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2014年1月 7日 (火)

キリル総主教による降誕祭の挨拶から

http://japanese.ruvr.ru/2014_01_07/126955216/

キリル総主教による降誕祭の挨拶:キリストは人間性の「音叉」

7.01.2014, 13:56

きょう1月7日はロシア正教会の降誕祭(クリスマス)。ロシアだけでなく、セルビア、グルジア、エルサレム、アトス山などで、やはりキリストの誕生が祝われている。今年もモスクワおよび全ルーシのキリル総主教が正教徒たちに向けたスピーチを行った。日本の皆さまにも電波を通じてその言葉をお届けしよう。
   「現代人の意識におけるキリスト像は強く神話化され、歪曲されています。最良の場合でも、キリスト教徒の精神的指導者というに留まります。けれども、私たちは、私たちの現代文化から『神人』たるキリストに関する偽りなき・福音的なイメージを追放することに、決して賛同しはしません。キリスト、それは人間性の『音叉』なのです」

  キリル総主教は語る。精神的な価値を守るためには、こんにち、全ての人にとって、自らの人生(生活)をキリスト教の倫理・道徳と関係させることが不可欠である、と。

またキリル総主教は、降誕祭というものが、近くまたは遠くの知人ないしは未知の人への善意と愛情の祝祭でもあると説いている。

「私たちの傍には、常に、私たちの支えや助けを必要とする人々がいます。私たちの両親、近しい人たち、もしかしたら、隣の家に住む人、隣の部屋に住む人、とりわけ、ホスピスや病院に横たわっている孤独な病人たちに、元気をなくした人たちに、深い悲しみに耐えている人に、浮世の憂き目を見ている人に、こうした人たちには、私たちの支えや助けが必要です。降誕祭の祝いを、彼らとともにしましょう。彼らの心が頑ななとき、皆さんの輝く笑顔が、皆さんの喜びが、彼らの心を溶かしてやりますように。この良き日、キリスト降誕の日に、人々を分かつ障壁が打ち壊されてしまいますように」

   キリル総主教はこのようにスピーチを結んだ。

   ミレーナ・ファウストワ

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんか魂に訴えるものがありました。特に太字の下線部分。
我々の本来のこの世での働きは「地の塩、世の光」であるはずなのですよね。

特に
>彼らの心が頑ななとき、皆さんの輝く笑顔が、皆さんの喜びが、彼らの心を溶かしてやりますように。
信仰者である限りこうありたいものです・・・これが理想であるには間違いない。

自分のことだけで精一杯、「主よ、毎日がつらいです。朝ごとの懲らしめからいい加減、開放してください。
もう充分ではありませんか、少しも信仰者としてのささやかな祝福もいただきたいものです。」

これじゃあ~・・・信仰者としての喜びを証し出来ませんね。これでいいはずがない。伝道以前の問題。

別に私は「繁栄の神学マンセー!」の「聖霊の第三の波系」の銭ゲバ偽善者教師連中に賛同するつもりは毛頭ありません。この件に関しては今までこのブログでも散々、警告してきました。騙されないようにしなさいと。散々、英文資料の翻訳もやってきましたので、ある程度の確信はあるつもりです。

かと言って・・・ガチガチの福音派の「忍耐こそ美徳、現実を有無を言わず受け入れよ。現代に奇跡とか癒しなど期待するほうが間違っている」とする、極端な霊的マゾヒズムも好きではありません・・・このベクトルだけではクリスチャンになりたい人なんていないではないのかな?人間、個人差はあるにせよ、我慢にも限界というものがありますから。喜びがない忍耐だけの信仰で長続きするはずもない・・・この論点に関しては考え出すとキリがなく、ヨブ記の禅問答のごとくなりそうなのでやめておきます。やはりバランスが大事であって、極端はいけない・・・

まだまだ私では半人前の鼻っ垂れ・・・そんな中でこのキリル総主教のメッセージに、真冬であるにもかかわらず、春の訪れを告げる爽やかな涼風を感じました。

>あなたに仲間として、友と呼べる兄弟、姉妹がいつも一緒に歩んでくれますように。私は、笑いが主を栄光で輝かせ、疑いが起こった時でも信じ続けること、悲しい時の笑顔、あなたの命を完全なものにする愛、自分自身をよりよく知る勇気、すばらしき主を、よりよく知る信仰のために祈ります。

ふと、獄中からのフリッツの手紙の一節を思い出しました。なんとなくダブって見えたもので。真に、このレベルに達することが出来れば・・・
早くこのレベルに到達したいものです・・・無理か(涙;)

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主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

ザアカイさん、皆さん、こんにちは。

最近思うのは、
信仰は、ただ主イエスを愛することから始まるのだと思います。
主イエスに対する愛から流れ出る礼拝も賛美も奉仕も
主イエスは心から喜んで受け入れられるのだと・・・。
主イエスは人の愛がねたむほどにほしいのだと思います。
なぜなら、神は愛だから。
決して裏切らない主イエスの永遠の愛に感謝!

enjeruさん、投稿ありがとうございます

>信仰は、ただ主イエスを愛することから始まるのだと思います

→はい、異論ありません。
私の場合、信仰を持ったきっかけこそ、キリストの愛とは違いましたが、結局はいつかはここへ行き着くのが自分でもわかりました。

enjeruさんとも2008年の春ごろでしたから、もうすぐ6年になりますね。よくここまで私などの相手をしてくださり、ブログのコメント欄を盛り上げていただき、心より感謝申し上げます。

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