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2016年4月 9日 (土)

「救い」=永遠の命が必要な理由

さて、今日は視点を変えた記事を、自分なりに、最近、聞いたメッセージを参考に書いてみたいと思います。デモニックでダークな方面ばかりに目を向けているとロクなことはない、やはり人間は私みたいな者でも暖かい光、爽やかな涼風、を好むのです。

A life is A catastrophe.

パスター・ジョンのメッセージで心に染み入った箇所です。
訳者は意図的なんでしょうが「悲劇」と訳しておりましたが、コーソン師は

catastrophe 
[kətǽstrəfi]
[名]
1大災害, 突発的な大変動
2破局
3不幸, 災難

と確かに言っていた。

ふと脳裏に浮かんだ聖書箇所。

11:35 女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。
11:36 なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。
11:37 あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、
11:38(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。
11:39 さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。
11:40 神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。

ヘブル 11:35~40

ここです。この箇所は教会のメッセージではあまり取り上げず、34節までしか話さない傾向があるとも聞きました。

イスカリオテのユダ亡き後の、実質的な12番目の使徒はパウロでしょう。
そのパウロを含め、12使徒で殉教しなかったのは伝承によると、ヨハネだけです・・・ヨハネには黙示録を後世に伝える、迫害され苦しんでいる諸教会を励ます為の使命が残っていたのでしょうね。
シエンキヴィッチの「クオ・ヴァディス~主よ、何処へ行き給う」(私はポーランドのTV版のDVDシリーズしか見ていませんが、小説のクライマックスは聞いて知ってます)での、ローマ皇帝ネロによるクリスチャン大迫害・・・仲間が次々とローマ軍の毒牙にかかって殉教していく。
ある者はコロッセオで十字架刑、ライオンの餌、はたまた生きたままの人間松明・・・人間とはあそこまで残酷になれるものか?立派な信仰の先達、涙なくしては見れません。

それから、この老ペテロがローマに戻るシーンなくしてはナンセンスとなってしまう。

>ローマを後にして郊外に出たペテロは向こうの空に輝く光を見ます。それはやがてペテロの横を通り過ぎようとしますが、弟子たちの目には何も見えないのにペテロの目にはその光の中に主イエスが見えました。ペテロは問います。「クオ・バ・デス・ドミネ」“主よいずこに行き給う”。主は答えられます。「ペテロよ、あなたが私の羊を捨てて逃れるなら、私はローマに行ってもう一度十字架に掛かろう」 「主よ申し訳ありません」老ペテロは驚く弟子たちを尻目にくびすを返してローマに帰ります。そしてついに捕らえられ十字架刑に処せられます。その時、ペテロは私は三度も主を否んだ者だ、主と同じ十字架に掛かることなど出来ないと、両方の腕木が下にある十字架にさかさまに掛かり殉教したと伝承にはあります。 弱く、無学で、普通の人だったペテロ。しかし、彼は幼子のように主に従いました。彼は常に真実でした。ガリラヤ湖の無名の漁師は歴史上もっとも有名な人となり、キリストの教会の柱となりました。

歴史上も人類のやってきた記録と言えば戦争に次ぐ戦争です。
戦後の日本は古今東西、歴史上稀に見る平和で恵まれた例外的な時代だったと言えるでしょう。世界でもっとも成功した「社会主義」のモデルと言われるのも頷けます。

それでも、日本史を振り返ってみても、戦が絶えず、斬った、貼ったで殺し合い。敵将の首を樽に塩漬けにする、跡目争いで兄弟間で毒を盛ったりして殺戮するなど、野蛮な歴史を演じてきました・・・これまた人間とはここまで無慈悲に残酷になれるものなのかと。

また、日々、悲劇が、苦しみがないということは、この世の人生においてはあり得ません、世界中のどこかで誰かが悲痛なる叫び声を上げている、否、日本国内でないという日もあり得ない。
これが「この世」の冷酷無比なる現実でしょう。よく言う、「無力、無常、理不尽」。
ただ、10代、20代の若いこれからの人達には必要以上に語りたくはないことで、ルターのように「たとえ明日この世が滅びようとも、私はりんごの木を植える」の精神も同時に持って頂きたい。ある程度の世界の現状を踏まえた上で。

「人生は悲劇(破局、災難)だ」、人によって、状況によって多種多様でしょうが、私は否定しない。これは真理だと思います。

しかしこれで終わったのでは失望及び絶望しか残らない。そこでパスター=ジョンは言います。

「だからキリストによる『救い』が必要なのです」と。

高原剛一郎師の最近、聞いたメッセージの中で「希望、これに漢文読みでレ点をつけると『望みは薄い』となります。これはめっっちゃ残酷ですよ」と。
いわゆる「根拠のない」期待、希望が裏切られることほど残酷なことはないと。
これまた、私も人生において、何度も経験してきたからわかります。じゃ、本物の希望って何なの?以下はその答え。

しかし「キリストは絶対に裏切らない、確固たる歴史上の根拠がある。」と。高原師は「人智を超えた神の愛」であると。

5:7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。
5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
5:9 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。
5:10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
5:11 そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。

ローマ書 5:7~11

これまた我田引水になりますが、パスターJDが言ってた。

「掲挙の希望があるから今の世の中、正気を保ってられる。キリストにおける希望がなかったらおそらく気が狂っていただろう」って。

これがマトリクスの世界から脱却している、普通の人間の感覚であろうかと思います。AI人工知能やら、バールの神殿のアーチやら、まさしくブーストがかかり、今や完全に「ロトの日、ノアの日」状態・・・

主イエス=ヨシュアによる十字架の贖い(罪の赦し)

 

主イエスの復活、昇天

これらは既に成就した。
後は「再臨」を待つだけ。必ず近いうちに再び「KING」として来られると信じる。しかしながらこれには並々ならぬ忍耐が必要とされるかもしれません。その前に死ぬかもしれない・・・それでも待ちましょう。それしか希望はないのだから。もちろん荒唐無稽の夢物語の「偽りの希望」ではないと信じるものです。

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