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2012年4月 8日 (日)

ペサハ(過ぎ越し)とイースター(復活祭)

またまた更新が開いてしまいました。ここのところ何一つ?インスピレーションが沸きませんでした --;

6日は過ぎ越し(ペサハ)で、ちょうど過ぎ越しの犠牲の羊が屠られている午後3時頃、主イエスは、文字通り・・・犠牲の子羊となり、十字架に架かり全人類の罪を贖ってくださった。

このキリストの血で清められていなければ、何を語っても空しいとすら私は感じます。これがあくまでサタンとの霊的戦いに臨む基本姿勢、霊的ガードが整いません。

そして本日はイースターです。今年はストレスなく?6日金曜日に過ぎ越し、8日日曜日に復活祭・・・毎年こうだといいのですがね。

よって今日の礼拝メッセージも復活に関するもの。

なかなかキリスト者でも、この復活信仰を受け入れることが出来ない人が多いとのこと。これは当時の弟子の姿勢を見ても明らかでした。

私も今でこそ、何の違和感もなく受け入れておりますが、当時のパレスチナに生まれていたら果たして?・・・自信がありません --;

この復活信仰がなければ、キリスト教は何の希望も意味もなくなってしまう。

さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。

もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。

もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。 そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。

もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。

しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。

第一コリント 15:12~20

とある通りです。特に19節の

>もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。

これこそ私が、キリスト教の復活信仰とは、人生一世一代の大博打であるとする所以なのです。

中途半端な気休め宗教ごっこならやらない方がいいです。人生を棒に振りますから。

そして、復活の主に一番先にお会いした特権を得たのはマグダラのマリヤでした。このマグダラのマリヤは「姦淫の女」、「七つの霊に憑かれた女」でした。

「多く赦された者は、多く愛する」この事を実践した女性でもありました。

十字架上での贖い、復活、再臨という、この三本柱抜きにしてキリストを語ることは出来ませんね。

・・・と、今日の牧師先生の礼拝メッセージをベースに、私なりにアレンジしてみました。

本当に今の世の中、信仰なくしては生きていけませんね。そうじゃなきゃ、たぶん今頃ワタクシ絶望して、発狂していたことでしょう --;

14日には北朝鮮の衛星打ち上げと銘打った長距離弾道弾ミサイル発射予定、13~14日にはイランと国連常任理事国 + ドイツの核開発問題協議(これは重要な会議になるのではないかな?)、そして除酵祭明け、15、16日ごろには再びエルサレムへのデモ行進が予定されている模様です。

一応、要注目情報として記載しておきましょう。

* 今現在の注目論点。

本日、北野幸伯氏の最新著書「プーチン最後の聖戦」(集英社インターナショナル)がアマゾンより届きました。ざっと目次に目を通しましたが、おもしろそうです。

エゼキエル38章の別名「ゴグ、マゴグの乱」、エゼキエル=ウォーに関して何かヒントになることが書いてあるかもしれません。

これは聖書66巻中の預言の中でもダニエル書、黙示録、マタイ24章及びルカ21章、ゼカリヤ12章、テサロニケ第一、第二などと並び、終末に関する大預言の部類に入ります。

その時は著作権に反しない程度にレポートなどをと考えてます。

そもそもロシアの歴史とは、ジョン=コールマン氏の著書から引用して

ロシア人民には自分達を亡き者にしようとする環境の中を生き抜いてきた歴史がある。

と以前のエントリーに書いたことがあります。これがロシア民族の歴史の真髄とも言えるでしょう。

もう一つは、日ユ同祖論について。

本日、興味深いレポートが機関紙に載ってました。日本には99.9%の確率で失われた十部族、北朝イスラエルはエフライム(ヨセフ)の末裔がこの極東の島国に来ていた!というものです。天皇家の血筋はサマリヤ王朝の血筋の可能性がある?というものです。

そう考えれば、日本だけが歴史上、東洋で独立を維持し、唯一白人にゼロ戦、戦艦大和でもってたて突いた。おまけに偶像崇拝の国で古代イスラエルの文化との共通点も多い --;

NWOとサタンの陣営から憎まれ続け、いじめられ、ケリを入れられ、マシンガンジャブを打たれ続けながらも、戦後、経済的に奇跡的発展を遂げ、広島、長崎、福島と核を3発くらい、ヨレヨレ状態でもなんとか国体が維持できているのもうなづけるかもしれない・・・聖書の神は、どんなに背信を繰り返しても(ホセア書における姦淫の女に見られるように)アブラハムとの契約ゆえ、ヤコブの末裔を見捨てることはしませんでした。

俗に言うならば、「出来の悪い子ほどかわいい」とも言えるのではないのか?

この件に関しても、さらに様々な情報を収集して、そのうち記事にしようかななどと。

数行で終わるつもりが、キーボードを打ち始めると・・・なぜか次から次へと閃く?これが、プロテスタントのハネッ返りのアウトローのバカクリのキャラなのか --;?

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主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

人を着飾る着物。
人それぞれ似合う服で着飾る。
見栄えよく。
見える姿は美しく。

神の目には、
罪にまみれた汚れた着物をまとっているように
映っている。
どんなに外見を着飾っても。
黒く汚れた罪の衣。
聖なる天に入ることの出来ない服。
大人も子供も、
男も女も、
みな同じように黒く汚れた罪の衣。
知らないのはそれを着ている人間だけ。

主は言われる。
「彼のよごれた服を脱がせよ。」(ゼカリヤ3・4)

神の恵みと憐れみは、
汚れた罪の服を脱がせ、
神の聖なる衣をまとわせて、
天の御国に入る資格を与えること。

汚れた服。
脱がせるお方はイエス・キリスト。
黒く汚れた罪の服を全部その身に
引き受けられた。
数え切れない罪の服の重さ。

「見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。
あなたに礼服を着せよう。」(ゼカリヤ3・4)

主イエスの贖いの聖なる服。
信じる全ての人にひとりひとり
着せてくださる。
義の衣。
それをまとった人々は、
天に入る資格が与えられた。

黒く汚れた罪の衣を脱ぎ捨てて、
イエス・キリストの
義の聖なる衣を着る人は
なんて幸いな人でしょう。

わたしは主によって大いに楽しみ、
わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。
主がわたしに、救いの衣を着せ、
正義の外套をまとわせ、
花婿のように栄冠をかぶらせ、
花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。(イザヤ61・10)

これまた「贖いと復活」にふさわしい投稿ありがとうございます。

本日のモトイさんの動画メッセージにもありましたが、「ユダヤ教的だ」ではなく、もっと「過ぎ越し」も、復活とセットで祝うべきだと思います。

聖書はキリストを証するなわけで、旧約聖書にも、メシヤ来臨の予表があちらこちらに隠されているわけですからね。
アーメンです。

エンジェルさんありがとうございます。

数え切れない罪の重さ‥

磔にされた私たちの主イエス・キリストは叫びましたよね。
「父よなぜ私を捨てたのです」‥と。

主イエスが背負ってくれた人間の罪がいかに重かったか、
それがいかに苦しいものだったのか、

想像を絶する苦悶の時だったと思います。

そこまでして御自分の身を犠牲にして下さったイエス様。

私たちはイエスのみを見上げて、ひざまづくべきなのに、

「聖なる神の母マリア」などと、嘘っぱちを説く行為をする者も居る。

これはとても残念でなりません。

さっきの続きなですが・・・(メールの)

え”~~!!

るちゃんが名前を忘れちゃったと言った方って、小石豊牧師のことでした。思い出しました。しかも、この先生の名前で検索かけたら、子羊通信の記事にヒットして、小石泉先生のお兄さんなんですってぇ~

超驚き。。。。w|;゚ロ゚|w

それと、この数日、あちこちで示し合わせたかのように、日本とユダヤの繋がりと、それゆえに攻撃さいれている、という話題を耳にしています。
昨日の村田牧師のネットのメッセージでも言ってました。るちゃんも書きましたしね(^_-)

これが一気に世に広まれば、本当に日本独自のリバイバルになると思うのよね~ヽ(^◇^*)/

ガリラヤさん、エホバとカトリック、ユダヤ教(正統派)とカトリックは本当に相性が悪いですよね。

誤解を恐れずに言うならば、ものみの塔だって100%デタラメじゃなく、真実に巧妙な嘘を混ぜるから性質が悪い --;
カトリックはカトリックでユダヤ教的、旧約的なものは原則否定 --;
旧約と新約の整合性をフォーカスしようともしない・・・
バビロン的異教の要素が強いからしょうがないんですけどね、と!こんなこと書くとまた?血の気の多いマリヤ教信者が殴り込みに来そうですが(笑)

るちゃんどうも。
そうなんです --;・・・豊師と泉師は実の兄弟なんですよ。
日ユ同祖論に関しては、豊師に軍配が上がりそうな雲行きですが。

ただ今回私も示唆を受けましたが、己自身の見解の間違いに気づいた時の潔さ!この謙虚さは素晴らしいと思いました。
私もヘンに意地を張らないようにしようかと --;

本当に何となくリバイバルの下地が出来たような気が私もしてなりません。

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

神の書物。
ひとりひとりの罪が記されている。
誕生から死まで。
行いと心の中の全ての罪が
一つももれることなく書かれている。

悪口、ののしり、ねたみ、憎しみ・・・。
盗み、姦淫、偶像礼拝、偽りの口・・・。

ああ。
主に自分のはかりごとを隠す者たち。
彼らはやみの中で事を行い、そして言う。
「だれが、私たちを見ていよう。
だれが、私たちを知っていよう。」と。(イザヤ29・15)

皆、誰も自分の行いも心の中も知らないと思っている。
神は知っている。その全てを。
神は見ている。すみからすみまで。
神は書き記している。いのちの書に。

人間には、一度死ぬことと
死後にさばきを受けることが定まっている。(ヘブル10・27)

神のさばきは、神がキリスト・イエスによって
人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。(ローマ2・16)

人は必ず神の前に立たされ、
自分の罪の全貌を神によって見せられる。
そのときの驚愕はいかばかり。

私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。(ローマ14・10)
私たちは、おのおの自分のことを神の御前に
申し開きすることになります。(ローマ14・12)

時すでに遅し。
自分の罪を自ら永遠に支払わなければならない。

神は、そのさばきの罪を無効にされるため、
イエス・キリストを遣わされた。
身代わりの刑罰。身代わりの死。
信じる人には、その力が覆われ、罪の赦しが与えられる。

すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、
価なしに義と認められるのです。(ローマ3・23-24)

わたし、このわたしは、わたし自身のために
あなたのそむきの罪をぬぐい去り、
もうあなたの罪を思い出さない。(イザヤ43・25)

恵みの大きな喜びの救い。
罪を赦されて永遠の命を受けることができますように。

おはようございます。

「洗礼の学び」として、全5回の牧師先生との講義を思い出します。
その第一回目が「罪(原罪)」でした。
これを知らずしてはスタート地点に立てませんからね。
でも感謝すべきは、キリストによって、信じるものは誰でもその罪の負債証書を十字架につけて無き物と見なしてくださることですよね。

残念ながら、自分だけは義人だ、神の前に正しいとは・・・口が裂けても言えません。
かく言う私も、叩けば叩くほどいくらでもホコリが出てきますゆえ --;

さらに言うならば、神の義の基準は、人間の良心の基準などでは推し量れないということでしょうかね。

はじめまして。聖書の十字架の話は実話ではなく、古代宗教からの複製なのだそうです。
外国では割と広まっているそうです。
http://blog.goo.ne.jp/b5550/e/6d03488cc32364e8dfd01749acf913fb
南十字星の天体観測から創作神話が生まれているとのことでしたがどうなのでしょうか…。

さるさん、コメントありがとうございます。

今現在、目の前で実際に起こっていることじゃないので、何を根拠にして何を信じるかは、各々自由であるべきでしょうね。

ただ21世紀になり、聖書の記述が、科学的に(たとえば、聖書のヨブ記はコペルニクス以前、推定4000年以上前にすでに地動説を唱えてます)、考古学的に(アララテ山で見つかったノアの箱舟の残骸は聖書の記述とほとんど同じ大きさだということです、もちろんメインストリーム・メディアが報道することなどはありません)、証明されつつあるという事実が存在します。

コメントありがとうございました。

さるさん

はじめまして(^。^)
そういった嘘にだまされないよう、気をつけて下さいね。

イエスの十字架による救いから人々を遠ざけようと必死なのです。

キリスト教について質問ありましたら、
ご遠慮なくどうぞ。
私は詳しくないですが、
皆さん親切に教えてくれますよ。

さるさん

ザアカイさんと時間差投稿になり、
誤解を生む表現となり失礼しました。

私が「そういった嘘」と言ったのは、
さるさんが耳にされた、創作神話などの事であります。

で、ザアカイさんが先ほど書いた事は
全て真実、まぎれもない本当の記述です。

どうぞご安心して信じて下さい。
またの投稿をお待ちしています。

なんの、なんの、ガリラヤさん、いつもフォローありがとうございます。

遅くなりましたが、お答えいただき感謝いたします。

記事の先のミトラという神(キリストとうり二つ)は今から3500年以上も昔からいるとのことでした。これでは、真似たのがキリスト教の方だと考えられなくはないでしょうか…
「だまされないよう」とは私も頷きたいのですが、現実的な理解ではない気もしています…

私は事実を知りたいのです。
1世紀にイエス様の名声が全くないことも割と有名ではありますし、これは聖書のほうが作り話であったという解釈を後押ししています。

外国のサイトでは検索でかなりヒットします。
http://www.bing.com/search?q=horus+mithra+christ&src=IE-SearchBox&FORM=IE8SRC

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

さるさん、はじめまして。enjeruともうします。

>私は事実を知りたいのです。

真実の神であるなら、
神ご自身が人間の創造の起源と
意味を教えてくださるはず。

唯一の神は生きておられ、
聖書を通して、天地万物の創造から
人の創造、罪の根源、罪の行く末、
罪からの開放、神との和解を
人間に教えてくださっています。

聖書は神の言葉。
その言葉には聖霊が働かれ、
生きており、
求める人にキリストを通して
罪からの救いと魂の平安を与えてくださいます。

たとい似たような神をサタンが作り上げても、
そこに人の中に住む罪からの救いがなく、
魂の平安もないとするなら、
むなしい騙しごとの神々を拝んでいるにすぎないと。

イエス・キリストのみが
人を罪から救う生きた神であることは
聖書が示しています。

事実が知りたいとおっしゃるのなら、
まず祈りつつ聖書をお読みになられることを
お勧めます。

わたし、このわたしが。主であって、
わたしのほかに救い主はいない。
このわたしが告げ、救い、聞かせたのだ。
あなたがたのうちに異なる神はいなかった。
           (イザヤ43・11-12)
御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、
御子に聞き従わない者は、いのちを見ることなく、
神の怒りがその上にとどまる。(ヨハネ3・36)

さるさんの上に主の恵みが豊かにありますように。
お祈りしています。

まず初めに、私の世界観は「初めがあり、終わりがある」、「そしてその全宇宙の創造は、全知全能のオールマイティーなる神によるもの」です。

次に私は極端な話、全宇宙の真理、世の事象は神と悪魔、言い換えれば絶対悪と絶対義の二元論で説明できるとさえ思ってます。あくまで極端な言い回しではありますがね。

ミトラ神崇拝とはニムロデ崇拝です。アダム以後です。ロスチャイルドは、そのルーツがニムロデだと公言しているようです。
特にエジプト、メソポタミアのシュメール文明の古文書の類は、サタンと堕天使の関与した文明であると考えるゆえ、まったく信じておりません。

それなりに調べているようですので、ミトラ神崇拝が、サタン崇拝であることくらいは、たとえば、「カレイド=スコープ」さん、「レガシーオブアッシュ」のゲームの達人さんなどの彗眼の猛者達のブログからもお分かりですよね?キリストなしの世界観の方達ですら認めてますよね?

キリストを理解するには、新約の初臨の箇所だけをフォーカスしては見誤ります。
聖書は旧約と新約で一冊です。それは神の人類計画であって、見事に整合性が存在し、すでに旧約の創世記の中に、メシヤ再臨の予表が書かれております。
旧約は人間の罪の記録であって、医学書で言えば診断書、新約がその処方箋=キリストによる救いであって、聖書全体がキリストを証ししている書物なわけです。

>1世紀にイエス様の名声が全くないことも割と有名ではありますし

→何を基準としてこう言っておられるのかよくわかりませんが、これはあまりにも短絡的な思考ではないでしょうか?
世の支配層にとってはキリストの存在はあまりにも不都合であったので当然でしょう。だからローマ時代、あれだけの迫害を受けたのであって、それでもキリスト教は生き延びました。コンスタンティヌス帝にうまく篭絡されはしましたがね。人間は真実、真理を嫌う生き物です。
ましてや、現世は「空中の権を持つ者」、「この世の君」であるサタンの楽園として、時が来るまでその活動が許されてます。

この事は新約、特に福音書だけをフォーカスしていたのではわかりません。
世のマジョリティーが必ずしも真実であるとは、私は思いませんがね。

最後に私の大好きな聖書箇所を、パリサイ人ガマリエルの言葉を使徒行伝から

>そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。
しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。

使徒 5:38~39

聖書は現代まで、『焚書に会い、迫害に会い、時には軍隊まで派遣され』、それでも現代まで生き延びている唯一の書物です。キリストが偽者であったならば、とうの昔に聖書もろとも消え失せていたことでしょう。

とは言うものの、さるさんが何を根拠として、何を信じるかは自由です。これは私の出した結論であって、強制するつもりもまったくありません。
どうぞとことん納得するまで吟味なさってください。

enjeruさん、行き違いでしたね。
フォローありがとうございます。
 --;・・・やはりこのブログにあなたの力は必要不可欠なようです。

私の書き込みとまったく持って・・・違う・・・下手に理屈をこねるのではなく、魂に訴えかけると言うか。

やはり強力なる援軍です、感謝<(_ _)>

enjeru 様
私はキリスト信者でありながら、この疑いを持っているのです。
聖書はいわゆる<神の言葉>ではありえない事実を支える、多くのエラーがあります。大丈夫だ、と盲信するにはこの問題を先に解決しなければ難しいでしょう。以下に様々なミスが列挙されています。
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/errors.html

zaakai 様
お返事ありがとうございます。
ミトラは中東の普遍的な神でありサタンと扱われる根拠が私にはよくわかりません。イエス様と同じく、3日後に冥府から戻る、12の子弟がいる、- 似ているから悪魔だと退けるならキリスト教の独善にも思えます。

他宗教の文献は「全く信じず」、誤りの多い聖書は「真実」と断定するのであればそこに危険なバイアスを感じてしまいますが如何でしょうか。戦時中の盲目教育と同じではないでしょうか?

キリスト教に多かれ少なかれそんな一面があることは存じておりますし、不都合は徹底的に見ないまま直進したい人の場だというなら、私が場違いなのだと思いますが…

いえいえ、かまいませんよ。
確かに誤訳、ヘブル語、ギリシャ語を無理に訳しているところや、意図的な言葉のすり替え、すべてを語っているわけでもなさそうなので、私とて当然、疑問に感じるところや、わからないところがありますので。

やはり結論から言えば、目の前で現実に起こっていることを見ているわけではないので、何を信じるかの問題のような気がします。

私事で恐縮なのですが、キリスト信仰へ至るには10年近くの紆余曲折を経ております。
時は95年ごろ、バブル崩壊の影響が末端まで出てきた頃でした。
今回の不景気は何か今までとは違うぞ?と感じ、経営建て直しのため政治、経済、歴史、経営関連の本に手を出したのがきっかけでした。

比較宗教論関連の書物も何冊か手を出しました。
しかしながら、どれにも納得する答えを見つけることは出来ませんでした。

そんな中で唯一納得できて、すべての事象の説明がつくと感じたのが、陰謀論を取り上げ終末論から解き明かした牧師先生の本でした。

そういうわけで、誰かが語ったことを鵜呑みにして、盲信しているわけではないんです。キリストに至るまで、150冊以上は文献を読み漁りました。

そういう経緯があるので、私は自分の直感を大事にしたいのです。もちろん今に至るまでの実生活の経験を含めてです。万が一ミスリードされていた時は潔くあきらめるつもりです。
その時は絶望しか残らないかもしれません。それでもかまいません。今のこの世の中、キリストの再臨以外に希望が見出せないのですから。

これだけはお伝えしたいので書かせていただきますね。
なお、これ以上の議論は不毛であり、平行線であると感じられるので、出来れば勘弁願います。

ただ、さるさんが誠意ある方で、悪意を持った敵ではないということだけは何となくわかったつもりです。

ザアカイさん、皆さん、こんにちは。

さるさん

聖書は神の言葉。

主イエスは聖書の中を歩かれる。
神の力が言葉の中にどれほど大きく働いているか
本当に偉大な力ある神がそこにおられるか
知らないのだと。

ゲッセマネの園でイエスがユダの裏切りにあい、
捕らえられたとき、言われた。

わたしが父にお願いして、12軍団よりも多くの御使いを、
今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。
だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある
聖書が、どうして実現されましょう。(マタイ26・53-54)

聖書が実現するために主イエスはその力を制限された。

主イエスが十字架につけられている間、
その縫目なしの衣を兵士たちがくじで分けた時、

彼らは互いに言った。
「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」
それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた。」
という聖書が成就するためであった。(ヨハネ19・24)
詩篇22編18節が成就した。

イエスが十字架の上で言われたことば。

イエスは、すべてのことが完了したのを知って、
聖書が成就するために、「わたしは乾く。」と言われた。(ヨハネ19・28)
詩篇69編21節の成就。

イエスのすねを折らなかったのは聖書が成就するため。

「彼の骨は一つも折れない。」という聖書のことばが成就するためであった。
                        (ヨハネ19・36)
詩篇34編20節成就。

聖書の預言が成就されるために、主イエスもそれに従い、
全てその通りになった。

聖書はあなたがたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせことができるのです。
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のとのために有益です。
                        (テモテⅡ3・15-16)

もし、聖書を人間の意志で書き換えたり、付け加える者がいれば、
聖なる神の力はその人を裁かれことでしょう。
あるいは曲解する人にも同じ裁きがあることだと。

無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他のばあいもそうするのですが、
それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。(ペテロⅡ3・16)

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。
もし、これに付け加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてある
いのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。(黙示22・18-19)

今日もまたフォローありがとうございます。
いずれにせよ、まだ成就していない終末預言の聖書箇所が成就するのも時間の問題のような気がします。

zaakai 様
お返事ありがとうございました。
今の時代、否定せず・頭を突っ込みすぎず…が良いのかもしれません。わからないは確かに"わからない"以上には進みませんね。それを結論としここまでに致します。お付き合い頂きありがとうございました。

enjeru 様
聖書=誤りない神の言葉とする根拠があやふやです。
イエス様の最期のセリフ(上のサイトから引用)にもエラーがありますが、どれが本当のセリフなんですか。

●イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。(ルカ 23:46)

●「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。 (ヨハネ 19:30)

●イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」(マタイ 27:46)

答えられないのでしたら、聖書は食い違い、作り話を含んでいることを認めるしかありません。
あなたの検証不足のままの押し付けは社会人、信仰者として責任を欠いているのではないのでしょうか。

さるさんへ

主イエスの十字架での出来事。
性格の違う弟子たちが目撃した事実の中、
そこに残った印象の言葉や記述が多少違うからと言って、
聖書が神の言葉でないと誰が言えるのでしょう。

3時ごろ、イエスは大声で、
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。
これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
という意味である。
すると、これを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、
「この人はエリヤを呼んでいる。」と言った。
また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、
それを酸いぶどう酒に飲ませて、葦の棒につけ、
イエスに飲ませようとした。
ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう。」
と言った。
そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引きとられた。(マタイ27・46-50)

イエスは大声で叫んで言われた。
「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。(ルカ23・46)

この後、イエスは、すべてのことを完了したのを知って、聖書が成就するために、
「わたしは乾く。」言われた。
そこには酸いぶどう酒のいっぱいはいった入れ物が置いてあった。
そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。
イエスは酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。
そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。(ヨハネ19・28-30)

1、 3時ごろ、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27・46)

2、 ある人たちは「この人はエリヤを呼んでいる。」と言った。(マタイ27・47)

3、 彼らは酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。(マタイ27・48)

4、 酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われ、頭をたれた。

5、 ほかの者たちは、「わたしたちはエリヤが助けに来るかどうか見ることにしよう。」と言った。(マタイ27・49)

6、イエスは大声で叫んで言われた。
「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。(ルカ23・46)

聖書を見るとき、次のような流れになると。
ただヨハネは、「完了した。」と言われて頭を垂れた印象が強かったのではないかと。

大切なことは、イエスが十字架で成された贖いが事実であり、
それぞれの弟子の性格や印象にあることばなどを聖霊によって書いている点。

これ以上あなたと議論するのは止めます。
あなたが聖書を神の言葉でないと思われるのも自由。
祈りによって主イエスに尋ねてください。
ヨブ記38~39章を読むことをお勧めします。
神の御子イエスが成された罪からの贖い、十字架を感謝できますように。

キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見出されませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、
正しくさばかれる方にお任せになられました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。(ペテロⅠ 2・22-24)

enjeru 様
聖書に間違いがない前提で考えれば貴方の様に「全ての事実が起こった」と少し無茶な理屈を並べるしかないと思います。しかし矛盾は調べれば山ほど出てきます。

■墓を見に行った女性 (再度引用)

マルコ】 マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの三人
マタイ】 マグダラのマリアともう一人のマリア
ヨハネ】 マグダラのマリアだけ
ルカ】 マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして「一緒にいた他の婦人たち」

これは摺り合わせる事が難しい矛盾です。ルカは「聖霊による」加筆なのでしょうか。

ヨハネ】 すでに、墓から石が取りのけてあった
マルコ】 すでに、墓から石が取りのけてあった
マタイ】 墓に行くと、大きな地震が起き、天使が天から降りて、石をわきへ転がした

ヨハネ】 墓の中に入らない
マルコ】 墓の中に入る

ヨハネ】 帰る途中、特別なことは起こらない
マルコ】 帰る途中、特別なことは起こらない
マタイ】 帰る途中、復活したイエスが「おはよう」と言って現れる

聖書は正しくないと言うと「貴方は救われていない」と答える人は私の周りにもいました。しかしほとんど思い込みだけで勉強不足のまま話しているように思われます。

イエス様が存在し、処刑された痕跡もどの歴史資料にもなく、唯一の資料である聖書にも一抹のあやしさは残ります。

十字架神話も遥か古代から存在したと知り、私は狼狽してしまいました。これで終わりにしますが「聖書だから」という理由で誰かに押し付けるのは私はしないように心掛けようと思っています。

さるさん こんにちは。

>勉強不足

そうですね。
確かに聖書を通して毎日新しい発見があるので、
勉強不足なのでしょうね。
天に帰るまで。

神さまの愛は大きく、そのすべてを
罪ある私たちは、見極めることはできませんね。

さるさんが、主に愛されていることだけは確かなこと。
お祈りしています。

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