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2012年5月 3日 (木)

米ロによる共同反テロ演習だって?

本日、Rockwayさんとこのブログに興味深い記事を発見。このブログの管理人さんも彗眼の持ち主ですね。

http://rockway.blog.shinobi.jp/Entry/729/

>今回のこの米ロ共同演習の背後と目的はなにか? 5月7日にプーチンが大統領になるロシアは間違いなくこのイリュミナティに対抗する勢力である。それから考えれば今度の共同演習がオバマ大統領と一緒になってこのイリュミナティに対抗する為の演習ないしは演習に見せかけた本当の作戦かもしれない、という可能性もあるだろう。

●五月下旬にアメリカ・ロシア共同反テロ演習
http://english.cri.cn/6966/2012/04/20/189s694306.htm
【4月20日 Xinhua】

 

ロシアとアメリカの空挺部隊は、アメリカのコロラド州で5月24日から31日にかけて、反テロ共同演習を行う計画である、とロシア国防省スポークスマンのアレクサンダー・クチェレンコ大佐が4月19日に語った。
 クチェレンコ大佐によれば、ロシアの空挺部隊がアメリカの空挺部隊と共同でアメリカ領内で演習を行う最初のケースとなるという。
 「この演習のシナリオでは、両国の兵士は戦術的エアボーン作戦を行う、その中にはテロリストの基地と見立てた場所の偵察と襲撃を含む」とクチェレンコ大佐は語った。
 「作戦後は、ヘリコプターが兵士らの撤収を行う」と大佐は語り、更にロシア兵はコロラドのカールソン基地での演習でアメリカの特殊部隊用兵器の訓練も行うだろうと述べた。
 ロシアのグループは演習の一週間前に来て、コロラドスプリングス市の野球の試合を観戦する予定だとスポークスマンは語った。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この情報は重大情報となる可能性を秘めているかも?しれません。
ただ一点、私はオバマが反NWOの旗手であるとは考えておりませんが。

私としてはむしろその逆で、故意か不測の事態かわかりませんが、これが米ロのホット=ウォーへの仕掛けにならなければいいがと危惧しております。

しかもプーチンが大統領に返り咲いた後での不可解な共同テロ演習です。ウラを感じざるを得ません。しかも時期が時期でもあります。
アメリカ領内での初のケースであるとのことで、コロラドがその舞台となっているとのこと。

このコロラドにはあの悪名高き、黙示録第4の封印の青白い馬のモニュメントがあり、エジプトのアヌビス神の像もあり、ナチの兵士のような気味悪い壁画ありのデンバー国際空港があります。

2010061316

上空から見るとまるでナチスのハーゲンクロイツのようなデザイン --;

Bluemustangdenver

2010061315

441_denvermasonicstone

Dennba

まさしく、オカルトの凝縮されたようなサタンの芸術作品であるかのような空港です。

またコロラド=スプリングスもデーモン=スポットであると聞いたことがあります。
あまり馴染みがないかもしれませんが、ここにはWPC(World Prayer Center)があります。

ちなみにワールド・プレイヤー・センターとは

> WPCのサーバーにログインすると:ライトハウスとして提携するとき、あなたは、ウェッブサイトとデータベース資料を連結するネットワークへのアクセス権を手に入れる事だろう。その内容は、何千という別のライトハウスについての正確な情報であり、行き着くところは、あなたの街や地域についてのより詳細な情報をあなたが、入力したり、受けたりできるであろう新しいデータベース“観測所”に他ならない。

“その観測所はWPC(World Prayer Center)の調査本部である。その観測所は調査書庫、祈りのネットワークを通して提供されるサービスとインターネットの検索能力を連結するものである。我々独特のデータベースは次のごとき情報を提供する:緊急の祈りの通知、国と人々のグループ、社会的霊的傾向、宗教サイトとシステム、宗教的巡礼の旅とフェスティバル、カルトとオカルト、宗教的地図のレポートその他盛りだくさんといった具合である。”

この運動の調査研究者は、“こと細やかに書かれた祈り人の記録を維持管理して、隣人の名前、住所、個人的な問題、“感じうる必要”や目下の信仰のスタイルを共有する事、要するにWPCへの通常のメール、ファックスや郵便の記録のコピーは、ライトハウスに筒抜けの状態にあるということを、覚えていただきたい。“と語っている。

さらに同様の研究者からの適切な論評は次のごとくである、“ライトハウスはたとえるなら、実際に統一された単独の使徒的教会(背教者の教会と言えまいか?)の胎児的細胞となるべく狙いがあるのではないか?狂気のごとく聴こえるかもしれないが、彼らの計画というものは、ピラミッド型にリンクするものであり、宗派を越えたもので、多層ネットワークであり・・・120もの計画されたWPCに行き着くもので、彼らの行政指導者は、高位の使徒、言い換えるならば、ネオ宗教革命の枢機卿になろうと目論む者である。
WPC(World Player Center)とは、・・・この5,500万ドルの組織体とは、今年度、ライトハウスとの提携を期待されている全米中に拠点を持つ300~600万ものライトハウスが集めた膨大なる情報を加工し、照らし合わせることを可能ならしめた“電気の力”でデザインされたものである。“

http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/b106.html

まさしくキリスト教界における情報スパイの役割を負ったデータベース観測所なわけです。
また隣にはユタ州、ソルトレイクシティーがあります。いわずと知れたモルモン教の本部がありますね。

このような場所での米ロ共同テロ演習となると・・・爆弾を体に巻きつけて火に飛び込む結果とならねばいいのですが。一応要チェックであろう情報です。

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黙示録、聖書預言」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、
ある牧師が2012年にキリストのクローン、ウィリアム王子が30になったら、半年後の12月に云々とあるそうですが〜わたしは眉唾だと断言します。
1、イエスの聖骸布から遺伝子を?の話じたい妄想 たしかにゴルゴダの丘から探検家が主イエスの血液を採取したことはあります。不思議な遺伝子だったそうです。しかし、聖骸布からウィリアム王子に至る経路は騙し以外ナニモノでもありません。
他にも、携挙はそもそも、艱難時代にかかわりなく何時でも起こり得ますことは山岸登氏も書いてあります。
とにかく、艱難時代を今年からと創作したい闇勢力の印象を抱きます。とりあえず、気をつけてください。あの韓国系牧師とのメールの終末掲示板には99の真実の中に1の毒があるように思います。悪魔でも参考程度に

風さん、はじめまして。
論評ありがとうございます。
私も聖骸布に関しては、あくまでもカンなんですけど、どうも?ウラを感じております。果たして本物かどうか?翻訳してくださった姉妹も似た様な事言っているようです。

掲挙時期に関しても、私ニュートラル。わからないものはわからないとしか言えませんね。

ご忠告ありがとうございます。ただ韓国系じゃなくカナダ人ですけど^^;悪意を持った敵陣営の工作員のようには思えないのですがね。すべてを正しく捉えるのは我々人間では難しいですからね。的の真ん中を射抜くのは至難の業でしょう。

最終的には神と自分との関係でしょうから、自分のカンも大事にしたいですね。

オバマに関してはNWOの旗手でないというのは・・・多分真実なのではないですか?絶対とは言い切れないですが、9.11後に彼がロシアに前触れもなくエアフォース・ワンで行こうとしたら撃墜されそうになったという話もあるわけですし、そこらへんはニュートラルに行くべきなのかもしれません。オバマが人工授精で生まれたとしても人間の心があると信じたいですね。

どうも、ザアカイさん。
泉パウロ牧師の新刊311人工地震のpart2にロンワイアットと契約の血液について詳細に書いてあります。やはり1982年に生まれたウィリアム王子とは時間軸で矛盾します。

NWOが仕掛ける予定として、ウィリアム王子を意識していることは注目すべきかもしれませんが…悪魔でも、それは神の予定ではなく、パクリ名人サタンの配下の闇勢力の予定でしかありません。

その泉氏の考えでいくなら、闇勢力の予定として、2012年末から、七年艱難を企画されているようです。つまり、双六の上がりは2019年前後

しかし、神の真実の予定は異なると思います。
!つまり、闇勢力の人工的なアセンション七年艱難は失敗します

神の始める真実の七年艱難とは微妙な時間差があると確信するからです。

はるみさんが、2015年に注目しているのは、ある意味正しいでしょう。しかし、始まりに過ぎません。

七年艱難の前に終末準備段階として第七の封印までの半時間の沈黙、その後の1から4のラッパ、これは1つの出来事を意味します。その時点で2015の春 さらに、第五のラッパすなわち第一の災い、これが五ヶ月150日、この時点がいよいよ七年艱難開始になるからです。

詳細はあえて略します。読者よ悟れ!!

つまり、その間にラプチャーが必ずあります。

わたしたちが七年艱難に入ることはあり得ません。二人の証人をクリスチャン全般に解釈は致命的です。

韓国系でない?うっかりしました!?

人工地震三部作の最終巻の175頁には、こう書いてあります。

今後、これら聖書予言の…七年患難時代同様の戦争が(2012年に)起きても、
それは偽物の人工地震のような人工戦争です。これもユダヤ教シャブタイ派が古代より神の御業に見せかけて事を起こし
それをもって人々を支配することを常套手段にしてきた神がかり的な聖書類似の不正な犯行です。
今が世の終わりでない確実な証拠は、七年患難始めのラプチャーが今クリスチャンに起きていないことです。今年から聖書類似の7大災害が連続してもそれはアセンションもなく最後に天国も来ない偽物です。

276頁

天然の地震があるように人工の地震もあります。聖書の予言する反キリストもいればこれを類似た偽の人工的な反キリストもいます。

第一ヨハネ5:5
世に勝つ者とは誰か。イエスを神の子と信じる者ではありませんか。

子どもの日前日に、貴重な情報を此処だけ記録しました。

後々、有効に用いられたなら幸いです。今まで敢えて、封印してきた情報です。

ちよさん、毎度。
オバマに対する見方はポジションがはっきりと二分されてますね。
ただね・・・あのアメリカ大統領やってて、反イスラエル的なことやっていて、今まで失脚もせず、暗殺もされずにここまで来たことに疑問を感じずにいられず。私ひねくれ屋だから、ウラ読みのし過ぎなのかも知れませんけど(笑)
オバマの指南役はあの老練なズビグニュー=ブレジンスキーなだけに、一筋縄では行かないようですね。
近いうちに白黒はっきりするでしょうから、結論を急がずそれまで待ちましょうか。

風さん、連投ありがとうございます。

>しかし、神の真実の予定は異なると思います。
!つまり、闇勢力の人工的なアセンション七年艱難は失敗します
>神の始める真実の七年艱難とは微妙な時間差があると確信するからです。
>1から4のラッパ、これは1つの出来事を意味します。

→おお!このあたりの考えは私と同じですね。

>二人の証人をクリスチャン全般に解釈は致命的です。

→私もこれはどうかな?と思ってます。
(まだマトモだった頃の)エレミヤ氏が似たような解釈をしてたようですが。これも時がくれば真実が示されるでしょうね。

泉パウロ師は、艱難期前掲挙説支持者ですね。
最近私が毎日のようにチェックしているバイブル・プロフェシーマン・ドット・コムのフランク=ディモーラ師も艱難期前掲挙支持者です。
ただ、お二人に共通なのが、悪意のないシオニストびいきであるというところでしょうかね。
中川師も愛ある立派な牧師先生だと思いますが、和製シオニスト的なところが玉に傷で --;

かく言う私も、イスラエルが消滅することはないという考えですが、ちょっとイスラエルに対する認識に温度差を感じましてね。艱難辛苦を通らねば、ユダヤ人がイエスをメシヤであると認めることはないでしょう。このほうが聖書的だと思いますね。

泉パウロ師が夢で見たという、イスラエルにロシア軍が攻め込んだとき、アメリカからICBMが飛んできてロシア軍からイスラエルを守るという幻視?もどうかなあ~?と考えますね?
泉パウロ師もそれなりに評価してますが、あの幻視というか預言?はやめていただきたいものですね。

あと私が今の時点でわからないのが、「限定的核戦争は果たして可能か?」ということです。
イザ始ったら、「全面核戦争になりはしまいか?セーブすることなど可能なのだろうか?」という疑問です。
これによっても、終末のタイムスケジュールが変わってくる可能性も無きにしも非ず・・・とも考えるんですがね。

久保氏の説だと…黙示録の第一から第4のラッパは大患難期に入る前の
前兆期に起こる出来事と証明しています。これは小惑星の災害か地域限定核戦争と解釈
そののち、第五のラッパが大患難第一期 五ヶ月の疫病
第一の災い

大患難第2期 エルサレムが踏みにじられる時代 第6のラッパ 第2の災い 三年半

大患難第三期 第7のラッパ、第三の災い 三年半 あるいは極めて短期間になる可能性もあり

この第一期を2015年春から秋と仮説
第2期は2015年秋から、2019年春
第三期を2019年春から、2022年秋、と大胆予測しました。

千年王国は、2023年から、七年の2030年の準備期間を経て、統治されます。ちょうど、十字架から2000年になります。悪魔で仮説ですが、ある理由で非常に信憑性ある仮説です。

また、何度も申し上げますが主の再臨 特に携挙ラプチャーはこの2000年の間、何時でも起こり得ました。山岸氏が証明しています。だから、大艱難時代を眼中に考慮する必要は無いのです。それは、何時でも起こり得たのですから。


以上、失礼しました。

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

スーパームーン

今宵、ひときわ輝く満月の月。
夜の暗い星空に
強い丸い光を放って地上を照らしている。

小さいほうの光る物には
夜をつかさどらされた。(創世記1・16)

昼は太陽、夜は月。
神の恵みの光は、
2つの大きな光る物を人間に与えて、
照らし続けている。
昼も夜も神の恵みの光は降り注いで
人々を照らしていることを
語っているかのように。

天は神の栄光を語り告げ、
大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、
夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、
その声も聞かれない。(詩篇19・1-3)

静寂の中の輝き。
キリストの輝きの栄光を現わしているように。
心の喜びの輝きを灯しているように。
今宵光輝くスーパームーン。
感謝!

enjeruさん、こんばんは。
本日の満月は見事でしたね。
あさってはもっと大きく見えるんでしょうね。

それから

聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言う事ができない。
コリント第一 12:3

ダニエルよ、あなたの道を行きなさい
ダニエル12:9

でいいと思いますよ。

風さん

皆さんのように、
一つのペンネームで通してみてはいかがですか?

人から信用されたいのならば、
一つの名で貫かれる事をオススメします。

まずは「子羊村掲示板」にお越し下さい。

もちろん裏ではなく、メイン掲示板に来て下さい。

皆さんお待ちしています。

全然恥ずかしい事じゃないです。

名前を変えてコソコソするから余計に恥ずかしくなるんです。

本当に自信ある記事なら、変えない一つ の名前で、
子羊村に正面から入って、堂々と書けばいいんです。

ところで

携挙が7年の患難前とするのが当然と考えているヒトもいますが

僕は患難前とする根拠もあれば患難に入ってからと考える根拠もあるように思うので断定するのはなぜなんだろうと思うのですが。

患難中期の根拠を上げるとね。雲の柱・火の柱のモトイさんに軽くあしらわれてしまい投稿拒否ですよ。

なんでそういう了見なんだろうか?
患難前じゃないというと、牧師も不機嫌になるし、なんかクリスチャンとしての平安がその神学にかかってるんじゃないか・と思ってしまいますよ。
つまり患難に突入するのがこわいのから、そう解釈してるんじゃないのかとうがった見方になってしまうんですよ。そういう対応されると。

久保有政さんなんかは患難にクリスチャンがいるのは当然と解釈されてるし。モトイさんは名ばかり信仰のダメクリだけ残されるんだとの説で。

それだと二人の預言者や患難で迫害受けるクリスチャンが「聖徒」と敬意を持って呼ばれてるのが合点がいかんのですよね。残されるのがダメくりなら。

どう思われますか?


ラプチャーは、ペンテコステ以降
今日に至る「いつでも」起こる可能性がありました。
でなければ、1世紀に生きていたパウロは偽りを語ったことになり、新約聖書は信用ならないことになります。

しかし、この二千年のあいだ、主は戻っておいでになりませんでした。

西暦70年にも、戻って来ませんでした。西暦1000年にも戻って来ませんでした。西暦1844年にも、西暦1914年にも、西暦2000年にも、それは起こりませんでした。

そもそも、大艱難、あるいは大患難時代を考慮する必要などないことは、泉谷パウロ氏や岸氏、山岸登氏などが著作で証していませんか?主ご自身は極端な話
何時でもお帰りに為られるという可能性を
つまり、患難時代前どころか極端な話、患艱時代の何時でも、主ご自身の為さりたいように「何時でも」それは起こり得ることを、
艱難云々はnonsenseなのです。その上で山岸氏などは、可能性としてラプチャーがあった場合を検証して、即座に艱難時代になるのではなく、少なくとも数ヵ月から数年の準備期間がなければ黙示録の内容がはちゃめちゃになるとネットでも再三警告してきました。

いいですか…それは二千年間何時でも起こり得たのです。大艱難時代など考慮する必要はないのです。ラプチャーはひょっとしたら1000年前に起きても良かったのです。1000年準備期間後に大艱難時代がきたとしても 聖書は正しいのです。ですから、ラプチャーが大艱難時代の中だ…後だ…絶対可能性ないとは断言できませんが、ある意味でnonsenseな議論なのです。詳しくは山岸登氏の一連の著作を参照にされて納得されてください。

誰がどう言っているかわかりませんが、聖書のことばから解き明かすのが筋でしょう?
風さん、そこまで言えるなら説明できるでしょう?

やれやれ…

では聖書から証明しましょう。
仮定:キリスト再臨 特に信者の天への引き上げ所謂携挙ラプチャーは患難時代の前か後か

結論:キリスト再臨には二種類あること。空中再臨と地上再臨 前者は終末の最終部の患難時代に左右されることなく、
二千年の何時でもあり得ること。

証明は昼頃から、書きます。かなり長きに渡りますので


先ず、キリストの再臨とは何か、世界の終わりとどのように関連しているのか…
空中再臨とは。
テサロニケ第一の四章、13から18節
コリント第一の15章50から57節

主イエスが地上にいるクリスチャンたちを天に引き上げるために神の合図のラッパと共に、其のとき既に肉体的に死んでいた聖なる者たちの霊を引き連れて、天から空中まで下って来られると語っています。その時、死んでいた肉体が不死の栄光の復活の姿に変えられます。地上組のクリスチャンたちは生きたまま、一瞬のうちに栄光の姿に変えられ、天に引き上げ空中で主におあいします。この再臨を奥義秘められたミステリオンと呼んでいます。
ヨハネ14:1から3節では場所を備える時必ずクリスチャンたちを迎えに戻ると約しています。黙示録16:15でも主イエスは、見よ、わたしは盗人のようにくる。と再臨が予告無しに突然行われると語っています。極めつけは主ご自身が然り。わたしはすぐに来ると聖書巻末に、念を押すように断言されたことです。

それは予告や前兆がなく、突然施行されて、今日でも明日でも、過去の二千年間何時でもあり得たのです。


ヨハネ黙示録6章以下に患難時代に全人類に注がれる神の子羊の怒りが語られています。この患難の終わりに主イエスは天から地上に下って来られます。ですからこの再臨を地上再臨と呼んで、先の携挙を含む空中再臨と区別します。キリストの空中再臨はパウロの解くように奥義ミステリオンですが〜地上再臨は奥義ではありません。なぜなら旧約聖書の中に預言されてきたことです。ゼカリヤ14章やイザヤ、ダニエル等に預言されています。

結論:まず教会時代の終わりに、空中再臨があり、其の後しばらくの不定な期間を経て
それから患難時代的が始まります。艱難時代は七年間で、最終部分でキリストが王として聖なる者を引き連れて地上に再臨される。

このような筋書きに沿って世界は動いています。

新約聖書の書簡の大部分はパウロの手紙で占められています。それで新約聖書の信憑性は、パウロの信憑性と不可分な関連しています。使徒パウロが聖霊に導かれて誤りのない信頼すべき神のことばを語ったのか、それともパウロも間違ったことを語ったので全面的には信頼できないのか…のどちらかです。異端の参考書には、1世紀のパウロたちは主の再臨を自分達の時代に成就すると誤った期待を持っていたようで、彼らは期待はずれを経験した失敗した…と書かれていて愕然としたことがありました。

果たして、パウロやペテロ、ヨハネら1世紀のクリスチャンたちは間違った期待を抱いた失敗者だったのでしょうか

確かに人間的にはパウロも間違いを犯し軽はずみなことを語ったりしています。バルナバとの喧嘩とか…いろいろと

しかし、こと聖書に関する限り、神なる主イエスは彼に私たちが微動だにしない確信を持って信頼すべき神からの聖霊に導かれしことばを著せられたと私たちは受け取ります。なぜならば、全能なる神が聖書によってそれを要求しておられるからであり、もし聖書が信頼できないものであるならば、私たちは一層信頼できない、愚かな人間という馬鹿者の言うことを信じなければならなくなるからです。その結果、私たちは海図なし磁石なし今ならGPSなしに太平洋の真ん中に放り出された小さなヨット同様で、どちらに向かったらよいのかまったくわからなくなってしまいます。その結果、人びとは悪魔サタンの餌食になり、愚かな欲望と力の支配する反キリストの軍門に虜にされてしまうのです。

誰が読んでも明瞭に、パウロやペテロ、ヨハネら1世紀のクリスチャンたちは熱烈に、毎日、キリストの再臨を今か今かと首を長くして待望していたこと
そしてキリストの再び戻ってくるのを、すぐにでもあり得ることとして待っていたのです!第一ヨハネ3:2 3
第二テモテ4:7 8
ヘブル10:35から37

キリストの再臨が緊迫していることを否定する者は、聖書の完全性を否定する者です!

サタンはクリスチャンを世的にし、クリスチャンを世俗化する手段として携挙なる空中再臨についての希望を奪うことをよく知っています。信者を惑わす方法として、ラプチャーには、これこれの前兆が見えるから近いと書かれた書物なよく売れよく読まれます。

しかし、空中再臨携挙には一切前兆はまったくありません。主イエスは今日でも私たちを迎えに来ることがおできになる。

続く

あなたがたは、どのような者によっても騙されてはなりません。なぜならば、(主の日が来る前に)先ずその離別(携挙)があり、と第二テサロニケ2章にあります。二千年たって大患難時代が近いから、空中再臨が近いなどとパウロは語っていません。新約聖書は、パウロの書簡は、書かれた当初から世の終わりは近い、携挙は今にもおこると期待して語ってきたのであり、クリスチャンたちはそれを信じてきたのです!すなわち、大患難の前兆がいろいろとあるから、21世紀の現在は再臨が近いと言うならば
世界に現在のような状況がなかった1世紀クリスチャンたちは、終末が近いと思い違いをしたのだと言っていることと同じなのです。異端信者はまさにそのように教えられて騙されています。

さらに、展開するなら、1世紀のキリスト者らに思い違いをさせたパウロの書簡を含む聖書は、現在も信じる者に思い違いをさせるから信じる価値はないと、方向づけを悪魔サタンに与えてしまいます。このように悪魔はクリスチャンたちから聖書への信頼を奪い去り、聖書の権威を認めないニューエイジ系ニセクリスチャンの言葉によって私たちを右往左往させる策略です。

聖書は、イエス キリストの空中再臨すなわち携挙ラプチャーが、いつでもあり得ること、またそれには前兆がないので誰も予想できないとあり、しかし必ずそれはおこると語っています。

続く

とりあえず、このぐらいにしておきますかね。まだまだ、続いて書いてもいいのですが〜疲れるしザアカイさんにも迷惑でしょうから、ほどほどに、いい加減にいたします。

結論:それで、もしキリストの空中再臨後、直ちに患難時代が始まるとするなら
前述のことがすべて携挙の前に起きなければならないと、すなわち空中再臨には前兆があると解釈しなければならなくにり
そうなると現在私たちの目に再臨の前兆とも思える中東情勢の不穏な動きなどが見えなかった1世紀に、キリストの再び戻ってくるのを日々待つように教えたパウロは間違っていたということになるのです。

しかし、答えはパウロが正しいのです。キリストの空中再臨は、この二千年間いつでも前兆なしにあり得るのでした。だから、大艱難時代前に、後に、中に云々自体なコメントがnonsenseなのです!さらに展開すると、大変な作業になりますので、切りのいいところでやめます。

以上です。

あらら~、いつも間にかコメントの嵐^^;

私の立場をいうならば、艱難期前、艱難期中、艱難期後、どれであっても可能性はあるので否定も肯定もしない。ニュートラルです。

heavenさんの言うこともわかるし、風さんの言うこともわかる。あとはモトイさんの言うように果てしない神学論争となり、どこまで行っても平行線。

なってみなけりゃわからないくらいに考えてますが。
取りようによってはどうとも取れる、艱難期前に掲挙されるならそれでよし。艱難期を通らねばならないなら覚悟を決める。殉教するかもしれないし、不思議な方法、奇跡で持って地上再臨まで守られるかもしれない。
御心のままにです。

風さん。一通り読ませてもらいましたが理解するにはもう少しかかりそうです。ありがとうございました。

ただモトイさんとのやりとりでもそうなんですが、自説の説明にはなっているんですが、それが患難中期説などの反証に必ずしもなっていない。

たとえば
黙示録 13:7獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。
ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。

ここなんかわかるように獣=荒らす憎むべき者=不法の人に弾圧されるクリスチャンを描写している。これをどう解釈するか


ここの解釈もわからない
2テサロニケ 2:1さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストが来られることと、そのみもとにわたしたちが集められることについてお願いしたい。
2:2霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。

ここでパウロが言っているのは「主の日」に「キリストが来られること」と「私たちが集められる」日が同じこととして語られている。すなわち再臨と携挙のことが

2テサロニケ 2:3だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。

再臨と携挙すなわち「主の日」は、この出来事の「後のこと」として語られている。黙示録13章はそれと矛盾がない。つまりクリスチャンは地上にいる。

これだと風さんの意見が成り立たなくなりませんか?

ザアカイさん

コメント欄を使わせてもらいすみません。

僕も基本的にザアカイさんと同じで、どちらだとしてもつまり携挙が起こればそれで良し、患難に突入すれば腹を据える。その思いは同じなんです。
僕も不勉強かもしれませんが、聖書にはどちらの解釈もできる部分があるように思う。

しかし携挙が先だと主張される方の多くが、僕の知る限りですが自説を間違いないものとして主張される。

僕は患難前携挙説が特にアメリカの教会の神学で語られ教えられてきた中で、911以降の対テロ戦争の真相をクリスチャンが見破れなかった背景に、患難は自分たちとは関係ないという患難前携挙説の不用意な盲信があったのではないかと推察するのですね。

クリスチャンが守られるなら、世界政府の陰謀が進行したとしても、自分たちには関係がない。アメリカのメガチャーチなどで語られる「繁栄の神学」が現状認識を誤らせたのではないかと。。

もしですよ。
患難前携挙がなければ、クリスチャンの多くは全く無防備で迫害を経験するかもしれない。
その弊害は大きいと思うのです。
少なくとも僕は僕の教会のメンバーに迫害に備えさせる準備をさせておきたいと思う。

facebookやツイッターを何の危険も感じることなく友情や信仰の多くを交換しているクリスチャンたちがあるとき、一網打尽にされる危険性。そういうことを患難前携挙説の立場の人はどう考えているのか聞きたい。もし自説がはずれたら、どう自分の仲間たちを守るのか?僕はやはりそれを考えるのですね。


誰れが風を
見たでしょう
私もあなたも
見やしない

けれど木の葉が
ゆれるとき
風がとおり
すぎてゆく

クリステナ ロゼッティ 作詞
草川信一 作曲

風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。
ヨハネ3:8

風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない。

詩編103:16

秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる

藤原敏行

突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。

使徒2:2

来るべき風は、誰に干渉されることなく、自由自在に吹き荒れます。それが何時だと私たちが望む望まず関わりなく
何時でも何時でなくとも、それは現れて来られます。まるでおてんば天使のわがまま娘のように、

携挙は信仰です。日々待ち望む者にのみ叶えられる信仰なのです。エノクは恵みにより、地上から取り去られました。ノアは方舟を造って家族連れで生き延びました。

恵みで携挙されるなら、わたしはハルマゲドンを生きて通過するなら、殉教して果てたとしても

凱旋が待っていると信じます。

いいですか…空中再臨は何時でもおこる可能性があります。エクレーシア教会なる花嫁を略奪する目的で、

ところが、地上再臨は 聖徒と共に主ご自身が怒りの葡萄のさかぶねを踏むために、火の裁きを人類にくだす為に来るのです。目的が全然異なります。聖書の言葉は、前者か後者の再臨のことか、よく洞察して見分けなければ…とんでもない結論に誤導されかねません。奥山実牧師の黙示録講解に詳しく書いてあります。

>奥山実牧師の黙示録講解に詳しく書いてあります。

それで

>再臨と携挙すなわち「主の日」は、この出来事の「後のこと」として語られている。黙示録13章はそれと矛盾がない。つまりクリスチャンは地上にいる。
これだと風さんの意見が成り立たなくなりませんか?

に対する見解はどうなんですか?

主ご自身が再臨される時、全員が携挙されるのではなく、残される者がいます。この人たちはクリスチャンですが、患難時代を通過しなければなりません。
問題は、それでは誰が残されるか?ということになります。
残された者の中で、患難時代の激しい苦しみの中で悔い改める者が起こされます。その数は非常に多いでしょう、現在クリスチャンは世界で20億人と言われています。この中で名ばかりなクリスチャンが大半です。ドイツのようにクリスチャンと称していても、わずか2%しか礼拝に行かない国があります。
これは厳粛な話です。
あとテサロニケ第二の手紙2:3の
まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない。の、ギリシャ語
APOSTASIAは背教 反乱とも訳せますが、出発とも訳せます。ヒックス、ティンダルによれば、遠くに行く 出発する 移動するを意味すると述べています。つまり、ノーマン ロバートソンによると、
まず携挙があり、そして反キリストが来て、主の日が来るという意味になります。


黙示録13章の反キリストの時代にいる者について
簡単に説明しました。

>まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない。の、ギリシャ語
APOSTASIAは背教 反乱とも訳せますが、出発とも訳せます。

それじゃ文脈的におかしいでしょう。
主の日が到来していないことを教えるために、不法の人の登場を語ってるわけですから。

>残された者の中で、患難時代の激しい苦しみの中で悔い改める者が起こされます。その数は非常に多いでしょう

これも患難前を前提とした憶測であって、残された者が悔い改めるとされる聖書箇所がありますかね。

新約聖書において信仰上の戦いや試練を予告されているのは、むしろイエス様や使徒にならう信仰者であって

マタイ 10:22また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
マタイ 24:9そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。

世と妥協しているダメクリにこのような試練に備えるように教えられている箇所はないでしょう。

艱難時代の前、中
後 とかの問題ではない ラプチャーは何時でも起こり得るって説明しても、よく理解されていないようなので、埒があかないので、説明はこのぐらいにします。

そもそも、ラプチャー自体を信じていないようですね。

艱難時代を生きるなんて、どのような状況なのか想像力が働くなら、まさに地獄だと認識されてください。

日々生きるのが精一杯な地獄、レイプ、殺人は日常茶飯で、食料として人肉が売られ、娘たちは奴隷として売り飛ばされるでしょう。マッドマックスかデビルマンの地獄世界が反キリストの時代
そんな中でクリスチャンとして、生きるのは無理でしょう。そのように、警告されています。

黙示録13:10

これ以上は無意味だと判断します。以上

追伸、
マタイ24の救いとは、携挙されなかった者のアレです。

とにかく、整理しておきますと、携挙は過去二千年の間
何時でも起こり得た出来事であり、艱難時代を考慮しなくても、きょうでも明日にもソレは起こり得るハプニングなのです。
ラプチャー空中再臨をもって、恵みの時代教会時代は終了し
いよいよ、幾らかの準備期間を経て、神は再び旧るい契約の当事者イスラエルに注目します。悪魔サタンの地上支配が許可されて、いよいよ反キリストの時代に突入する期間にもなります。七番目の封印が開かれ、半時間の静寂の後
第一から第四のラッパが吹かれます。たぶん、隕石衝突かもしれません。人類七十億人のaboutで三分の一が死に絶えます!
実は、この時点まで七年の艱難時代ではありません。
次の第一の災い、すなわち5ヶ月のイナゴの災い、第五のラッパが患難時代のプロローグ序章に入る。たぶん、
そして第六のラッパで第二の災い、すなわち患難時代前半期三年半に入ります。
二人の証人、をキリスト者と解釈したカナダ人に悪いのですが、真の花嫁リベカたちはすでに地上から離れ、イサクのもとに旅立っています。
残されたカスたち、レフトビハインドな人たちの中に、悔い改めて真の聖なる者として生きる者と、回復されたイスラエル、すなわちヤマトウ神の民がリバイバルを開始します。限定核戦争で、反キリストの、イスラエルの残れるレムナントたちへの迫害は際どい残虐非道なものとなることでしょう!頚を跳ねられるのは、寧ろチョロいもので、手足を一寸刻みのミンチに切断した死刑や〜これ以上は書けない悪魔サタンの奥深い倒錯した拷問で発狂しながら悶え苦しんで死ぬ聖なる者たちの忍耐強さ、神の慈悲で脳内モルヒネがピュッピュッと出て痛みを感じなくさせるのかもしれません。とにかく、獣が一度殺されて復活してからは、悪魔サタンが内住するのでますます地上の聖聖徒たちは、地獄の様相を呈している地上で、ほぼ鎮圧瀕死の状況でしょう。その日を短縮されなければ息ある神の民は絶えてしまうことでしょう!

海外の解釈では第二第三の携挙が艱難時代に神が融通を効かせて行われるのかもしれません。そうなると、何時ラプチャーが云々の議論自体が無意味になってしまうことでしょう!すべては神なる主ご自身の胸算用なのです。

そして短縮されなかった場合、2023年末に、ハルマゲドンが起こっ
地上再臨という筋書になります。さらに七年の準備期間を経て、2030年4月主の十字架からまるまる二千年から、輝かしき花の千年王国開始点となります。

パチパチパチパチ


以上はあくまでも、聖書からの推定に基づいた仮設に過ぎません。

さらに追伸、
海外で云々とは
メル ボンドさんからの発信です。彼によれば、携挙は既に、エノク、一世紀の復活の際の主と共によみがえった聖徒たち(マタイ27:53)、さらにこれから艱難時代前に起こるであろうメインのラプチャー、さらには患難時代にはいってからの三年半のちの二人の証人の復活の際の便乗ラプチャー、さらにさらに、最終クライマックスの時に主の慈悲でスペシャルバージョンラプチャーまである可能性を著作で論じておられましたです。

以上追伸おわり。

開き直って、さらにさらに追伸、


ヒントとして、「七日間」があります。

携挙のひな型として、イサクの妻となるリベカの例があります。物語りのアブラハムは父なる神、イサクは主ご自身です。忠実なる召し使いはみ使いたち、
イエスの花嫁なるクリスチャン教会エクレーシアが、リベカです。

上なる天に引き上げられるように、リベカは父母兄のもとを離れ、月の砂漠を行きました。

詳しく書きません。創世記からインスピレーションを受けてください。

とにかく、私たちは来るべき災いから逃れて、天に引き上げられるように聖書は数々の伏線を用意していることに気づくことでしょう!

百番目のラッパ、イスラエルのキャンプが移動する時に吹かれる最後のラッパ、
過ぎ越しのパンなど、今は詳しく語りませんが〜とにかく、それは予兆前兆関係なく、私たちを掠め奪い去ります!

もし、仮に、艱難時代に入って、隕石やら限定核戦争で人類が三割強死に絶えてしまった 一回表の大失点、艱難中でも、ラプチャーは起こらず、最後の最後九回裏で逆転満塁本塁打を期待すべきでしょうか?

わたしは、あり得ないと思います。聖書が予告する大艱難はそんな甘っチョロいものではありません。その日が短縮されなければ肉なる生物は死に絶えてしまうんですよ。たぶん、サタン悪魔は地球自体を破壊するんじゃないでしょうか?地球がなくなれば、ラプチャーされたクリスチャンが主ご自身と共にイスラエルのオリブ山に降臨できませんよね

でも、ヨブ記にあるように、サタンはそこまでは許されないでしょう。神が境界線を引いておられるからです。


もし、もしですよ、それでも、神の選びから洩れてしまい、めでたくレフトビハインド取り残されたとしても、絶望しないように

メルボンドさん説によれば、ラプチャーは、最低でも三回起こり得ると希望を書いてあるのです。メインの第一回、二人の証人の復活の際のサブラプチャー、三回目は、何時だかわかりませんが、最終の落ち穂クリスチャン引き上げ作戦ラプチャーです!

コメ内容とは関係ありませんけど、ピンク=レディーのペッパー警部という歌がありました。

その時なの~♪も~しもし君達帰りなさい~と♪二人を引き裂く声が~♪したの~よ♪アアン、アアン、アアン、ア、アン、ア~♪(笑)

風君も沈黙が苦手なところなど、私と同じ穴のムジナですな(爆;)

>艱難時代の前、中
後 とかの問題ではない ラプチャーは何時でも起こり得るって説明しても、よく理解されていないようなので、埒があかないので、説明はこのぐらいにします。
そもそも、ラプチャー自体を信じていないようですね。


風さん。どうもあなたとは対話にならないようです。
あきらめました。

なんで患難前携挙説の人はこう相手の話を聞かないんだろうか?
自説に拘泥してやっきになる。
相手の反証を全然聞いてない。

この患難前携挙説の人が僕の知る限り反証を聞かない傾向は
やはり患難がよほど怖いからだろうか?

ちゃんとしたやり取りできる人がいたら、こちらも神学的教養が広がるんですけど。。

>神学的教養
の問題ではありません。命の問題です。携挙は信仰です。艱難時代が来なければ、それは来ないと信じているのは非常に危険なのです。
レフトビハインド取り残されてしまう可能性大だからです。今か今かと、日々待つ信仰の姿勢でなければ…

大艱難が恐いと認識ないのは、危機意識の喪失ではありませんか?主は言いました。放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、「その日」が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。「その日」は
地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。
しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。

そんなに議論したいなら、山岸先生や奥山先生にコンタクトして、話合われたら如何ですか?

>艱難時代が来なければ、それは来ないと信じているのは非常に危険なのです。
レフトビハインド取り残されてしまう可能性大だからです。今か今かと、日々待つ信仰の姿勢でなければ…

意味不明です。

患難時代がこなければ携挙がないとしても、患難時代がいつ来るか誰にわかるでしょうか?

主を待ち望んでいるのは何もあなただけではありませんよ。

heavenさん初めまして

〉〉艱難時代がいつくるか誰に分かるでしょうか?

風さんが伝えたいのは、そこなのです。
艱難時代がいつ来るのか誰にも分からない。
だからこそ、風さんは
「日々、今か今かと待つ信仰の姿勢が必要です。」
‥とおっしゃっているのです。

heavenさん、これからも投稿よろしくお願いします。
今日はお忙しいなか、誠にありがとうございます。

ども、わたぴ~です(vv)

>風さんが伝えたいのは、そこなのです

ガリラヤさん、そこはチョッと違う気が・・・(^^;

こんにちは
いつの間にこんなにコメントが〜
風さん。。あの。。初めましてではないですよね?
もしかして。。お久しぶりですヽ(´▽`)/
たまには子羊村に遊びにきてくださいね。

heavenさん
初めまして遅ればせながらよろしくお願いいたします。

今話してるのは、ラプチャが患難の前か中かであってラプチャがあるどうかではないです。風さんが言っているのは患難前ラプチャを信じない者は不信仰だと断定されてますね。
どちらの神学的根拠もあるのではないかと言ってるのであって、そこを掘り下ずに患難前と断定するのは、どういう理由なのかなと思うだけです。

私もそこを知りたいです。

風さん、ラプチャが艱難前に起こる。
その根拠を聖書からいくつか挙げて下さいませんか?

聖書だけからお願いします。

人の著作は挙げずに聖書の中だけからよろしくお願いします。

なぜなら人の著作は「人から出た言葉」であり、

聖書の記述は純粋に「神からの言葉」だからです。

お忙しい中、お手数ですが、
どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m

heavenさん
ラプチャが艱難前ではないという、
その根拠を聖書の中だけからいくつか抜粋し
私たちに語って頂けますか?

なぜなら人の著作は「人から出た言葉」であり
聖書は「神から出た言葉」だからです。

重ねてよろしくお願いします。

先ずは、誤解なきように…説明
>患難前携挙を信じない者は不信仰

とは、言ってません。話が展開し過ぎか、早飲み込みの様相を呈している感です。
いいですか、

携挙は信仰です。ここまでは了解しましたか?
ヘブル11:5で、信仰によってエノクは死を見ないように移されました、とあります。そんな携挙ラプチャーなどあるものか、と馬鹿にする者は引き上げられません。携挙は信仰なのです。ですから、いつでもラプチャーは起こり得るので、今か今かと待ち望み祈り深くしていなければ…非常に危険なのだと申し上げました次第

患難前に携挙されることを信じない者は不信仰だとは言っていません。ただ、非常に危険な道を歩んでいますよ!と申しているのです。

ここまで了解しましたか?

そして、患難を考慮しなくても、ラプチャーは二千年のいつでも起こり得る事実だったことは散々、聖書から書き上げましたので、繰り返しになりますので略します。詳しくはコメントの最初からお読みください。

で、なんですか、ガリラヤ氏がいろいろおっしゃっておられますが、これ以上は神学議論で、大変なことになりますので、先に申し上げました通り、管理人ザアカイ氏に迷惑かかりますので、序章プロローグ入り口あたりでやめておきます。

何度も言いましたが、神学的興味で知りたいなら、奥山実先生、山岸登先生と直にコンタクトされて議論かわされてください。わたしはあくまでも二人の著作からヒントを得て、世の終わりの緊急性を提示したのです。

あと、何方かと勘違いは迷惑です。勘違いされるの勝手ですが、根拠なく人を誰かと間違えないでください。

以上

ありがとう御座いました。
神の言葉である「聖書の中から」のみ、
艱難前ラプチャを証し・説明できないのですね。

申し訳ありません。
あなたに恥をかかせてしまいましたね。

そして、「○△先生」、「・・先生」という口ぐせ。
あなたの器崇拝も、年季が入っておりますね。

あなたがたは教師と呼ばれてはならない。
あなたがたの教師はただ一人、
すなわちキリストである。

~これは誰でもない、
 イエス・キリストが言った言葉です。

どうぞお気の済むまで、あからあさまに
私たちの主イエス・キリストに反抗すればよろしい。

「先生、先生」」と呼ばれて、否定しないその2名も
かなり図太い神経の持ち主なのでしょう。
仕方ないです。人間は弱い者。
持ち上げられて、まんざらでもない気分でしょう。

あなたはあなたの神に仕えればいいです。

しかし二度とここでは
嘘の説を広めて、掲示板を汚さぬよう、忠告します。

被害者はあなた一人だけにとどめておいて下さいね。

エルヴィス・プレスリーは、ロックというあまり良くない音楽を
世界に広める者の一人でありました。
その仕事は誉められたものではないのかもしれません。
しかし・・

あるコンサート会場での出来事です。
観客席の聴衆の一人がエルヴィスに対して
「あんたはキングだぜ!」と声をかけました。

エルヴィスは即座に彼のほうに目をやり、
「違う!キングはイエス・キリストただお一人です!」

~といそいで打ち消しました。

どの牧師さんもそうなる事を願います。

ガリラヤ氏に敬意を表して、聖書から患難前携挙の理由を少しだけリサーチします。

一つ、黙示のフィラデルフィア教会への主のことば、
3:10 〜わたしも、地上に住んでいる者たちを試みるために、全世界の上にやがて来る試練の時から、あなたを守ろう。

全世界の上にやがて来る試練の時とは、ダニエル書の70週の年から判断して、七年間の患難時代のことです。
また、「時から」の「から」という前置詞がギリシャ語では、「エク」であるため、エクレーシア教会が患難時代の中を通るとか、患難の半ばまで経験するとか注解する人がいますが、そのような人は前置詞のエクの意味を良くしらないので間違いを犯すのです。確かにエクには、「…の中から」を意味する場合が多いのです。しかし、エクには「…から分離する。…から分かれる。」というように、分離を強調する時に前置詞アポよりも強い意味で用いられる場合がかなりあります。しかも聖霊がここで語っておられることは、主がキリスト者を試練の「中から」ではなく、試練の「時から」分離してくださるということです。
第一テサロニケ1:10 5:9参照のこと

このように、一つの聖句でも大変な説明を要しますので、このぐらいにしておきます。勿論、まだまだ聖書から説明しようと思えばできますが、ご勘弁を

お後がよろしいようで、

お歳を召された方のようなので、性急に人をレッテル貼りされる方を批難はいたしません。

器崇拝ですか?でしたら、高橋姉妹も、そうなりますね…彼女を知ってる者ですから、しかしるちゃんは、あの牧師を崇拝なんかしていないのは、明らかじゃないでしょうか?

上への敬意をもって接することを、崇拝と断罪されてまで、此処に書き込む気にもなりませんので、ロムはしましても、二度と書き込むことはしませんので

サヨウナラ、

ガリラヤさん>heavenさん
ラプチャが艱難前ではないという、
その根拠を聖書の中だけからいくつか抜粋し
私たちに語って頂けますか?

二人の預言者、獣に殺される聖徒たちの記述がある限り、クリスチャンがその時代にいることは明白ですね。

黙示録9:4いなごは、地の草やどんな青物も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。

ここでは第5のラッパにおいてもクリスチャンは地上に存在していることを示しています。

神がなぜあるクリスチャンに第5のラッパまで地上で試練に合わせ、あるクリスチャンをラッパ以前に召し上げられるのか?

このことを風さんは何度かラプチャーがあると説明し、最初の段階でダメクリは残されると言いますね。

マタイ 25:10愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。

ここでは後からまた戸が開けられるという言葉はありません。
が二人の証人が携挙されることは黙示録11章にあります。

11:12二人は、天から大きな声があって、「ここに上って来い」と言うのを聞いた。そして雲に乗って天に上った。彼らの敵もそれを見た。

しかしこれが他のラプチャーと別の出来事なのかどうかここからではわからない。

ラプチャーがいつ起こるのかについての意見の相違は前のコメントに書いたように

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない。の、ギリシャ語
APOSTASIAは背教 反乱とも訳せますが、出発とも訳せます。

それじゃ文脈的におかしいでしょう。
主の日が到来していないことを教えるために、不法の人の登場を語ってるわけですから。

>残された者の中で、患難時代の激しい苦しみの中で悔い改める者が起こされます。その数は非常に多いでしょう

これも患難前を前提とした憶測であって、残された者が悔い改めるとされる聖書箇所がありますかね。

新約聖書において信仰上の戦いや試練を予告されているのは、むしろイエス様や使徒にならう信仰者であって

マタイ 10:22また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
マタイ 24:9そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。

世と妥協しているダメクリにこのような試練に備えるように教えられている箇所はないでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この疑問に風さんは答えていないので、平行線ですね。

イエスはこう言われましたね。

ヨハネ 17:14わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。
17:15わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。

イエスは明らかに世においては患難がある。迫害があると述べられました。「取り去るようではなく、守られるように」願いました。

初代教会も日本のキリシタンも同じ弾圧の中を生き抜きました。
なぜ終末にだけ例外があるのか?

モーセによる出エジプトでは、ゴシュンの地のヘブル人は10の災禍のただ中で守られたとあります。その代わり彼らはわらなしでレンガを作らされるなど、迫害されます。

彼らが出エジプトしたのは、その後です。

マタイ24章でも

マタイ 24:8しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
24:9そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。

イエスは「生みの苦しみ」のとき、迫害もあると言っています。

24:13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

最後まで・・・いつまででしょうか?

旧約聖書の記述が新約における雛形(予型)を現しているなら、「ただ中」で守られるもありうることです。

ルカ 21:12しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。

ルカでは「これらのことがすべて起こる前に」迫害にあうと書いてあります。

マタイは「そのとき」と書き、ルカは「起こる前」と書いています。

これらのことから僕自身は聖書を理路整然と時系列で完璧に説明するのは無理だと理解しています。

風さんの意見は一つの意見として認めますが、それを聖書は全面的に矛盾なく説明できない。

というのが僕の見解です。

風さん。ガリラヤさんがおっしゃるようにどこかの「先生」の受け売りで僕は納得しませんよ。

自分の信仰は自分で説明できないといけないというのが僕自身の信条です。

携挙に関してある立場をとることは、ある聖句を持ち上げ、ある聖句をだしに使い、一方である聖句を矛盾を感じながら無視しなければならない。
そういうジレンマに陥ると僕は思っています。
だからこうだという明確な聖書の完璧な解釈は難しい。
管理人さんがおっしゃっているのはそういうことだと理解しています。

何かの立場を自分なりに信じているという謙虚な表明は尊重されますが、相手を見下してこうだと断言なさるなら当然その根拠に関して批判もされ、受け売りで逃げるのは済まされません。

そのためには相手の反論に丁寧に向き合う態度が求められる。
患難前説の立場の方が批判に耐えうる謙遜な説明をされるならそれなりに尊重もされるでしょう。

heavenさんありがとう御座いました。
ほとんどすべて、あなたと同じ見解です。

ただ、艱難前「にも」あるかもしれません。
しかしそれは全携挙者の数パーセントだと思います。
いわゆる、一部でしょうね。

また、携挙は数回あるかも知れないですよね。
しかし最多数は、後半、あるいは終盤に集中すると思います。

理由はもちろん、heavenさんが秩序正しく説明して下さったとおりです。

彼女は全携挙者の大多数は艱難前、と思い込んでいるようですね。
heavenさんが詳説されたように、聖書を「常識を持って普通に」読めば、
全携挙者の最多数は後半、または終盤に・・が最も自然です。

なぜ普通に読めないのか・・?不思議ですね。
そして何がなんでも艱難前に起こってくれないと困る理由があるのでしょう。
  
そして、人を見下した態度は強い劣等感の表れ・・・と昔の賢者も言っています。
おそらく何か、世の中を憎んでいるんだと思います。

また、彼女の言い分では、艱難前に携挙された人が「一流クリスチャン」で、
そうでなかった人は、二流~三流というニュアンスが強く感じられます。

違うと思います。以下に話す事は、
艱難期前にも一部の方々を対象に携挙がある、という前提での仮説ですが、
もちろん不信仰ゆえに、早期の携挙をされなかった人もいるかも知れない、
しかしですよ、早期に携挙されなかった人というのは、
神に見込まれ、「残りの民を君に託すよ」というメッセージもある思うんです。

そしてheavenさんの解説をもう一度出しますね。

「・・、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」
最後とは、やはり「最後、9回裏」でしょうね。
普通に考えれば、それしかないはずです。

そして艱難期 全期間を通り抜けた人は、最も大きな祝福を受けるかも知れない。
・・と、そんな希望もありますよね。

私は説明が苦手なのですが、今回heavenさんは、私が言いたかったことを
全て書いてくれました。まことに有難うございました。


>患難前に携挙されることを信じない者は不信仰だとは言っていません。ただ、非常に危険な道を歩んでいますよ!と申しているのです。

もう風さんは書き込まれないかもしれないですが、これは意味不明です。
患難の中を生き抜く覚悟を決めたクリスチャンにとってどういう信仰上の危険があるでしょう?
僕は全く反対のことを想像します。
つまり患難前だと信じこんでいたクリスチャンが、そうでなかった時、多くのクリスチャンがつまづく可能性です。
ラプチャが患難後かもしれないという心の備えのあるクリスチャンの方がはるかに試練を受け止めて生き抜くでしょう。

人の知恵に教えられたことばを用いず、
御霊に教えられたことばを用います。
その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。
               (コリントⅠ 1・13)

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