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2013年6月 6日 (木)

荒野の旅よ、いつまで続く・・・早く楽になりてえなあ~

またまた一週間、更新せずと言うより、更新出来ず・・・心身ともに、霊的に弱っているのでしょう。
前後関係を無視して、聖句を部分的に取り出すのは好きではないのですが

ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある~との黙示録13章10章の状態でした・・・一体、自分は何をやっているのだ?自分は何者なのだ?なぜ生かされている?いつまで生き恥さらしながらこの悲しみの世に身を置かねばならんのだ?

いくら自問自答してみても、「主よ、わが疑問にお答えください」と祈ったところで、私などにわかろうはずも、神の声が聞こえて来ようはずもない。

そんな状態でしたが、祈りと聖書だけは一日最低でも一回は関わらずにいられない。というか、逃げても逃げられるものでもなさそうだ。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

詩篇 / 23篇 4節

わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

マタイによる福音書 / 28章 20節

何が言いたいのか?要するに、「主はわたしとともにおられる」、いてくださると聖書は約束しているけど、まるで実感がない --;
実感がないのですが、聖書がこう言っているのだからそうなのだろうと信じようと思っても、心がまるでついて行かず。

何度イメージしたか、何度自分に言い聞かせたか、何度頭の中で暗唱したか・・・いくら涙ぐましい努力をしようと、努力してどうにかなるものではないのがこの世界・・・

「おまえはもう死んでいる、自我を捨てよ。十字架の贖いの約束だけ固く信じて手放さねばそれでいいではないか。そもそも自分はすべてにおいて落ちこぼれ、エリートとは程遠いではないか。」と・・・

「あまりにもこの世の荷物が重すぎる、身軽になれ、死人には関係ない。そんなもの放っておけ。」と、無責任になれればどんなに気が楽か。一人で生きているのではない、自分だけの問題では収まらないのがこの世のメカニズム。まるでベタニヤのマルタのよう --;

「なくてはならぬものは多くはない、いや一つだけだ」とまで主は言われている。もちろん分かる、理解は出来るのだけど、この世に身を置く生身の人間には難しい要求だ。

まだまだ己自身との戦いは続きそうだ、確かにサタンも強力な敵ではあるが、最大の敵は自分自身の中に巣食う、己自身であるかもしれないと感じる今日この頃だ。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
いつも読ませていただいてます。初めてコメントします。


僕もまるで同じ気持ちです。
早くこの肉体を離れたいと嘆いています。いつまでこの苦しみや信仰の戦いは続くのかと祈っても答えは帰ってこない(._.)

最近、主から使命をもらったのですけど、恐怖のあまりに果たせなかったことをすごく後悔してます......

主の前にひれ伏してどんなに赦しを求めて嘆き祈ったか......

「信仰の薄いものよ、何を恐れているのか。私はあなたと共にいる。恐るな!」とお叱りを受けました。

すぐ誘惑に負けるし、聖書を毎日読んでいたり、毎日神を賛美しているんですけど、何か試練があると崩れてしまう。ああー僕は信仰が薄いなーとm(_ _)m

そんな弱い僕だけど、いつもどんな時でも、毎日、僕を愛してくれている神に感謝して歩んでいかなければいけませんね^_^

ヒーブルンさん、コメありがとうございます、こちらこそよろしくお願いします。
私も日々、嘆き、赦しを求めていい加減、いやになりつつあります(笑)
神による罪の贖いは一回きりなのでしょうが、我々人間側からすると、キリがないものかもしれませんね。

時を待ち、背伸びしないようにと思ってます。器量以上のものを神は要求しませんし。

初めまして。
「最大の敵は 自分自身の中に巣食う、己自身であるかもしれないと
感じる今日この頃だ。」全く同感です。
その自己の中にある、汝の敵を愛せよとイエス様は仰っているのだと
私は理解していますよ。

匿名さん、こちらこそはじめまして。コメありがとうございます。

なるほど!そのような解釈アリですね、ご指摘ありがとうございました。

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

病院の中は病める人。
手足の不自由な人。
食事もひとりでは食べられない人。
トイレも人の助けが必要な人。
痛み呻く人。
肉体の痛みと共に心が折れて
希望を失った人。

みなが弱って力がない。
病気は人の心を曇らせる。
老いて痴呆になり、
何も出来ない人。

病人に必要なものは、
癒しを与えてくれる治療と回復。

イエスはいつも病人をかわいそうに思われて
大勢の病人を癒された。

かわいそうに・・・
思われて――

主の心は痛み苦しみのある人に駆け寄る。
癒しを求めて霊が叫んでいるから。
「助けて!」と声にならない叫びを
すぐさま聞かれるから。

イエスは言われた。
「医者を必要とするのは丈夫なものではなく、
病人です。」
わたしは正しい人を招くためではなく、
罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。
(ルカ5・31-32)

自分を正しいと思っている人ではなく、
罪ある者であると知っている人を招いておられる。
罪は病巣。
自分が霊的に病の中にある人を招いて
悔い改めに導かれる。
すると霊が癒されて新しく生きる。

病院中から溢れる苦悩の声は
地上の罪ある人の苦悩の声。

助けを求める叫びは天に届いている。

聖書はこう言っています。
「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
「主の御名を叫び求める者は、だれでも救われる。」
(ローマ10・11,13)

罪人なる世界中の人が、
主の御名を叫び求めることができますように。

 題: イエスの結婚観を例に・・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教聖書における、イエスの結婚観を見てみると・・。
 聖書を参照してみる。
 初めの例として・・「人は父母を離れてその妻と結ばれ、二
人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体であ
る。従って、神が結び合わせてくださった者を、人は離しては
ならない。・・妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対し
て姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする
者も、姦通の罪を犯すことになる。(「マルコによる福音書」
10・1~12)」
 この言葉は、多くの学者によって、イエスの真正な言葉であ
るとは認められていない。また、『創世記』の1・27と2・24
を合体させた言葉だと言われている。
 また、女性蔑視であった社会及びキリスト教は、女性から離
縁などできる状況ではなかった。
 何しろキリスト教の聖書は、似たような宗派が、言い争って
出て来た言葉などでできた教義で、言葉をまとめた書物と言え
る。
 「不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする
者は、姦通の罪を犯すことになる(「マタイによる福音書」19
・9)。弟子たちは、このイエスの言葉を聞いて不満たらたら、
「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」
と、イエスの言葉に対して「ブーイング」を言っている。
 というのも、今の社会と比べようもない程度の低い社会で、
男尊女卑の社会であり、その様な観念の中にいた人たちである
ため、この様な不満が出た訳で、
 1例を言えば、この社会ではよくあったことなのだということ
なのですが、気に食わなくなったら、料理を焦がしただけでも
離縁ができるとされていた。
 つまり、『料理のお焦げ離婚』は合法の世界だった。(「マ
タイによる福音書」10節を参照)。
 ユダヤの法律において合法であれば、離縁しても良いとの考
えであって、現代人が考えたらおかしいこと。上記の様に、何
ら正しいことを言っていることにはならない。
 故に、今、我々がいる現代の法律の状況や、今の現代社会に
照らして考えても、何ら正しい示唆を与えていると言えない内
容となっている。
 「妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、姦通の罪を
犯す事になる。離縁された女を妻にする者も姦通の罪を犯す事
になる(「ルカによる福音書」16・18)。
 「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だ
けである。生まれながらの去勢者、人から去勢者・宦官にされ
た者もいるが、天の国のために自らすすんで去勢した者もいる。
これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。(「マタ
イによる福音書」19・11~12」。
 「バツイチ」は姦通罪、結婚できないという世界だった。ま
た、キリスト教の罰が怖いため、自分から去勢するものがいた。
 そして、イエスが、結婚について話していたと思ったら、急
にこんなことを言う。
 これは、イエスが悪いのではなく、聖書記述者が、聖書に書
き加えた結果で、聖書のそのほとんどがイエスの言葉でないと
いう研究者の研究結果の様に、これも聖書記述者が書き加えた
言葉なのである。
 結局、キリスト教聖書は、種々の(必ずしも、聖書の表題の
人が書いたとは限らない。キリスト教の聖書は、不特定の人た
ちが書き加えたり、削除したりしている)。故に、それらの種
々の記述者が勝手に書いていくので、そこには論理の統一性は
ない。矛盾が多いという状況となる。
 各人が、各自が持っている論理を書いているという状況とな
っている。そして、それを、当然、「一人のイエスが言った」
という形の書き方をしている。故に、イエスが、矛盾した事を
言ったという事にもなってしまう。
 種々の書き手のため、結果的に支離滅裂な事を言ったという
状態になっている。
 これ等の言葉を、色々な人が勝手に書いているという実態を、
一般の信徒は知らないで、信仰に忠実に、「信仰する宗教のイ
エスは1人」という形で捉(とら)えて、信仰し、真剣に毎日
読んでいると、意味の不一致のあちこちを、理解しようと悩み
の中で思い、思考するなどの行為から、精神の統合をはかれな
くなる。統合性に自信の無い状態に陥(おちい)ることが起き
る。
 故に、キリスト教聖職者は、この点について、責任ある説明
を(注意事項を)信徒に誠実にするべきである。
 (聖書を家に持って帰ってはいけないという教会もある。ま
た、聖書は一人では読まない事と指導しているところもある)。
 このあたりのコンプライアンスがしっかりしていないと、キ
リスト教聖職者が、被害者から責任を追求され得るという状況
もあると言える。
 矛盾の多い状況の聖書に対し、種々の見解を、その時々の権
力を持った者が、異論だと、異端だと、切り捨てて来て整合を
図って来た歴史だったと言ってもよいが、まだまだ不整合のと
ころが多い状況となっている。
 聖書学と称して研究し、後代の人たちが学究的にも整合性を
図ろうと研究・思考を重ねてきているが、キリスト教にはそれ
らのことについて統一的見解はなく、信徒がさ迷う状況にある。
 その様な思考の中で生活するという状況から、精神的にダメ
ージを受けるという中にいる。
(詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp

enjeruさん、いつもありがとうございます。

やはり我々は「涙の谷」を避けては通れないようですね。
しかしながら、この世ですべての結果がでるわけではなくて、十字架を握り締め続けるならばそれだけで勝利だと信じて疑いません。

>「固く信ぜよ君がため最善が定められていることを。時が来れば、主の助けははからずも君に襲いかかってくるだろう。」カール・ヒルテイ

毎週読んでいるメッセージから抜粋させていただきました。

高木さん、書かれたすべてを否定するつもりはありませんが、巧妙かつ都合の良い曲解が見受けられます。なお、議論するつもりはありませんので悪しからず。

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