私たちを救いうる名はイエスのみ
どうも更新間隔が空いてしまいいけません。この絶不調状態、何とかならないものでしょうか --;
それにもかかわらず、ブログをチェックしてくださっている方の数はほぼ一定、ただただ感謝申し上げるほかありませんm(__)m
前回のエントリーと関連しますが、このブログの読者であれば説明不要な
One World Government
One World Currency
One World Religion
へと向けた影が何となく肉眼でも見え始めたような気がします。
特に世界統一宗教へと向けた布石がもっとも顕著に、水平線上に現れたかのような。
5月27日の法王フランチェスコの一連の中東訪問、それに続く、イスラエル大統領シモン・ペレス、パレスチナ議長であるマフード・アッバスの6月8日のバチカン訪問・・・奇しくも、その日はペンテコステ。
平和への祈りを捧げるのが目的で、政治的な意味合いはないといってますが、鵜呑みには出来そうもない。
ここで思い浮かぶのが
ダニエル書/ 09章 27節
彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。
ヘブル語原文は私は知りませんがここのところ。
「荒す者が憎むべき者の翼に乗って来る」
これって、荒らす者が第一の獣なる反キリストで、憎むべき者が第二の獣である偽預言者と解釈することは出来まいか?
ということは、ここから察するに、第二の獣は偽バプテスマのヨハネ的役割を兼ねるとも取れる。もちろん、別人かもしれませんが。
ということは、第二の獣の登場が先と、ここからは解釈できまいか?
誤解して欲しくないのは、法王フランチェスコが第二の獣だと断定しているわけではありません。ただ、世界統一宗教へ向けてそれらしき動きをしているのは確か。
宗教的争いがなくなれば世界は平和になる、めでたしめでたし・・・とはならないことくらい、この世のメカニズムを見れば容易にわかる。一見、素晴らしいようだけど、そこには罠が張り巡らされている。
ダニエル 3:4~7
時に伝令者は大声に呼ばわって言った、「諸民、諸族、諸国語の者よ、あなたがたにこう命じられる。
角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞く時は、ひれ伏してネブカデネザル王の立てた金の像を拝まなければならない。
だれでもひれ伏して拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」と。
そこで民らはみな、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くや、諸民、諸族、諸国語の者たちはみな、ひれ伏して、ネブカデネザル王の立てた金の像を拝んだ。
こういうことです。
ここはシャデラク、メシャク、アベデネゴの信仰に学ばねばならないでしょう。
ここで我々はもう一度、聖書は何といっているか?確認しておきましょう。
ヨハネによる福音書/ 14章 06節
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
使徒4:11~12
このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。
この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
そうです、救いは主なるイエスを通してのみと聖書は語っております。
エキュメニズムの罠、動きが見えてきた今こそ、よくよく警戒が必要です。
それにしても・・・たかだかブログ記事1本書き上げるのに命が削られるかのよう。
あまり先が長くないのかも --;?
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ザアカイさん、皆さん、こんばんは。
イエスは水と血によって来られた方。
このイエス・キリストは、水と血によって来られた方です。
ただ水によってだけではなく、水と血によって来られたのです。(ヨハネⅠ 5・6)
イエスさまの肉体という垂れ幕の内側にある水と血。
そこにあるのは、神の御子が罪のなだめのために与えられた人であります。
「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、
わたしのために、からだを造ってくださいました。
あなたは全焼のいけにえと
罪のためのいけにえとで
満足されませんでした。
そこでわたしは言いました。
『さあ、わたしは来ました。
聖書のある巻に、
わたしについてしるされているとおり、
神よ、あなたのみこころを行うために。』」(ヘブル10・5-7)
十字架で人の罪の贖いが完成された時、
御子の身体は刑罰の神の対象として差し出されました。
私やあなたの罪の刑罰は、御子の身体が一身に受けてくださって。
十字架からほとばしる神の愛と犠牲。
兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。
すると、ただちに血と水が出てきた。
それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。
(ヨハネ19・34-35)
水と血によって来られた方は、十字架の贖いの完成のとき、
その水と血を十字架から地上に流された。
その業は人の罪のただ一度の贖いの行為。
この方の愛の深さと真理は移ろうことなく時代を超えて今も生きて働いています。
この方を救い主、メシアと信じる人は幸いな人だと思います。
そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて
邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、
全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。
(ヘブル10・22)
投稿: enjeru | 2014年6月 3日 (火) 22時38分
>その業は人の罪のただ一度の贖いの行為。
この方の愛の深さと真理は移ろうことなく時代を超えて今も生きて働いています。
→enjeruさん、いつもありがとうございます。
まさしく真理であると。
このことを手放さず、ゴールまで歩んで行きたいものです。
アーメン
投稿: zaakai | 2014年6月 4日 (水) 10時26分
ザアカイさん、皆さん、こんばんは。
>この人による以外に救はない。
わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
唯一イエス・キリスト以外に救いの道が人間に与えられていないというのは真理ですね。
色々な宗教を見ましたが、心の空洞を埋めてはくれませんでした。
罪の解決も与えてはくれませんでした。
信じたとき、心に光が灯って溢れる喜びがありました。
ぽっかり空いた空洞がイエスの愛で満たされた感じでした。
心が真理を求めておられる方、心に埋められない空洞がある方、
このイエスを求めてほしいです。
神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。
これが私たちがキリストから聞いてあなたがたに伝える知らせです。
(ヨハネⅠ1・5)
主はわが巌、わがとりで、わが救い主、
身を避けるわが岩、わが神。
わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、
私は、敵から救われる。(詩篇18・2-3)
投稿: | 2014年6月 6日 (金) 23時55分
心に空いた空虚な穴・・・わかります。
若いころは今ほど人生が大変だとは思ってませんでしたが、面白かった、楽しかったと感じても、何か満たされないものを私もよく感じたものです。
人生って何なのだろう?と。
主を信じたあの時の感覚・・・何ともいえぬ平安、あれだったんでしょうね。
投稿: zaakai | 2014年6月 7日 (土) 12時31分
あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから
「これが道だ。これに歩め。」
という言葉を聞く。(イザヤ30・21)
彼はいたんだ葦を折るとこもなく、
くすぶる灯心を消すこともない。
彼は衰えず、くじけない。(イザヤ42・3-4)
神のくださる平安は、茨の中にあっても確かに存在すると思います。
命は主のもの。
神の御心だけが成りますように。
投稿: | 2014年6月 7日 (土) 20時45分
いつも的を得た適切なコメントありがとうございます。
ここまでやってこれたのも、eの手厚いサポートがあったからこそ。違ってたりして?(笑)
投稿: zaakai | 2014年6月 7日 (土) 22時01分