聖書から学ぼう~原則と但し書き
かなり聖書からの引用が多いですが勘弁願います。
またタイトルの「但し書き」という表現も変なのですが、この方がわかり易いかも?と思い付けました。
4:8その時、ペテロが聖霊に満たされて言った、「民の役人たち、ならびに長老たちよ、
4:9わたしたちが、きょう、取調べを受けているのは、病人に対してした良いわざについてであり、この人がどうしていやされたかについてであるなら、
4:10あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。
4:11このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。
4:12この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
使徒 4:8~12
3:24このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。
3:25しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。
3:26あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
3:27キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。
3:28もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。
3:29もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。
ガラテヤ 3:24~29
3:20なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
3:21しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。
3:22それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
ローマ書 3:20~22
3:28わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
3:29それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。
3:30まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。
同 3:28~30
ここまでが、原則と捉えて下さい。
置換神学、振り子を振り切り過ぎた反セム主義者、聖書はNWOグローバリスト連中によって、改竄されているとする(誤訳、誤解を招きそうな意訳はあることでしょうが)聖書の権威を貶める自称キリスト者・・・私は、聖書は神の力により守られてきたと信じる者です。神の力を侮るべきではないと思う。
そこでです。
9:1わたしはキリストにあって真実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている。
9:2すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。
9:3実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。
9:4彼らはイスラエル人であって、子たる身分を授けられることも、栄光も、もろもろの契約も、律法を授けられることも、礼拝も、数々の約束も彼らのもの、
9:5また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。
ローマ書 9:1~5
11:1そこで、わたしは問う、「神はその民を捨てたのであろうか」。断じてそうではない。わたしもイスラエル人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の者である。
11:2神は、あらかじめ知っておられたその民を、捨てることはされなかった。聖書がエリヤについてなんと言っているか、あなたがたは知らないのか。すなわち、彼はイスラエルを神に訴えてこう言った。
11:3「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこぼち、そして、わたしひとりが取り残されたのに、彼らはわたしのいのちをも求めています」。
11:4しかし、彼に対する御告げはなんであったか、「バアルにひざをかがめなかった七千人を、わたしのために残しておいた」。
11:5それと同じように、今の時にも、恵みの選びによって残された者がいる。
11:6しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなるからである。
11:11そこで、わたしは問う、「彼らがつまずいたのは、倒れるためであったのか」。断じてそうではない。かえって、彼らの罪過によって、救が異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるためである。
11:12しかし、もし、彼らの罪過が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったとすれば、まして彼らが全部救われたなら、どんなにかすばらしいことであろう。
11:25兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、
11:26こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、
「救う者がシオンからきて、
ヤコブから不信心を追い払うであろう。
11:27そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、
彼らに対して立てるわたしの契約である」。
11:28福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。
ローマ書 11:1~6、11~12、25~28
ともあります。
1948年イスラエル独立宣言、1967年エルサレム奪還~これにより主イエスの再臨の舞台が整いました。
ただ注意していただきたいのは、現代のイスラエル国家と限らず、欧米を含めほとんどの国家の中枢は、NWOグローバリスト=フリーメーソン・イルミナティ=カヴァリスト=サタニストに支配されています。「イスラエルのやる事はすべて正しい」などと言う、極端で盲目的な信仰、考えもこれまたご法度。
イスラエル最高裁にあるシンボルを見れば明らかです、あまりにも露骨 --;・・・
左上に1ドル札のピラミッド
万物を見通すホルスの目
定規とコンパスの噴水
この建物はロスチャイルドによって企画、奉献
もっとも、現代と限らず、旧約時代のイスラエルの歴史は罪の歴史であって、言うなれば人類の縮図、けっして褒められたものではありませんでしたが。
要するに、聖書の一連の流れを見る限り、神の人類救済計画はユダヤ人から始まり、ユダヤ人がメシヤを拒絶した為(すべてのユダヤ人ではないが)に、救いが異邦人へと及び(教会時代)、ふたたび・・・終末の土壇場にユダヤ人が涙ながらに「イエスこそメシヤであった」と悔い改め、本当の意味での救いが完成に至ると私は信じます。
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