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なんでも&緊急連絡版

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2015年11月23日 (月)

「いつまでも死なない」という死生観

昨日、義父の一周忌で、お墓のある町田の相原という所へ。

その前に、上溝という所にあるお寺に寄って頭痛のする坊さんのお経を聞きに。そして塔婆というんですか、それを預かりに。
日曜日だというのになんで?お寺へ行かにゃ~ならんの?もっとも教会も事情ありで長期休暇中なのですが --;
それから近い親戚で食事をして解散。義母の家に着いたのがなんと?夕方の4時半・・・まる一日がかり、都市部だというのに田舎並の煩雑な法事に唖然。

ツレの実家に行くたびに、「自由時間が出来れば、近くにいる主にある兄妹の家に玄関先で2~3分でいいからちょこっとなど」と考えてましたが、義母のマシンガン=トークが始まり今回もダメ・・・ちょっと気になっていたこともあり、経過を聞きたかったこともあったのですが、結局その後帰宅 --;

何といったらいいのでしょうか・・・ツレもそうですが、義母も現世至上主義の唯物論者、もちろん義父もそうでしたがね。我が父母もそう・・・

義父の思い出話といっても、亡くなる晩年の闘病生活となり、義母の主治医に対する恨み節で「○○の医者としての腕が悪いから寿命縮めたのよ。変な薬物投与されてモルモットにされたんだわきっと!そうでなきゃ、あんなに容態が急変するわけなかったわ!もっと生きたがっていたんだから!」

私が「たら、ればを言ってもしょうがないですよ・・・特にすい臓に転移してたことですし。気持ちはわかりますけど。私たちでは自分で自分のこの世での寿命を決めることは出来ないのですから。余命半年と言われた末期も末期癌、それから義父が嫌がっていたオペをする気になって、2年間生かされたんですから。復活はありますよ、きっとまた、会える日が来ますから。」

と言っても、無言で納得してない顔つき(-_-;)・・・

義父にも、まだ話できるうちに、福音を伝えることは無理でした・・・私に出来た些細なことと言えば・・・23日ですから、ちょうど1年前、酸素マスクを付け、朦朧とする意識の義父のベッドに跪いて、「主よ、義父は信仰者ではありません、ですが、生前、本当に私に対し良くしてくれました。ご都合主義かもしれませんが、マタイ10:42を私は文字通り解釈いたします。どうかこの先、どれだけ時間が残されているかわかりませんが、その時はどうぞ、義父の霊を御手に委ねます、丁重に扱ってくださいますように。」

と執り成すのが精一杯でした・・・
その晩、日付が過ぎ夜中の3時、ツレが付き添った晩(今日から付き添って下さいとの病院側の通達があり)初日、電話があり・・・と言う訳でした。娘が付き添ったその時、あと一日遅かったらと思うと、何と言うタイミングと思わざるを得なかったものです。
少なくとも「黄泉の深み」で苦しんでいることはないだろうと安心したものでした。

話は飛びます。エントリーの表題からズレてしまいますので。
場所は墓地。義父方の親戚の方々の会話。嫌でも耳に入ってきます。

「ここに入っちゃいけないよ、全てが終わりだよ・・・」

(そうは言っても、誰も一度はそうなるのだが --;、これで終わるわけじゃないと私は思っている・・・大事なのはこれからでしょ、どこで永遠を過ごすかでしょ。)

「お墓だけは代々、守っていかなくちゃダメだね」

(○○さん宅のお墓がどうか知りませんけど、そんな立派なお墓じゃなくてもいいと思いますが。お墓って、残された遺族のためにあるのと違う?墓石の下にはいないんだから。それこそある歌の歌詞じゃないけど。「私のお墓の前で泣かないで下さい。私はここにはいません。」なのですよ)

注;()内は私の心の中でのつぶやきです。

別に私は自分の考え、信仰を強制的に押し付けるつもりもないし、強制したって何の意味もない。帰りの車の中で、ツレとも話したのですが、不穏な空気になりつつあったので・・・ヤメ --;

いつもそうなのですが、使徒行伝は26:28、アグリッパとパウロの会話のようで「おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」
と言った感じで、ツレはムキになって私に反抗するのです(ToT)
別に強制してないのに・・・最後には「偉そうに!あなたがそうなるの知ってたら、絶対!結婚などしなかった!たとえ間違っても!いいえ、既に間違っていたんだけどね!」と来る --;

死者の復活はある、それがたとえ夢物語でも、嘘を信じていたとしても私はかまわない。

「死んだら終わり、何も残らない」
「生きているうちが花。たとえ病院のベッドでうなっていようと死んだら終わり」

と周囲からよく↑のような声を聞くのですけど・・・私はそうは思いません。

たとえ短くとも、燃えるような太く短いこの世の人生があってもいい、逆に、惨めに生き恥曝しながら生きながらえるくらいなら、速攻で召されたほうがよほどいい。

というのが私の死生観です。

死は我々にとっては、いわば凱旋帰国ではありませんか。
とは言え、今までいた人がいなくなってしまうのですから、寂しくないと言ったら嘘になります。これは私も認めます。ツレの実家へ行くたびに感じますからね。

私に福音を授けてくれた某牧師の前夜式に行った時、ご子息である○牧師に挨拶したところ、「父のご尊顔を見てやってください」と言われ、その安らかなる死に顔を見た時、思わず涙が流れたのも事実です。○牧師に思わず「すみません、笑顔で見送ってあげるつもりでしたが、やはりダメでした」と・・・

でも困難であっても、難しいことでも、どこかでふっきらねばならないのですね・・・

そういうわけで私は「いつまでも死なない」と信じるものです。

この世は苦しみと悲しみ、困難、悩みで満ちています(私だけかもしれませんが --;)、本当に無力、無常、理不尽です。手段は問わないから、早く楽になりたいが本音 --;

カール=ヒルティーの言葉を借りるならば「だからこそ天を慕い求めるのだ」というのが我がポリシーです。

おそらく主なるイエス様にお会いしても、私なぞこの世での所業ゆえ、恥ずかしくて顔を上げられないかもしれません、ただただ、申し訳ありませんでしたと繰り返すしか能がないかもしれません(笑)

それでも・・・私はイエス様のメシヤとしての救いの業を信じて進んで行きたいですね。

PS:おそらく異論、反論もあることでしょうが、私は一切のこの世的利害関係なしでこの記事を書いております。もちろん、脅迫、強制など一切なし。あくまでも「自由意志」で読んでくだされば幸いです。

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コメント

ザアカイさん

お久しぶりです。掲示板の方にも書き込みできず、申し訳ありません。
・・というのも、今、母が食道癌で末期状況、それもつい1ヶ月前に発覚し、今は私は病院への付き添いやら世話やらで、時間に追われる毎日を過ごしております。
(お陰様で癌治療について、強いては癌ビジネス、医療ビジネスの実態について、調べまくったもので、やたらに詳しくなりました。sweat01

ザアカイさんが書いて下さったこちらの記事、あまりに今の私の状況にフィットするので、頷きながら読ませて頂きました。
父も3年前に食道癌を患い、胃瘻を付けてなんとか生き延びている有様で、夫婦揃って同じ癌を患うとはビックリです。

私の実家の両親は、ともどもキリストのキの字も受け入れず、やはり彼らも現世至上主義の唯物論者、それでいてなぜか家の宗派にはこだわり、お墓探しもお葬式の在り方にも、今から細かく葬儀屋さんや霊園責任者に注文をつけている始末。
この辺りはまったく理解出来ません。家の宗派に則れば、死んであの世で自分の身内のいる場所へ迷わず行くことが出来ると信じているのかも?
ただそんな両親を見て笑えない自分がいます。

生きている間、信者も未信者も同じ世界で呼吸し、人生を分かち合いますが
『死』こそが分かれ道、それぞれの永遠の世界が交わることは決してない世界なのだと思うと、イエス様を受け入れない親、また福音をきちんと語り切れていない自分に、たとえようもない葛藤と痛みを感じています。
二人とも一生懸命に人生と闘って来た人たちだと知っているから、尚更のことです。
危篤状態になっても延命治療などはして欲しくない、と父が言うもので、
それならばリビングウィルを書いておくべきだと告げると、その内容を聞きながら
気丈な父が涙を浮かべました。切なかったな・・。

死生観に対して、福音を知っている、イエス様を知っているということは、こんなにも大きな違いを生み出すのかとあらためて実感しました。
死んだ後に自分がどこへ行くのか、死んだ後の自分がどうなるのか、ちゃんと確信が持てることの有り難さ。
けれども父を見ていると、死は「すべての終わり」「諦め」「消えること」でしかないようです。

残されたあと少しの時間、両親に出来るだけのことをし、福音を語り続けようと思います。
あぁそれにしても身内への伝道って、本当に難しい・・・crying

はるみさん、こちらこそご無沙汰しております。

本当にこの世の中を生きていくということは、自分ひとりで生きているわけじゃないので、自分だけの問題と言うわけにもいかず、苦労が絶えませんね。
ましてや今の時代、私など自分と家族のことだけで精一杯の状況(涙;)

>二人とも一生懸命に人生と闘って来た人たちだと知っているから、尚更のことです。

→わかります・・・痛いほどに。

>あぁそれにしても身内への伝道って、本当に難しい

→ホーム・チャーチをやっていた、はるみさんがそういうのだから、私など尚更ですわね --;

全てをご存知の主の御業が為されますように。

浅草橋の花火問屋で、「三河伝承大江戸牡丹」と呼ばれる純国産線香花火
をたまたま手に入れました 十本で五百円、線香花火一本が五十円です。何でも盆の迎え火の略式として、結構買われていくそうで
試しに数本風呂場で点火してみました…
風情ある表現するなら、まるで人生を思わせます、生まれて活気ある火花が、青年期で塊となり、活躍してアチコチ 百花繚乱な美しの姿となり、軈て老いて小さな塊に そのまま落ちていくものもあり、落ちることもなく長寿を全うし老衰、見事に消えてなくなるものもある。最初に激しく燃える花火は意外に簡単に短命ですね、本当に人間みたい…そんな思いで初冬の夜韻を思索いたしました…

コメありがとうございます。
線香花火ですか。
確かに風情があるとともに、そのはかなさを感じさせてくれる花火ですよね・・・
人生のたとえとしては、共感できるものがありますね。

「私は父の信仰ゆえに名前を付けられました。それゆえ私の名前のもとになった方と同様に私は死ぬことがありません」と本気で信じているとある女性に正直に言ったら音信不通になりましたとさ

まあ・・・常識外のこと言えばそうなるのは解ってて言ったから全然傷つかないのだけど・・・

今思えば羊になるべきだったと反省します。でも・・・隠さないで生きていきたいよおおお❕本当のことを伝えたいんだよおおおお❕( ;∀;)

そのような事があったのですか。
「死ぬことがない」の解釈の仕方ですねえ~

こればかりはわかりませんけど、我々の肉の命があるうちに掲挙が起これば、一般市民のなかでも納得する人が現れるかも??

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