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2021年6月12日 (土)

永遠なる命なるもの・・・

「みんな有難う。天国で待ってるね。さよならバイバイ。」
 これは先日7年間のがんとの闘病の末48歳の若さで天に召された佐藤由美子姉妹の最後の言葉です。彼女らしい明るく信仰に満ちた言葉ではありませんか。
 私たちは神の癒しを信じ祈りますが、主の御心によって召される時は召されるのです。パウロ先生は召されることの方が“はるかに望ましい”といっています。


わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。ピリピ1:23


 クリスチャンにとって死は希望であり、喜びであるはずです。それがなんだか癒やされて生き続ける方が正しいかのような風潮があることを不思議に思います。
 最近では死人をよみがえらせることまでエスカレートしてアフリカから人を招いて珍しいことを見たいと興業をしています。私は死人のよみがえりも信じますが、せっかく主の下に安らいでいる魂をまたこの汚濁の世界に呼び戻すことの正当性を疑います。よほど何か事情があれば別ですが。
 私たちは死ぬと新しい体が与えられると聖書は言っています。


わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。Ⅱコリント5:1


 その体は地上の体が幕屋(テント)であるのに対して建物と言われるしっかりした体です。死も無く悲しみも叫びも痛みも無いのです。


「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。黙示録21:3~4


 その体はどんな風に与えられるのでしょうか。一瞬にしてです。


ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。Ⅰコリント15:51


 この箇所は終わりの時のよみがえりを指しているようですが、私は私たち一人ひとりの死と天の新しい命も何らかのつながりがあると思うのです。


そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。それを着たなら、裸のままではいないことになろう。この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。 Ⅱコリント5:2~4


 新しい命は古い命の上に着るのです。それによって古い命が呑み込まれてしまうのです。ああ、それは何とすばらしい瞬間でしょうか。
 ところで私は前から不思議に思っていたことがあります。それは最善のクリスチャンでも死ぬ前には病などに苦しみ痛むことです。何の苦しみも無くぽっくりと死ぬ人も居るでしょうが、ほとんどの場合長く苦しい闘病生活を送ります。私が考えて得た結論の一つは次のようなものです。
 この世は苦しみと悩みに満ちています。カール・ヒルテイは「だからこそ天を慕い求めるのだ」と言っていますが苦難の人生の集大成として死ぬ前に痛み苦しむのではないでしょうか。そして天において感謝と喜びに満ちるのでしょう。
 もし昼間しかない国があったら、そこの住民は朝日の輝きや昼の太陽の恵みを感謝するでしょうか。夜と闇があるからこそ、光とぬくもりをありがたいと思うのです。なんだか神様がわざとそうされるような言い方になってしまいますが、結局、この世に歴史が始まってから罪が入ってきたのも人間が闇と苦悩を知るためであったのだと思うのです。そうでなければ神の恵や愛が理解できないでしょう。闇を知らなければ光の価値は分からず、苦悩や痛みが無ければ平安は無意味です。
 いずれにせよ、みんな死にます。そうしたら天国で会いましょう。

https://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/2012msg/120122.html

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上記のメッセージは2012年1月22日の故小石泉牧師の「いつまでも死なないーⅡ」からのものです。

何とも言えず魂に響き、プリントアウトして、事務室の壁に画鋲で留めています。

私ごときが言うのもなんですが、キリスト信仰のすべてとは言いませんが、核心を突いていると感じたのです。

これぞ、究極の希望ではありませんか!

牧師先生が天に召されてから7年が過ぎ去りました、早いものです・・・

御霊も花嫁も言う。

主よ、来たりませ。マラナタ・・・

 

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