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2013年11月18日 (月)

聖書にケチをつけるキリスト者

大事な事だと思うので、私も援護射撃じゃありませんが黙ってないで、ちょこっと心が騒いだので書いてみようかと。

ある人物は、聖書は長い歴史の中でサタンに毒されて改竄されていて信用ならない(こんなこと言うと福音派の連中は怒るだろうけど)とか言う。もっともこのような人物は自分のインスピレーションが神からのものなのか悪霊からのものなのかも吟味せず、霊の見分けの作業を怠り、自分のインスピレーション、もっとストレートにいうならば妄想の自己満足か。断言しちゃいけませんよ・・・ましてや聖書より自分の霊感を上においては。そんな風だから、スーパーサイエンス的なもの、奇跡、しるしばかり追い求め、ベニー=ヒン、トッド=ベントレーなどの、あんなわかりやすい偽善者を見抜くことすら出来ないでいるのも事実。トッド=ベントレーは悔い改めたから再び神に用いられ始めただって??嘘を信じちゃいけません。あそこまで腐った実はしょせん腐った実のままです。

また、ギリシャ・ローマ文化そのものが、そのはじめからサタンの文明なのでギリシャ語新約聖書など信ずるに足らず、ヘブライ語の新約聖書のみ信じねばならないとか言う人も。クリスチャンでありながら、パリサイ派、マムシの末よろしく、パウロいわく「異なった福音」を述べる、その実、メサニックなのか、マラノなのかわからない連中の提灯持ちをする。救いを求め、飢え乾く霊を躓かせるいわゆる律法主義者のフレーズ=「ねばならない」を自ら進んで好む傾向がある。

そのような人たちは、その悠久の歴史において、ましてや何億万年前だかわかりませんが、天地が創造され、御使いが創造され、のちに人類が創造される前からおられる絶対者(全能なる父なる神)の権威というものを侮っているのでしょうか?

「我々は新約時代、2000年近くサタンに騙されていたのだ」などと、まさしくバカにつけるクスリはないですね。

確かに1~2%の毒が混じっているのは認めますよ、ただし、それすら神の許しの範囲内、その根幹が揺るがされる事はないと私は信じますね。

私もそれほど聖書に精通しているわけではないので偉そうな事は言えませんが、これだけは言えます。

聖書を人間的メガネのみで読むのではなく、聖霊の助けを借りて読まねばなりません。誤訳、それゆえだと思われますが矛盾があると感じる箇所、ましてやすべてを詳細に語っているわけではないので、わからない箇所があって当たり前。極端な話、雑音、シミ、くらいにスルーすればいいのです。その一貫性、連続性は文句のつけようがないくらいに文字通り神業のごとく、編纂されてますので。のちになってわかる時もあります。また、時が来るまで隠されている場合だってあるはずですから。

そうであれば、その言わんとしている事を理解出来る場合があり、高等批評などに陥るはずがありません。能力の高い頭脳明晰な人ほど批判したがる傾向もこれまた真なりです。

兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。

それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。

第一コリント 1:26~29

聖書はすべてを語ってはいない。隠されている真理があるはずだ。しかしながら「人間の救いのため」には聖書一冊で必要十分である。これが一番重要な聖書のメッセージではありませんか?

我々人間には絶対的権威を持つ絶対基準が必要なのです。それが人間の良心であるという方もおられるでしょう。しかしながら、この人間の良心というものが当てにならないのは周知の事実なのは言うまでもないでしょう。どうしたって自分に甘くなりますし、周りの影響から目が曇る事もありますゆえ。

私たちは旧約の預言者であったモーセやエリヤのように直接、神から日本語でわかるように声を聞くことは出来ません。だったら聖書を人生の羅針盤にしたいと思うわけなのです。たとえ完全に読み込んで消化できないとしてもです。それ以上のものがないのだから仕方がありません。

あるというなら、誰かそれを教えて欲しいものです。

しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。

マタイ 18:6

私たちも他人事ではなく、十分に気をつけたいものです。

さて、ここで補足として、実例を私がいつも眼を通している主にあるツワモノお二人のブログから一部引用させていただきます。全文読みたい方は、直接URLからジャンプしてください。

教えてはならない教え

http://eastwindow18.hatenadiary.com/entry/2013/11/13/080656

相変わらず「パリサイ派から信仰にはいってきた人たち」の末裔が、ヘブライ語の新約聖書とやらを片手に「異邦人にもモーセの律法を守らせるべきである」と主張し、キリストによる救いを求めている人々の魂を混乱させ、自分たちの奴隷にしている。この偽りの主張を聖書によって検証することもなく、表層的な聖書理解で塗り固め、宣伝している者が日本人のなかにもいるから気をつけなければならない。

 彼らは「キリストが律法を成就した」という意味を理解していないから、安息日や食べ物に関する戒めを守るべきだと主張し、さらには「今現在、神を信じる者が生贄を捧げないのは、ただ単にエルサレムの神殿が存在していないからだけだ」と言って、キリストの尊き十字架の犠牲をないがしろにする教えを広めている。使徒パウロが言うように彼らの口を封ずることはできないなら、せめて耳を貸さないようにしなければならない。あなたの魂の救いのためである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

アーメンです。使徒行伝、ローマ書、ガラテヤ書からはそう取れますからね。またマタイ伝のヘブライ語新約聖書を日本語に訳したものをいくつか読みましたが、大勢には影響ないと感じましたがね?大同小異は、聖霊の助けを借り、心眼で読めばいいだけです。

以前のエントリーにも書きましたが、国によって文化も習慣もましてや言語、発音・・・違って当たり前です。イエス=キリストは日本語なのですよ。イエシュアは主も使っていたれっきとしたアラム語です。ギリシャ語だとイエースース=フリストス、ジーザス=クライストの何が悪い?

ヤシュア=ハ=マシヤのヘブライ語発音以外はサタンに繋がるだなどと --;・・・洗脳されてるから何を言ってもムダであり、そのような極端に走りすぎている、メサニックかぶれのサイトには近づかず、無視するしかありませんね。

一部引用させていただいたブログのライターは、聖書学者クラスの知識の持ち主ですので、聖書の勉強をするにはもってこいです。実際そうだったりして??

次いきます。

さすがは私が一目置いてきた方のHPから。陰謀臭には相変わらず敏感で、かつ判断力が鋭いです。

2013-11-17 英語聖書はどれ?
KJV聖書か? GENEVA聖書か?

http://www.truthseekerja.org/notes/note2013_11.html

フランシスベーコンKJV関与説について:
KJVの挿絵に関わっているのは確かなようです。

聖書本文ではどの程度か? というのが問題点ですが、もう既に結論づけされています。
(KJVの聖書の本文は安全)

ここ:
http://www.cuttingedge.org/defendingKJV.html

まず、ここを確認: 
『キング・ジェームズ訳では、創世記1章1節から数えて46番目の言葉はLight(光)である。
ジュネーブ聖書では、46番目はGod(神)である。』
というクレームを調べました。

コメント:これには読む者に心理的インパクトがある。(ショック)

比較参照しました:(一行が節。数えやすいように行頭の書章節は日本語訳を除外、e-sword 聖書ソフト使用)


(GENEVA) *赤い文字 God が46番目 
In the beginning God created the heauen and the earth.
And the earth was without forme and voide, and darkenesse was vpon the deepe, and the Spirit of God moued vpon ye waters.
Then God saide, Let there be light: And there was light.
And
God sawe the light that it was good, and God separated the light from the darkenes.
And God called the light, Day, and the darkenes, he called Night. So the euening and the morning were the first day.

(KJV1611) *赤い文字 light が46番目
In the beginning God created the Heauen, and the Earth.
And the earth was without forme, and voyd, and darkenesse was vpon the face of the deepe: and the Spirit of God mooued vpon the face of the waters.
And God said, Let there be
light: and there was light.
And God saw the light, that it was good: and God diuided the light from the darkenesse.
And God called the light, Day, and the darknesse he called Night: and the euening and the morning were the first day.

(KJV) *スペルが現代英語
In the beginning God created the heaven and the earth.
And the earth was without form, and void; and darkness was upon the face of the deep. And the Spirit of God moved upon the face of the waters.
And God said, Let there be
light: and there was light.
And God saw the light, that it was good: and God divided the light from the darkness.
And God called the light Day, and the darkness he called Night. And the evening and the morning were the first day.

(KOUGO) *これは参考のため
Gen 1:1  はじめに神は天と地とを創造された。
Gen 1:2  地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
Gen 1:3  神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
Gen 1:4  神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
Gen 1:5  神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

結果: 確かにGENEVAではGod、そしてKJVではlight ではある。
だが、上を節ごとに読めばわかるが、節の行で文字数が違うから結果として46番目がGodや Light になっただけ。

この、「46番目」の比較の意味は無い。 重要性はまったく無い!
  

結論: これは最初のクレームがそもそも意味をなさない。
この手法で、人々を混乱させ、信仰を失わせるのが目的だと思います。

結局サタンとサタン礼拝者達NWOグローバリスト達のやり方
もっともらしい情報の中に嘘を入れるということなのでしょう。
クリスチャンが、聖書を信じなくするように仕向けている。その工作なのでしょう。
私達はだまされないようにしなければ。

学んだこと
サタンとサタン礼拝者達のやりかたはいつも同じ。
聞いたこと、読んだことをただ鵜呑みにせず、自分で調べる。

~~~~~~~~~~~~~~~~

これまたアーメン、まったく同感です。

サタンの方が人間より一枚も二枚も上手でして、ウラ、そのまたウラを突いて来る・・・

だからと言って、逆に何でもありの極端なリベラル路線にも私は気をつけていただきたいと申し上げます。たとえばハロウィンとか。あれは以前にも記事にしましたが、アイルランドに起源を発する、ドルイト教の悪魔崇拝の儀式ですので。

我々人間では確かに限界と言うものがあり、あらゆる面において、さじ加減、線引きが難しいのですけど、最終的には主の憐れみを請うしかないのかなと。何らかの形で示してくださる事が今までも多々ありましたのでね。

かく言う私も、聖書を元に世界の動きをワッチしながら、ブログを書いているということに収斂します。

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コメント

あ〜、さっぱりした!
なんか、こう、モヤモヤがすっきりした。

ザアカイさん、これ書いてくれてありがとう!

全部はハッキリ分からない、これがいいのよね。これが最大のポイントでしょう。
だからこそ希望があると言ってもいい。

ツバサさん、いつもありがと。
そうですか、少しはお役に立てましたか。

たぶん、これから先も、これだ!という形では示してくれないかもですね。
その方が我々にとって、益となるのかも?


福音派もペンテコステ派も、極端になってはいけない。
基本は聖書ですよね。

おそらく、
ベニーヒンは極端に霊的なものと求めすぎて、信仰からそれた。

リベラルも極端に聖書の知識を求めすぎて、信仰がおかしくなった。

とどまるところでとどまらないと惑わされると思います。

まあー普通に聖書読んでデヴォーションして、祈って、クリスチャン生活していれば、大丈夫だと思います。

変にしるしや奇跡を求めすぎたり、聖書を研究しすぎるのは敵の罠にはまりかねません。


先日から、拝見し、色々勉強させてもらってます。ありがとうございますm(_ _)m

お口があんぐりとなりながら、中学生が、R18な映画館にコッソリ入り込んだワクワク感を感じながら、読ませていただいてます( ´ ▽ ` )ノ
あ…霊的年齢の話しでした(^_^;)実年齢は…ティーンエイジはるかに超えまくりです〜(^_^;)

なんか一言残したくなっちゃいました( ´ ▽ ` )ノ

ヒーブルンさん、こんにちは。

>まあー普通に聖書読んでデヴォーションして、祈って、クリスチャン生活していれば、大丈夫だと思います。

→ええ、私もそう思います。

実際のところ私も、預言(自分の聖書解釈が間違っているのかな?などと考えたりして、結果、相手方の偽預言だった --;)に傾倒したり、的外れの清さを求めドグマ主義、律法主義に走ったりして、随分と頭を柱にぶつけたりしてきたのでわかるつもりでいます。

失敗を繰り返し、身を持って痛い思いをして、そのたびに学習しないとなかなかわからない場合がありますからね。
それでも寸でのところで留まれたのは、ひとえに神からの憐れみ以外になかったのかな?などと思ったりします。

我々も何らかの形で、目に見えない方法で主から教育されているのかもしれませんね。

ザアカイさん、皆さん、こんにちは。

霊的な戦いは
日々心の上に葛藤を覚えます。
さまざまな思いが
心をかすめ、
聖霊に神の深みにまで
導いていただかないと
立っていられません。

主よ。私は、あなたに信頼しています。
私は告白します。
「あなたこそ私の神です。
私の時は、御手の中にあります。
私を敵の手から、また追い迫る者の手から、
救い出してください。
御顔をあなたのしもべの上に
照り輝かせてください。
あなたの恵みによって私をお救いください。
(詩篇31・14-16)

ただ目に見えない方を
主イエスを
光の旗印として掲げて
信頼するとき、
神の助けは不思議な仕方で現れる。

ただこの方に信頼して未来を主にゆだねて
生きています。

すみません。
さっきの投稿は、
私、enjeruでした。

皆さまの健康が守られますように。

enjeruさん、コメントありがとうございます。

アーメンです。
本当に自力で生きていくのが難しい世の中になってきました。
もちろん、まずは自分で行かねばなりませんが、主の助けがなければ前に進めないところまで来ているような・・・
主よ、どうか我々を憐れんでください。

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