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なんでも&緊急連絡版

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2016年6月 9日 (木)

海老蔵と小林麻央

なんでも小林真央が悪性の乳がんを患っているらしく、海老蔵が記者会見をやっていた。
個人的には二人に関してはまったく興味も関心も無かったのだが・・・思わず天を仰いでしまった。

あまりにも気の毒ではないか。まだ若いし、子供も小さい。仮に乳房を切除して助かるとしても、あの歳ではあまりにも残酷すぎる。
もし自分が海老蔵の立場だったら?
砕きに砕かれ、幾多の試練を乗り越えてきた信仰も熟練の域に達したキリスト者であれば、何と答えるか?

「すべては神の許しの範囲内、主人が許したのならそれでいいではないか、苦しみも悲しみも主の御旨、あえて甘受すべきであろう。キリストを信じて絶望に終わる人はいない。」

と答える信仰者もいることであろう。

自分自身の事だったら、あるいは受け入れることの出来る可能性はわずかでもあるかもしれない。
しかしツレがそうなったら、平常心で「これも神の御心、なんらかの意味がある。天においてすべての理由がわかる。」と、強がりでも口で言えるだろうか?

考えさせられてしまった・・・自分の弱さ、無力さに気づき信仰を持ったわけだが、やはり弱いだけではダメなのだろうか?
ましてやこれからの時代、強いクリスチャンにならねばならないのだろう。

ジョン=コーソン師の言葉が脳裏をよぎった。時間がある程度の解決になるのは否定しないが、パスター=ジョンも前妻とその娘さんが交通事故で一足先に天に召されている。賜物はもちろんなのだろうが、他人の痛み、苦しみが自分のことのようにわかるから、あれだけのメッセージが出来て、心に染み入るのだろう。
だがメンタル的にはタフで強い!

「人生は悲惨なのです。だから救いの福音が必要なのですよ、みなさん」

それに比べ、私はどうよ?
衰弱しきって、たったこれだけの記事仕上げるにも寿命が縮む思い。
「使い物にならない、キリスト者の恥さらし」とはまさにこのことだね、こりゃ・・・

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント


初めマシテ。

スレ違いになりマスが。

知人にメール頂き初めてコチラでワタクシがディスられてるのを知りマシタw

正直、「偶像崇拝」を自分の都合で肯定する様な輩が「真のキリスト者」とは到底思えマセンがね。

まして、輪廻転生とか…コレを口走る輩が一番怪しい!

そもそも「預言者」とは「神ヤハウェ(エホバ)の言葉を託された者」であって、神の一人子イエスの様な「神の代理」とは格が全く違いマス。

アルトちゃんは「自分はイエスの生まれ変わり」だと思ってるみたいなのでどうか生暖かい目で見守ってあげて下サイw



ちよとか言う無礼者。

ワタクシが匿名なる輩である証拠が何処に有るのか教えてタモレ。

ワタクシが罵倒された事は今日初めて知った事デスので。

もし匿名とやらをワタクシと勘違いしているならば濡れ衣にも程が有る。

可能性としてはアルトちゃんに依る「自作自演」。

まー、「ちよ」もアルトなんでしょうが(爆)早速噛み付いて来る辺り。

blog主さん、場外乱闘に巻き込んですいマセンホントm(__)m


なんだ、もうギブアップか?

もう少し食い下がると思ったが、

拍子抜けだな。

皆さん、アルトちゃんはこういう「病んだ」方デスw

ワタクシは彼にデーモン(グエヘハハハァ)呼ばわりされた事は別段気に留めてマセン。

ただ、直接の関わりのナイ他人のblogに迷惑が掛けられた点が気になったダケで。

昨今アイドルストーカー殺人未遂とかイロイロアレな事件起きてマスが…アルトちゃんも同類なんでしょう。

ちよさんへ~

管理人特権のアクセス解析機能によると、ちよさんの思い込みのようですぞ。
悪いこと言わない、ひと言謝罪したほうがいいと思いますよ。

確かに似たとこあるけど、別人ですよ。

ザアカイさんご忠言ありがとうございます。
2週間くらいそのままか見たのが確認が取れたら勘違いした内容を見えなくしていただけないでしょうか?

お茶処様ならびに元アンシャーリーこと匿名様

このたびは私の勘違いの為ご気分を不快にさせてしまい大変申し訳なく思います。
書く前にザアカイさんに裏と取ろうと思ったのですがいつもの雰囲気だったためそのまま書き込んでしまいました。


以後このようなことがないように配慮して書き込みますので
のでご容赦ください。


ちよさんm(__)m

ご丁寧なお詫びのお言葉痛み入りマス。

ワタクシもアルトくんだりと勘違いした事深くお詫び申し上げマスm(__)m

またblog主のザアカイさんにも厚くお礼申し上げマスm(__)m

分厚い濡れ衣を晴らして頂き申し訳有りマセン。

アルト。匿名さんの貼りで先刻ご承知でしょうが、とにかく唯我独尊で礼儀を全く知らナイ輩でワタクシのホームであるインターネットバイキングさんのblogも散々荒らされマシタ。ほとんど閲覧者もナイのにねぇ。奴は自分が攻撃されなくとも自分の「理想」を完全否定する意見が主流のblogには過敏に反応するみたいデス。ちなみに彼?には如何なる慰めも説得も全く効果は有りマセン。

ゴリゴリに凝り固まってマスので。

ワタクシ?ワタクシは「偶像崇拝」には一切興味は有りマセン(「十字架」を「神」同様に崇めるとか愚の極み)し、666が「悪魔の数字」なのは常識デスし(ネットのwwwは666)、進化論が似非科学なのは常識デスし献血が反キリストである事も深く存じ上げてマス。

 インターネットを使ってコミュニケーションをとっている私たちも「獣の数字」が刻印されているのでしょうかね。
 献血が反キリストであるなら、その恩恵を受けている人々も、またその献血で得た血液を治療に使っている現代医学さえも、反キリストに属していることになりませんか。
 
 興味深いことに、輸血拒否するエホバの証人さえも、血液分画の使用(アルブミン・免疫グロブリン・凝固因子・ヘモグロビン・ヘミン・インターフェロン)は認めていて、血漿アフェレーシスや血小板ゲルもOK、牛の血液の赤血球からヘモグロビンを精製した代用血液ヘモピュアの使用さえも正式に認めています(http://www.jwic.info/n093000.htm)。
 私たちの体に流れている血液の組成を考慮すると、聖書の血に関する教えの正しい解釈とは別の次元で、エホバの証人が血液の何を問題にしているのか不思議に思います。
 

ちよさんへ

さっそく非表示扱いにしました。
わかっていただき感謝申し上げます。

お茶処さんへ

挨拶遅れてもうしわけありません、また対応が遅く不愉快な思いをさせてしまったことお詫び申し上げます。
以後、よろしくどうぞ。

ミヤサカさんへ

この物質世界、無菌状態は不可能ですからね・・・
IT、科学技術、医療etc・・・いわば諸刃の剣ではないでしょうか?

使い方によっては、神の武具にもなるし、翻って悪用すればサタンのツールにもなるんでしょうね。

なかなかコメント入れられずすみません、というか・・・最近、どこにもコメントしてませんが --;


ザアカイさん。ご丁寧なご挨拶痛み入りマスm(__)m

ワタクシも特にコチラに口出しする積もりは無かったのデスが、アルトに悪魔呼ばわりされては流石に目をつぶっては居られマセンデシタ。

またスレ拝見させて頂き、ワタクシなりの見解をカキコさせて頂きマス。

ミヤサカさん初めマシテ。

アルトという荒らしのお陰で神経質になっているのは良く分かりマス。また、ワタクシのホームであるインターネットバイキングさんblogのblog主のバイキングさんが元エホバの証人故に「エホバの証人」括りで色眼鏡で見られているのでしょうが。

ワタクシ自身は特に如何なる宗教も信仰してマセン。

しかしバイキングさんやコメンテーターの皆様との交流を経て神ヤハウェ(エホバ)の絶対性、旧約聖書の記述の絶対性を理解するに至ったワケデス。

その上で様々な「サタンの仕掛け」を学びマシタ。

ミヤサカさんは「ネットにアクセスしている人間には皆獣の刻印が押されているのか?」と仰いマスが…違いマス。

「www(ワールドワイドウェブ)」はインターネットがアチラ側の所有物だよ。というアチラ側のアピールに過ぎマセン。

では「獣の刻印を押された者」とは一体?

それは、近い未来に訪れるキャッシュレス社会・ベーシックインカム社会で配給を受ける為の個人認証システムが、

身体に直に刻まれる、若しくはマイナンバー的なシステムと静脈やら虹彩やら指紋認証を紐付けされた様がそれに当たるのでしょう。

輸血の件は後ほど。

 献血の 秘密を早く  しりたいな   はよ書けはよ書け エホバの秘密

お茶処さんへ、こちらこそ初めまして。

 私の問いかけは、レトリックなものでした。確かに自分たちがインターネットを使ったり、医学の恩恵を直接・間接的に享受しながら、「反キリストである」と言い切ってしまうのも妙な話ですから。

 アルトさんに関しては、ブログという特殊なツールや匿名性が彼の傾向を助長しているのかもしれないと考えています。
 匿名性の中に隠れながらも、肥大化した自己が必死にもがいて叫んでいる様子は、とても痛々しく思えます。
 決して彼だけの問題ではないのですが。

皆様今晩は。
はじめてコメント致します。

ブログ主さんすみません。
どうも見ていられなかったので、コメントさせて頂きます。

wwwや硬貨やバーコード等が6や18なのは、飽くまでも、この世がサタンに支配されているとの「印」であり、当然としてネットの利用者が全て悪魔崇拝者なのではありません。聖書にあるように、この世はサタンの支配下ですから、突き詰めれば世捨て人か無人島で暮らしますか? と、なるでしょう。そんな誰もが従い難い要求など、神が罪と定める筈がありません。

本当の666という刻印は、ワン・ワールドの支配者が押すのです。ワン・ワールドとは読んで字のごとく1つの世界ですが、1つの世界には宗教も1つに決まっています。だから聖書は娼婦である大いなるバビロンの消滅を預言しているのです。

ワン・ワールドを構築させようとの勢力は、必ずや全ての宗教を消滅させるよう行動します。そして宗教を捨てた者から、お茶処さんが仰るように、ベーシックインカムと食料が配られるのです。同時にリーマンショック以上の金融危機が訪れますから、背に腹は変えられない大衆は、それを喜んで手にするでしょう。

それを手にした人々から、「平和だ・安全だ」
との声が上がるのですが、これも既に聖書に預言されているのです。

続く

すみません。
毎晩20時になると
母屋で食事が用意されてるものですから(笑)。

先程の続きです。

ミヤサカさん初めまして、逆に御聞きしたいのですが、輸血の恩恵とは一体何なのでしょうか? 貴方は輸血をする事によって恩恵を受ける人がいるとハッキリ述べたのですから、当然貴方様ご自身はクリスチャンでは無いでしょうし、聖書に信仰を抱いてもいない、こう考えて良いのですね。

聖書には何十箇所と、血を避けるようにと律法により規定されています。しかし、私はには、クリスチャンだと自称される人の中で、この掟を忠実に守っているのは、エホバの証人しか見た事がありません。

生命の神秘とは良く言ったもので、妊婦と胎児の関係を考えてみると良いでしょう。当然として、妊婦の循環系と胎児の循環系とは別々になっています。なぜかと言うと、母と子の血液型は違う場合も多いからです。

しかし、胎児は母親から胎盤を通して栄養を補給しないと死んでしまいます。なので血液の中でも、免疫グロブリンやアルブミンなどの血漿タンパク質という栄養を、母親は胎盤から胎児に送っているのです。

血液の中でも危険視されるのが

1.赤血球
2.白血球
3.血小板
4.血漿と呼ばれる液体成分

なのですが、現代医学ではこれら危険な血液でさえ更にろ過し、インターフェロンやインターロイキンを取り出す事に成功しています。

そこでこれ、 http://www.jwic.info/n093000.htm

貴方が御指摘の2000年6月15日号の「ものみの党」誌を、私も読みました。この記事には先に私が述べたような、血液にも危険なものとそうで無いと思われるものを紹介してはいるものの、その安全に思えるような血液であっても

それを取り入れるか否かは、「本人の良心に従って判断すべき」である、と、こう書かれているのですよ。

>興味深いことに、輸血拒否するエホバの証人さえも、血液分画の使用(アルブミン・免疫グロブリン・凝固因子・ヘモグロビン・ヘミン・インターフェロン)は認めていて、血漿アフェレーシスや血小板ゲルもOK、牛の血液の赤血球からヘモグロビンを精製した代用血液ヘモピュアの使用さえも正式に認めています(http://www.jwic.info/n093000.htm)。

貴方は、エホバの証人は、「正式に認めています」

と、こう述べたのです。貴方のほうこそエホバの証人に対して、いい加減な嘘の情報を流すのは止めるべきでしょう。

続く

続きです…

貴方は典型的な大衆理論タイプだと見受けられます。エホバの証人という組織ですら、厳密に白か黒か判断できず、いわばグレーゾーンを、いち個人の良心に委ねているのです。何でもかんでも組織に依存するから、個の成長が阻まれるのです。

だから私は、「一人キリスト教」と、名乗っているのです。クリスチャンに連れションは無しです。日々神の御前に一個人として祈り、懺悔しムラトを探って頂くのです。

聖書の中で、なぜ神は血を取り入れてはならないのか明確な理由は述べられてません。

僭越ながら、なぜ、神は血を取り入れてはならないのかと考えて見ますと、いや本当に僭越かも知れません。信仰があれば理由など二の次だからです。

あえて信仰の無い者に言います。

よく臓器移植で他人の記憶が見えたとの話を聞いた事があるでしょうか。輸血の場合もこれと同じ理由だと、私は考えています。私の知り合いにも大量の輸血によって、性格がガラッと変わってしまった人がいました。

輸血の場合は臓器移植とは違って、数日か数週間で自分の血液が回復するでしょうが、しかし神は、例え一時であっても自己を他人と重ねる事を許されないのでは無いでしょうか。

血管から輸血された血液は、もの凄いスピードで体中の毛細血管に至るまでを駆け回るのです。

これは、スローな自殺行為でしょう。


以上

管理人様、貴重な紙幅を与えて頂き、感謝致します。

すみません追加です。

>医療機関連絡委員会の正式の了承の元に、牛の血液のヘモグロビンから作られた代用血液を受けいれて…

と、ありますが、そんな事は聞いた事がありません。それについて検索してみましたが、ご紹介のサイト以外に見つかりませんでした。他にもエホバの証人は色々と悪く言われていますが、創価・統一のような組織立っての悪事は働いていないでしょう。

しかし極稀に、いち個人の悪事はあってもおかしくないでしょう。まあ、そう言った者が発覚されれば大方排斥処分になるでしょう。

例えは悪いかも知れませんが、現代の無菌社会を思い浮かべてしまいました。事あるごとにアルコール消毒をする社会です。

このような人は古代イスラエルでは生きて行けないでしょう(笑)。周りは神に導かれしイスラエル国でありながら、直ぐ隣では偶像礼拝や淫行が蔓延っていたわけでしょうから、このような環境の下であらゆる誘惑や駆け引きをしながら、預言者として生きていくには相当の熟達が求められた事でしょうね。

それとは逆に現代では直ぐに人のせいにしたり、無責任なクレーマーばかりではありませんか。

エホバの証人が新しい血清を、安全では無いのか模索すると野次馬達は、「はい、輸血肯定しました~!」のようにはやし立てる。エホバの証人は聖書の教えにも従いたいし、ただし救える命であれば何とか救いたいと思っているだけですよ。

だから、妊婦から胎児への栄養補給などに注目し、胎盤を通して血液が補給されるが、免疫グロブリンやアルブミンなどの血漿タンパク質のみしか供給されない、とこう言う所に目ざとく注目するのです。

エホバの証人に対してそこまで重箱の隅をつつく暇があるのならば、はなから聖書の「血を取り入れてはならない」これに違反した多くのキリスト教をクローズアップし、スクープ記事でも書いたほうが良いでしょう。

聖書は基本的に改竄されてません。

例えは悪いのですが、どんなに難しいテレビゲームでも必ずゴールできる方法があるでしょう。でなければゲームとして成立しないからです。

同じように混沌とした世の中に放り出されたように思えても、最終的に千年統治に至る事が出来ないプログラムが敷かれていたら、人生の意味は全て無価値となってしまうでしょう。

仮に聖書が改竄されているのなら
「血を取り入れろ!」こうなっている筈です。
悪魔儀式とは血を飲んで誓うのが、基本パターンなんですよ。

輸血を肯定する多くのキリスト教世界。それでは聖書の上に手を置き、誓いの言葉を述べるアメリカ大統領と同じではありませんか。

何度も申しますが、聖書は、
「血を取り入れてはならない」と、再三警告しています。


真夜中に失礼致しマスm(__)m

ワタクシ勤め人でして、昨日はライントラブルの修繕の為帰宅が人に(労基局に)言えナイ時間となって仕舞い、まともにコメ出来マセンデシタ。

ミヤサカさん、レス恐れ入りマスm(__)m

輸血の件は…ほとんどバイキングさんに説明させて仕舞いマシタsweat02

というワケでワタクシなりの切り口。

先ず、献血を取り仕切っている組織は?「赤」「十字」社デスよね。もうイエスの偶像化である十字架に緋色の野獣を思わせる赤を組み合わせる辺り極めてアレデスわな。
んで一般に一回の献血で採血する200ml(健康な成人は400ml)、コレが使用される時のお値段なんと!8000円。だったらジュースなんぞで誤魔化さず正当な対価を支払うべきデスわな。
ちなみに出血性ショックを伴う様な重篤な患者でナイ限り基本的にほとんどの外科手術では「輸液(ぶっちゃけ点滴)」で十分だし現実にそれが主流デス。
では大衆の良心を煽って安値でくすねた血液はどう使われているのか?
そのほとんどが「癌患者」に使われているとか。
抗がん剤(コレもアチラ側のツール)の影響でまともに血液も産生出来ナイ為に投与されマス。但し献血で集めた血液にはイロイロ問題点が。
・体内を循環してナイので赤血球が酸欠状態
・「白血球」という、自らの体内にいれば頼もしい「番人」が他人に入ると彼らの肉体を荒らし回る為(コレもある意味輸血が忌避される理由)献血で採取された血液は「放射線」処理されている

最後に「日本赤十字社」の代表者は

皇后美智子さんデスw


インターネットバイキングさんへ、
こちらこそ初めまして。

なるほど、お茶処さんの代わりに回答していただいているということですね。

>>>逆に御聞きしたいのですが、輸血の恩恵とは一体何なのでしょうか? 貴方は輸血をする事によって恩恵を受ける人がいるとハッキリ述べたのですから、当然貴方様ご自身はクリスチャンでは無いでしょうし、聖書に信仰を抱いてもいない、こう考えて良いのですね。
聖書には何十箇所と、血を避けるようにと律法により規定されています。しかし、私はには、クリスチャンだと自称される人の中で、この掟を忠実に守っているのは、エホバの証人しか見た事がありません。

 貴方の判断基準からすると、モーセの律法に書かれている規定(「血を食べるな」が輸血の禁止を言及しているとは思いませんが)を一つでも破ると、クリスチャンではないということになりますね。それは新約聖書が啓示している恵みの福音と言えるのでしょうか。
 
 輸血の恩恵に関しては、医療関係者や病気の方、重度の交通事故に命の危険を経験した方、献血する方、また「本人の良心に従って」血液分画の使用の恩恵を受ける選択をしたエホバの証人に方々に聞いてみたらいかがでしょうか。


>>>エホバの証人という組織ですら、厳密に白か黒か判断できず、いわばグレーゾーンを、いち個人の良心に委ねているのです。
>>>それを取り入れるか否かは、「本人の良心に従って判断すべき」である、と、こう書かれているのですよ。

 エホバの証人の組織でさえ、本人の良心に従って判断すべきだと主張しているのに、なぜクリスチャンが同じ良心に従って輸血することを裁くのでしょうか。

 使徒時代の教会の決定事項が書かれている文脈を見ますと、パリサイ派から信仰に入った人々が、「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張していたことに対して議論が起こり、それに対して、以下のような決定が下されました。

使徒15:19-21
19 そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。
20 ただ、偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい。
21 古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。

 特に興味深い点は、「偶像に供えた汚れた物」「不品行」「絞め殺した物」「血」を一つの動詞「避ける apechomai (「取り入れる」ではない)」に命じている理由が書いている21節です。
 「古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。つまり異邦人の信徒が信仰生活を送っているどの町にも、必ずユダヤ教を信奉する人々がいるから、だと言っているのです。 
 要するにシナゴーグに通うそのようなユダヤ人に対して躓きを与えないため、というのが動機です。

 そしてその説明とも言えることを使徒パウロはコリントの人々に語っています。少し長いですが、引用します。

Ⅰコリント10:18-32
18 肉によるイスラエルを見るがよい。供え物を食べる人たちは、祭壇にあずかるのではないか。
19 すると、なんと言ったらよいか。偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。
20 そうではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである。わたしは、あなたがたが悪霊の仲間になることを望まない。
21 主の杯と悪霊どもの杯とを、同時に飲むことはできない。主の食卓と悪霊どもの食卓とに、同時にあずかることはできない。
22 それとも、わたしたちは主のねたみを起そうとするのか。わたしたちは、主よりも強いのだろうか。
23 すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。
24 だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。
25 すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。
26 地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。
27 もしあなたがたが、不信者のだれかに招かれて、そこに行こうと思う場合、自分の前に出される物はなんでも、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。
28 しかし、だれかがあなたがたに、これはささげ物の肉だと言ったなら、それを知らせてくれた人のために、また良心のために、食べないがよい。
29 良心と言ったのは、自分の良心ではなく、他人の良心のことである。なぜなら、わたしの自由が、どうして他人の良心によって左右されることがあろうか。
30 もしわたしが感謝して食べる場合、その感謝する物について、どうして人のそしりを受けるわけがあろうか。
31 だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。
32 ユダヤ人にもギリシヤ人にも神の教会にも、つまずきになってはいけない。

 特に当時はパリサイ派から信仰をもったユダヤ人と、異邦人信徒が同じ教会において食卓を共にすることが機会が多かったわけですから、「ユダヤ人信徒は割礼やモーセの律法を強要しない」、そして「異邦人信徒はユダヤ人信徒に躓きを与えないように4つのことを避ける」という、相互的配慮は「キリストの律法」によるものだったわけです。

 もし本当にエホバの証人が輸血を「本人の良心に従って」判断しているのなら、誰もその良心の自由を侵すことはできないと思いますが、それと同じように、「輸血しているから真のクリスチャンではない」、つまり「輸血をする者は救われていない」と他人の僕を裁くこともできないのではないでしょうか。

 お茶処さんへ、コメントを見ていませんでした。
 
 私はイタリアに住んでいますので、十字架や磔刑像の偶像化が現実的にどのような形で顕れるか心得ているつまりですが、さすがに「赤」「十字」を主イエス・キリストの偶像と見做す想像力はありませんでした。
 ちなみにこのような環境ですので、福音派の多く信徒はシンボルを使いません。というか必要を感じない、というのが私も含め多くのイタリア人信仰者の考え方だと思います。
 
 献血についてですが、私を含めて献血者には対価のことなど全く念頭にはないと思います。また白血球に関しては誤解があると思います。白血球はフィルターによって分離しますので、そのまま輸血に使うことは現在はありません。また血液製剤の調製やその保管、品質保証、24時間体制に供給などを考慮すれば、コストがかかるのは仕方ないのではないでしょうか。
 勿論、重度の病気や事故、戦争などがない平和な世界に生きているならばいいのでしょうが、現実的には本人の意志とは無関係にこれらの事態は起きるわけで、しかも信仰を持って向き合える本人ではなく
何もわからない幼い子供たちが集中治療室でチューブにつながれて、親との接触も許されない状態にいるのを見ると、創造主なる神がこの地上において自分にゆだねてくださっている肉体を用いて、たとえ些細な事でも何かをしようとするのは、信仰者としてごく自然な選択だと思います。
 御子イエスは、私たち罪びとの救いのために罪のない命を全て捧げてくださったのですから。


 

>>>エホバの証人に対してそこまで重箱の隅をつつく暇があるのならば、はなから聖書の「血を取り入れてはならない」これに違反した多くのキリスト教をクローズアップし、スクープ記事でも書いたほうが良いでしょう。

 人の命を左右する問題であり(特に選択権が与えられていない子供の命)、医療者の良心(輸血すれば助かる命に対して医療に携わる人間が何もしないというのは、非常に大きな葛藤があると思います。) にも関わる問題に対して、「重箱の隅をつつく暇があるなら・・・スクープ記事でも書いた方がいい」と言えてしまう神経に正直驚きます。

 創世記の主の言葉を読めば、「肉を、その命である血のままで、食べてはならない」という戒めが、その行為は食物として与えられている動物の命、つまり人間の命のために犠牲になる動物の命に対する尊厳を蔑ろにすることを意味していたからで、だからこそ、無意味に命を奪う行為に対して神は報復を警告しているわけです。

創世記9:3-6
3 すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。
4 しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。
5 あなたがたの命の血を流すものには、わたしは必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟である人にも、わたしは人の命のために、報復するであろう。
6 人の血を流すものは、人に血を流される、神が自分のかたちに人を造られたゆえに。

 輸血は動物を殺して行うのでも、人間の命を犠牲にもしていません。むしろ人の命を延命する手段であり、組織のあいまいな教えで人に命を奪うことは本末転倒だと思います。

 またエホバの証人が個人の良心の判断に任せているという臓器移植の問題や、母乳に含まれている白血球に対する判断など、論点はたくさんありますが、とりあえず。
 あまり「重箱」に詰め込み過ぎてもいけないので。

うまい!

ミヤサカさんに、座布団6枚。

初めて書き込み致します。
ちょっと気になった部分があったので、横から失礼致します。
ミヤサカさんの、「輸血すれば助かる命に対して何もしない」と言うのは違うと思います。
エホバの証人の方々は、医師に何もするなと言うのではなく、輸血よりも遥かに安全・安価な代替医療をと望まれます。
なので、助かる命に対して、何もせず見殺しにするかのような表現は誤解を招く恐れがあると思います。
ちょっと気になったものですから、割り込みご容赦下さい。

Airさんへ、
 過去の事例が念頭にあったので、このような表現を使いました。
 
 たしかにあれから随分、エホバの証人の公式見解も変化したようですし(良心による選択の自由が与えられたというのは、決定的な変化だと思います)、医療の進歩や人権問題のガイドラインの構築にも大きな貢献があったと思います。
 元エホバの証人だった兄弟姉妹を何人か知っていますが、一人の兄弟は昔入院したとき、長老の一人が病室を訪れ、輸血に関して尋問を受けたと言っていました。
 その状態からすると、かなり変化しているのでしょうね。

 誤解を招く表現を使い、申しわけありませんでした。

ミヤサカさんは論点をすり替えるのが御上手ですね。

私は、「輸血の恩恵とは一体何なのですか」と聞いたのであって、
「血液分画使用の恩恵は何ですか」などとは一言も述べてませんよ。

「血」という文字は、血液の全ての成分を総称しています。では厳密に言えば、血漿タンパクとは言え、母体から胎児に供給されているのですから、母親の胎から生まれた者は全て輸血を施されたのと同じとなってしまいます。

なら、なぜ神は「血」を禁じたのでしょうか。全ての胎児に輸血と同じ事をさせて置いて、聖書で「血」を禁じるとは、神が矛盾を述べた事になってしまいます。

だから我々は、「行間」を読まねばならないのです。胎児と言う生命の神秘を考えれば、「血」はいけないが、少なくとも「血液の中でも」「血漿タンパク」を取り入れる事は、恐らく大丈夫であろうと判断できるでしょう。

神はいちいち古代の時代において「血」は駄目だけど、その中でも「血漿タンパク」は良いですよと、細かく聖書に記す事はされないのです。「行間」を読むのは我々に掛かっています。尤も古代の人に血漿タンパクと言った所で理解できないでしょうがね。

続く…

だからミヤサカさん、論点を分かり辛くするのは御止め下さい。

当然として割礼はキリスト以降廃止されていますが、恐らくそれは、もうキリスト以降の血統を保つ意味が終焉したからでしょう。しかしキリストに至るまでは、何としても血統を保たせる必要があったので、衛星面から考えても包皮に切り込みを入れ、系譜を絶やす事が無いように細心の最善の策を講じた、これが割礼の真相だと思うのですが、因みにこれは私の持論です。

パリサイ派とは規則・決まり事でがんじがらめな窮屈な一派です。それは、北のイスラエルも南のユダも律法を破った為に流刑にされた、故に、だから今後はいかなる律法も厳重に守り、仕舞いには手や足を洗う順序までが規則化され、もはや聖書の規則からは逸脱し、独自の「トーラー」を聖典とし路線から外れたのです。

私は、パリサイ派ではありません。

伝統的ユダヤ人と、ヘレニズム文化にさらされたユダヤ人、この二者を纏める手綱さばきは非常に難しいでしょうね。何で割礼組みと無割礼組みが区分けされ、対立構図が生まれるのでしょうか。

それの答え、いわば両者を沈静化させる為には、だいたい何でキリストに至るまでは割礼で、以降は無割礼でも良いのか、この「真相」をスルーしたままで両者を納得させる事は可能なのでしょうか。

だいたいパウロですら「真相」を理解していたのでしょうか? はっきり申しますがパウロやペテロ辺りが、この辺りの事情を分かり易く各会衆に手紙で印せば、ローマとアジア、このユダヤ人の二分も最小限に留められたのでは無いでしょうか。

おっと、時間だ続きは後ほど…

ザアカイさんは何も仰いませんが…

ザアカイさんの記事の内容と関係ないコメントなら、ご自分達のブログでやりとりすればいいのに!

モーセの律法はキリストの贖いによって廃止されましたが、基本的な事は以降も引き継がれています。しかし先程の話にも出ましたが、割礼のように廃止されたものもあります。しかし廃止されるからには、それ相応の理由があった筈です。

ミヤサカさんは文脈からすると、「血を取り入れる事」はモーセの律法と共に廃止されたと思っているのでしょうか。いや、ちょっと分かりにくいので先にすすめます。

モーセの律法は廃止されたものの、「血の禁止」とはその後の新約聖書にも引き継がれていますよ。ご指摘の、コリントや使途の聖句にそう書かれてあるではありませんか。

ミヤサカさんは、贖罪の真の意味を理解されてないようですね。

まず、最初の人間であるアダムとエバが罪を犯しました。故に完全な命から不完全な命へと成り下がりました。その不完全な命であるアダムとエバから生まれた全ての子孫は、皆アダムからの不完全さを受け継ぎました。

人類の不完全さを補うには、「目には目・歯には歯・完全な命には完全な命」という法則のもとに、キリストがただ一度限り犠牲になる事が不可欠であったのです。キリストに至るまでは動物の命、つまり血を定期的に捧げる必要がありました。動物は完全な人間の命と等価ではなかった故に、定期的に、またキリストが贖いを差し出すまでは動物の贖罪が不可欠だった訳です。

まあ、クリスチャンならこれ位理解できますよね。
そこで例えば、申命記12章23~24節を見ると…

「血を食用に供してはならない。血は命を表している。だから血のまま肉を食べてはならない。血を食用に供してはならない。血を出してしまいなさい」と書かれておりますから、

そう、血=命 なんですよ。

皮膚や角膜移植などは血を伴わないので聖書に違反しませんが、輸血とは他人の命を取り入れる事であり、自分と言うアイデンティティーと言いますか意識が薄まる行為でしょう。恐らく2つのDNAを共有する事になるのでしょう。

同様に聖書は、覚せい剤の使用や泥酔・酩酊を禁じていますが、これも同様に自己の意識が遠のく作用がありますね。

以上の事柄から真のクリスチャンは、「輸血をしてはならない」と考えます。

ですからミヤサカさんのお知り合いの元エホバの証人の方が、長老から尋問? 尋問とは物騒な言い方ですが、その方の病状からして輸血の問題が生じる可能性がありそうだから、本当に輸血をしていないか聞いたのでは無いでしょうか。もし輸血していれば聖書の基準からして罪ですから、長老は排斥にするか検討しなくてはならないのです。全ては会衆全体の清さを保つ為の質問だったと思いますがね。

しかし血漿タンパクなど血液分画の使用は、個人の決定に委ねられる事、を付け加えておきます。

最後に、小さな幼子の命は親に委ねられているのです。親が聖書を子供に教えるのも、教えないのも親の自由意志です。神はこのような連帯責任(ニュアンスが違っていたら御免なさい)を要求する事があります。ハムの子孫を考えればわかる事です。

ハナヤヨヘイさん、それは失礼しましたね。

しかし聖書系のブログに集う貴方様なのに、随分と了見が狭いですね。まあ、貴方様がクリスチャンだかどうだか知りませんがね。

まあ、閉鎖的になると洞察力も低下しますよ。

では皆様失礼いたしました。私の仲間が濡れ衣を着せられて、それを他の人から聞かされてここへおじゃましたのですが、このような経緯となってしまいました。

ミヤサカさんも、聖書からの行間を読み取る習慣をされたほうが良いですよ。確かに仲間同士集まりあう事はクリスチャンの務めではありますが、預言者レベルとなると逆に孤独を好むものです。恐らくレベルと申しますか波長が違うのでしょう、キリストもよく一人になり祈りをされていましたね。

もし私に言論の続きがあれば、こちらへどうぞ。

聖書預言の行方(一人キリスト教)
http://internetviking.at.webry.info/


ワタクシに助け舟を出して下さったワタクシのホームの主のバイキングさんが「これ以上は議論の無駄」と結論致しマシタのでワタクシも去りマスm(__)m

それにしてもコチラのコメンテーターは柔軟性に欠け了見の狭い方ばかりデスねぇ。

ザアカイさんの気苦労、お察し致しマス。

よく「日本人は議論が苦手」とか言いマスが違う!有意義な議論すら「声のデカイ人」を中心に排斥する(圧力をかける)から、また感情論からハード・コンタクトに発展する場合(まー大抵半島系絡み)も有りマスし。

くだらね〜短文でバイキングさんをディスる連中。

てめぇら自身は親鳥が運んで来る餌を待ってるしか能がナイのかい?

貴方方はザアカイさんのblogに同調した。ならば多少はキリスト教なり聖書に触れている方々なのでしょ?

尤も、キリスト教という「宗教(宗教とは、サタンが人間を神から遠ざける為に生まれたツール)」を(つまりキリスト=神)信じて「目を糊付け」されてるワケデスね。

一応最期に。

聖書の黙示録にある「バビロンの大娼婦」とはごくごく一部の例外を除いた「宗教」の事デス。


>>>ミヤサカさんは論点をすり替えるのが御上手ですね。
私は、「輸血の恩恵とは一体何なのですか」と聞いたのであって、
「血液分画使用の恩恵は何ですか」などとは一言も述べてませんよ。

 私の答えをよく読んでいただければ、論点のすり替えどころか、具体的に書いております。そもそも献血によって得た血によって血液分画が行われるですから、「輸血の恩恵」と「血液分画の使用の恩恵」を分けて「論点のすり替え」とするのは、単なる詭弁でしょう。
 
 輸血の定義「健康な者から採取した血液または血漿・赤血球・血小板など各種の血液成分を患者の静脈内に注入すること」(大辞林)「血液の成分または血液そのものを血流内に注入すること。輸血には他人の献血を用いる場合もあれば、本人から事前に採血しておいて、輸血が必要になるまで保管しておく場合もある」(PDQがん用語辞書)「治療の目的で、同じ血液型の健康な人の血液を患者さんの血管内に注入すること。外傷や手術のときだけでなく、貧血、衰弱その他、重病状態にある患者さんに対して行われます。また、現在では血液全体の輸血(全血輸血)のケースは少なくなっており、多くは赤血球や血小板、血漿など、その患者さんにとって必要な各成分だけを抽出し、必要量だけを輸血する成分輸血が一般化しています」(血液用語辞典)を基に考えても、輸血という定義に血液分画の使用が包括されているわけですから、指摘された「論点のすり替え」などはありません。

>>>なぜ神は「血」を禁じたのでしょうか。
 創世記の聖句の説明で書いていますので、再読お願いいたします。
 血そのものが生物的な生命を指しているのではなく、「犠牲になった命」を表しています。だからこそ、贖罪に必要な血は屠られた動物の血でなくてはならなかったので、動物から血を必要な分だけ抜いて使うことはなかったのです。
 「主イエス・キリストの血」という時、それは犠牲として捧げられた命を表しているのであって、彼の体から抜き取った血を指しているわけではありません。

>>>モーセの律法はキリストの贖いによって廃止されましたが、基本的な事は以降も引き継がれています。しかし先程の話にも出ましたが、割礼のように廃止されたものもあります。しかし廃止されるからには、それ相応の理由があった筈です。
 
 「律法の廃止」というとすぐ「無律法主義」と結びつける考え方があるので敢えて書きますが、「モーセの律法」はより優れた「キリストの律法」に昇華されました。実際、「肉の割礼」は「キリストの割礼」として霊的なものに昇華しました。

コロサイ2:11-12
11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。
12 あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。

 「血を避けなさい」の文脈に沿った解釈は、前のコメントで書きました。特に難しいものではないと思いますが。「偶像に捧げた肉」を題材に話しています。当時のコリントでは偶像崇拝で捧げられて肉が市場で売られていたのですが、使徒パウロは「すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。 地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。 もしあなたがたが、不信者のだれかに招かれて、そこに行こうと思う場合、自分の前に出される物はなんでも、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい」と言った後、「 しかし、だれかがあなたがたに、これはささげ物の肉だと言ったなら、それを知らせてくれた人のために、また良心のために、食べないがよい」と続けています。
 「たとえ偶像に捧げられた肉であっても、いちいち良心の問うことなく食べていいが、誰かがその肉は偶像にささげた肉だと指摘するならば、その指摘した人の良心のために食べるな」と言っています。
 誰がそのような指摘をする動機を持っていたでしょうか。それは当然、コリント人ではなく、ユダヤ教から改宗した人々でした。だからそのようなユダヤ人信徒を躓かせないためにも、彼の良心のために食べるなと命じているわけです。

 この意味を読み取れれば、使徒15の意味も明確になるでしょう。

19 そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。
20 ただ、偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい。
21 古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。

 「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」という教えによって異邦人信徒に煩いをかけてはならない。「ただ」どの町にもシナゴーグがあり、そこにイスラエルの神を信じ、律法を重んじている人がいるのだから、彼らの躓きを与えないために、偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるように、と勧告しているわけです。
 これはモーセの律法的戒めではなく、「キリストの律法」を基にした勧告なのです。
 キリストの霊によるものだからこそ、使徒パウロは「するとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛めるのは、キリストに対して罪を犯すことなのである。 だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。 」とまで言っているわけです。
つまり何でも食べる自由を持っているが、その自由が兄弟を躓かせるのなら、肉さえも食べない。なぜなら、「食物は、わたしたちを神に導くものではない。食べなくても損はないし、食べても益にはならない」(8節)から問題ないわけです。

 四つの規定のうちの一つなのに、あまり議論の対象にならない「不品行 PORNEIAを避けなさい」を考慮すると、キリストの律法との関係を別の角度から見ることができます。
 この「PORNEIA」は、姦淫(現代的に言えば不倫)や近親相姦なども含まれている言葉です。これについて「キリストの律法」は「モーセの律法」よりさらに厳格で、「『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」(マタイ5:27-28)とあります。
 一度でも 「血を避けなさい」と規定を破ったら真の信仰者ではないと断罪するならば、「不品行を避けなさい」という規定にも同様に適用するべきではないですか。
 残念ながら「贖罪の真の意味」や「主イエス・キリストの十字架の恵み」を理解していないのは、インターネットバイキングさんだと思います。

 私の聖書の解釈法に関しては、私のブログ「an east window」を一読していただければ、どのような霊と方法によって聖書を読んでいるか理解していただけると思います。

ヨハネ5:39;46  あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。

46 もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである。

 真理の御霊も同じように主イエス・キリストを証しし、彼の栄光を示します。
ヨハネ15:26 わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。
ヨハネ16:14
御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。

 だから「預言の霊」は、イエス・キリストを証しします。
 
黙示録18:10
そこで、わたしは彼の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」。

 私の最大の関心は聖書を通して救い主イエス・キリストを証しすることであり、このような議論の場においても、その願いが根底にあります。
 このブログ管理主を含め、このブログの読者の方々を一様にまとめることはできないと思いますが、この御子イエス・キリストを愛し、崇め、彼の真理に仕え、彼にすべての栄光を帰したい、という深い願望においては、完全に一致していると思います。

 ザアカイさんもこの場を与えてくださって、ありがとうございました。

黄昏ヨナ、ここで口を挟むとヨブ記の若造エリフになりゃせんかと迷いながらも、老い先が短いゆえ棺桶に入ってから悔やまぬためにも、ひとこと申し述べる。

その前に・・
>てめぇらは親鳥が運んで来る餌を待っているしか能がナイのかい?
これは愛情表現と受け取るべきなのか侮辱と受け取るべきなのか分からないが、イエス様の御心に合わせたいと努める。

かつて我が次男が生まれる際に帝王切開となり、医師から「危険な状態なのでB型血液を5人分集めて欲しい」と言われ、私は焦って5人捜し病院へ連れて行った。彼らの血(DNA)が妻の体内に入り、それゆえ妻子は助かった(と思っている)。イザ実際にその場に立つと、祈れば他人の血は必要ない・・等と信仰に強くはなれず、例えバカ医者の指示であっても従わざるを得ないのだよ。必死だからね。

血はその人の命であるから、凶暴な人の血を入れられると凶暴性が現れるのかもしれないし、草食系の人が一時的に肉食系になるかもしれない(私の血を受けた人はスケベになるのかもしれない)。一人キリスト教信仰のバイキングさんにはお分かり戴けないかもしれないが、教会には大勢の信者さんがいて、牧師はそれを纏めていかにゃならない。会社には大勢の社員がいて、社長はそれらの能力を生かし発展させていかにゃならない。家長は妻子にグチャグチャ言われながらも養っていかにゃならない。能力に応じて人が与えられ、責務を果たすように創られているのだよ。肉体を生かすために一時的に入れられた他人の性格であっても、肉体の主人である患者はそれらを治めていくべきで、責任転嫁など以ての外、助けて戴いたことに感謝するべきではないか。

そりゃまぁ輸血を拒否して死ぬ人を責める気にはならんがね。
 だが、言わんとすることが何となく分かるので、ソチラも責める気にはなれん。ミヤサカさんに右手を挙げ、バイキングさんに左手を挙げ、幸せなら手を叩こう。お茶処で茶を飲みながら・・


※ザアカイさん、美味くもなさそうなお茶を御一緒しましょうね。

名前を入れるのを忘れましたので・・老醜ヨナです。

ヨナさん、タイムリーな証し感謝申し上げます。
私もヨナさんの状況にあったなら、同じ行動を取っていたことでしょう。

ある牧師先生から聞いた話ですが、アメリカの狂信的な??牧師家庭では、医者に家族を診せないために、助かる命も助からないケースが多いと聞きました・・・

なお私、血液をはじめ医学に関する知識があまりないため、議論に加わるのは避けたのでした。いわゆる役不足というやつです。
勉強させていただきました。

私は安息日に主が会堂において手のなえた人物を癒した箇所を思い浮かべましたね。

管理人より~もう充分でしょう。これにて終了でお願いします。

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