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2015年8月11日 (火)

自分って本当に救われているのかよ??

なんだか最近、また絶不調で「ああ~、なんてこった~!まったくの役立たずの見本じゃねえかよ!」と思う今日この頃・・・

そんな時だったかな・・・昇天されてから約1年と3ヶ月、ファイナルに近いメッセージを読み返し、必要以上に自分を責めてはいけない、人間なんだからしょうがないのだな・・・と思わされました。

このHPだけは本人不在でも、閉鎖しないで遺して置いていただきたい!
全文は ↓

http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/2014msg/140119.html

「あなたは救われていますか?」

大事なところだけ抜粋引用させていただきます。ダメだとは本人も言わないことでしょう。

>自分は本当に救われて居るのだろうか。そんな疑問を持っているクリスチャンが以外に多いことに気がつきます。

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
ローマ10:9~10

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。10:13
 それでも本当に自分の信じ方で良いのだろうか、これで十分なのだろうかと心配するナイーブな人も居ます。そういう場合は否定してみればいいのです。
「イエスは神の子ではない」
「イエスの十字架は自分と関係ない」
「イエスは復活しなかった、今でも死体はどこかにある」
 もし、これがスムースに言えるか、抵抗無く信じられるか、“判らない”なら、あなたは救われていません。

ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
Ⅰコリント12:3

「イエスは主です」と言う告白は、聖霊様の助けによってだけ出来るのです。一般の人でも、さすがに「イエスは呪われよ」とはいえないと思いますが、欧米のサタン礼拝者たちは喜んで言います。

救いや、聖霊に関することは、感情やフィーリングで結論付けてはならないのです。明確な文書によって、永遠に誤り無く定められていることです。大体、自分が救われているかどうか心配する人は、救われているのですがね。未信者はそんなことには関心を持ちませんから。


特に下線部分。
これで自分が散々と「イエスは我が神、我が主です」と信じてからでさえ、肉的弱さ、持って生まれた本能に勝てずにやってきた神の目から見れば、悪行三昧の数々・・・間違いない、自覚があるのだから。
神の清さとは、我々人間では到底及ばない、どんなに努力したって届かない、それだけシミ一つない、完全無欠な方だということです。

さすがに神からのミッションを忠実にこなして、凱旋帰国した牧師先生だけあるなと私は思う。
これですっきりした。大丈夫!たぶん?^^;
私って、こんなブログ書いていますけど、意外と?ナイーブで感受性が強いのです。

私がネット上でお世話になった別の牧師先生も言ってましたね。大好きでしたがこの先生も数年前に召されました。よくコメント欄に投稿してくださり忘れられない方です。

「天においてイエス様にお会いしたなら、『申し訳ありません。ごめんなさい。お許しください。』って、開口一番無意識にでるんじゃないかな。」と(笑)

私、思いましたよ、「これって自分じゃん!」と^^;

人間、傲慢が最大の敵ですが、あまり自分を追い込み卑下するのも考えものですね。
大丈夫!少なくとも霊は救われて地獄の業火で未来永劫、苦しむことはないでしょう。

それでもこの世においてはいつも --;

「ああ~、なんてこった!何故ここまで苦汁を飲まねばならないのだ」と・・・
早く楽になりたい・・・

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コメント

K牧師、東京で集会持たれていたときに何度が参加したことがあります。
短気、少々口が悪い等、人としての欠点は十分お持ちの方でしたけど、
それは聖書に登場する神に用いられた人々も同じことですよね。

陰謀論のイメージが前面に出た方だったかもしれませんが、
牧師としての説教は基本、御言葉に基づいた内容でさらに、とてもおもしろいものでした。
陰謀論系のお話はネットで英文訳して情報収集してるとのことだったと思います。

クール○ンのお墓撮影秘話とかおもしろかったなあ。

持参したお菓子を渡すと、そんなに上等なものでなくても
「ありがとう!」と毎回すごくうれしそうに受け取ってくださってました。

最後にお会いした時、ドラゴンO田さんが亡くなった頃で救いに導けなかったのが残念って話されてたかなあ。

それでも、人を救いに導くのに温かみのあるメッセージ発信されていた伝道者だったでしょうね。

さくらパンダさん、こんばんは。
いつもどうも。

>東京で集会持たれていたときに何度が参加したことがあります。

そうでしたか、私は千葉で一度、礼拝に参加したことがあります。その人物評・・・確かに^^;

今になって思うのですが、師の真骨頂はやはり、鳩の部分の福音メッセージがあってこそだと思いますね。

だから陰謀論の講解も生きて来るのでしょうね。

救われていないと思います。そもそも、救いって何を意味するかご存知ですか? ・・・『聖書』の「救い」とは、『旧約聖書』では、災害・不幸・敵からの救助、病気の癒し、「出エジプト」の出来事、神の恵み、神の御計画、「神の民」になる契約、罪の悔い改めによる神との再会と繫がり、神の預言者の示す道を歩むこと。また、『新約聖書』では、主イエス・キリストによる万人の罪を贖う犠牲死、信仰による罪の赦し、御再臨、天国の栄光の与り、永遠の生命、最後の審判へと至る全過程を通じての人格の完成、神との完全なる一体化、無原罪のアダムのような神の像の回復を意味します。つまり、人の罪こそが「救い」の障害なのです。それでは、人の罪とは何なのだろう? 世俗社会では、民法上の不法行為と刑法上の犯罪行為という違法行為が罪とされますが、『聖書』 が問題にしているのは、神と自己自身に対する罪なのです。「創世記」の「エデンの園」におけるアダムとイブの原罪に始まって、現代社会に生きる人の罪が問題なのです。しかし、この罪について正しく理解している現代社会の教会や教会関係者や書物に出会ったことがありますか? 「人の罪とは何か?」を追求すると、結局、人の心の問題になります。しかし、『聖書』は、心理学の専門書ではないため、人の心の問題を詳しく分析しておらず、その解決方法のみを示しています。即ち、人の罪とは、悪魔・悪霊・悪人や死と同義語であり、人の心にある人生上の諸問題に対する恐怖と偶像礼拝などの無知迷信に他ならない。貧困になる事・死ぬ事・非難される事・老いる事などへの感情的な恐怖や怯え、また、自己自身の心身と社会と自然に対する無知迷信を無くさない限り、神と繋がれず、救われることはありません。そして、恐怖と無知迷信に支配された思考と行動をする人は、自己の心身を必ず不幸にします。即ち、不健全な状態にする。逆に、心身が健全ではなく不幸な状態にあるということは、その原因となる罪-自己自身と周囲に不幸を招く恐怖と無知迷信などの「否定的感情」-に支配されているということです。なお、恐怖を打ち消せるのは、神から来る確信のみであり、無知=迷信を打ち消せるのは、神から来る正しい思考(=知性=理性)によって得た自由=真理のみです。だから、罪の奴隷から解放されて自由になる「救い」とは、人の心にある恐怖と無知迷信を、神から来る確信と正しい思考によって克服し、幸福になり、神と一体化することです。聖霊を受け続けることです。このように、自己と隣人と社会を「救い」うるか否か、これこそが最も切実な問題だと思います。

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