キリスト信仰までの The long and winding road?
子羊村でレビさんからリクエストがあり、久々にブログを書いてます。
信じたきっかけとなったのは、1995年頃、某牧師先生の書いた一冊の著書。
バブル崩壊後の不景気は「今までの循環性のとは違いそうだ」何かおかしいと感じていたんです。
本屋の平台にあってその本を買うのに、3日続けて通い3回目に買ったんです。
気になってしょうがなかったんですね。
その本を読んで目から鱗、この世を支配運営し、サタンを崇拝する悪魔主義者のピラミッド構造を知り、溜飲が下がる思いでした。な~る!と思わず納得。
子供のころから誰に教えてもらったわけでもなく、神は全知全能、最強で唯一神でなければならない、多神教的考えが嫌いでした。例として鳥山明氏でしたっけ?ドラゴンボール、漫画としては面白くて少年ジャンプで毎週読んでましたが、神様が、それも強い神があとからあとから出てくる・・・これは気に入りませんでしたね。「そんなの神じゃねえだろよ!」と(笑)
ついでながら小2の遠足で動物園の猿山でも、「人間になったサルって見たことも聞いたことないよな?」と幼心に思い、進化論には否定的で、創造論はすんなりと受け入れられました。
一神教的な下地はあったのかもしれません。しかしまだ陰謀論と聖書の終末論の知識どまりで、信仰を持つにはまだ時間がかかりました。
それからですね、大学がミッションスクールだったので、入学時にいただいた聖書があり、私の場合特殊かな?まず読んだのが黙示録とダニエル書^^;
そして四福音書を読んでから、創世記から通読へと。
もともと気休めに過ぎない宗教など大嫌いな人間なので選択肢はただ一つ、キリスト信仰しかなかったのですね。
そして2,000年を超えた頃から、取引先、同業者がバタバタと倒産・・・他人事じゃない、己の無力さを嫌と言うほど知らされ、私は生きているんじゃない、生かされているんだと思うようになり、自分にはサタンの陰謀に勝てる救世主が必要だとなり、トマスじゃありませんが、「わが神、わが主」なるイエス=キリストへとたどり着いたのですね。
それとは別件で、否、関係あるか?
初めて教会の礼拝に出席した翌日だか翌々日、なんとも言えない平安に満ちた心の落ち着き、5月の爽やかな風が自分の心と体を吹き抜けていく感覚、犬の散歩中に、そよ風に吹かれ空を見上げると、悲しくもないのに?不思議と涙があふれ頬を濡らす・・・こんな平安に満ちた日々が毎日続けばいいのにと思いましたよ(しかしこの世と関わっていると?5日間しか続かなかったですがね^^;)。生きていてこのような体験は初めてでしたね。まさしくエル=シャロームでしたよ。
ここまで来たら、もう後戻りは出来ない。終末の入り口にいるのは間違いない。罪の贖いの十字架、復活から昇天、そして再臨。そうそうそして携挙ですよ。
聖書を読む限りこれから世の中益々、悪化の一途をたどるでしょうが、我々には万軍の主、King of Kings であるイエス=キリスト という最強の神の御子がいらっしゃる。
こんな腐りきった世の中ですが、希望は間違いなくありますからね。
主よ、来たりませ~マラナタ。
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