同じ罪人であっても
3:10次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。
ローマ書 3:10
22:11不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
黙示録 22:11
と、いきなり聖句から入ってきました。
所詮我々は罪人には違いないのですが、今日のアミール氏のメッセージの中で「普通の罪人」と「大いなる罪人」だったかな?表現は違っても意味は同じです。
何故この違いに私が反応したか?
己を低くし、へりくだり悔い改め、キリストが唯一のメシヤだと信じる、その一方で同じ罪人でも、自分から進んで己の欲望のためにサタンに魂を売り渡す者がいるのも事実。
何としても私としてはキリストの尊き贖いの血の範囲内にとどまりたい。
そして未信者(あまりこの言葉は好きじゃないのですが)であっても、このような極悪人と同じ扱いを受けるとは私には思えません。
聖書はすべてを語っているとは思えません。隠された真理があるはずです。必ず何らかの方法での救済法があると信じます。私などにはわかりませんが、キリストを通してであるとは信じますがね。
しかしながら、ベストはこの世の命があるうちに、「イエス=キリストにおいて救われること」であることに疑いの余地はないでしょう。
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