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2011年12月 9日 (金)

現代版獄中書簡~フリッツの手紙より

今日は二本立て、ダブルヘッダーでいきます。書ける時に一気にいきましょう。そうすると性質上、しばらく更新が止みますが --;

今年の夏前でしたでしょうか?フリッツ・スプリングマイヤー氏が釈放されました。10年近く冤罪をでっち上げられ、ムショ暮らしを強いられました・・・
その苦難たるもの、どんなであったことか・・・我々の想像を絶するものがあったことでしょう。しかしフリッツは帰ってきた。答えは簡単です。主イエス=キリストがともに居られ、彼に強く臨まれ、彼が希望を見失うことがなかったからでしょう。

このエントリーでは7年くらい前になりますか・・・パウロじゃありませんが、そのフリッツの現代版「獄中書簡」とも言うべきものをご紹介します。
彼の霊性というもの、御霊の実がわかると思います。単なる陰謀論研究家では決してない。彼もまたこの終末の時代に神に召された器=働き人であるなと、私は思います。

多くは語りません、彼の手紙を読めば十分、キリストの愛を、彼を通して感じることができると思います。

Img001
ある日、もし私が天国に行ったら、私はここにいる日々を思い返し、私がいつも天国にいたと思うことでしょう。ある人々は神の臨在を見失っていますが、私は至る所に神を見出すことができます。神の美しい臨在はいくつかの奇跡とほめたたえるにふさわしいニュースを、私に与えてくれました。

 あるクリスチャンの囚人がここの獄房で絶望していました。そして神に「どうぞ私に天使(Angel)を送ってください」と祈りました。祈るや否や、彼は天使を彼の房に迎えたのです。それは、快活で喜びにあふれたクリスチャンで、名前をAngelと言いました。監獄の官吏が、間違えてこのAngelを捕まえて、あの祈りをした囚人の房に入れたのです。天の配慮によって、あの絶望していた囚人の望みが叶えられたのです。

一晩中、Angelは彼を励ましました。翌日、監獄の官吏は意味不明の間違いに気づき、Angelを一般社会に戻しました。後に大いに励まされた囚人を残して。

最近起こった神の愛のもう一つの例があります。監獄の教会でひとりの囚人が自分の家族が彼に会いに来れるように祈ってほしいと訴えました。しかし、彼の家族が持っている車はもう全く頼りにならない古いもので、二つの州を越えて何百マイルも走ってくることはとても不可能でした。

その旅は教会の祈りの課題にされ、奇跡が起こるように求められ、奇跡が起きました。家族はその旅を考え直してキャンセルしました。すると間もなく囚人の母親に10000ドルの小切手が送られてきたのです。彼女は新しい車を買いました。それは彼女が手に入れた初めての新車でした。またもや神は豊かに与えてくださいました。(恐らく、その囚人の教会の誰かが送ったか、または外の誰かに頼んだのでしょう。)

私に関して言えば、多くの感謝なことがあります。私は監獄の教育部で良い仕事を与えられています。私は比較的自由の利くナバホ棟にいます。私は世界中から援助と勇気付けられる手紙を受け取っています。私は同じように投獄されている仲間たちを助け奉仕する機会を与えられています。

「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」ピリピ4:4~7

主よ感謝します。

もう一つ紹介しましょう。

Img003
大事な問いかけ

主の大いなる日(最後の審判の日の事でしょう)に大事なことは、あなたがどのような車に乗っていたかということではない。神は問うでしょう、移動手段を持たない人たちを、あなたがどれだけ乗せたかを。

主の大いなる日に大事なことは、あなたの住んでいた家がどれほどのものであったかではない。神は問うでしょう、あなたがどれだけの人を家に迎えたかを。

主の大いなる日に大事なことは、あなたがクロゼットの中にどんな服を持っていたかではない。神は問うでしょう、あなたがどれだけ困っている人に服を着せてあげたかを。

主の大いなる日に大事なことは、あなたがどれだけ稼いだかではない。神は問うでしょう、あなたがどれだけその稼ぎに妥協したかを。

主の大いなる日に大事なことは、あなたがどのような仕事に就いていたかではない。神は問うでしょう、あなたがどれだけ持ちえる能力を発揮して仕事をしたかを。

主の大いなる日に大事なことは、あなたにどれだけ友人がいたかではない。神は問うでしょう、あなたがどれだけ多くの人の友になってあげたかを。

主の大いなる日に大事なことは、あなたがどのような隣人の中に住んでいたかではない。神は問うでしょう、あなたが隣人に対しどのように振舞ったかを。

主の大いなる日に大事なことは、あなたの肌の色ではない。神は問うでしょう、大事なのはあなたの内なるものであると。

人が全世界を得たとしても、自分の霊(永遠の命)を失ったのなら、何の益があろうか。

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主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

>さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。

→早くこのレベルに達したいものですが、現実はというと・・・

ザアカイさん、皆さん、こんにちは。

盲人のこじき・・・バルテマイ。
闇の中で生き、貧しさは彼を苦しめた。

私が、断食して、わが身を泣き悲しむと、
それが私へのそしりとなりました。
私が荒布を自分の着物とすると、
私は彼らの物笑いの種となりました。
門にすわる者たちは私のうわさ話をしています。
私は酔いどれの歌となりました。(詩篇69・10-12)

希望のない人生。絶望が彼を襲う。

ところが、ナザレのイエスだと聞くと、
「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と
叫び始めた。(マルコ10・47)

私はあなたのうわさを耳で聞いていました。
しかし、今、この目であなたを見ました。(ヨブ42・5)

人々から聞こえてくるうわさ話・・・。

人々は非常に驚いて言った。
「この方のなさったことは、みなすばらしい。
つんぼを聞こえるようにし、おしを話せるようにしてくださった。」(マルコ7・37)

それは彼の心を捉えた。一筋の光。希望。

そこで、彼を黙らせようと、大勢でたしなめたが、
「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。(マルコ10・48)

それゆえ、私も自分の口を制することをせず、
私の霊の苦しみの中から語り、
私のたましいの苦悩の中から嘆きます。(ヨブ7・11)

すると、イエスは立ち止まって、
「あの人を呼んで来なさい。」と言われた。(マルコ10・49)

わたしはあなたの名を呼んだ。(イザヤ43・1)

私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。
私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる。(詩篇77・1)

すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がってイエスのところに来た。(マルコ10・50)

私の愛する方は、
私に語りかけて言われます。(雅歌2・9)

「わたしに何をしてほしいのか。」(マルコ10・51)

主よ。どうかみこころによって
私を救い出してください。
主よ。急いで、
私を助けてください。(詩篇40・13)

盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」(マルコ10・51)

主イエスの救いの御言葉。
「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」(マルコ10・52)

盲人のこじき、バルテマイはすぐさま癒された。

ああ、シオンの民、エルサレムに住む者、
もうあなたは泣くことはない。
あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、
それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。(イザヤ30・19)


りんさんへ

だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、
神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。(ヨハネⅠ4・15)

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、
御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、
神の怒りがその上にとどまる。(ヨハネ3・36)

りんさんが、「主イエスは神の御子です」と告白し、信じておられるのなら、
永遠のいのちは約束されています。

ただ占い、魔術は神に信頼していない表れであり、
主を悲しませる行為だと・・・。

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、
試みに会われたのです。(ヘブル4・15)

主イエスは人間の弱さを憐れみ、同情してくださるお方。
罪を告白しつつ、主に祈り、主に信頼し、主を愛してほしいと。

主は3度ペテロに言われました。
「あなたは私を愛しますか。」(ヨハネ21・16)

主イエスへの愛が満ちるとき、私たちの中で主イエスが大きくなり、
自分自身が小さくなります。

あの方は盛んになり私たちは衰えなければなりません。(ヨハネ3・30)

りんさんの中で主イエスへの愛が大きくなる時、勝利があることを信じています。
お祈りしますね。

まことに主は、
あなたのために、御使いたちに命じて、
すべての道で、あなたを守るようにされる。
彼らは、その手であなたをささえ、
あなたの足が、
石に打ち当たることのないようにする。(詩篇91・11-12)

皆さんの温かい言葉に感謝しています。
私には出来ないことも神にはできると信じ自分を変えてくださるように祈ろうと思います。
ありがとうございました。

占いをやめられなくても、イエスキリストを信じれば、イエス様はその人を悪魔に売り渡したりはしません。
そう。
売らない、のです。


魔術まじゅつは少しやばいです。
まじゅつを止められなければイエス様は少し焦られるかもしれません。
「まずい! まずっ!まじっ!まじゅっ!まじゅつ!・・・」


でも大丈夫です。
少しずつでもオカルトを減らしていけば、天に宝を積みあげることになるのです。
そう。儲かるのです。
もおかるんだよ!
因みに某地方の言い方ではこうです。
儲かると! もおかると!もオカルト!


山田く~ん。座布団全部持って行きなさーい!

りんさん、はじめまして。
そしてFUBUKIさん、フォローありがとうございます。

既にFUBUKIさんとガリラヤさんが、言いたい事代弁してくださったので特にありません。
やめようという自分の意思、努力ももちろん必要でしょうが、最終的には、自分の努力ではどうしようもないことも多々ありますよね?
主に変えてもらう、祈り憐れみを請うしかないと思います。

一朝一夕でどうにかなるということばかりではないので、長期戦を焦らずに覚悟して、変えてもらいましょう。
私もそうですが、人間である以上、誰にも言えない悪しき習慣、罪を抱えているものですよ。

りんさん

臆病者で不品行の私が言うのも何ですが(^_^;)…

魔術や占いは十戒には書かれていないものの、

申命記や歴代誌には神からの「禁止」の 言葉や非難の声明が入っています

また、占いや魔術を趣味にしている人には
“ 悪魔つき ”の症状・発作を持つ例が多いです。

いま、りんさんにその発作・症状は無くても、
その趣味を継続していますと
悪魔つきになる可能性が増大してゆきますから、
りんさんの体に関して、とても危惧されます。

祈りの力を信じる事と、他に集中できる趣味を持つ事。

まずはFUBUKIさんのおっしゃる通り
お祈りから始められてはいかがですか?

占いはあなたを汚す行為…と旧約聖書の中でも
規定されています。

「汚す」とは霊的に汚すだけでなく、
文字通り、体や精神を汚し、
いずれは病気になる可能性高いと言う事であります。

りんさんへ。

祈りしかないと思います。
不安なのは、心から救いを求めている証拠だと思います。
神様はそのような人を捨てません。

半端ない罪の束縛、誘惑・・・
罪を犯しつづけてやめられない事は私にも嫌というほどあります。
それも、とてもここには書けないようなものです。
そして罪を犯すたび、強い不安に襲われます。

そのたびに祈りの中で神に罪を告白し、神の、罪に対する怒りにおののきつつも、祈ります。
不安は何度も襲ってきますが、心が平安になるまで時間をかけて祈る必要があると思います。

祈りの中で、自分を躓かせている罪からの解放を、神の御国とその義を請い求めています。

たびたび倒れ(数え切れないほど)ながらも、次第に束縛から解放されていくのを感じています。

祈りは神様との対話の手段であって、切に求めていくなら必ず聞かれます。

人間には不可能なことであっても神に出来ないことはありません。

「お前は赦されない」という、サタンの声を聞いてはなりません。

ちなみに私は、少年時代には、オカルト、黒魔術などにのめり込んでました。

はじめまして。
私は何年か前にキリストを信じました。
でも占いや魔術などのオカルト的なものを辞めることができません。
何度も止めようとしましたがどうしても辞められないのです。
「しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にあります」と聖書に書いてあるので私は救われないのではないかと不安です。
私は救われないのでしょうか。
突然変な質問をしてしまい申し訳ありません。

enjeruさん、いつも投稿ありがとうございます。

世の中どんどん末期症状を呈してきているような感じで、もう元へは戻れないかもしれませんね・・・

反キリストの登場も秒読み段階なんでしょうかね・・・?

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

反キリストの登場・・・

あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に
現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。(テサロニケⅡ2・6)

キリスト者の聖霊は、反キリストの登場を引き止めている。
悪の力が花開かないように、留める力を持っている。
聖霊は神の力。神の剣。神の光。

キリスト者が天へ引き上げられた時、
悪の力が解き放たれて、反キリストの霊がその者に入る。
定められた者の登場・・・666の人物。(黙示13・18)

彼らは共にかがみ、ひざまずく。
彼らは重荷を解くこともできず、
彼ら自身もとりこになっていく。(イザヤ46・2)

この世で高く上げられ、ほめたたえられ、権威・権力は彼の手に。
「彼こそ平和の君」と拍手喝采。歓呼の声。

地に住む者で、ほふられた子羊のいのちの書に、世の初めから
その名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
耳のある者は聞きなさい。
とりこになるべき者は、とりこにされて行く。(黙示13・8-10)

主イエスのエルサレム入城。

多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、
またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。
そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んで言った。
「ホサナ。
祝福あれ。主の御名によって来られる方に。
祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。
ホサナ。いと高き所に。」(マルコ11・8-10)

万物の創造主、救い主の入城は、粗末な自然の葉を道に敷き、
人々の汗のついた服が用意された。
しかも役にもたたない力の弱いろばの子の背に乗られて・・・。

反キリストは主イエスの模倣。
主イエスの謙遜、祝福、光、憐れみ、そして愛がない。

主イエスこそ生ける真の救い主。
罪の赦しを十字架で成し遂げられたお方。

主は言われる。
「まだわからないのですか、悟らないのですか。
心が堅く閉じているのですか。
目がありながら見えないのですか。
耳がありながら聞こえないのですか。」(マルコ8・17-18)

主イエスの熱心な呼びかけは今の私たちの世に投げかけられている。

わたしに聞け。
強情な者、正義から遠ざかっている者たちよ。
わたしは、わたしの勝利を近づける。
それは遠くはない。
わたしの救いは遅れることがない。(イザヤ46・12-13)

enjeruさん、それにしても聖書読み込んでますね。
私とは年期が違う・・・

見事なくらい矛盾無く聖句がつながって生きてますね。

ザアカイさん、皆さん、こんにちは。

主は言われる。

わたしは久しく黙っていた。
静かに自分を押さえていた。
今は、子を産む女のようにうめき、
激しい息づかいであえぐ。(イザヤ42・14)

人間の自由意志を尊重して、主ご自身が控えておられた長い時。
人間の度重なる罪の数々・・・起こった戦争・暴動・殺人。
忍耐に忍耐を重ねて・・・主の忍耐の終わりが近づき、
子羊の怒りの時が近づいている。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
方々にききんと地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。(マタイ24・7-8)

産みの苦しみ・・・
大地震、大津波、洪水、竜巻、飢饉・・・現在起きていること。

時のしるしを見分けることができない(マタイ16・3)

この平和が限りなく続くと思っている人々。

目があっても盲目の民。
耳があっても耳しいた者たち。

主イエスは耳が聞こえず、口のきけない人に言われた。

天を見上げ、深く嘆息して、その人に
「エパタ。」すなわち「開け。」と言われた。(マルコ7・34)

主イエスが開かれると、聞こえなかった耳が聞こえ、
口にことばがのぼり、話せるようになった。

みことばの戸が開くと、光が差し込み、
わきまえのない者に悟りを与えます。(詩篇119・130)

多くの方々耳が開かれ、主の言葉と救いを知り、
この終わりの時を平安に過ごせますように。

わたしは盲人に、彼らの知らない道を歩ませ、
彼らの知らない道を行かせる。
彼らの前でやみを光に、
でこぼこの地を平らにする。
これらのことをわたしがして、
彼らを見捨てない。(イザヤ42・16)

こうして、盲人の目を開き、
囚人を牢獄から、
やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
わたしは主、これがわたしの名。(イザヤ42・7-8)

No you don't have correct information. Now in dangerous place. Watch out!

Information is power and now I'm a !@#$ing dcittoar.

御霊の実・・・我々はキリストを信じた時点で救いに与れるわけですが、これで終わりではないんですよね。

どのような御霊の実を結ぶか?キリストという土台の上にどのような家を建てるか?
これが宿題として残っているわけで、これは我々個人個人に任せられているわけでして。
宿題はあったんですね。

最悪土台すら壊れる場合もあるわけで、否、土台すら完成してなかったと言うべきなんでしょうけど、ある意味、霊的戦いが続いているわけで、勝利の冠を得られるよう、聖霊と御言葉に立って、前進していかねばなりませんね。

訂正

よみがえりの命の源→よみがえりの命の確証。

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

主イエスを信じた時、
その人に新しい創造が起こった。
主イエスの御霊がその人の中に生きて住まわれる。

神は私たちに御霊を与えてくださいました。
それによって、私たちが神におり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
                          (ヨハネⅠ 4・13)
御霊は、主イエスと共にあり、その人のすべてを見極める。
そして、主イエスにとりなしをしてくださる。
苦しみ、悲しみ、叫び、喜び、賛美・・・。
すべて主イエスの元へ・・・。

人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。
なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、
聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。(ローマ8・28)

御霊は力、喜び、愛。
神の栄光と御言葉の知恵と聖徒の導き手。
御御の満たし。

御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
                       (ガラテヤ5・22-23)
ひとりひとりに与えられている御霊。
永遠の命の確証とよみがえりの命の源。

神が私たちのうちに住まわせた御霊は、
ねたむほどに(私たちを)慕い求めておられる。(ヤコブ4・5 新改訳 別訳)

御霊は、その人の神への祈り、交わり、思いを切に求めている。
熱望している・・・深く、静かに、そして強く。
この世、肉から離れてただ神との交わりを・・・。
そのとき、ありのままの人の思いを主が受け取り、
御霊を通して、最善の道に導いてくださる。
主との密な交わり。
主との語らい。
その時をどんなに主は喜んでおられることでしょう。

主よ。今、私は何を待ち望みましょう。
私の望み、それはあなたです。(詩篇39・7)

らい/長血/物乞い/中風/レギオン/めしいさん、板のほうにもカキコしてくださったようで、ありがとうございます。
それにしても^^;、すごいHNですね。らいさんということで。
よろしくお願いします<(_ _)>

さて、トマスさん。
人助けは決して悪いことではありませんが、相手の素性は把握してますか?住所、氏名、携帯含め電話番号、メアドなど個人情報の確認は万全でしょうか?相手から連絡はありましたか?代理人と実際にお会いし、ウラを取りましたか?
病院への確認はお済ですか?お見舞いなどは行かれましたか?
そこまでやっていれば問題ありませんが。

もし、そこまでの確認作業をやっていないのであれば、軽率な行動はせず、慎重になさってください。
万が一の場合、振り込め詐欺の片棒を担ぐ結果となりますから。

聖書には「鳩のように素直であれ」とありますが、「蛇のように聡く」ともありますので。

らいさん、ガリラヤさん、フォローありがとうございます。
暇見てのブログ運営なので、レスが遅くなりました、すみません。

らい/長血さん

間違いなく、後者の「醜いさえないオッサン」を優先します。

なぜなら、前者の女性よりも、この中年男の方が、
はるかに不幸レベルが高いからです。

前者の女性は、放っておいても誰かが助けるでしょう。

らい/長血さん、
クリスチャンと非クリスチャンは、
根本的に考え方が違うのです。

生活保護ももらえず、おにぎりが食べたい、と一言言い残して餓死していった中年男性がいました。
苦しんでいるのが、ハーフの若く美しい女性ではなく、醜い中年のさえない変なおじさんだったとしたら、皆さんはどのように感じ、行動されるのでしょうか。

この通信を読んでいる方々に、助けていただきたいことがあります。
1人の難病の女性がいます。支援はそれなりにあるのですが、いかんせん再来年の手術の費用が不足しています。
フリッツさんの言葉に賛成されたら、こちらも一度入って下さい。
http://ameblo.jp/christina-aid/
クリスチャンの集うブログなら、悪意や冷やかしをする方はいらっしゃらないと思い、カキしました。いきなり他のブログの宣伝をしてしまって、ザアカイさん、失礼しました。

プリッツさんのお手紙、いいですね。
しみてきます。

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