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2015年10月15日 (木)

キリスト信仰の三本柱

さてさて、ブラッドムーン・テトラッド及び仮庵の祭りも終わり、9月末に真打ちなるロシアがシリアへ出張って行き、今月に入りイスラエルが荒れてきて、ナイフで刺された、それどころか銃弾まで飛び交って、テロの連鎖の日々と、めまぐるしく世の中は動いているようです。

ところが私の周りはと言うと・・・「今度の研修会、○○山のハイキングに行くけど参加者は?」とか、「11月の○○祭り、けんちんそばを今年はやってみようと思うのだが」とか、イスラエルとは危機意識において雲泥の差というか、平和ボケと言うか --;・・・

ある意味、何も知らない方が幸せなのかもしれない。
これが世のマジョリティーの現状でしょう。

教会でさえ(すべてとは言いませんが)、終末という言葉にはアレルギーを示し、死んだら天国に行ける・・・その先のメッセージはまず聞かない・・・復活の栄光体の本当の意味(復活の福音)も、どれほどの信徒が理解しているやら?掲挙、ラプチャーという単語すら知らない人もおそらく多いことでしょう。
単なる気休めで「宗教ごっこ」の仲良し社交クラブやっているんだったら、やらないほうがいいと思うのだけど・・・だから私は不条理で荒唐無稽な宗教というものが大嫌いなわけなのです。
注;別に教会批判をしているわけじゃありません。ある事情があり、しばらく教会から離れてますが、いろいろなことを教わり、信仰のバランスも矯正され、感謝してますので。

じゃ、「なぜあなたはキリスト者やっているのよ?」と聞かれれば、「本物のキリスト教は宗教じゃないから。大宇宙の唯一なる真理だから」と答えるしかないでしょうかね?

16:ヨハネによる福音書/ 03章 16節
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

17:ヨハネによる福音書/ 03章 17節
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。

18:ヨハネによる福音書/ 03章 18節
彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。

19:ヨハネによる福音書/ 03章 19節
そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。

20:ヨハネによる福音書/ 03章 20節
悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。

要するに福音の三本柱である

1 罪の赦しなる贖いの十字架

2 復活

3 再臨

を、このヨハネ伝の箇所は、よく表現していると私は感じます。

私はたまたま、どういうわけか?ダニエル書、エゼキエル書、黙示録から入り、終末論を通して3番目から信仰への道へ入ってきた為に、このようなブログを書いてますけど、私としては優先順位は付けられないですね、どれも大事で一つたりとも欠けてはならない。

ただ一つ申し上げたい。

司令官(牧師、聖職者 etc )たるもの、敵を知らずしては敗北する。しかしながらここで注意したいのは、この世の君として絶大なる英知と知恵、絶大なるこの世の権力を有するサタンをボスとするNWOと陰謀論のみに傾倒して、その土台、基礎となる「罪の赦し」、言い換えれば、尊きキリストの贖いの十字架を信じなくては本末転倒で、霊的ガードがないため極めて危険であるということです。

かく言う私自身、救いを受けた時の(たぶん間違いない --;??)あの爽やかな涼風が心の中を静かに優しげに吹き抜けていく、一人空を見上げると、意味もなく涙が頬を伝う平安・・・理屈じゃなく自分にしかわからない感覚、あの体験があったからなのでしょう。
これこそイエス=キリストそのものじゃありませんか!!

ローマ人への手紙/ 08章 31節
それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。

ローマ人への手紙/ 10章 11節
聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。

と、偉そうに慣れない分野を書いてしまいましたが、実を言いますと、苦しい日々の毎日なんですわ、これが(涙;)
でも、あの時の体験があるから何とか留まっていられるのですね・・・この世のものとは思えないあの感覚がです・・・残念ながら一週間ほどしか持続しませんでしたがね --;

御国に行ったならば、それこそ永遠に感じることが出来るでしょう。だから私は、主の再臨を待ち望みたいのです、もちろんその前に肉の命を落すかもしれない(最近、やせ方が病的で)。阿鼻叫喚の期間を覚悟せねばならないかもしれない。それでも反面、そのチャンスが与えられている世代でもあると私は感じるのです・・・

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主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

ザアカイさん、お久しぶりです。
いつもブログ拝見しております。
 私も救いを受けたときの体験は、強烈な体験として記憶にとどまっていますが、でもふと、「あの時期の自分に今現在、自分が置かれている状況を耐えらえるだけの信仰と知識があったか」と自問してみると、主なる神はあの日から今に至るまで、いつも御手の中で私を守り、ご自身のくびきの下で共に歩むことを許してくださっていたのだな、と思えます。

ヨハネ10:27-30
27 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。
28 わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。
29 わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。
30 わたしと父とは一つである」。

 御言葉を固く握りしめて、共に「かの日」を待ち望みましょう。

ミヤサカさん、こちらこそご無沙汰しまして。
私もミヤサカさんのブログ、聖書の深い洞察、勉強させてもらってます。
そして何より、ミヤサカさんの忍耐強さには頭が下がります。

ローマ書のパウロの言葉「私は自分のしていることがわからない」とあるように、頭ではわかっていても、全然、行動が伴わず、日々、罪の許しを請う自分がそこにいる。本当に十字架の尊き贖いの血なしには何も始まりません。

>御言葉を固く握りしめて、共に「かの日」を待ち望みましょう。

→暖かい励ましの言葉、感謝申し上げます。


主イエスがわたしたちに対して忍耐深いですから。
これも終わりの時のしるしなのかもしれませんね。

実はザアカイさんの一つ前の記事に関する「斜め上をいく」コメントに、かなり反応していてコメントを書き込むつもりでしたが、ザアカイさんのコメントを読んで「書き込まなくてよかった」と思いました。

ザアカイさん
精神的にも、体調も、苦しい状態が続いているのですね。
主の支えと、癒しがありますように。
健康が少しでも改善されますように

主に重荷を委ねて、どうかあまり荷を背負いすぎないでくださいね。

コリント 第二 4章

7節 しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
8節 わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。
9節 迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。

主の聖霊、支えという素晴らしいものがあるからこそ、土の器(弱いものである)
である私たちも、なんとか、この世でも苦難があっても、ギリギリのところで
助かっていることもありますよね。

長い苦難やストレスは、堪えてしまいますね。
必要な休息が取れることを願います。

16節 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
17節 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
18節 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

体重がこれ以上減らないように、体力が回復されること
主がささえてくださりますように。

そして、主の報いである、素晴らしい天国での生活を希望を持ち
耐え忍べますように。

ミヤサカさんへ

>「斜め上をいく」コメントに、かなり反応していてコメントを書き込むつもりでしたが

→私もかなり砕かれ、だいぶ人間丸くなりましたよ(笑)

サマちゃんへ

いつも暖かい励ましのコメントありがとうございますm(__)m

私もまさか、こんなこの世の人生が待っていようとは若い頃は夢にも思いませんでした。いつまで苦汁を飲まされるのやら・・・とほほ。

冷静に世の中を見ていると、これも情け、思いやりのかけらもない世の権力者等を使った、間接的なるサタンの善良なる一般市民、キリスト者に対する攻撃という面を否定することは出来ないですね。

サマちゃんもいろいろと大変でしょうが、天来の守りがありますように。

ザアカイさん、すばらしい記事をありがとうございます。
私も様々なストレスで毎日苦しい日々を送ってきたので、とても共感させていただいております。

私の場合、10年以上のひどいうつ病や、ストレスで発狂しそうになったり、そのため病気で激ヤセして重症となり、死を覚悟したこともありましたが、
賛美でかなり回復してきました。毎日毎日賛美をたくさんして、キリストに感動しているうちに、うつ病がかなり治りました。賛美は創造主の命エネルギーが注がれるので、癒しの効果が高いようです。

「小羊の群れ、風の教会」の賛美礼拝は、とても黙示録的で、神が与えてくださる賛美ばかりなので、ここの賛美礼拝をしていると、癌やうつ病やさまざまな病気がいやされたり、心の苦しみから解放される人が多いのですが、イザヤ53章の賛美などもあり、わたしはここの賛美礼拝のおかげで、かなりうつ病が回復できました。
賛美はストレスや苦しみを半減してくれる力があるように思います。

それと、肺癌の疑いがあって、余命を覚悟していたときに、思い残すことがないようにと、北海道の余市にある恵泉塾というキリスト者の共同体に、思いきって一週間の体験入塾(無料)をしたことがあるのですが、ここで神の愛と神の家族の愛を体験して、感動のあまり、肺癌のような体調不良が徐々に回復しました。私は、恵泉塾で生まれて初めてアガペーの愛を体験しました。ここの水谷先生は隣人愛に生きるすばらしい牧師で、先生を見ているだけで、癒されてしまうほどです。苦しんでいる人や行き詰っている人の9割以上が回復したり、問題解決していて、笑顔を取り戻しています。
水谷先生は全国に伝道旅行をしていて、問題解決のための個人相談にのってくださるので(無料)、何でしたら一度、ご相談されてみるという手もあるかと思います。本当に根本から変わってゆく人が多いです。

やはり地上にいる間に、なるべく苦しみから解かれたほうがよいと思うのです。解放の道は必ずあると思います。福音の大きな恵みは、苦しみや囚われからの解放だと思うのです。

「あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。』

私は今、近所に良い教会がないので、、(偽宗教、ご利益宗教をやっている教会が多いのです)、無教会で一人で信仰生活を送っているので、
ザアカイさんのブログに励まされます。感謝です。
どうかザアカイさんの体調がよくなりますように、お祈りいたします。

ハッチさん、お久しぶりです。

貴重な証し、情報、ありがとうございます。
ハッチさんも厳しいところ通されてきたのですね。

HP探しましたので、あとでゆっくり時間をかけて、「小羊の群れ、風の教会」の賛美礼拝、見てみたいと思います。話には聞いておりました。
幸い、芦屋まで遠くていけなくとも、ネット配信しているようなので。

重ね重ね御礼申し上げます。

ザアカイさん
ROCKWAY EXPRESS 復活してますよ

http://rockway.blog.shinobi.jp/

あら、ホントだ。
情報ありがとうございいます!

ザアカイさんのことあまり知りませんが、
(最近、やせ方が病的で)
ということでけっこう深刻なのでしょうか。

ザアカイさんとは通っている道が全くちがいますが
けっこう私も踏んだり蹴ったりされてきてますから。
今年Uターンして地方で会社員してますが、
”東京の霊”はすさまじかったのかもと思います。

神を知らない人達が、自分のポジション上げるために他人をおとしめる
ことに躍起になり、組織も、そのような人を『能力が高い』、
はじかれる人を『コミュニケーション能力が低い』
と評価する霊が都会はハンパないのでは!?と思います。

クリスチャンが世に散らばっていろいろ見聞している意味って何かありますよね。
艱難前に、天の人事発令で呼ばれる方達がうらやましいなと思います。
不謹慎かしら!?

ザアカイさん、覚えていてくださって、驚きました。ありがとうございます。

私は一年前までは、うつ病でひきこもっていて、聖書も苦手で、神も御言葉も真理も全くわからない状態だったのですが、風の教会のピーター先生のメッセージがあまりにも面白くて、今までの牧師とは全然違うので、夢中になってメッセージCDを聞いたり、一人で賛美しているうちに、一気に新しい世界が開けてきて、今ではキリストのとりこです。

癒しは、霊→魂→肉体の順で、最初に霊から癒さないと効果が出にくいらしく、霊を癒し強めるものは賛美だそうです。賛美すると主が臨在されるので、癒しがおこるそうです。

金エシュルン牧師は日本人信徒が人種差別で全員去ってしまい、一人で礼拝していたときも、主が後ろにすわっていらっしゃるのを見て、「なぜあなたほどの方がそんなところに座ってらっしゃるのですか」と聞いたら、「わが子らが、わたしのために礼拝を捧げるというのにあたりまえだろう」と答えてくださったそうです。すごく感動的ないい話で、癒されます。
https://www.youtube.com/watch?v=FoDIzDayeGQ


十字架で、病気も怒りも苦しみも痛みも家系の呪いも、親から受けた苦い根も、すべて主が身代わりに負ってくださったので、「その打たれた傷により我らは癒されたのだ」は本当に実現するしています。イザヤ53章の賛美や血潮の賛美やもろもろの賛美をしていると、体調もよくなり、癒しが必ずおこってくると思います。

自力で解決が難しい悩みは、大声で叫ぶ祈りが効果が高くて、叫びの祈りは必ず聞かれるらしいです。
私は悪霊つきのような家族と住んでいるので、鬱はよくなったとはいえ、苦しみは多いです。なので、日々解放を探し求めている途上です(^^;)。

それと、白い小麦粉のパンとか小麦粉の麺とかは精神不安と病気体質を作り、玄米・雑穀・蕎麦・根菜などは、精神安定と健康体質を作るので、食事を一日一回、玄米と根菜の味噌汁中心に変えるだけでも、驚くほど精神が安定してくるのを体験しました。

でも最近思うことは、本当の癒しは、やはり愛を体験することであって、それがないと、どんなに信仰があっても、空しくて生きる気力がわいてこないのではないかと思ったりしています。

金牧師のメッセージで、愛と脳と病気の関係が後半30分くらいから
語られていて、おもしろいです。愛は脳がきれいになり、ストレスは脳が
黒くなるそうです。(興味なければスルーしてくださいね。)
https://www.youtube.com/watch?v=NQApQL4QbYA

本田哲郎神父様はホームレスの人を手助けしている中で、自分の悩みからどんどん解放されて癒されたと証されていたり、水谷先生も、幸せの秘訣は、いつも回りに助けを必要としている人が常にいたことだと証していて、ジャンバニエも、社会の弱者こそが私たちの解放者であると、証ししていて、本当の癒しや喜びや幸福は、社会の弱者や助けを求めている人とのふれあいや助け合いの中でおこるらしいです。
神様は小さくされた人と共にいて、その人を通して働かれ、そこから真の癒しや幸福がやってくるように、人を造られたのだろうかと、考えたりしています。

ジャンバニエに衝撃を受けた牧師さんの記事です。
http://blogs.yahoo.co.jp/sjy0323jp/60261733.html

余分なことを長々と書いてすみません。興味なければスルーしてくださいね。
ザアカイさんに神様の祝福がありますように。


さくらパンダさん、たぶん??まだ??大丈夫でしょう。
まだ頬の肉はこけてませんので。頬の肉がこけるのは「あしたのジョー」の丹下段平に言わせると最後らしいですから(笑)
ただ、「あごと首周りの肉がかなり減ったな」とは感じてます。

私もサラリーマンの経験あるからわかりますけど、レベルの差はあれ、世の中など都会であろうと地方であろうと同じだと思いますよ?
「この上司なら最後まで着いて行こう」とか、部下思いで、上に楯突く人って、冷や飯食わされ冷遇される。実績上げるにゃ、グレーゾーンだろうと、ばれなきゃやったもん勝ちの野心家人間がこの世では成功を収める方程式、これがセオリーじゃないでしょうかね。

詩篇73篇のアサフの詩が私にとってせめてもの慰めですわね。この世的には「負け犬の落ちこぼれ」と言われますが(笑)

>クリスチャンが世に散らばっていろいろ見聞している意味って何かありますよね。

→同感ですね、ハイ。

ハッチさん、いろいろと教えてくださりありがとうございます。

>神様は小さくされた人と共にいて、その人を通して働かれ、そこから真の癒しや幸福がやってくるように、人を造られたのだろうかと、考えたりしています。

→私もこれはあると思いますね。

なぜか今日は?ブログ、掲示板と書き込みが多く、芦屋の教会のユーチューブ動画を半分見ただけです。美津子(牧師でしょうか?)師がイザヤ53章を取り上げメッセージしている動画です。
あのような賛美とメッセージを取り混ぜた牧会もあるのですね。

ザアカイさん こんにちは。

キリスト信仰の3本柱。十字架と復活と再臨。
本当にその通りだと思います。

しかし、残念なことに、わたしの通っている神奈川県のS教会では、
この3本柱があまり語られなくなりました。
それは、礼拝堂を新しく建て直したことがきっかけでした。
牧師の説教は、新会堂を建てることに、関連付けたものばかりになり、
献金・礼拝出席厳守・奉仕・良い行い・神様第一・・・・

会堂建設に反対している人や、牧師の考えに疑問を持つ信徒に
対して、説教のなかで個人攻撃的なメッセージを繰り返す。

なにか悪いことがあったら、例えば病気・事故・失業・災害など
それは罪のせいですというメッセージで信徒に恐怖心をうえつける。

クリスチャンとしてどれだけ奉仕したかによって、天国での
報いがきまるとするメッセージ。

マラキ3:8-10を読んで、これが聖書の教えだと言って
献金を奨励する教会。皆さんボーナスはでましたかと聞く牧師。
(私の会社では、ボーナスなんて無縁なのに・・・・)
教会はお金をもってくる所ですと説教する牧師・・・・

それでも、ようやく新しい会堂ができて、
キリスト信仰の3本柱が語られるようになればと願っていると、
牧師は、新会堂建設の証と称して、自慢話ばかりです。

牧師は、自分への御褒美なのか、長い休暇をとって、北米へ
海外旅行・・・

私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが
決してあってはなりません。(ガラテヤ6:14)の聖書のことば
とは大違いです。

このようなコメントを書くと、ノンクリスチャンの方がつまずく
かもしれませんが、これが日本の教会の現状なのです。

「ある事情があり教会からはなれている」と書かれていましたが、
それは、決して悪いことではないと思います。
キリストから離れるというのでは、ありませんから。

何か私の愚痴のようなコメントで申し訳ありませんでした。

エレミヤさん、コメントありがとうございます。
そうですか・・・
すべてとは言いませんけど、変質してしまう教会も今の時代多いことでしょうね。

本当にあらゆる面において大変な時代になりましたね。
レポートありがとうございます。

ザアカイさん 初めてこちらにコメントします。ほんとお体大丈夫ですか 毎日祈ってますよ 余計なことですが子羊村の最後のあたりえらくハイテンションだったのでその反動ですか?どうかゆっくりお休みください。

純さん、いつもお気遣いありがとうございます。
あとでメールいたしますね。

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