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2012年8月15日 (水)

ロシュ=ハシャナ、ヨム=キプル、スコット

まず始めに、下の図をご覧あれ。

Photo

ご存知?BibleProphecyMan.comより拝借。

これは旧約聖書に出てくるユダヤの主要な祭りです。

まず知らない人のために簡単に説明しますと

春の祭り。これが実はキリストの贖いと復活の予表となっているのです。これはすでにキリストの初臨(first coming)で成就しております。

つまりこういうことです。詳しくはレビ記23章を読んでください。

ペサハ(過ぎ越し)→キリストの十字架上での死。主イエスが十字架上で息を引き取ったのは午後3時ごろ、まさに過ぎ越しの羊が屠られようとしていた時刻です。

種無しのパンがここでは埋葬となってます。種無しとは聖書的には罪の無い状態を言います。

そして、初穂としての復活。

主はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしが与える地にはいって穀物を刈り入れるとき、あなたがたは穀物の初穂の束を、祭司のところへ携えてこなければならない。

彼はあなたがたの受け入れられるように、その束を主の前に揺り動かすであろう。すなわち、祭司は安息日の翌日に、これを揺り動かすであろう。

レビ記 23:9~11

これなんかまさに、3日目の復活そのものです。(ヨナの三日三晩とは矛盾しますが、私は聖書学者じゃないので勘弁です --;)

それから50日目のシャバット(ペンテコステ)が、エルサレムの使徒たちに聖霊が下った日です。誤解している人が多いのですが、実際はこのペンテコステから新約の時代がスタートします。

と、ここまでよろしいでしょうか?くどいようですが、これは歴史上成就しております。いわゆる過去完了形です。

これがわかったところで、次にいきましょう。

秋の祭りですが、これが再臨(second coming)の予表となるというのです。

トランペット、いわゆるユダヤ歴新年=ロシュ・ハシャナ。贖罪日=ヨム・キプル、スコット=仮庵の祭りとなるわけです。

ディモーラ師によると、この間がいわゆる約2000年近く続いている現在も含めた教会時代。そして、トランペットかヨム・キプルかはわかりませんが、師は艱難期前掲挙説支持者ですので、今年かどうかは断言できないが、この秋の時期に教会の掲挙があるのではないか?と。

そして7年間の大艱難時代(いわゆるダニエルの失われた7年ですね)を経て、スコット=仮庵が終末の大収穫を含めた再臨の型となるわけです。

8/16追記

今日、アップデートされてました。ディモーラ師によると、ラッパの祭りが空中再臨による教会の掲挙、贖罪日が地上再臨、仮庵が千年王国入りの型との解釈のようです。ま、この方がすっきりしていると言っちゃすっきりしてますね。そして7年間の艱難期はユダヤ人の艱難期で悔い改めの期間と解釈しているようです。ただ私としては、否定はしませんが、終末の大艱難期を「ヤコブの苦難時期」と断定するのは、あまりにも旧約的解釈に偏ってはいまいか?という疑問はあります。ローマ書、ガラテヤ書も含め総合的に判断するに、ユダヤ人だけの苦難とは限らないのではないかな?と。

私はどこにでもいる一般市民、素人なので断定は避けて、グレーで行きます。しかしながら、大枠、大局観での見解には同意いたします。

私としては、掲挙時期に関してはグレー、ニュートラルなので、ユダヤ歴新年のトランペットが、終末を告げるラッパとなるのか、それとも掲挙の合図となるのか?はたまたその両方なのか?・・・わからないとしておきます。空中再臨、地上再臨と再臨が二度あるかどうかもわからない。二回来るとは聖書には書いてない。単に書かれてないだけかもしれない。いずれにせよハルマゲドンの時に地上再臨があることだけは間違いないでしょう。

興味深かったので、英文コラムの解説も読んだのですが、はて?今みたら見つからない --;

記憶を辿るならば、シリアがきな臭い。地震、洪水、旱魃、火山の噴火等、終末のしるしはあらゆるところに見ることが出来る。また、アメリカ大統領選前にイスラエルがイランに対して動く可能性がある。ロシアとアメリカの対立も決定的だ。よって、2012年の秋の祭り期間は要注目である・・・と言うような事が書いてありました。

ま、私としては相田みつを氏の「あてにするからはずれるんだよ」を教訓にしようかと --;・・・こればかりはわからない。私は出来た人間ではないので、時々、ヨナ書4章のように神に食ってかかる事もしばしば(涙;)、だからここの場面でのヨナの気持ちが自分のことのようにわかります。

しかし、舐めてかかることなく、敬意を持って接している(つもり?)なのかどうかわかりませんが、よく信仰を捨てずにここまで来たな、と自分で感心する事があるのも事実。主イエスの憐れみと愛が本物だからなのでしょうね・・・それしか考えられません。今でもブログを始めるきっかけとなったルカ伝19章の「急いで下りてきなさい。あなたの家(=心)に泊まることにしているから」のインスピレーションは強烈に残ってます。ここまで来たら嘘でもいい、主イエスとともに心中したって悔いはないと感じますからね。

ただあえて言わせてもらえば、中東から世界がひっくり返るような大事件が勃発するのは、政治、経済、天変地異などからアテにならない分析をするに、ステージは整っているゆえ時間の問題かとも考えます。

シリア、イランからイスラエルを舞台にしたエゼキエル38章の預言の成就はそう遠くないかもしれない・・・脅かすわけじゃありませんが、メシヤの再臨の希望、千年王国の到来という希望をフォーカスして、霊的準備だけは怠りなく。

主イエスの尊い贖いの血で復活の約束を確信していれば、恐れるものはないはずです・・・と --;・・・口で言うのは簡単ですが、やせ我慢してでも強くありましょう。

わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。

ヨシュア 1:9

追記~書き忘れた --;

Photo_2

今年のラッパの祭りは9月17日の日没より

贖罪日が9月26日

仮庵の祭りが10月1日~8日

のようですね。

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コメント

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

水と血によって来られた方。
イエス・キリスト。

このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。
ただ水よってだけでなく、水と血とによって来られたのです。
そして、あかしをする方は御霊です。
御霊は真理だからです。(ヨハネⅠ 5・6)

水によって来られた方。

わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、
あなたがたはすべての汚れからきよめられる。
わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに
新しい霊を授ける。(エゼキエル36・25-26)

血によって来られた方。

神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、
なだめの供え物として、公にお示しになりました。(ローマ3・25)

水と血が地上に降り注がれた。

兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を棒で突き刺した。
すると、ただちに血と水が出てきた。(ヨハネ19・34)

あかしするものが3つあります。
御霊と水と血です。この3つが1つとなるのです。(ヨハネⅠ 5・7-8)

突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、
彼らのいた家全体に響き渡った。
また、炎のような分かれた舌が現れて、
ひとりひとりの上にとどまった。(使徒1・2-3)

ペンテコステの時、聖霊が地に下った。
十字架の上でキリストから流された血と水。
それに加えて地に下った聖霊。
御霊と血と水・・・3つが1つになって
父なる神、子なる神イエスを証する。

神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。
神を信じない者は、神を偽り者とするのです。
神が御子についてあかしされたことを信じないからです。
そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、
そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。(ヨハネⅠ 5・10-11)

御子イエスのあかしを受け入れた恵みは測り知れない。
どんな人にもそのあかしを受け入れた人に
永遠の命を与えてくださる神に感謝。

>御霊と血と水

Amen

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

夏の過ぎ行く時を
告げるかのように・・・。
一本の木にとまった蝉が
声高らかに鳴いている。

小さな存在が
はかない短い時を
全身で生きていることを
あかししているかのように。
蝉が大きな声を出して
夏の澄み渡った青空に向かって
鳴いている。

わたしはぶどうの木で
あなたがたは枝です。(ヨハネ15・5)

イエスさまのぶどうの木。
愛と恵みと救いと喜びに満ちた
ぶどうの木。

わたしもあの小さな蝉のように
イエスさまのぶどうの木にしっかり
繋がって、
声高らかに口を天に向けて
主を賛美しよう。
全身を賛美で満たして、
主をほめたたえよう。
夏の空を越えて天に届くように。

ハレルヤ。
神の聖所で、
神をほめたたえよ。
御力の大空で、
神をほめたたえよ。
その大能のみわざのゆえに、
神をほめたたえよ。
そのすぐれた偉大さのゆえに、
神をほめたたえよ。
角笛を吹き鳴らして、
神をほめたたえよ。(詩篇150・1-3)

盆すぎたとは言え、まだまだ暑い日が続きますね。
ぶどうの木に連なって、暑い夏を乗り切りましょう。

ザアカイさん、、皆さん、こんばんは。

いまだかつて父なる神を見たものはいない。
父なる神は霊、見えない神。

神は霊。ヨハネ4・24)
いまだかつて神を見た者はいない。
父のふところにおられるひとり子の神が、
神を説き明かされたのである。(ヨハネ1・18)

だれも神を見たものはありません。
ただ神から出た者、すなわち、
この者だけが神を見たのです。(ヨハネ6・46)

父のふところから生まれたひとり子の神イエスだけが、
父なる神を見、知っている。

御子は、見えない神のかたちであり、
造られたすべてのものより先に生まれた方です。(コロサイ1・15)

見えない神のかたち・・・。
かたちは、目で見える姿。
御子は、満ち満ちた父なる神の本質を宿らせ、
見える姿となって地上に下られた。
父なる神の宿られた御子イエスのからだは神殿。

イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。(ヨハネ2・21)

見える姿となった神は、
ことばを通して、知っていることを話し、
見たことをあかしした。

わたしたちは、知っていることを話し、
見たことをあかししている・・・。(ヨハネ3・11)

そのあかしを受け入れ、御子イエスを愛する人は
父なる神・子なるイエスがその人とともに住む。

だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。
そうすれば、わたしの父はその人を愛し、
わたしたちはその人のところに来て、
その人とともに住みます。(ヨハネ14・23)

神を愛する人とともに住まわれる
父なる神・子なるイエスは、
その人を導き、助け、守り、養われる。
神がその人を愛しておられるから。

かつて肉の中に宿したものは、
罪と穢れと暗黒の力であったけれど、
神の愛が十字架で示されて、
神の愛を受け入れたとき、
聖なる光の神が人の中に住まわれるとは、
なんという神の偉大なご計画であり、
憐れみであり、恵みであり、喜びなのでしょう。

神はひとりひとりに語りかけて言われます。

わたしはあなたがたを捨てて孤児にはしません。
わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。(ヨハネ14・18)

>わたしはあなたがたを捨てて孤児にはしません。
わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。(ヨハネ14・18)

→早くこの聖句が成就するのが待ち遠しいですね。

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

静かな池の湖畔に写る
山々の美しい景色。
同じ姿をそこに写し出し、
もう一つの
風景があるかのよう・・・。

風が少し吹くと、
その姿はゆらめき、
おぼろげな風景になる。
本当の美しい姿はそこに
変わらずあっても・・・。

顔が、水に映る顔と同じように、
人の心は、その人に映る。(箴言27・19)

心の姿が、その人に現れる。
顔に行動にその人の心が映し出される。
水に顔が映るように・・・。
心がその人を表す。

キリストの愛。
心を満たすとき、
感謝と喜びに満ち溢れる。
さらに愛が深まるとき、
キリストがその人に映し出される。

私たちはみな、
顔のおおいを取りのけられて、
鏡のように主の栄光を反映させながら、
栄光から栄光へと、
主と同じかたちに姿を変えられて行きます。
(コリントⅡ3・18)

わたしの心の中のキリスト。
深い慈しみの愛で、
少しずつおおいを取りのけられて、
悩みと苦しみを通して
キリストに似たものとして姿を変えられる。
少しずつ・・・
少しずつ。
天に帰るまで
少しずつ・・・
少しずつ。

心の状態が姿に現われる・・・違いないですね。
もっと元気一杯の状態でいたいのですけど、なかなかそうもいかない(涙;)

それから、そんなに急に変えられるものでもありませんよね・・・
これまた忍耐を持って少しずつですね。
キリスト者やるのも楽じゃない・・・

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