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2013年5月 8日 (水)

Breaking Newsを二つほど

ええ、シリアをメイン・ステージにして中東が騒がしくなってきました。
まだ、なんやかんやと必要以上に騒ぎ立てる時期ではないと感じ、情報収集と事態の推移の静観状態で、多くを書く気になれずにいます。

おそらく日本のメディアでは報道されないであろうことを二点ほど挙げておきます。
とりあえず週一は更新した方がいいと感じるので、手抜きですが簡単に。

実際のところ、体調不良なんだか、天候不順のせいか、はたまた単なる被害妄想なのか?わかりませんが、どうも胸騒ぎがしてなりません --;
たぶん思い込み、調子が悪いだけなんだと思いますが^^;

イギリスBBCがソース元

○ テヘラン近郊のミサイル工場で3回の爆発
テロ?、攻撃?、事故?かは不明

イスラエルのデブカファイルがソース元

○ プーチンが中国を訪問中のネタニヤフに「シリアを攻撃するな」と警告を発した。

そして余談ですが

5月15日はユダヤ歴の7週の祭り、いわゆるペンテコステ。
教会歴だと日曜日だから19日でしょうか。
これが終わると大きな祭りは秋までありませんね。
2013年は9月5日がロシュ・ハシャナーでユダヤ歴新年、ラッパの祭りのようです。

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黙示録、聖書預言」カテゴリの記事

コメント

闇勢力の最高位サンヘドリンは、
主イエスの再臨を本気の本気怖がっているそうです!
主が地上再臨されれば自分らの権威は失墜し悪魔サタン、ルシファー堕天使を崇拝していたことが公に暴露され、神からの厳しい裁きを被ることを奴らは認識しているからです!つまり奴らサンヘドリンは確信犯なのです!
悪魔の下に地上世界ではサンヘドリンがあり、その下に王族の位があり、その下に王族を支えるナイツ騎士や貴族の位があり、彼らの手足としてイルミナティ、さらにシドンのツロの石工組合があります。
さらに、ロスチャイルド、ロックフェラー、サッスーン、リーマンブラザース、モルガン、ベクテル、ザハロフの七大財閥があります。貴族騎士の中間にシオンの何とかカンとかがあって、ま詳しくは自分で調べてください。

とにかく、闇勢力はある意味、ここ数ヵ月なぜか失敗してきたそうです!ネットにいろいろ情報ありますた。

キプロス、イエローストーン、北朝鮮、中東、日本でも…とにかく失敗したことを隠蔽工作していますが、昨年秋からことごとく闇勢力の働きは失敗しているそうです!わたしは神が介入しているのではと秘かに思っています。ですので皆さん引き続き真剣なるとりなしの祈りよろしくお願いいたします。主の再臨と私たちの携挙の日を早めるよう祈ろうではありませんか!救出近し、微睡んでいてはいけませんよ、目ざめよ!です!

確かにガサゴソやってそうなんですけど、うまく行ってないという感じはしますね。

ザアカイさん(^o^) こんにちは(^-^)v シリウス★さんの仰る通り・・最近は失敗続きのようですね(-.-")凸。テサロニケ2:6〜7 の「今引き止めている者」 ・・・クリスチャンの執り成しの祈りの故に・・?? しかし、不法の人、が現れるのは確かだとすれば・・・やはり、携挙は艱難前か?? 今のうちに伝道しないとねσ(^_^;)?

伝道しないとね♪

トラクトをご近所に配布するだけでもかなり効果あるそうです!奥山実先生によれば、私たちキリスト者に与えられた主からの命令であるマタイの最後の章の言葉、
行ってすべての人びとに福音を伝えなさい!は、牧者だけでなくすべてのキリスト者への命令なのですから
だからと言って異端のエホバの証人のような組織的に証しするわざは、なかなか出来ないですが
なんと言っても私たちこそ本物のキリスト教なのですから、臆することなく路傍でも、何処でも証しする義務があるのです!エゼキエル書には、もし証しする業を怠けるなら、主から滅びゆく人びとへの血の責任を問われるとハッキリ書かれています。とりあえず救われても、審判の日に、主から叱責されるのはオソロシイのではないでしょうか?

奥山先生によると、キリスト者は勿論、牧者らも説教messageとケリュグマをごっちゃにしていると嘆いておられました。第一コリント1:21にあるように、ケリュグマに準備はいりません。ケリュグマとは、王の布告から来た言葉で、決定事項を民にふれ告げるのがケリュグマです。十字架と復活の福音のケリュグマをすべての人びとに告げるのがマタイ28章のケリュグマです!もう一度言います。王の布告ケリュグマはすべての人びとに伝えることです!一部の人びとにではありません、全世界にです!全世界の人びとに伝えるのです。その時代に生きているすべての人びとに伝えるのが、福音の布告ケリュグマです!だから原始キリスト教とパウロは、それをしたのです。使徒5:28 19:10
そして二千年に亘り現代に生きる私たちも同じ布告を告げるのです!教会内でケリュグマを告げるのではありません。教会では聖書朗読とそれに伴う説教messageを語ります。ケリュグマを語るのは教会の外です!その違いを混同している牧者が多すぎるのです。ケリュグマを説教壇に縛りつけてしまうのは間違いです。福音は行って伝えるのです。教会の中は漁師ばかりです教会の外に魚は一杯いるではありませんか、教会でケリュグマ布告しても無意味です。ケリュグマは未信者にすること、message説教は教会内でします。教会は伝道に関して異端より無知なのです。ここに一つの問題が生じます、すなわち…

続く

そうですね(o^_^o) 私も奥山師から聞いたことがあります。私達のすることはただ「伝えること!」だと。その後で、その人が福音を受け入れるか拒否するかは・・私達の思い煩うことではない、と。「受け入れてくれなかったら(=_=;)」・・という恐れや拒絶感に負けないようにしないと・・(^^;)(^^;)

クロスさん、こんにちは。
「今引き止めている者」、確かにここの箇所ですけど、気になりますよね。この箇所から判断する限り、前かな?と取れますね。
そして伝道・・・大きな課題ですね。

そしてシリウスさん、午前中レスしたからいいか(笑)
続く・・・楽しみにしてます。

個人個人が聖書を持っていなかった時代にシナゴグ会堂や教会での聖書朗読は極めて重要でした。ところが、朗読されても意味の理解できない人びとがいたので、それを分かりやすく解説したのが説教messageです。だから説教より聖書朗読がより重要だったのです。ネヘミヤ8:8参考のこと。

ですから朗読された神のことばから、かけ離れた持論をいくら声高に叫んでも、それは説教ではなくて、単なる勝手な話なんです。そのようなmessageを語る牧者があまりに多すぎるのです、キリスト教会には…

また先に述べたように王の布告なる福音のケリュグマと説教を味噌も糞もごっちゃにしてしまっています、

おさらいします、ケリュグマとは王の布告を全人民に伝えること、行って福音を伝えなさいとのケリュグマを全世界に知らせなければなりません!戸別訪問、トラクト配布、駅前路傍伝道、テレビラジオインターネット伝道、何でもやるのです。但し、奉仕時間を報告したり、その為に仕事をやめたりする異端のようなバカな事はしないでください!義務ではなく、この業は喜んで自分の出来る範囲でやるべし、伝道しなければ救われない?なんてnonsense!救われたから、喜んで人びとに命の道を伝えるのです。

伝道は効果があろうがなかろうがやりましょう。伝道は効果の問題でなく、主イエスの命令に従うことです。教会は大きい教会も小さな教会も周りの地域の人びとに福音を伝える義務を負っています。毎日曜に教会ゴッコしてケリュグマを全くしない〜或いは特伝やChristmasの時だけ、新聞チラシに載せるでは主に申し訳ありません!

続く

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

春の海。
暖かな海水の砂浜。
素足で浅瀬を歩いた。
暖かな海水と
砂に足がのめりこむ感触。
その回りを泳ぐ小さな魚の群れ。

ここちよい感触に
主の恵みを思う。
この海岸線の砂の数は
人の知恵では数え切れない。
まして神の御心は
天地を創造された方の
偉大な大きさに人は測り知れない。

神よ。あなたの御思いを知るのは
なんとむずかしいことでしょう。
その総計は、なんと多いことでしょう。
それを数えようとしても、
それは砂より数多いのです。
私が目ざめるとき、
私はなおも、あなたとともにいます。
(詩篇139・17-18)

主よ。
あなたの御心を教えてください。
一粒の砂の御心でいいですから。
主よ。
あなたの御心を教えてください。
あなたの愛の大きさは
あまりにも深くて計り知れませんから。

春の海。
神の御心をいっぱいにつめて
そこにある。
恵みと感謝と喜びと。
多くの人の霊に届いてほしいと。
熱い御思いがそこにある。

ケリュグマ三部作最終です。

ところが、ここに一つの問題が起こりました。
「では、どの程度伝道したらケリュグマ福音布告を聞かしたことになるのか」という問題

トラクトを渡すとか、テレビネットなどのmediaでみたらいいのか、それとも徹底的に伝えるのか、などです。

answerは、「どの程度」などと言うことは「主がお決めになる」ことであり、私たちはできるだけすべての人をめざして伝えればよいのだ、というものです。

マタイの10:23

主イエスは十字架以前は全イスラエルに、王国の知らせ 詳細は略を伝えました。十字架以降は、全世界に恵みの福音を伝えるよう指事しました。

人の子が来る時までに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないと語られたのです。意味深な言葉ですね…

すべての人びとが福音を聞いたなら世の終わりが来る、だからその日を早めることさえできると第二ぺテロ3:12

私たちが一所懸命にもっと伝えなければ、もっと伝えなければと働いているさなかに主イエスは再臨されるということ、だから働いているところを見られるしもべは幸いなり、なのです!私たちは礼服で王の帰還を迎えるのではなく、主からのケリュグマを布告している作業着の姿のまま主イエスを迎えるのです!

よくやった、忠実な奴だ!と頭をイーコイーコしてくださるのです!


全世界が福音を聞いたならであり、全世界の人びとがクリスチャンになったらではありません。主はその時、厳しい裁き主として全世界を審判します。最後に時間ありましたら第二ぺテロ3:4〜10を読んでお祈りください。

enjeruさん、いつもありがとうございます。
御国の心地のする散文ありがとうございます。
確かに主の御心の奥底を計り知る事は出来ませんね・・・不可能かと。
私もほんの少しでいいから知りたいものですが、こればかりは・・・難しいし、おそらく顔を直接会わせるまではわからないことだらけでしょうね。

シリウスさん、長文ご苦労様。
それにしても主の時計って、我々が考えているより大きいのでしょうかねえ~?

>主の時計
のことなんですけど…いわゆるダニエルの最後の残されし七年の時計は、
やはりエクレシアなる教会すなわちキリスト者の集合体が、天へ引き上げらて、携挙ケイキョ、ラプチャーされ
時代の歴史から無理矢理挿入された教会時代、恵みの時代がおわり
再びペンテコステ直前の西暦三十年のダニエル時計69週年の終わりまで引き戻され
先ずは準備期間数年を経て、前半三年半、後半たぶん三年半の合計七年 患難時代が始まります。

この恐るべき七年に遭遇しなければ、至福千年王国統治と新天新地に至ることあたわずなのです!

悪魔サタンは、闇勢力を用いて自分に与えられた七年をフルに活用動員して
地球を地獄にします。
戦争、疫病、飢饉、経済崩壊、性的倒錯、犯罪増大で人びとは互いに隣人を殺しあい、いがみあい、憎みあいます。

日本では創価学会や統一教会を反キリストに取り込まれ、終戦直後に在日三国人らが暴れまわったような、修羅場が再び現出することでしょう!

今でもマスゴミは、情報操作して、選挙を不正なものにしていますが
来るべき地獄と化した七年期間限定修羅場の大患難では、
まともな人びとは隣人たちに殺害されるか強制収容所に送り込まれるでしょう!

今の北朝鮮が地球規模になるとimageしたら理解しやすいのではないでしょうか?

そんな時代に生きたいとは思いません。キリスト者がラプチャーされるのにはやはり訳があったのです!

緊急避難としてのラプチャーは数回起こるとメルボンド氏は説いています。

先ずは、艱難の直前に大規模な第一のラプチャー
次に、艱難時代の前半の最中、144000人のラプチャー、二人の証人のラプチャー、大群衆のラプチャーがあります。ですから、最初のケイキョに漏れたとしてもあきらめないでください!この情報は、艱難時代行き残された人びとへの希望の情報になることでしょう!

あにょ…またまた、投稿がつっかえてしまいましたです。
スミマシェーン、ご都合の良い時に、煙突掃除してケロ!

チムチムチムチム

出しましたぜ。

どちらに転んでも、生みの苦しみは避けられないところでしょうかね・・・そうしないと地上の完璧なる浄化がされないのでしょうね・・・いやだけど避けて通れないと言ったところでしょうかね。

管理人さまへ、
謝謝 Thank You ありがとうございます。

母の日に

言いたいことは、るちゃんがすべて代弁してくれました。
結婚したくても、いろいろな事情で結婚できない人びとがいる、ましてや母親になれない人びとがいる、母親に棄てられた子もいる、様々な事情で生きている人びとにとって、ある意味母の日は
辛い残酷なモノかもしれません。

この母の日の起源は、異教からだとして異端キリスト教では祝わないそうです。人間崇拝になるんだとか…

それはまた極端な反応ですね…

誕生日も祝わない彼らの思考を今云々するのはやめておきますが…

母の日を?だから否定する根拠にはなりません!なぜなら、それでも、私たち生きて地上に生を受けている者にとって、そのpipe役である母は偉大だからです!

人類の最初の母はエヴァでした。男なるアダムの一部を基いにして、私たちは誕生するようになりました。

男性のあばら骨の一部、心臓Heartを覆っているあばら骨から、イッシュのあばら骨から、イッシャーは創造されました。だから、
エヴァの遺体は、アダムの胸元に安置されたと、信憑性のある情報もあります。

たしかに男性の胸元に抱かれると女性は、安心するのはなぜでしょう?やはり、そこが私たちの故郷だからではないでしょうか?

さてアダム以外の人類は一人の例外もなく、偉大なるエヴァ、オンナから産まれました、そう一人も例外なくです。どんな問題があろうが…神は女の子宮から人類を創造??されたのです。

キリストでさえ木之股から生まれたのではありません。マリアの子宮からオギャあと生まれました。

ま、何を言いたいのか?理屈抜きで素直に母親を通して生まれたことを神さまに感謝いたしましょう。

カーネーションでなくても、心のこもったものなら何でも良いのです。


母の日によせて、


今読んできました、いい記事でした。
本当に世の中、難しい・・・ふだんあまり深く考えたことなかったけど、考えさせられましたね。

私の牧師さんが携挙について見た幻で全世界を透明な巨大な船が周り、(おそらく)キリストの花嫁にふさわしい人を乗せて行きます。

牧師さんが信徒時代だった時に敵対して来た人で、良いお祈りをして、外側は、敬虔そうに見えるのですが、心が砕かれていなかった人は、その船に乗る事が出来ず、ジャンプして乗ろうとしましたが、乗れなかったそうです。

深い悔い改めが、必要なのだと思います。

深い悔い改めをすると、人の悪行が書いてある、天の書物をみ使いが、イエス様の血潮を塗って、消しゴムのように消しているそうです。

>全世界を透明な巨大な船が周り・・・

キリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、
たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、
空中で主と会うのです。(テサロニケⅠ4・16-17)

あちこち船が周る悠長な時間などない
一瞬の出来事なのだということです。
それゆえ御言葉から推察するに
その幻は偽りであると・・・。

また聖書は告げています。

信仰による義はこう言います。
「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、
と言ってはいけない。」
それはキリストを引き降ろすことです。
また、「だれが地の奥底にくだるだろうか、
と言ってはいけない。」
それはキリストを死者の中から引き上げることです。
(ローマ10・6-7)

人間は人の霊の最後を自分の主観で決定することを
してはならない。
それをなさるのは神の御心によって
主がえこひきのない公平なお裁きをなさると。
人には他人の全てを見極めることはできないと。

それをしてしまう愚かさを悔い改めるとともに
神の前に畏敬の念を持ちつつ、
ただへりくだって主イエスの十字架の赦しを
感謝することのみであると。

いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、
だれが知っているでしょう。
同じように、神のみこころのことは、
神の御霊のほかにはだれも知りません。
(コリントⅠ2・11)

大艱難の下では「ラプチャー」というよりは、反キリストによる徹底的な迫害に抵抗し、殉教死を通して御国に入ることになりますから、教会のラプチャーとはかなりニュアンスが異なるように読み取れます。

第二テサロニケの2章に書いてある「引きとめる者」が取り除かれた後のサタンの働き、また真理を受け入れない者に対する神ご自身の扱いを思うと、恵みの時の「今」、イエス・キリストの救いを受け入れる人は本当に幸いだと思います。

恵みの時でさえひーひー言っている弱き私には、主の再臨に伴う教会のラプチャーは大きな慰めです。

マグダラのマリヤさん、enjeruさん、投稿ありがとうございます。
ニュートラルに聖書的には、enjeruさんの内容、解釈が正しいような気が私もします。
ただ、クリスチャンと名前がつけば(日本の仏教徒みたいな欧米のクリスチャンを含めて)誰でも救われると考えるのは危ういという点は同意ですね。

いやいやミヤサカさん、私も「本当に恵みの時代なの?」と感じる情けないデモクリです(笑)
もっと強く逞しく変えてもらわねば --;・・・

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