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2015年4月24日 (金)

罪びとのつぶやき~自分です

102213psalm116112

わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。

わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。


ローマ書 7:15、24~25

* 人間とは何と弱い生き物なのであろうか・・・

ただただ一方的な憐れみと恵みとにより、主の御前に跪き罪の許しを請い、己の罪状書きから罪の記録を黒く塗り潰していただこう・・・

追記:

アタマではわかっている、しかしながら別の生き物であるかのように、心がついていかないことでもあるのですよね。

ヘブル書にもありますように、「キリストの十字架は完全無欠であり、過去完了系である。付け加えるものは何もない」

要するに「イエス様の初臨時の仕事は既に終わっている。」、やってしまっていて疑問の余地はない。

のですが・・・人間側(自分)から見ると「日々、イエス様に十字架に架かってもらっている気がする、旧約の時代だったら羊が何頭あっても足りない」

もちろん、上記が真理でありますが。
弱いものです。
「信仰の薄い者よ、何故疑うのか」・・・全然成長しない、時間をかけてじっくりと変えていただくのみです。

多分大丈夫でしょう・・・たぶん?

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主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

 ローマ書の御言葉が目に留まり、久方ぶりにコメントすることをどうかご容赦ください。
記事にかかれたことは、全く同意いたします。
自分自身も、心に突き刺さるみ言葉であります。
 ただ、「文字は人を殺し、御霊は人を生かす。」(箴言)に望みを置いて、神様といつも相対する
信仰者に、一歩でも近づければ・・・と願っています。

 そこで、先ほど、アマゾンの評価に載せました投稿が、このローマ書に関ります上に、週末の
惑わしにも関係すると思われますので、長くて申し訳ないのですが、失礼させていただいて、
投稿させていただきました。ご迷惑かもしれませんが、読み捨ててくださいますよう、お願い
いたします。
(エンパワード21も酷かった~キリスト教じゃなくても全員救われる~ですが、リックさん
にも危険な香りを感じます。)


★:「回復への道」

【 ニューエイジの積極的思考法 】と、【 認知行動療法 】の本。


☆1:【聖書の無茶な解釈・・・】

 『 こころを一新<<して>>』ローマ12:2、「 考えを変える必要がある。」必要がある。

先ず、
(イ)ローマ書を理解してない、         ローマ7~8章など・・・
(ロ)一節を無視した私的解釈         12:2のみを切り取りした私的解釈・・・・
(ハ)ギリシャ語を無視した都合よい解釈   しかも、当時の時代背景も無視した誤解釈
(ニ)聖書全体と矛盾してる           エレミヤ17:9
などが直ぐに気付きます。

*積極的思考法に則り、考えを変えよ・・・とは、聖書は教えない。

ローマ7~8書を読めば分かるとおり、
 『 私は本当に惨めな人間です。』、『 肉の思いは神に対して反抗する・・』、
生まれながらの人間は、生涯を通じて、自分でこころを入れ替えることなど困難です。
(ただし、認知行動療法にて無意識な領域を認知すると、かなり制御可能に代わります。)
人は生まれながらに現在を持って生まれ、一生涯、持ち続けます。
積極的思考法により、自分で「考えを【変える】」ものではなく、聖霊の満たし=圧倒的な力
で支配されることで、聖められ、変えられるも、死ぬまで肉との戦いがあり、『 栄光から栄光へ』
(2コリ3:18)とかえられ続ける信仰の戦いが求められている。
 ◆『これはまさに、御霊なる主の働きのよるのです。』

 使徒4:31『 一同は聖霊に満たされ、』、
使徒5:41『 御名のためにはずかしめらえれ・・・・【喜ぶながら】、議会から出て行った。』

 リックさんのは聖霊なる主により頼む信仰ではなく、人間の積極的思考法に過ぎません・・・。

 ローマ12:2は、12:1を正しく理解しないと、リックさんのような私的解釈を生み出します。

 『 これこそ、・・・【霊的な礼拝】です。』の礼拝のギリシャ語は、≪ラトラィア≫です。
この動詞形は、元来の意味は報酬や賃金と引き換えに喜んで仕事・労働をすることです。
そこで、当時の時代背景を説明する必要があります。
これは、日本でも同じです。
今はサラリーマンになっていますが、ちょっと前では、大工さんも左官屋さんも職人でした。
例えば、「うちの門を立派に改修してほしい、500万円でどうか?」、「それなら喜んで、精一杯
腕を振るってやらしてもらいます。」という、個人の請負業でした。
 では、キリスト教に適応すると、どの様な意味になるでしょうか。それは、こうなります。
主イエスの十字架の購い~鞭打たれ、晒し者にされ、釘ざしにされ~を深く体験すればするほ
ど、喜んで「自分を捨て、十字架を負って従いたい・・・」と言う聖い思いが内なる人を満たしま
す。
 ここで、【 報 酬 】 は、【 十字架の購い(罪の代価) 】です。

 詩篇34:8~14の中に要約されることと同じであり、正に、キリスト教の王道と
表現でき得るものです。
 ヘブル文学の代表的手法~命令形の段階的な並列~に表される様に、
  1:味わえ(タアーム):8節
  2:恐れよ(ヤレィ):9節
  3:来なさい(ハラーフ):11節
  4:命(生きた信仰)を守れ(ナツァアー):13節こそ、集約となります。

 1:先ず、神と出会い、その愛と慈しみを体験する
 2:故に、自身の穢れ・弱さ・愚かさを悟り砕かれる
 3:偉大で真実なる主に信頼(委ねて)して従う
    ~~生きるも死ぬも人生を主と共に歩む~~の意
 4:「命」(祝された恵み豊かな人生)に留まる

何故なら、「文字は人を殺し、御霊は人を生かす(2コリ3:6)」からであり、愛さ
れてこそ、「その命令は重荷とはならない(1ヨハ5:3)」からです。
 味わえ(タアーム)の名詞は箴言11:22の「 美しいが、たしなみ(タアームの
名詞)のない女は、金の輪が豚の花にあるようだ。」 にも登場し、 ≪キリスト者らし
いたしなみ≫=≪品性・聖さ・謙遜さ≫を表現し、ローマ12:1~の≪霊的な礼拝≫
へと繋がります。
 そこで、信仰の全ての始まりは、先ず、神様との深い出会
いをすることであり、即ち、

 「 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。」 が、基本です。

つまり、主の素晴らしさ=【 十字架(購い) 】と【 復 活(聖霊) 】を深く体験し、
こころを変えられる・・・とこです。

 説教的な思考法にて、自分で「こころを変える」のではありません。

 エレミヤ17:9にも、

 『 人の心は何よりも陰険で、癒しがたい。(根っこから腐ってる)』

と宣言してます。十字架の御前にひざまづいて、詩篇51:12の祈りと同様、

『神よ。私にきよい心をつくってください。』 と祈り、

『 ゆるがない霊をわたしのうちに新しくしてください。』 と、復活(聖霊)の恵みを

求めるべきです。正に、弟子達が≪十字架を目撃し≫、≪聖霊に満たされた≫ようにです。
 
 リックさんの教えには、【十字架】と【復活】が見えませんねぇ、何教を信じたいのでしょうか。

★サタンはエバを誘惑するときに、≪み言葉に混ぜ物をした≫。完全否定した訳ではない。

*************

☆2【ワンサイドな荒野でのサタンの誘惑~必ず誰かに告白、グループ内で癒し・・・】

は、ウソです。
サタンよさがれ、だが、聖書には、ハンナは、ペテロは、ヤコブは、エリヤは、【神と一対一】で
癒された、【人に告白しないで癒された】・・・・≪とも≫書かれてある。

確かに、聖書にはヤコブ書のように、互いに罪を告白し合い、祈りあいなさい・・・書かれて
いますが、それは、ワンサイドです。更に、
≪だが聖書には≫、

「 くびきを負わされたら、・・・ひとり黙って座るが良い・・・」 哀歌3:28

とも、書かれてある。
ヨブは神様と一対一で相対して癒されました。エリヤも、ヤコブも、ペテロも、ハンナも・・・。
ダビデもたった一人で荒野で神様と相対しました。

 ガラテヤ6:2には、『 互いに重荷を負い合い、』とあるので、クリスチャン同士が告白し合
い、祈り合うことを否定はしていません。それだけが全てだと書いてることが、サタニックです。

★ :ワンサイドな教えは、荒野でのサタンの誘惑であり、聖書の真理ではない。

**********************

☆3【真理を拒絶するデタラメ聖書解釈・・・しかも、一部を切り取り・・・】

 P176~「 自分自身に誇りを持つことができる。」 ガラ6:4

★ ウソです!! 6:4には、続きがあります。6:5の意味も無視しています。

「 誇れると思ったことも、自分だけの誇りで、
  ほかの人に対して【誇れることではない】でしょう。
  人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。」

この箇所は、セルフイメージを良くせよ・・という意味ではありません。意味が真逆です。
尊い主イエスの命が代価として支払われたのだから、私たちは、神の目には高価で尊いので
す・・・というなら正解です。

◆ :この箇所は、自分を誇れ・・・とは教えていません。逆に誇れない・・・と教えています。
ニューエイジの説教的思考法でのみで、聖書の全てを解釈しています。

★ ☆:彼の本には、【 十字架(購い) 】と、【 復活(聖霊・再臨) 】が、全然見えない。

P180~

 「私はあなたのみ言葉を何度も思いめぐらし、こころに蓄えました。そうすることで、罪から
  離れて生きることが出来るのです。」 詩篇119:11 TLB訳

 これも、サタニックな一部の切り取りと、積極的思考法です。反・聖書的です。

【何を考えるかが重要です。】~P181~ニューエイジの積極的な思考法です!!!

119の27では、
『 私が、あなたの奇しいわざに、思いを潜めるようにしてください。』 と書いてます。

新約の時代では、≪奇しい業≫=≪十字架の購い≫と≪復活の勝利≫です。

『 信仰の創始者であり、完成者である主イエスから目を離さないでいなさい。』
と、
ヘブル12:2に書かれています。ローマ12:2はギリシャ語は中態なので、「受身」と「能動」の
両面の意味があります。「・・・自分を変えなさい」と「・・・自分を変えていただきなさい。」
 自分の努力すべき面は、<神に近づく>、<助けを求める>、<み言葉に思いを寄せる>
事であって、≪自分の力で思いめぐらせて、自分の思考力で行動を制御する≫ことではあり
ません。

 119編には、

「~守るように【してください】」、「~目を【開いてください】」、「~堅く【支えてください】」、
「~思いを潜める【ようにしてください】」、

などなど、積極的に自分で思考するのではなく、寧ろ、そのように出来るように、神様に助け
を求めています。
 119編の全てを読まずに、サタニックな一部の切り取りと、積極的思考法です。
反・聖書的です。
 
【何を(自分で)考えるかが重要です。】~は、ニューエイジの積極的思考法です!!!

***************

☆ 4【<認知行動療法>に、いい加減にみ言葉を付け足した・・・】

「ゆがみ」は認知行動療法の専門用語です。

 「ゆがみ」を直すとか、「個々に紙に書き出す」など全てが、認知行動療法の手法です。
無意識に犯すこと・繰り返すことは修正が困難ですが、認識すると、自覚できると、自然に回
復できることが多いからです。しかも、自助グループでやります。

 それをしては反聖書的だとは言いません。
 しかし、それだけが聖書の真理ではありません。ワンサイド過ぎで、サタンの誘惑です。
では、聖書には何とかかれてあるでしょうか・・・。

 例えば、壷を割った罪深い女は、罪を告白もしていないし、一つづつ書き出して祈ってもらっ
てもいません。
 ハンナの場合も、たった一人で祈ったときに、心まで癒されたので、「以前の顔」とは全く別人
になっていました。
 ザアカイも、罪を全てを書き出したのでもなければ、執り成して貰ってもいません。主イエスの
圧倒的な愛に触れて、瞬く間に癒されて変えられました。
 ヤコブはケリテ側のほとりで神と格闘=主イエスとの深い出会い・交わりをし、心が癒され、
まるで別人となり、しんがりを進んでいたのに、先頭に立って進みました。父が溺愛したエソウ
への妬みや憎しみ、父親へ怒りなどが、完全に癒されたからです。

 『さあ、来たれ、論じ合おう・・・。』 イザヤ1:18

神様に論じて貰い、指摘して貰い、悟りを与えて貰い、自分自身を知ることは間違いではあ
りません。ごもっともですが、

 しかし、神様の方法は、ワンパターンではありません。

ゆがみの修正方法を、認知行動療法に限定していることは、危険極まりありません。

*********** 

☆ 5【何でも<共依存>ですか???】

 証の内容が全く同じで、異端やカルト宗教とそっくりです。極端にワンパターン化されてます。

 白人は、(A)アルコールに酔い難い、(B)麻薬はタバコ程度、

(A)白人は全員が、アルコールの代謝により生成されるアセトアルデヒドの分解酵素が、日
本人の弱いAAタイプの【16倍】も働くので、酔いにくく、大量に飲めるために、アル中になり
やすいです。
 その結果、脳の機能不全が起こり、DVを犯したりましす。米国では麻薬はタバコ程度です。
アル中だからといって、【共依存=アダルトチルドレ】ではありません。結果が同じに見えていて
も、原因は全く異なる・・・んです。

 XXの一つ覚えのように、全てが共依存と決め付けるのは、甚だ危険です。

************ 

 まだ、他にも、あまりの間違いだらけで、愕然とします。

 彼の本には、【 十字架(購い) 】と【 復活(聖霊) 】が全く見えてきません。危険です!!!


(長文で、失礼いたしました・・・)

荒野の希望さん、お久しぶりです。
長文、お疲れ様です。深い内容でした。

 先日は、長文を載せまして、すみませんでした。
そして、ご迷惑でも、どうしても、修正したものがございますので、もう一度だけ、掲載させてくださいますよう、お願いいたします。
 エンパワード21では、イエスキリストを信じなくとも、イスラムでも仏教でも、何を信じても救われるという、背教の教えが中心でありました。

 リック・ウォレンの「回復への道」を所有してましたが、最近、初めて開いてみまして、解釈が余りにもサタニックなので、愕然としました。彼が、キリラムを始めても、決して不思議ではないと思えます。

 間違いや言葉が足らないところを修正しましたので、再掲載で大変ご迷惑かと思いますが、よろしくお願いいたします。

【 ニューエイジの積極的思考法 】と、【 認知行動療法 】の本だから。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 サタンは、荒野で主イエスを誘惑するときに、み言葉=聖書を利用しました。
 その手口は、一方の偏った教えだけを押し付けるものでした・・・。
 逸れに対して、主イエスは、「黙れサタン。だが、聖書には・・・・【とも】書かれてる・
 と、退けられました。

 *合理主義で、都合よく、一方の側の教えのみに特化するのは、サタンの手口。

 また、み言葉の解釈が、異常にデタラメです。聖書と【真逆】に解釈してます。

 *全米では、異端のラッシュですから、極めて危険です。良く吟味してください。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

☆1:【聖書の無茶な解釈・・・】

 『 こころを一新<<して>>』ローマ12:2、「 考えを【変える】」必要がある。

先ず、
(イ)ローマ書を理解してない、       ローマ7~8章など・・・
(ロ)一節を無視した私的解釈       12:2のみを切り取りした私的解釈・・・・
(ハ)ギリシャ語を無視した都合よい解釈 しかも、当時の時代背景も無視した誤解釈
(ニ)聖書全体と矛盾してる         エレミヤ17:9
などが直ぐに気付きます。

*積極的思考法に則り、考えを変えよ・・・とは、聖書は教えない。

ローマ7~8書を読めば分かるとおり、
 『 私は本当に惨めな人間です。』、『 肉の思いは神に対して反抗する・・』、
生まれながらの人間は、生涯を通じて、自分でこころを入れ替えることなど困難です。
(ただし、認知行動療法にて無意識な領域を認知すると、かなり制御可能に代わります。)
人は生まれながらに現在を持って生まれ、一生涯、持ち続けます。
積極的思考法により、自分で「考えを【変える】」ものではなく、聖霊の満たし=圧倒的な力
で支配されることで、聖められ、変えられるも、死ぬまで肉との戦いがあり、『 栄光から栄光へ』
(2コリ3:18)とかえられ続ける信仰の戦いが求められている。

 ◆『これはまさに、御霊なる主の働きのよるのです。』

 使徒4:31『 一同は聖霊に満たされ、』、
使徒5:41『 御名のためにはずかしめらえれ・・・・【喜びながら】、議会から出て行った。』

 リックさんのは聖霊なる主により頼む信仰ではなく、人間の積極的思考法に過ぎません。

~~~~
そこで、
 ローマ12:2は、12:1を正しく理解しないと、リックさんのような私的解釈を生み出します。

 『 これこそ、・・・【霊的な礼拝】です。』の礼拝のギリシャ語は、≪ラトラィア≫です。
この動詞形は、元来の意味は報酬や賃金と引き換えに喜んで仕事・労働をすることです。
 そこで、当時の時代背景を説明する必要があります。
 これは、日本でも同じです。
今はサラリーマンになっていますが、ちょっと前では、大工さんも左官屋さんも職人でした。
例えば、「うちの門を立派に改修してほしい、500万円でどうか?」、
「それなら喜んで、精一杯腕を振るってやらしてもらいます。」という、個人の請負業でした。
 では、キリスト教に適応すると、どの様な意味になるでしょうか。それは、こうなります。
主イエスの十字架の購い~鞭打たれ、晒し者にされ、釘ざしにされ~を深く体験すればする
ほど、喜んで「自分を捨て、十字架を負って従いたい・・・」と言う聖い思いが内なる人を満た
します。
      ここで、【 報 酬 】 は、【 十字架の購い(罪の代価) 】です。

 詩篇34:8~14の中に要約されることと同じであり、正に、キリスト教の王道と
表現でき得るものです。
 ヘブル文学の代表的手法~命令形の段階的な並列~に表される様に、
  1:味わえ(タアーム):8節
  2:恐れよ(ヤレィ):9節
  3:来なさい(ハラーフ):11節
  4:命(生きた信仰)を守れ(ナツァアー):13節こそ、集約となります。

 1:先ず、神と出会い、その愛と慈しみを体験する
 2:故に、自身の穢れ・弱さ・愚かさを悟り砕かれる
 3:偉大で真実なる主に信頼(委ねて)して従う
    ~~生きるも死ぬも人生を主と共に歩む~~の意
 4:「命」(祝された恵み豊かな人生)に留まる

 何故なら、「文字は人を殺し、御霊は人を生かす(2コリ3:6)」からであり、愛さ
れてこそ、「その命令は重荷とはならない(1ヨハ5:3)」からです。
 味わえ(タアーム)の名詞は箴言11:22の「 美しいが、たしなみ(タアームの
名詞)のない女は、金の輪が豚の花にあるようだ。」 にも登場し、 ≪キリスト者らし
いたしなみ≫=≪品性・聖さ・謙遜さ≫を表現し、ローマ12:1~の≪霊的な礼拝≫
へと繋がります。
 そこで、信仰の全ての始まりは、先ず、神様との深い出会
いをすることであり、即ち、

 「 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。」 が、基本です。

 つまり、主の素晴らしさ=【 十字架(購い) 】と【 復 活(聖霊) 】を深く体験し、
こころを変えられる・・・とこです。

★ 弟子達も、十字架をまざまざと目の当たりにし(深い体験)、ペンテコステ以降、
  何度も聖霊に満たされることで、【多大な報酬=十字架】の故に、喜んで従う
心に変えられ、更に、聖霊に満たされて、ゆるがない霊(詩篇51:12)を新たにさ
れたので、殉教するまでに≪変えられました≫。

 積極的な思考法にて、自分で「こころを変える」のではありません。

 ◆ エレミヤ17:9にも、

  『 人の心は何よりも陰険で、癒しがたい。(根っこから腐ってる)』

と宣言してます。十字架の御前にひざまづいて、詩篇51:12の祈りと同様、

『神よ。私にきよい心をつくってください。』 と祈り、
『 ゆるがない霊をわたしのうちに新しくしてください。』 と、復活(聖霊)の恵みを
求めるべきです。正に、弟子達が≪十字架を目撃し≫、≪聖霊に満たされた≫
ようにです。
 
 リックさんの教えには、【十字架】と【復活】が見えませんねぇ、何教を信じたいの
でしょうか。

★サタンはエバを誘惑するときに、≪み言葉に混ぜ物をした≫。否定した訳でない。

*************

☆:2【ワンサイドな荒野でのサタンの誘惑~必ず誰かに告白、グループ内で癒し】

は、ウソです。
 サタンよさがれ、だが、聖書には、ハンナは、ペテロは、ヤコブは、エリヤは、
【神と一対一】で癒された、【人に告白しないで癒された】・・・・≪とも≫書かれてある。

 確かに、聖書にはヤコブ書のように、互いに罪を告白し合い、祈りあいなさい・・・書
かれていますが、それは、ワンサイドです。

 更に、≪だが聖書には≫、

  「 くびきを負わされたら、・・・ひとり黙って座るが良い・・・」 哀歌3:28

 ≪とも≫、書かれてある。
 ヨブは神様と一対一で相対して癒されました。エリヤも、ヤコブも、ペテロも、
ハンナも・・・。ダビデもたった一人で荒野で神様と相対しました。

 ガラテヤ6:2には、『 互いに重荷を負い合い、』とあるので、クリスチャン同士が告
白し合い、祈り合うことを否定はしていません。それだけが全てだと書いてることが、
サタニックです。

  神様は、その時に、最善の方法を取られます。全てがワンパターンではありません。

 ★ :ワンサイドな教えは、荒野でのサタンの誘惑であり、聖書の真理ではない。

 *この手法は、認知行動療法のグループカウンセリングです。

  **注意しないと、告白し合うことが、相手に対する「新たな依存」を生み出しま
     す。そして、奉仕までもが新たな依存対象にさえなってしまいます。

**********************

☆:3【真理を拒絶するデタラメ聖書解釈・・・しかも、一部を切り取り・・・】

 P176~「 自分自身に誇りを持つことができる。」 ガラ6:4

★ ウソです!! 6:4には、続きがあります。6:5の意味も無視しています。

「 誇れると思ったことも、自分だけの誇りで、
  ほかの人に対して【誇れることではない】でしょう。
  人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。」

この箇所は、セルフイメージを良くせよ・・という意味ではありません。意味が真逆です。
尊い主イエスの命が代価として支払われたのだから、私たちは、神の目には高価で尊いので
す・・・というなら正解です。

◆ :この箇所は、自分を誇れ・・・とは教えていません。逆に誇れない・・・と教えています。
ニューエイジの説教的思考法でのみで、聖書の全てを解釈しています。

★ ☆:彼の本には、【 十字架(購い) 】と、【 復活(聖霊・再臨) 】が、全然見えない。

P180~

 「私はあなたのみ言葉を何度も思いめぐらし、こころに蓄えました。そうすることで、罪から
  離れて生きることが出来るのです。」 詩篇119:11 TLB訳

 これも、サタニックな一部の切り取りと、積極的思考法です。反・聖書的です。

【何を考えるかが重要です。】~P181~ニューエイジの積極的な思考法です!!!

119の27では、
『 私が、あなたの奇しいわざに、思いを潜めるようにしてください。』 と書いてます。

新約の時代では、≪奇しい業≫=≪十字架の購い≫と≪復活の勝利≫です。

『 信仰の創始者であり、完成者である主イエスから目を離さないでいなさい。』
と、
ヘブル12:2に書かれています。ローマ12:2はギリシャ語は中態なので、「受身」と
「能動」の両面の意味があります。「・・・自分を変えなさい」と「・・・自分を変えていた
だきなさい。」
 自分の努力すべき面は、<神に近づく>、<助けを求める>、<み言葉に思いを寄
せる>事であって、≪自分の力で思いめぐらせて、自分の思考力で行動を制御する≫
ことではありません。

 ** 119編には、

「~守るように【してください】」、「~目を【開いてください】」、「~堅く【支えてください】」、
「~思いを潜める【ようにしてください】」、

などなど、積極的に自分で思考するのではなく、寧ろ、そのように出来るように、神様
に助けを求め(=「能動」=努力)ています。
 また、同時に、「誤りを教えてください。」という意味もあります。
勿論、そのように求まなくても、ある程度は、自分で考えても、み言葉の意味や自分
の間違いは分かります。しかし、それはある程度レベル、自己満足レベルであって、
聖霊なる主により頼み、深い啓示を受けなければ、愚かな人間にはその愚かささえ
も理解もできなければ、気付くことすら困難な面が極めて多々あります。

彼のは、119編の全てを読まず、サタニックな一部の切り取り&積極的思考法です。
反・聖書的です。
 
 【何を(自分で)考えるかが重要です。】~は、ニューエイジの積極的思考法です!!

***************

☆: 4【<認知行動療法>に、いい加減にみ言葉を付け足した・・・】

「ゆがみ」は認知行動療法の専門用語です。

 「ゆがみ」を直すとか、「個々に紙に書き出す」など全てが、認知行動療法の手法
です。無意識に犯すこと・繰り返すことは修正が困難ですが、認識すると、自覚でき
ると、自然に回復できることが多いからです。しかも、自助グループでやります。

 それをしては反聖書的だとは言いません。
 しかし、それだけが聖書の真理ではありません。ワンサイド過ぎで、サタンの誘惑
です。  
 では、聖書には何とかかれてあるでしょうか・・・。

 例えば、壷を割った罪深い女は、罪を告白もしていないし、一つづつ書き出して祈
ってもらってもいません。
 ハンナの場合も、たった一人で祈ったときに、心まで癒されたので、「以前の顔」と
は全く別人になっていました。
 ザアカイも、罪を全てを書き出したのでもなければ、執り成して貰ってもいません。
主イエスの圧倒的な愛に触れて、瞬く間に癒されて変えられました。
 ヤコブはケリテ側のほとりで神と格闘=主イエスとの深い出会い・交わりをし、
心が癒され、まるで別人となり、しんがりを進んでいたのに、先頭に立って進みま
した。父が溺愛したエソウへの妬みや憎しみ、父親へ怒りなどが、完全に癒された
からです。

 『さあ、来たれ、論じ合おう・・・。』 イザヤ1:18

 神様に論じて貰い、指摘して貰い、悟りを与えて貰い、自分自身を知ることは間
違いではありません。ごもっともですが、毎回、必ず、一つ一つを書き出したり、
全てを告白したりもしていません。

 1ヨハネ1:8~10

 『 もし、罪を告白するなら・・・ゆるされる・・・』 も、文脈を読めば≪神様≫に告白

 ≪告白≫のギリシャ語は、≪ホモロゲィオ≫です。≪ハムー≫と≪ラガス≫の組み
合わせです。
≪ホモロゲィオ≫は、他者と同調して、又は、同意して、同じ言葉を告白する・一緒に
声を合わせて口に出す・・・と言う意味で、≪ハムー≫は「一緒」に、「同調して声を合
わせる・声に出す」・・・と言う意味です。
 つまり、検察官が犯人に対して「これこれはお前がやったな。」「はい、これこれは、
私がやりました。」と、同意して認め、同じ言葉を繰り返して自白する・・・意味です。
*ですから、神様の示されたとおり、仰るう通り・・・と同調する、示されている罪を口
に出して認める・・・ことです。共にの意味は、同意して同じ言葉を同調して告白する
意味であって、人間同士が向き合って、告白し合え・・・ではありません。

 ≪共に≫は、人間と共に告白・・・の意味ではありませんし、

  詩篇の32でも、

  『 私は背きの罪を≪主に≫告白しよう・・ 』   と祈っています。

  ≪主に対して≫告白、神様が示された罪を認めて、それを神様のみ前に口に出す・
・・
 事です。 【 「主に告白しよう。」 】とダビデは祈りました。
 
神様の方法は、ワンパターンではありません。人に告白することのみ・・とは教えません。
★しかも、同調する(告白する)相手は、≪神様≫であるのに、絶対に人間同士と教えます。
これは、ゆがみの修正方法を、認知行動療法に限定していることは、危険極まりありません。

**この人は、聖書の教えを、勝手に都合よく捻じ曲げてしまっています。

(詩篇の≪告白≫のヘブル語の「ヤダー」は、ギリシャ語の告白と同じ意味のほかに、
罪と手を切る、投げ捨てる、関りを絶つ・・・意味もあります。)

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☆: 5【何でも<共依存>ですか???】

 証の内容が全く同じで、異端やカルト宗教とそっくりです。極端にワンパターン化され
てます。

 白人は、(A)アルコールに酔い難い、(B)麻薬はタバコ程度、

(A)白人は全員が、アルコールの代謝により生成されるアセトアルデヒドの分解酵素が
、日本人の弱いAAタイプの【16倍】も働くので、酔いにくく、大量に飲めるために、アル
中になりやすいです。
 その結果、脳の機能不全が起こり、DVを犯したりましす。米国では麻薬はタバコ程度
です。アル中だからといって、【共依存=アダルトチルドレ】ではありません。結果が同じ
に見えていても、原因は全く異なる・・・んです。

 XXの一つ覚えのように、全てが共依存と決め付けるのは、甚だ危険です。

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 まだ、他にも、あまりの間違いだらけで、愕然とします。

彼の本には、【 十字架(購い) 】と【 復活(聖霊) 】が全く見えてきません。危険です!!!

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旧約聖書から引いたイエスの家系図についてどう思われますか?
http://www.sevenz.com/sevenZ/religion/familyLineOfJesus.html
アブラハム→イエス: マタイで41代、ルカでは57代
と齟齬を来しており、旧約とキリストの結合は無理やりな接続にも思えます。
ユダヤ教は無関係だ(新約聖書は聖書ではない)と主張していますが・・・。
 
他に
『ヨラムにウジヤが生まれ』(マタイ1:8)
ヨラムからウジヤは生まれていません。(歴代誌/上 3章)
ヨラム-アハズヤ-ヨアシュ-アマツヤ-ウジヤ

『ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった』(マタ1:11)

ヨシヤは移住していないし、該当する王はエホヤキム(エコニヤの父)

これらはキリストを演出する「ダビデ→バビロン移住までが14代」(マタ1:17)と言わんがための削除と見られます。
旧約を工作して偽の救世主像を作っては、ユダヤ教徒は納得するでしょうか。
旧約と新約は全く関係がないのではないでしょうか。

すみません、そこまで詳しく調べたことありませんし、聖書には謎、わからない箇所が多いので、聖書学者か、メサニック=ジューのラビにでも質問してください。

いずれ真実が明らかになることだろうとしか私には言えません。悪しからず。

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