエルに対してどのようにやってくるかについての情報をあなたに与えたので、詩編83の戦争予言に注意を向けたいと思います。詩編83全体を読むことをお勧めします。詩編が私たちに伝えていることは、イスラエルが地図から消し去ろうと考えているアラブ諸国の多くがイスラエルを攻撃しようとしていることです。写真の#8を見ると、ハマスはその攻撃に参加する人々の一人として名付けられていることがわかります。エゼキエル第38章から第39章にあるイスラエルに対する別の戦争についての警告もあり、トルコはイスラエルを攻撃する国の1つと名付けられています。以下では、ハマスとトルコの両方が再びニュースになっているのがわかります。もちろん、ニュースは予言と一致しています。

ハマスはトルコからのイスラエルに対する攻撃を計画している-レポート

「イスラエル警察が尋問した容疑者の写しでは、イスタンブールのハマスのメンバーがエルサレムとヨルダン川西岸での作戦を管理していることが明らかになった。そのような出来事の1つは、エルサレムのニル・バーカット市長に対する暗殺未遂であった。今年初め。」

あなたの人生において、イエス・キリストなしで別の日を過ごさないでください! あなたが何をしたとしても、キリストはあなたを愛しています。 あなたがイエスの下に来て、あなたのすべての罪の赦しを尋ねるなら、キリストは彼らを許すと約束されました。 それが終わったら、キリストと共に歩み始め、キリストはあなたの人生が変わったことを見せ始めます。 聖書の教義を堅持し続けているイエスとの交わりを見つけ、イエスと共に歩み始め、すぐにイエスが戻ってくるのを待ち続けましょう。

2019年12月 9日 (月)

いくら洗っても消えない汚れ

https://www.youtube.com/watch?v=RaxFWUMPe9Q&list=PLpcwK0VYlJeD6gqhBcbSDAYgbRnF1Atlv&index=2&t=0s

#169 ざっくり黙示録シリーズ6 教会時代、七つの区分 ―サルディス教会― 高原剛一郎

約80分と長い動画ですが示唆深かったです、お勧めします。

動画の最後の方で、我が心臓にグサリ!と突き刺すようなエピソード話を語っておられました・・・

その次第はこうです。「いくら経っても娘が風呂から出てこない。心配になって見に行った所、いくら洗っても汚れが取れないと言っていたそうです」と・・・

私は途中でピンと来ました。身体の汚れじゃなく、心、霊的な汚れなのだなと。たまにはビンゴ(笑)

自分が歩んで来た人生がまさにそのようなものだったからかもしれません。

やってしまった事は取り消せない。時間を巻き戻す事も出来ない・・・ヘブル書にあるように、まさしく諸刃の剣で精神と霊魂、間接と骨髄とを切り離すまでに刺し通された気持ちになりましたね。

51:5見よ、わたしは不義のなかに生れました。
わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
51:6見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。
それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。
51:7ヒソプをもって、わたしを清めてください、
わたしは清くなるでしょう。
わたしを洗ってください、
わたしは雪よりも白くなるでしょう。

詩篇 51:5~7

ダビデがバテシェバの件で預言者ナタンから叱責された時に読んだ詩ですね。

善行をいくら積んだところで取り消せるものではない。ただただ信仰を持って、「イエス=キリストの十字架上での尊き贖いの血」で洗ってもらう他に方法、解決法は・・・ありません。いわゆる Born again! ですね。口で言うほど簡単ではありませんがね。

それでも、それは神からのギフトであって、一方的な恵みでもあります。これを無駄にしたくはありません・・・

それほど全能の父なる神の御子のなされた業は偉大で完璧なものなのです。

まさしく「十字架の悩みは、我が罪のためなり」ですね。

板の方にも貼り付けたのですが、この賛美歌で〆ましょう。

 

 

2019年12月 1日 (日)

キリスト者の歩みは山あり谷あり思わぬ落とし穴さえ・・・

また忘れた頃の更新となってしまいました~

「救い」とはキリストの贖いの業を信じて(世の罪を取り除く神の子羊)罪赦され、「我が神、我が主」として受け入れる。へりくだって御前に跪く。

ローマ書 10;9~13 参照

それは神からの憐れみ、一方的な恵みなのですね。いわゆる十字架上での死(贖罪)、復活、再臨ですね。

特別な修行も律法を完璧に実践する必要もない(しょせん人間には無理!律法を完全に成就させたのはイエス様だけ)。

よく言われる「信じるだけで救われる、簡単でしょ」です。

だがしかし、個人差、程度の差はあると思われますが、救われた時のあの清々しい爽快感・・・そう長くは続かない。そんな甘いものではない --;

しばらくして、嫌でも、関わりたくなくとも、耐え難きを耐え~、忍び難きを忍ぶべく、サタンとその手下のデーモン連中、悪魔に魂を売り渡したこの世を支配するNWOグローバリストとその下僕どもの攻撃を様々な形で受けるのです。なぜなら今はまだ、この世はサタンの楽園なのだから。

数十年、数万時間を費やして霊的戦いを戦い抜き、屈辱感、卑しめ、辱め、無力感etcを体験して、遙か遠く及ばぬながらも、キリストに似たものに少しずつ変えられていくのでしょうね・・・「キリスト者の恥さらし」とも言える自分も、そうありたいし、そう願いたいものです。

https://www.youtube.com/watch?v=4WNzsCbLFfA

Prophecy ALERT: “Apocalypse Situations Begin”~"Apocalyptic Events Unleashed in the World"

ポール=べグレー・サイトより。

残念ながら日本語訳付いてませんが、私も、確かに今現在、世界は政治、経済、歴史、宗教、戦争、天変地異、アクシデント、パンデミックと、この世は悔い改めのラスト・チャンスとばかりに揺さぶられている気がします。

あちこちに埋め込まれた地雷、爆弾こそ今はまだ大爆発してませんが、それほど時間に余裕があるとも思えません。

焦点が絞りきれない。ゆえになかなかブログ記事としてまとめる事が難しい、よって停滞気味となる悪循環 --;

キリスト信仰とは至上のギフトであると同時に、巷で言われているほど生易しいものではないと感じる今日この頃です・・・

あの時に味わった、この世のものとは思えない、心の中を吹き抜けていく爽やかな涼風、空を見上げると悲しくもないのに涙が頬を濡らす、この世のことが些細でバカらしくなる。このような状態が一生続けばなんと素晴らしい事かと思ったものですが、この世に接する時間が経過するにつれ元の木阿弥にでしたがね^^;、約一週間ほどは続きましたが、あとはこの世との格闘状態に(涙;)。キリスト者になってから、書けばキチガイ扱いされるようなミステリアスな体験も不思議と増えましたね。

あの時の体験が土台となっている??からなのか?理屈じゃない、素直な己の感覚です(聖霊が働いたのでしょうかね、たぶんそうでしょう)。せっかくの天来の恵み、ムダにしたくはない。心身とも万全とはいかなくとも、ドーピングしながらでも走りぬかねば。でも正直、きっついわ~

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