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2013年10月に作成された記事

2013年10月30日 (水)

メッセージ名言集

特に書くこともないので手抜きです。
コピペのみですがお許しを。

私がいつも眼を通しているブログからの抜粋です。
デスクトップにショートカット作ってあります。
ただし、これだけは言えます・・・珠玉の名言だと思います。

物事が自分の望むように進まなくとも、神様への絶対的信頼を持ち続ける雄々しい信仰が神に喜ばれるのです。(ここは特に新改訳聖書ではわかりにくい箇所です。)
あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。イザヤ50:10(口語訳)
常に主をほめまつる。この荘厳な命がけの決意。このような信仰を神は軽んじられません。神と共に生きる人はこういう人です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

信仰とは無から始まるのだと言うことを示したいのです。可能性の無いところから可能性が始まり、駄目なところから良いものが生まれ、無理なところから大丈夫が育ちます。
もう駄目だ! OK、そこから主に任せなさい。それが信仰です。季節でなくともいちじくを結ぶのが信仰なのです。

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贖いの信仰があればそれでいいという境地に達したい なぜなら神は善だからである 創3:15 イザヤ53:2-3 私の友人に長い間試みにある方がいる しかしその方は十字架ただ十字架だけを見上げ 来る日も来る日もすごしている そうすると問題そのものより十字架の愛に圧倒されて 根が喜びに変えられていくそうである 神は善だからあなたを苦しみにあわせようとして虎視眈々と狙っているのではない しかしもし苦しみがあっても十字架の贖罪愛はそれを上回るのである

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痛いのは生きているから

転んだのは歩いたから

迷っているのは前に進みたいから

逃げ出したいのはたたかっているから

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「仕事がうまく行ってない時にも勇気を失わないで下さい。

神様はいつも荒波を叱り、沈ませたりはしません。

かえって神様はその荒波のために心が動揺している私たちの心をいつも安心させて下さいます。

神様は私たちにいつも安定し、平安であるようにとは言っておられません。

しかし神様は私たちにいつも神ご自身を信頼するように言われます。

神様はいつも私たちに行くべき道の最後の目的地を見させたりはしません。

しかし神様は私たちに信仰と従順、心を尽くして次の一歩を踏み出すための

充分な光を与えて下さいます。」

~中略~

苦難と失敗は深ければ深いほど、神様は私たちの一番近くにおられることを忘れないようにしよう。

私たちの力では何もできないと感じるその時こそ、イエスの愛の奇跡が起きるかもしれない。

Jesusembrace

2013年10月24日 (木)

使徒行伝より;パウロから学ぶ事

しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。
わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。

使徒 9:15~16

弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った。

同 14:22

その夜、主がパウロに臨んで言われた、「しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない」。

同 23:11

昨日から無意識のうちに14章22節が脳裏をかすめ、芋づる式に計3箇所が出てまいりました。
はじめに断っておきますが、私のような木っ端、道端のゴミごときに、パウロのような働きが出来るわけもなく、伝道者でもなんでもなく石投げりゃ当たる、どこにでもいる、とりあえずキリスト者の末席に座布団一枚引いて座らせてもらっている一般市民であることを前提に書いていることをご了承ください。

人間はアダムのエデンの園ゆかりの原罪ゆえに、神の恩寵から離れてしまい、争い、災い、病気、そして肉的死、それをいい事に、そこをすかさずピンポイント攻撃してくるサタンの姦計及び謀略ゆえに悲しみの星・テラ=地球上で、人生を全うせねばならない存在となっております。

全能なる神は、人間に自由意志を与える限り、こうなる事はわかっておられたことでしょう。ただし、脅迫、強制を持ってしては、真実なる愛は機能しない。完全なる愛はお互いの自由の上に成り立たねばならない。これは神といえども介入できない領域である・・・何ともある意味、回りくどい複雑怪奇な構図であろうか。

そのような中で最近、半世紀近くというか・・・越えたね(歳サバよんじゃいけませんね(^^ゞ)、生きてきてつくづく考える事があるのです。
我々一般人にとっては、もっとも聖職者といえど同じ土俵であることもあるでしょうが、日常生活というのは訓練の場、主の元に帰るきっかけが与えられる、真理を知る機会が与えられる場なのではないのかと。ある人たちにとっては当たり前のこのことに、私を含め多くの人はなかなか気づかないのではないのかな?と思うのです。

生きてきた時代背景もあるのでしょうが、天真爛漫で“ある程度”人生が順風満帆だったのは若い頃だけでしたね・・・「独身貴族」という言葉、私の世代であれば覚えておられることでしょう。また自慢になりませんし、今時の学生に言ったらビール瓶で脳天かち割られるでしょうが・・・大学はレジャー=ランドに近かった --;

またあの頃は、トヨタ・ソアラを頂点とする、2枚ドアのスポーツクーペの新車を乗り回し(私はそこまでいかず、ホンダのプレリュードでしたが)、冬場は終末・・・間違えた --;、週末の連休ともなれば、仲のいい友達や会社の同僚と白馬、上越、蔵王、安比とスキー三昧。自分のことだけ考えていればよかった。もちろん、食いッぱぐれの心配も、将来への不安などない時代。
遊ぶカネがなけりゃ、クレジットカードのキャッシング、銀行カードローンで借りてまで遊んでました。そして十分、稼いで返せた時代。それが明日への活力になっていたのも事実。

それに加え、年老いた?今と違いストレスにも強く、跳ね返し、それに耐えられるだけの耐性がつくのを訓練として捉える事が出来たのですね。

今でも忘れません。
ある日、午後3時過ぎに、一時外回りから仮払金を出納に戻すのに帰店し、「ご苦労様です」と店内に入るといきなり支店長に --;

「おい、○○・・・この!バカヤロウ!!てめえ~、何やってんだよ!たった今、人事研修課から電話があったよ。新人研修レポート提出してねえだろ!あん?いつまでも甘ったれてふざけて、社会を舐めてんじゃねえよ!明日中に提出しろよ、このボケ!
そんな風だから仕事も出来ねえ、実績も上がらねえんだよ!」

と役席の方を含め、女子行員とみんな10名以上いる中で、怒鳴られた事が。
ま、私がやることやってなかったわけで、非があったのでただただ「すみませんでした」と平謝り(涙;)

それから再び外へと向かいましたが、「ちくしょう、あの支店長、何もみんなの前で赤っ恥かかせなくても良かったじゃねえかよ!」と怒りがこみ上げてきて・・・いつもトイレ休憩に使っている公園に行って、お客様サービス用の皿を2~3枚、コンクリート壁にぶん投げたりしたものでした(^^ゞ・・・

信じられるのは自分だけ。すべてが自己責任、己の力でこの世を泳ぎきってみせる~!などと突っ張っていたものでした。

ところが人間、変われば変わるものです。弱くなった・・・というよりも、弱さを嫌というほど知らしめられたと言うべきか。
己の限界、高い壁にぶち当たり、自分の無力さ、世界権力の裏構造を知り、この世の君(サタンを親分とする悪魔のヒエラルキーである世界のパワーエリートの富と権力)にはまるで歯が立たない・・・なんてちっぽけな存在なのか。

そんな時、見出した希望の光が全能なる神の御子、イエス=キリストだったのですね。絶対悪のデーモン連中を破砕し、我々を救い出してくださる唯一の希望であると。また回心し、信じた頃の心の中を優しく吹き抜けていく爽やかな風、黙って空を見上げると理由もなく涙が頬を伝う・・・これが「神にある平安なのだな」と感じたものです。

某牧師先生のメッセージを思い出しますね・・・
「救われたなら思う存分、遠慮なく神の恵みを受け取り、味わい喜んでください。その先には、必ずしも平坦な道が備えられているとは限りませんから」と。

はじめ、この意味がわかりませんでした・・・ある意味、繁栄の神学マンセー!状態に脳が侵されていたのですね --;

ところが今はどうでしょう?
まさしく使徒行伝にある、主がパウロに仰せになったこれらの言葉の意味・・・今なら嫌というほどわかるつもり?です。

>わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう
>わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない
>しっかりせよ

私はパウロじゃないのに(ToT)/、重い、この世の歩みのなんと重いことか。肩の荷が歳をとるごとに重くなる・・・
私と限らず、皆さん同じ思いの方は多いはずですよね?なぜこんなに振り払っても振り払っても火の粉が飛んでくるのだと。
まるでこれらの聖句は、自分に向けて言われているかのようです。

苦難の本番はこれからだと言うのに、既に青色吐息でヨレヨレの半病人で、地べた這いずり回っている状態(ToT)・・・どうしたものか・・・もう「命預けます」でいくしかないですね。
でもその時はその時で、苦しむのは嫌だから、「ひと思いにピンコロか即死で」などと思わないわけでもありませんが。なんと自分は贅沢でわがままな人間なのだとつくづく思います --;

しかしながらここまで生かされてきたのだから、この与えられたこの世での命・・・この物質世界でしか出来ない事に・・・有効に使いたいものです。

難い話は抜きにして。
そう、たとえば・・・矢吹ジョー、ヤマトの真田技師長、斉藤隊長、はたまたベルバラのオスカルのごとく。たぶん無理でしょうけど、うん絶対無理だと思いますけど・・・

たかがアニメとバカにするなかれ。
辛口のハード・ボイルドなのです、大人になり違った視点で見直して見ると、子供の頃にはわからなかった要素がてんこ盛りですから。

2013年10月19日 (土)

べテ・トガルマで重要な動きアリ

この情報がどれだけインパクトがあるか、わかる人にはわかると思います。

以下、中東TODAY より~

NO・2982『信じ難い事態トルコ・イスラエル関係で発生』

中東諸国の中にあって、イスラエルは孤立した存在であり続けてきたし、現在もその状態にある。周辺のアラブ諸国は押し並べて敵であり、カーテンの裏側での接触がある国もないではないが、それは限定された範囲だけだ。
そうした孤立するイスラエルにとって、トルコは1950年代から深い関係にあった国だ。その理由は多くのトルコのエリートたちが、ユダヤ人であることによろう、学者の世界や政治家、財界人の中には、ドンメと呼ばれる改宗ユダヤ人ムスリムが多数いるのだ。

彼らが裏でトルコとイスラエルとの関係を、支えてきたということであろう。つまりトルコは、イスラエルと深い関係にある国なのだ。ところがトルコはかつて大国(オスマン帝国)であったために、多くの周辺諸国の人たちを自国人として抱え込んでいる。クルド人は当然であり、東ヨーロッパ人も少なくない。
そのなかには、イラン系のトルコ人も含まれている。今年トルコで人気を博した歴史ドラマは、18世紀ごろの実話をもとにしたもので、ドラマではペルシャの意向を受けた人物が、オスマン帝国皇帝の側近として働き、多くの情報をペルシャ側に流すと共に、政策にも影響を与えていたというものだった。
そのドラマが現在の状況に、似ているためであろうか。トルコ国民は強い興味を示して、このドラマを見ていたらしい。現在もイラン政府に近い人物が、トルコの政府の上層部にいるということだ。
いまトルコとイスラエルとの間で、大問題が発生している。それはトルコを舞台にして接触していた、イスラエルのためのイラン人スパイが、危険な状況に陥っているのだ。その理由は、これらイラン人スパイの名が、トルコ国内で公表されてしまったからだ。

常識的には、イスラエルとトルコの情報部が深い関係にあったことから、このようなことは闇で処理されるのが普通であろう。それが表ざたになったのは、誰かがトルコとイスラエルとの関係を、完全に破壊すること狙って起こしたものだ、ということであろう。
実はイスラエルのために働く、イラン人スパイ10人の名前を公表したのは、トルコの情報長官(MITのトップ)であるフェダン・ハカン氏なのだ。もちろんそれはエルドアン首相の許可無しに、やったとは思えない。
それではエルドアン首相はイスラエルよりも、イランとの関係を重視している、ということなのか。それは石油・ガスのためなのか、エルドアン首相の政治信条によるものなのか。そしてこのフェダン・ハカンなる人物は、ドラマの登場人物と同じ、イランからの回し者なのか。これからが見ものだ。

投稿者: 佐々木良昭 日時: 2013年10月18日 15:17 | パーマリンク

http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2013/10/no_1738.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まずはこの地図をご覧下さい。

Ezekiel_map

* クリックで地図が拡大します。

エゼキエル書 / 38章 6節

ゴメルとそのすべての軍隊、北の果のベテ・トガルマと、そのすべての軍隊など、多くの民もあなたと共におる。

もうお分かりでしょう。べテ・トガルマは現代のトルコ、アルメニアを指すのではないかというのが聖書学者の通説なわけです。
ここに来て、いよいよトルコも動きが激しさを増しているようです。

イスラエルもオバマの言動に痺れを切らして(というか、うがった見方をすれば、イスラエルを暴発させるために追い込んでいるようにも見える?)、虎視眈々とイラン殲滅を本気で考え始めているという情報もアリ。

一説によれば、アメリカの核はイスラエルのセキュリティ・カンパニーであるマガール・セキュリティ・システムズが管理していると聞いております。

シリアも生物化学兵器を放棄するとは言ったものの、相変わらず国内はジハーデストのテロ攻撃で全然、停戦には程遠い状態・・・何のための化学兵器放棄だったのか・・・

2013年10月17日 (木)

テーマのないフリーコラム

ええ~・・・特に書くこともなく1週間以上、更新できませんでした。どうもいけない、何も閃かない --;
何となく有名シンガー=ソングライターが違法薬物に手を出したり、芥川、太宰などの天才文人が行き詰まり、自ら命を絶った気持ちが少しも理解できたような??
ま、私などは道端に落ちているゴミ程度のブログ書いているので無縁の話ですけど。

まずは無視できないニュースを二つほど。

このブログの読者であれば周知の事実でしょうけど、どうやらアメリカの債務上限引き上げが議会を通過し、銀行で言うところの、「追い貸し」、「ベタ貸し」が可能になったようです。いくら基軸通貨だから輪転機回せばいい、ということが未来永劫続くわけでもない・・・

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず

ただ春の世の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

偏に風の前の塵に同じ
 ~平家物語冒頭より~

今回ばかりは、
「どうせまた茶番劇の猿芝居だろう」という見解と
「いや、今度こそやるつもりだろう、狼少年で言うところの本物の狼が来る可能性が高いだろう」という見解に、
私が情報取っている、ランキングAAAクラスのブロガーの間でも分かれてましたからね。

それともう一つ。これも我がブログの読者であれば周知の事実ー2ですが、テキサスからS・カロライナに核弾頭が隠密裏に運搬移送されたという噂というか内部告発??・・・
それと時期を同じにして、核兵器司令部のナンバー1とナンバー2が解任されたとか。

まだまだシリア、イランから、蛇は睨みを解いたわけではなさそうな感じですね。間違いなく何か企んでいるはず。

台風26号の被害も甚大なようです。特に伊豆大島の方々・・・胸が痛みます。
本当に地震、台風はもう勘弁して欲しいものです。
夜は風がうるさくて、震度1クラス(突風が吹くと震度2)で家が揺れて(うちだけかな?)眠れず。強烈な北風のせいで朝起きたら、ドアの隙間から水が浸入、水浸しで早朝からバケツ3杯分のモップがけ。庭にはモノが散乱 --;
屋根だけは一箇所、台所が雨漏りしてたので、8月にリフォームかけておいたのがせめてもの救い --;・・・
家が古いのであちこち痛んでます・・・金欠で一度に全部出来ません(涙;)
屋根と外壁の一部だけですでに50万、羽が生えて飛んでなくなってます(-_-;)・・・

さて、これで終わったのでは芸がないので、最後に一つばかり。
今まで黙ってましたが、去年の11月でしたかね。ストレスと過緊張で早朝覚醒の悪い癖が再発し、苦しんでいた時期の事。

あれは単なる夢だったのでしょうか?「詩篇18編」という文字が見えたのか聞こえたのかはよく憶えてません。
朝、重い頭を抱えながら起きて、さっそく聖書を開いてみました。お恥ずかしながらどういう箇所なのか皆目見当つかず、赤鉛筆で線も引いてなかったので特に心にも残ってなかったのでしょう。

詩篇18編は割りと長いのですが、前半の以下の部分が眼に留まりました。

聖歌隊の指揮者によってうたわせた主のしもべダビデの歌、すなわち主がもろもろのあだの手とサウルの手から救い出された日にダビデはこの歌の言葉を主にむかって述べて言った

わが力なる主よ、わたしはあなたを愛します。
主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。
わたしはほめまつるべき主に呼ばわって、わたしの敵から救われるのです。
死の綱は、わたしを取り巻き、滅びの大水は、わたしを襲いました。
陰府の綱は、わたしを囲み、死のわなは、わたしに立ちむかいました。
わたしは悩みのうちに主に呼ばわり、わが神に叫び求めました。主はその宮からわたしの声を聞かれ、主にさけぶわたしの叫びがその耳に達しました。

そのとき地は揺れ動き、山々の基は震い動きました。主がお怒りになったからです。
煙はその鼻から立ちのぼり、火はその口から出て焼きつくし、炭はそれによって燃えあがりました。
主は天をたれて下られ、暗やみがその足の下にありました。
主はケルブに乗って飛び、風の翼をもってかけり、やみをおおいとして、自分のまわりに置き、水を含んだ暗い濃き雲をその幕屋とされました。
そのみ前の輝きから濃き雲を破って、ひょうと燃える炭とが降ってきました。
主はまた天に雷をとどろかせ、いと高き者がみ声を出されると、ひょうと燃える炭とが降ってきました。
主は矢を放って彼らを散らし、いなずまをひらめかして彼らを打ち敗られました。
主よ、そのとき、あなたのとがめと、あなたの鼻のいぶきとによって、海の底はあらわれ、地の基があらわになったのです。
主は高い所からみ手を伸べて、わたしを捕え、大水からわたしを引きあげ、わたしの強い敵と、わたしを憎む者とから/わたしを助け出されました。彼らはわたしにまさって強かったからです。
彼らはわたしの災の日にわたしを襲いました。しかし主はわたしのささえとなられました。
主はわたしを広い所につれ出し、わたしを喜ばれるがゆえに、わたしを助けられました。

詩篇18篇 1~19

まだこの詩篇のみ言葉は成就しておりません・・・半病人、半廃人一歩手前状態で地べたを這いずり廻っている日々 --;
ひょっとしたら、肉の命あるこの世においては成就しないかもしれない・・・
でも、単なる妄想じゃなくて

>主はその宮からわたしの声を聞かれ、主にさけぶわたしの叫びがその耳に達しました。

くらいまでは届いたと信じたいところですが(T_T)・・・私にとって、ダビデは旧約聖書における登場人物でも、一番好きな偉人の一人なのです。

2013年10月 8日 (火)

ジーザス・ムービー

いくつかキリストものの映画を見ましたが、この映画はルカ伝から描き出しており、なかなかの出来です。
少なくとも「パッション」だったら、こちらの方が良く出来ていると私は感じます。
日本語吹き替え版なのがまたうれしい。
2時間ほどです。偶然、ユーチューブで見つけました。時間のない方はある時に是非!!

見た事ある方もあろうかと思いますが、まだ見てない人はじめ、このブログの読者で陰謀論、終末論、国際政治経済に興味を持ち、世界の裏側をある程度知っている眼の開かれた方に、私としては特に見ていただきたいと思ってます。極端な話、オカルト・マニアの方こそ見て欲しい。

もはやこの世は我々人間の力でどうこう出来るレベルをはるかに超えております。まだ我々で何とかなるという考えは捨てたほうがいいです。時は迫ってます・・・
我々に残された希望はメシヤの再臨以外にありませんから。悪魔が存在するなら神は間違いなく存在するのです。
キリストによる救いを今こそ受け入れてください。

ちょっと前の小石泉牧師のHPメッセージにありました。「天国では決して出来ない仕事、この地上でしか出来ない仕事、それが福音伝道です」と。

残念ながら私に出来るのはこの程度なのが悔しいですが --;

右下の全画面表示で見るのをお勧めします。



2013年10月 7日 (月)

キラー=ホーネッツ(殺人スズメバチ)

中国の通信社、中国新聞社によると、陝西省衛生当局は2日、
同省の3つの市で計1600人以上がスズメバチに襲われ、
41人が死亡したと明らかにした。
同省安康市では現在も206人が入院中で、うち37人が
重い症状という。

 

同省衛生当局は特別に編成した医療チームを現地の病院に派遣。
消防当局はスズメバチの処理に当たっている。
(共同:2013年10月2日)

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英語のわかる方はこちらのユーチューブもご覧下さい。



正直、このニュースを知った時はゾッとしましたね・・・先月もあったばかりだというのに。
私も夏期になると、時々庭先で背後をブ~ン!!とけたたましい羽音を立てて何かが通り過ぎていくかと思いきや、見ると --;
大きなスズメバチ・・・一瞬、顔から血の気が引きます。

そこで、なぜこのテーマを採り上げたかというと、上の動画を見ていただくとわかるのですが、この殺人スズメバチが黙示録9章の第五のラッパの記述に似ているというのです。

第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。
そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。
その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。
彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。
彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。
その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。
これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間の顔のようであり、また、そのかみの毛は女のかみのようであり、その歯はししの歯のようであった。
また、鉄の胸当のような胸当をつけており、その羽の音は、馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった。
その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間をそこなう力がある。

彼らは、底知れぬ所の使を王にいただいており、その名をヘブル語でアバドンと言い、ギリシヤ語ではアポルオンと言う。

黙示 9:1~11

もちろん、この事故というか事件が第五のラッパの成就というわけではないでしょう。
しかしながら、確かに言われてみればスズメバチの記述と似ている --;

ひょっとしたら?何らかの予表かもしれない。のちのち何らかのヒントになるかもしれない。
少なくともこのようなことは異常であるし、前代未聞であるには違いない・・・何らかのパルスを使って、昆虫をコントロールする技術が既に存在するとか?考えすぎか?
でも聖書には、「くまばちを送り・・・」という記述が存在するし、無視は出来ない事件ではある。
第五のラッパの正体は昆虫兵器とか?デーモンの霊が活発に動けばあり得ない事ではない?・・・う~む?やはり時代は終末なのか・・・と、今回の妄想はこの辺にしておきましょう。

最後についでながら、
あえてブログ記事のテーマとしては採り上げていませんけど、今のアメリカの動向にはよくよく注意か。明日10月8日(18日と勘違いしてました、ここに訂正<(_ _)>)、時差を考えれば明日の夜、新100ドル札が発行されます。連邦政府は一部閉鎖されたまま・・・17日までに議会が債務上限引き上げに合意しなければデフォルトに陥る・・・

いつものごとく金儲けを目的とした茶番劇で終わるのか?それとも今度こそ、深謀遠慮の極みとも言える仕上げに取り掛かるつもりか?
ただでさえシリアで失敗しているわけで、タイミング的に要注意ではあるでしょう。
連中こそ、狼の皮を被った狼そのものだから。

2013年10月 2日 (水)

使徒・預言者回復運動とは?

実はワタシ、「聖霊の第三の波」系に関してはある縁から、散々、英文資料の翻訳奉仕を含め、随分と研究させられたのである程度わかります。
この村上師のブログ記事は重要ですよ。

これは何もプロテスタントだけではなく、カトリックではおもに「幻視者」という言葉が使われる場合が多いようですが共通項でしょう。
今は惑わしの時代、慎重なる吟味が必要とされるかと。

ひどい例は、聖書をまったく無視し、幻視者情報の鵜呑み --;
「聖書がすべてなのか?聖書に書いてないことを信じてはいけないのか?」
というようなことを言われた事もある --;

「死者に対して信頼できる神父を通してバプテスマを施したから救いに与れたと信じている」と聞いたときは正直、ゾッとしました。
当の本人は正しい行為だと信じているようですが、聖書にはっきり書いてないデリケートな行為はリスキーだし、異教、背教となる恐れもあるから慎むべきだと個人的には思うのですが。
そういう人とは縁を切って、距離を取るしかない。

話が脱線しました。
案の定、結果吟味としてはまず当たったためしがない・・・それでもその人物に入れ込んでしまう。これは私の経験から言っても器崇拝の罠となるので注意が必要です・・・自戒を込めて。
決まりきった言い訳として、預言が延期された、預言情報が古かった、など。
預言情報が古かったって・・・あ~た!アホらしくて相手にする気にもならず。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://maranatha.exblog.jp/21146468/

2013年 10月 02日
エンパワード21と「新使徒運動」

 弟子たちがイエスに尋ねた。「あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆が起きるのでしょう。」(マタイ24:3)その前兆の一つが、にせ預言者の登場である。イエスは「にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。」(24:11)と言っている。近年の自称預言者は、ピーター・ワグナーの影響を受けている。

韓国では「新使徒運動」とも言われて、異端と指摘される使徒・預言者回復運動である。後の雨運動の流れを継承する運動で、後の雨運動は、すでに異端とされている。名称は違うが内容はそう変わらない。

 預言運動に影響を受けている人は、にせ預言者が多く起こるのだから、預言者が本当かどうか吟味する必要がある。多くの人が惑わされるから、自分は惑わされてはいないか、自己吟味が必要である。私は大丈夫と思っている人の大半は、深い聖書理解の基づくものではなく、ムーブメントに便乗しているだけである。

 エンパワード21が近づいて来た。この大会の講師や参加者の中には後の雨運動を信奉している人が多く参加する予定である。久しぶりの超教派大会で、このようなことを好む人々は何が何でも参加するであろう。この参加者たちが、ピーター・ワグナーを問題視しないなら、異端の影響を受けていると言える。これが初歩的な判断材料である。多くの人が集まれば大会は成功ではなく、多くの人が惑わされていると私は見る。

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