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2011年11月16日 (水)

自分に死ぬということ

久々の更新となります。
世の中水面下では激しい動きをしているだろうことは、想像に難くありませんが、表向き、これと言ってアンテナに引っかかる情報もなく、ここ一週間ほど、ただただ様子見でした。

どうもあまり調子もよくない・・・そのスランプの理由が少しわかった気がしました。

自分は何のために生きているのだろう?という疑問を超越し、何のために生きてきたのだろうか?という疑問には既に答えが出ています。
人それぞれ価値観が違いますゆえ、私のポリシー、考えを強制はいたしませんので、そのつもりで読んでくださいね。

少なくとも大富豪になるためじゃない。
世界一素晴らしい伴侶を見つけるためでもない・・・そんなもの結婚してせいぜい3年でしょう(笑)。いくらでもあとからあとから素晴らしい女性が現われる --;・・・ああ~、時間だけが無常に流れ、時既に遅し、後悔先にたたず、その一瞬の気の迷いが命取り(涙;)、自己責任ゆえ腐れ縁で死ぬまで家族の面倒みなけりゃならぬ・・・これは隣人愛の御心ゆえ、絶対の至上命令。
あ、何ね、別に家庭がうまくいってなくて離婚の危機とかじゃありませんよ、誤解なきように。
「失敗した、もっといい人いくらでもいるのに。ちと焦ったか?」と、時たま思うだけです。最も私の歳になると相手も家庭持ちなのでナンセンスなのですが(笑)口の悪い人は「色ボケ」というかもしれない(爆;)

名誉欲、権力欲などハナからない。
車が好きなので可能ならば、一度でいいからフェラーリのオーナーになりたいものですが、カネがないので無理でしょう(涙;)

Ferraritestarossa

ちょっと古いですが、私の世代は1985年ごろのテスタロッサがいいですな(^^ゞ

それでも!!

伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。
すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。
先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。

伝道の書 1:2~10

ソロモンはこの世にフォーカスして書いたと思われますが
まさしく私の人生はこれでした。
欲求が満たされた瞬間待っているものは・・・なぜか空しいと。この聖書箇所だけは、信仰を持つ持たないに関わらず、わかる人にはわかると思います・・・

結局のところ、この歳になるまで、真理を探し続けていた、本物探しの旅であった、宝探しの旅であった。その答えが、行き着く先が私の場合、

「全知全能である万物の創造主、天なる父である聖書の神とメシヤなる御子=イエス・キリスト」

であったということでした。

まさしくこれを見い出だすために30過ぎた頃から四苦八苦してきたんですね。

ということでやっと序論が終わり本論へ --;

あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。
神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。

コロサイ 2:13~14

この箇所が福音の本質をよく現していると思います。
要するに十字架上のキリストの死により、我々は罪赦され、真理は人を自由にする。これが福音の本質ではないでしょうか?
さらに復活、再臨と三点セットなわけです。

福音について詳しく知りたい方は

http://8259.teacup.com/michi/bbs

鈴木師の掲示板を訪れてみてください。際どいところを通された者だけが知ることが出来るオーラを感じることが出来ますよ。
久々に出会ったホンモノの牧師先生です。

そこでです・・・なぜ私が師に惹かれたと言いますと、「私にはないもの」をお持ちだからなのです。
そう「徹底的に打ち砕かれた自我」、「自分自身に死ぬこと」をわかっている気がしたからなのです。

ここでふたたび聖書から引用してみます。

キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。

ガラテヤ 5:24

これが頭ではわかっていても、心(魂)がわかってくれず、いかんともしがたいのですよ。
1990年代初頭、故逸見政孝さんのゴルフレッスン番組のコーナーで「果てしなきシングルへの道」というのがありました。
キリスト者の土台はあくまでイエス=キリストただお一人です。キリストの贖罪がわかっていればそれで救いに与っています。付け加えるものは何もありません。パウロが言っているように「信仰義認」。修行、善行の類の行いは一切必要ない。

ただ、私達には宿題があります・・・その土台の上にどのような家を建てるか?という宿題です。これは各々キリスト者に任されている。

この「シングルへの道」への道程が果てしなく遠いわけです。

私が救いを確信したのは、洗礼を受ける前、某教会を訪問したあとでした。
この世のちっぽけな出来事が些細でバカらしく思えたものでした・・・ある意味、ビギナーズ=ラックであったかもしれません。
この世の歩みの何とスケールの小さいことか。私は平安に満たされ、犬の散歩をしていても空を見上げるだけで、理由なく涙が流れ、主の憐れみと愛を十二分に感じることが出来たものです。

しか~し --;・・・それも長くは続かなかった(涙;)、一週間くらいでしたかね。
ふたたびこの世の垢にまみれてくると、バブル崩壊後のご時世も手伝い、イライラ~、ストレスまみれの日々がふたたび。
仕入代金の決済が迫っている、カネ足りねえ~、あといくら稼がねば小切手落とせない。売上が落ちる一方、キャッシュ=フローをもっと増やさねば。しかし借金(ツケ)はいつかは清算せねばならない。バランスシートが年を追うたび悪化する、こんな調子でいつまで持つのだろうか?純資本が底を尽き、債務超過になったりしたら・・・はたしてしのぎきれるのだろうか?etc・・・

結局、自我は消えない。自分に死んだつもりでも一時的なもの。どっこい自分は生きている。苦悩から開放されるのはいつか?

ここで思い出すのが使徒行伝のパウロの生涯でしょうか。

さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、 ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。
ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。
彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。
サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。

使徒行伝 9:1~7

パウロの招命です。異邦人への伝道の器には、ペテロではなくガマリエル門下の博学なエリートであるパウロの登場が欠かせなかったのです。

しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。
わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」

使徒行伝 9:15~16

>わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう。

私など、パウロの艱難辛苦に比べれば、ゴミみたいなものです。
パウロ先生は、自分の体の棘、世話をすべき教会の苦悩、絶え間ない迫害、生活の苦労・・・それに比べ私などは生活の苦労と、あとストレス障害による不眠症、精神不安定の後遺症である、ヤク中くらいですから。

まだ私には

>キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。

という聖句をまったくもって消化し切れていません。
これが頭だけでなく、魂でも理解できるようになればしめたものですが難しい・・・この世に生きているうちは、私レベルでは無理かもしれない・・・

そのためにもまずは、自我を打ち砕き、自分自身を十字架につけて、自分に死なねば何も始らないかもしれませんね。

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コメント

ザアカイさんへ(*^_^*) 夜明け前が一番暗い、っていいます・・後退しているように思えても・・それでも私達は螺旋階段を確かにのぼって、聖化の道を歩んでいるのでしょう。主の御手の中で。「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中からご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(ペテロ2:9)

クロスさん、いつもありがとうございます。
おっしゃることごもっともであり、わかりますよ。

ま、主イエスは手本であって、基準ではないわけで、基準にされたらたまったものじゃありませんからね、何億光年かかっても無理!!
おまけに自我をゼロにしてすべてを委ねきるのも程度の問題で、パーフェクトはこれまた無理でして --;

恐れず、勇気を出して這いつくばってでも前進しましょうかね。ゴールはそれほど遠くないと感じるから。

>キリスト者の土台はあくまでイエス=キリストただお一人です。
キリストの贖罪がわかっていればそれで救いに与っています。
付け加えるものは何もありません。パウロが言っているように「信仰義認」。
修行、善行の類の行いは一切必要ない。
ただ、私達には宿題があります・・・その土台の上にどのような家を建てるか?という宿題です。
これは各々キリスト者に任されている。


この記事に出会うために、
今までロムで通わせてもらってたような気がしています。

イエスさまに感謝のお祈りを。
そして管理人さんに御礼を申し上げます。

こちらに集われている皆様に祝福あれ!

山雀さん、コメントありがとうございます。
長きに渡りロムしてくれていたのに期待にお応えできずにいて申し訳ありませんでした。器不足、力不足ゆえお許しください。
私メッセージ慣れしている本職の牧師でないゆえ、なかなか福音系の記事を書くのが苦手でして<(_ _)>
でも、何気なく閃きで書いた記事でもお役に立てて感謝です。

ザアカイさん
自分に死ぬというのは、本当に難しいですね。
わたしも俗的な人間で。。。みちのりは長いですね。
マンガも幅広く好き、音楽は色々好き、おいしいもの大好き。
ですね。。 

でも、一つ一つ課題をこなすしかないのでしょうね。
ザアカイさんは、信仰の先輩であるかたがたは、きっと
沢山の課題をこえられてきたのだと思います。
私は、これからですね。。(;;;´Д`)

私は主の岩の上にどんな家を建てられるのだろう。。
3匹の子豚じゃないですが、わらの家じゃちょっと寂しいな〜 でも、まだわらの家くらいかも。。 もうちょい上を目指してログハウス風に。。

フェラーリ すきですね〜 男性は車が好きな人多いですね。
私はそうだな〜 豪邸じゃなくていいから、書斎(本とマンガ)がほしいな。
そこでゆったりと、コーヒーやお茶を飲みながら、のんびりすごす。
昔から、本屋とか図書館が好きでして。 2、3時間は過ごせます。
でも、お手洗いにいきたくなるんですよね。。 (^-^;

できれば、本屋で働きたいのですが、なかなか難しいですよね。
人員削減で、ひと少ないですし。。

サマちゃん、毎度。
この宿題・・・それこそ人それぞれ、その人の賜物、役割、歩み、性格、信仰のスタイルなどもろもろ含め千差万別なんでしょうね。

そして、それは~
ナ~ンバ~ワンじゃ~♪なくても~い~い♪
特別~な♪オンリ~ワ~ン♪
でいいはずですよ、たぶん^^;

いや何ね、別にランボルギーニでもいいんですが・・・って、買えもしねえくせに言ってんじゃねえよ!といわれそうですが(笑)
あれはちょっと・・・デザインがマニアックすぎてね。

本屋さんも経営大変みたいですよね・・・
図書館と言えば、私どちらかと言うと、イスに座ってボケ~っと、高等部の校庭と校舎を眺めているのが好きでした。
あの頃は知らなかったんですが、「あれが尾崎豊の15の夜、卒業の歌詞にもなった舞台だったんだねえ~♪」と^^;

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

肉の中にある自我。
それは、絶えず内に働いて自分中心の中に生きる。
宇宙の中の一番は自分。
自分の思い、意思、力。

それは、私たちがあなたの御前で
多くのそむきの罪を犯し、
私たちの罪が、
私たちに不利な証言をするからです。
私たちのそむきの罪は、私たちとともにあり、
私たちは自分の咎を知っている。(イザヤ59・12)

主はそんな人を見て心を痛められ、
愛する者の自我を打ち砕かれるため、試練を与えられる。

時には耐え難いほどの困難と苦痛。

ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。
これは、もはや自分自身を頼まず、
死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。
ところが神は、これほどの大きな危険から、
私たちを救い出してくださいました。
また将来も救い出してくださいます。
なおも救い出してくださるという望みを、
私たちはこの神に置いているのです。(Ⅱコリント1・9-10)

自分により頼まず、神により頼むように
自我を打ち砕かれ、自らに死ぬとき、
神の救いの御翼は不思議な力で救い出して下さる。

それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、
慰めもまたキリストによってあふれているからです。(Ⅱコリント1・5)

神の愛は、より神に近づくように人を砕き、助け、
涙の谷を通し、引き上げてくださる。
そんな神の深い愛に満ちた人への思いに感謝。

ほむべきかな。日々、私たちのために
重荷をになわれる主。
私たちの救いであられる神。(詩篇68・19)

enjeruさん
いつも、聖書の言葉の引用と、お話楽しみにしています。
自我の砕き。。これは、ほんとうに辛い事ですよね。
でも砕いては、また救い上げてくださり、そしてまた
砕いては、救ってくださる。。 
まさに、宝石の原石が磨かれるようですよね。。
最初はごつごつして、。輝きも感じられない石の塊ですが、
砕かれるたびに、光がましていく。。

私も。。まだまだですね。
やっぱり、自我の砕きには時間がかかるのだろうと思っていますが、
主の次の私への課題はなんだろうと思いめぐらしています。
砕かれるたびに、もう駄目だ、耐えられないと泣き言をいってしまいますが。。 

ザアカイさん
尾崎豊さんは、じつは 当時は子供であまり知らなかったのですよ。 ザアカイさんの世代ともう少し
下くらいの方に、絶大な人気があったようですね。 
I Love You 、そして、卒業などは、今きいても良い曲ですね。
動画を見ていたら、息子さんが成人されていて、歌っている動画をみて、お〜にてると
感動しました。。親子ですね。。 

enjeruさん、いつも投稿ありがとうございます。
なにか書く前に言いたい事、サマちゃんが代弁してくれたみたいです。
我々は何度でも、水面に顔が映るくらいになるまでに繰り返し、繰り返し、練られねばならないのかもしれませんね・・・厳しい訓練ですが、それを乗り越えないと・・・難しい課題ですね。

サマちゃん、尾崎は私の弟(7つ年下)の世代に絶大なる人気を誇っていたようです。私も弟を通じて知りました。
メロディーもさることながら、あの歌詞に衝撃を受けました。
彼もまた、太宰や芥川同様、本物探し、真理を求めて彷徨っていたんだと思いたい・・・だから私も惹かれたんだと思います。歌詞は二の次の私ですから(笑)

あのやるせなさ、渇き・・・言葉が見つかりません。

サマリヤ人さん

私は、人間的に粗末な小さな器です。
けれどさまざまな経験を通して・・・。
病気の苦痛、経済的な試練、人間関係 etc・・・。
打ち砕かれ、涙の谷を通され、主イエスの愛が
本物の愛であることを知っています。
だから、主イエスの愛を知らないで、
絶望している人に主の福音が一人でも伝わったら
その人が本当の意味で『生きる』ことができるようになるのだと思います。

まだまだ主に砕かれつつありますが、
それでも信頼して日々、主が来られるのを待ち望んで歩いています。

サマリヤ人さんの主と共に歩く姿にとても感謝しています。
兄弟姉妹に対する優しい心遣いにも。
きっと主にとても愛されている方なのですね。

ドイツは寒いのでご家族、健康が守られ、
主の祝福が豊かにありますように~!
毎日お祈りしています。

ザアカイさん、今日は。
ザアカイさんも、大変なのですね。私も苦難の為、服薬しております。
でも、ザアカイさん、ザアカイさんは素晴らしい方ですよ!世界中の人たちにこうして福音を宣べ伝えておられる…今は苦悩でも、御国でどれだけの冠が与えられるか。この聖句をザアカイさん、あなたに贈ります^^
ヨハネの福音書7;17
なぜなら、御座の正面におられる子羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。
ザアカイさん、お祈り、誠に有難う御座いました^^

VICTORさん、早朝よりのコメントありがとうございました。
はは、ばれたか・・・って、ばればれですわね。

たぶん私の場合もすぐのぼせ上がるタイプなので、傲慢にならないようにとブレーキかけてくれる、小さな棘なんでしょう。
あれにやられちゃうと、ある程度までは良くなっても、寛解は難しいようですね。
いつも励ましありがとうございます<(_ _)>
そう、我々には何事にも変えがたい、王の帰還という「希望」がありますからね!

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

心の思いは口を通して言葉となって溢れ出る。
口から出てくる言葉。人の思い。

ことば数が多いところには、
そむきの罪がつきもの。
自分のくちびるを制する者は思慮がある。(箴言10・19)

舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。
ご覧なさい。
あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。
舌は火であり、不義の世界です。(ヤコブ3・5-6)
舌を制御することは、誰にもできません。
それは少しもじっとしていない悪であり、
死の毒に満ちています。(ヤコブ3・8)

肉の内側に宿す罪。
内側から出てくるものが人を汚す。

彼らはあざけり、悪意をもって語り、
高いところからしいたげを告げる。
彼らはその口を天にすえ、
その舌は地を行き巡る。(詩篇73・8-9)

陰口をたたく者の言葉は、
おいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく。(箴言26・27)

主は言われる。

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
いのちの泉はこれからわく。
偽りを言う口をあなたから取り除き、
曲がったことを言うくちびるを
あなたから切り離せ。(箴言4・23-24)

私の言葉を見つめたとき・・・

苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、
主は答えられた。
主よ。私を偽りのくちびる、欺きの舌から、
救い出してください。(詩篇120・1-2)

憐れみに富み、祈りを聞かれる主。
その力ある光の輝きで、ご自身の完了された贖いの恵みで、
唇を聖めて下さるお方。

ついには、神は笑いをあなたの口に満たし、
喜びの叫びをあなたのくちびるに満たす。(ヨブ8・21)

enjeruさん、こんにちは。
ディープな内容ですね・・・

キリストにより義と見なしてもらえていると確信いたしますが、ところがどっこい、現実は繰り返し、繰り返し罪を犯してしまうのが人間・・・

>舌を制御することは、誰にもできません。
それは少しもじっとしていない悪であり、
死の毒に満ちています。(ヤコブ3・8)

→ヤコブ書でも、この箇所は非常に重く、一度読んだら忘れないところです。
やはり究極の解決方法は、主イエスを見上げ歩むことしかありませんね。

ん~む・・ ^ ^ ほほ~、赤いフェラーリ。
これって・・1985年ごろのテスタロッサなんですか。
フェラーリのデザインが頂点に達した時のバージョンですね。
これがフェラーリの歴史上、後にも先にも、
一番カッコよかったタイプだと思います。

これを真似たのがTOYOTAスープラでしたね。
あの頃はクラウン・セリカ・クレスタ・
スープラ・MR2・ソアラ・レビン・トレノと、
TOYOTA第一次黄金時代でした。

杉山清隆とオメガトライブが、飛ぶ鳥を落とす勢いでしたね。

現代では信じられない着こなしですが、
テレビでは毎回、杉山氏が2タック入りスラックスの中に
アロハシャツのすそを入れて歌っておりましたね。
ズボンにシャツのすそを入れる、、。
もう21世紀以降、若者風俗ではほとんど見られなくなりました。

あと吉川こうじもよく聴きました。
モニカ、レインダンスが聞こえる、キャンドルの瞳、
歌も踊りもうまく性格も面白くて、とても良い歌い手でした。
他に安全地帯、CCBも聴いていました。

なつかしくて胸があつくなってきますね。

自動車の話に戻りますが、
他社の車のスポーツタイプもほとんど後輪駆動でしたので、
今の自動車とは全然ハンドル感覚が違いましたし、

 ①直進安定性のなさ、
 ②カーブでの後輪スライドぐせ
 ③砂利道・雨道では特に後輪がすべる

ため、運転は今のドライバーよりも技術を求められましたね。
特にFR車のカーブでのスリップ事故が多いこと多いこと・・。

90年代に入るとシビックやインテグラ、アコードなど
FF前輪駆動HONDA車の強襲によって
各メーカーFR車は下火になってゆきました。

85年式テスタロッサは、もはや26年落ちなので、
きっとタマが少ないでしょうね。博物館級だろうなあ。

あら、コメントが三連発で。
むむ~、ガリラヤさんも私と同世代と言う事ですな。
いい時代でしたねえ~!自分のことだけ考えて、給料自由に使えて、仕事いやならやめても、いくらでも転職先ありましたし。
あの頃は、2ドアクーペ全盛時代で、HONDAのプレリュードを転がしてました。あのリトラクタブルライトのヤツです^^;
あの時代はまだ新車が買えました^^;
私は車といえば、トヨタ車とホンダ車しか乗ったことがなく、しかもスポーツ(もどき)タイプと4駆のみ。
でも4駆は日本の道路では必要ないですね。雪道でも除雪が行き渡っているから、FFで十分だし。大雪降ったら4駆だろうとダメですしね。

それより、首都高みたいにカーブが多いところでは4駆は安定性がなく、怖いくらいです。
その点、今の安物のワゴンは高速ドライブはおもしろいですよ、車体が軽いから加速がいい。首都高のハンドリングが全然違います!いくつになっても気だけは若い(笑)

このようなしょうもない話していた方が気楽でいいですね・・・

おっしゃる通り、あの頃は20代の若者でも、50代の壮年でも、
10社も面接受ければ、2社は受かりましたよね。

んで、どこであろうと必ず年二回のボーナスがあった。

ディスコ全盛、拝金主義、証券市場の過熱、物価がアホほど高い

…など、霊的には悪い時代でしたね。
もしかしたら今より霊的に汚れた時代だったかも知れない。

◆◇
HONDAプレリュード!
OH、重要な車を忘れていました。
ナンパ自動車として、
TOYOTAソアラ、日産レパードと並ぶ車格を誇っていましたよね。

いくらバブル時代とは言っても、私には 買えないレベルでした。

ソアラは圧倒的に白が人気(白=グレーツートンも人気)でしたが、
プレリュードはメタリックな濃い色が人気絶大だった記憶があります。

リトラクライト、覚えてますよ。
当時のイタリア車が火付け役で、
それがTOYOTAスープラ、トレノ、MR2、HONDAプレリュードにデザインされ、
リトラクライトブームになりましたね。

不思議な事にリトラクが上がらない・閉じないなどの故障はゼロで

安心して乗れたものです。

▲▽
首都高のような高速コーナーは、
かえって四駆は運転しずらいんですか?
知らなかったです。驚きました。
カーブを制する者は四駆のみ…かと思っていましたので。

ザアカイ氏は覚えてないかなあ?
大昔のポルシェの後輪みたいですが、
TOYOTAエクシブっていう89年式の車。
後ろタイヤも曲がるタイプ。

そんな変わり種も出てきた、面白い時代ではありました。

あとプレリュードの思い出も聞かせて欲しいな‥。

>霊的には悪い時代でしたね。

→ええ、否定しません --;
あの頃は私も、どこにでもいる世間一般の若者でした・・・
個人差があるでしょうが
やはり人間、特に私のようなへらへらした軽薄短小タイプ、つまらんプライドを捨てられないタイプは、ホセ=メンドーサのコークスクリューか、力石徹のカミソリアッパー並のパンチを顔面にモロ受けないと目が覚めないようです(ToT)

>カーブを制する者は四駆のみ…かと思っていましたので。

→もちろんGT-Rのようなスポーツクーペの4駆なら話は別ですが、あのSUV4駆の場合、タイヤは70のオールシーズンで溝が深い、車高が高いで路面グリップが悪く、バランス的に安定性がないんです。その点、オンロード用の60タイヤで、車高が低く、ハンドリング・レスポンスがいいとなると、多少スピード出してコーナー突っ込んでもSUV乗ってた時ほど、恐怖感はありません。

よって、今のポンコツ中古車でさえ、ちょっとよそ見するとハンドリング良すぎて、センターライン近く走っているのでよそ見できません --;
ホンダCR-Vはそんなことなかったのですが。
これまた予算不足で、本当はあの頃一世風靡した三菱パジェロか、悪路走破性の高かった日産テラノあたりが欲しかったのですが、クロカンもどき・・・で我慢しました(涙;)
背面タイヤついてるからいいだろうということで(笑)
バランスがどうのこうの言いますが、やはりSUVはあの背面タイヤがついてないとかっこつきませんからね。今のは背面タイヤついてないからどうも好きでないです。

>後ろタイヤも曲がるタイプ

→4WSというやつかな?
プレリュードについてましたよ。サンルーフも(笑)
納車直後乗ったとき、カーブ曲がると雪道でスリップしている感覚でした。
ハンドルのキレが抜群だったので、これまたコーナーに強かった。

あの当時は、今のかみさんとつきあってた頃で、まだ?けなげで純粋、素直、一途でかわいいところがあったのですが、一緒になった途端、手の平返したように変わりやがった~(涙;)

「もし御国でもう一度会ったら、まっさきに声かけてあげるよ^^♪」

「結構!間違ってもそんなことしないで、気持ち悪いから。
 二度と会えないと思うとせいせいするわ!ほら、同じ信仰持ってる素敵な人たくさんいるじゃないの、よろしくやったら~」

と今では、ストレートに言ってくる --;

「このアマ、社交辞令というもの、建前、リップサービスというのがわからんのかいな。いつか首締めたる~!」

と密かに誓うのであった。

ということで
思~い~出は~♪うつく~し~過ぎ~て~♪
ではありますな --;

ガリラヤさん、必ずしも今の時代、結婚するのがいいとは限りませんぞ。

っははははははっはっはっははははは・・・
車と恋人・・・トマスの大学時代も、男子はそればかり追いかけていましたなあ。
車はともかく、恋人の情報はすぐリークして、笑いものにされていましたね。
どこかの遊園地でデートした先輩が、サークル室で吊るし上げにされて、笑われる・・・そんな年代でしたね。
あのころは、「草食系」なんて言葉もなく、男子はみんな「肉食系」でしたね。
あと、車に関して言えば、トマスが大学の卒業を前にして、長野県に引っ越すとき、四駆車がどうしても欲しかったですね。三菱パジェロか、スズキ・エスクードか、三菱パジェロ・ミニでもいいから、と思ったけど、結局チャリンコでした。そのチャリンコも、長い坂道を下って、左カーブを曲がり損ねて対向車と正面衝突して、オシャカ・・・以来、ペーパードライバーのトマスです。
ホンダ・シビックに関しては、面白い話があって、シビックに乗っている先輩の誘いで、ある教授のゼミの現役生・OB合同の自動車旅行があったのですが、行き先で、「シビック・クラブ」という、同じ年式のホンダ・シビックの同好会のグループと、ある観光地の広い駐車場で出くわして、その先輩のシビックも同じ年式なので、それも端っこに加えて、シビックばかり並んだ写真を撮りました。壮観ですよ、まったく同じ型の車が二十台くらいズラリ!
あれから二十年、車も、大学生のステータスからすっかり消えてしまいましたね。トマスも、貧乏な独身です(「貴族」と言ったら、笑います。)

あら、トマスさんは長野にいたこともあるんですか。それにしても左カーブ曲がり損ねて対向車と正面衝突とは・・・命あって感謝でしたね --;

>あれから二十年、車も、大学生のステータスからすっかり消えてしまいましたね。

→ええ、我々の時代は学生生活、恵まれていたと思いますね。
今の学生は気の毒なくらいですよ・・・

わが学び舎は、成蹊、成城、学習院、武蔵という、東京いや、全国と言ってもいいのか?お金持ちお坊ちゃん大学カルテットまでは行きませんでしたが、その次あたりのランク?慶応、立教、上智あたりにランクされていたようですが(偏差値的にはこの三つには及ばない^^;)、さすがに下宿組で車持ってた奴は周りにいなかったなあ~?文明堂カステラの御曹司も車持ってなかった^^;
自宅組だけでしたね、それも父親の車とか(笑)
自分専用の車持ってたのは、金持ちのぼんぼん、バカ息子だけだった記憶が?(失礼!)
これを「ひがみ」とも言う(爆;)

私の母校は関東で言えば国士舘や早稲田みたいな
バンカラな校風でしたが、
教授も講師も学生も、自動車通学の人は見たことなかったですねえ。
副学長ですら電車通学でしたよ。

調べはしませんでしたが、
自動車通学は禁止だったのかも知れませんね。
あとバイクも自転車も禁止だった気がする。

あと私生活は、うちの学生で自動車の保有率は
20%くらいだったろうと思います。

持ってても、きっとウチのほとんどの学生は中古車でしょう。

しかし関西のお坊ちゃま学校である
甲南・関学・追手門は学生の分際で高級車保有率は高いです。
・・という事で私の母校は上記3校でない事が判明(^ ^;)

ガリラヤさん、早稲田と国士舘を並べるなんて^^;
せめて、明治、中央あたりを並べないと(笑)

今は慶応の方が人気あるようですが、私の時代は圧倒的に早稲田の方が人気ありました。
残念ながら私の足りないオツムでは・・・落とされましたが(涙;)

私の仲良かった同じ学び舎の友達で、父親、兄貴、弟が早稲田卒で、毎年元旦の箱根駅伝の日には、肩身狭くて家に居たくなかったと嘆いてました --;

トマスさん

貴殿が大学生の頃‥と言いますのは、90年代なかば位かな?

シビックは70年代なかばに登場し、
2000年代に入っても
タイプRなどコンパクトスポーツカーのバージョンで成功していますね。

私は12年落ちのパジェロミニに乗っています。

なかなか可愛いですよ。狭い路地も入って行けるし。

ザアカイさん

いやぁカンニンカンニン。
私、関東の大学の偏差値、あまり知らないもんで。

昔は早稲田と言えば、ボロボロの学生帽・詰め襟の学ラン
を着た学生が校内を闊歩していて、
校舎前には大隈の人形。
日本一有名な学歌。

受験生なら誰もが憧れましたよね。

がしかし、破廉恥の極み、スーパーフリー事件で、
一気に名誉はダウン。

そこから慶應やICUに偏差値を抜かれた記憶があります。

けれどまだまだ難関校ですね。

おお!パジェロミニですか!
なかなかおしゃれで、かわいくて、あれ好きですねえ。

お互い様です、私も関西の大学の偏差値はよく知りませんので<(_ _)>

うちの親は、「京大だったら京都行ってもいい」などと
天地がひっくり返ってもあり得ないこと言うので、あきらめました・・・

観光で行くのとわけ違い、実際住んでみないと、本当の文化とか生活はわかりませんけど、行きたかったもので^^;

うちの高校からは、同志社には推薦枠がありましたが、いかんせん成績が悪くて・・・一部の科目除いて5段階評価で2と3ばっか --;
特に理系は最悪で、数学、物理、化学とあひる(2)の行進(笑)
担任から「悪いこと言わん、あきらめて気い~入れて受験するしかねえな」と言われた記憶が --;

やるべき時にやることやっておかないと、今になって苦労ばかりします・・・とほほ。

>やるべき事やっとかないと、今になって苦労ばかり…

もぉ~ほんっとに痛感しますよね~(^_^;)
私の知り合い達の大半は言ってましたよ、
「戻れるものなら、もっ回、中学生か小学生に戻って、
学校の勉強を一生懸命やり直して、人生やり直したい。
もちろんこの今の“後悔”の気持ちが無いと真剣にやり直すワケないから、
この大人の自分の記憶を持ったまま、子供時代に戻りたい」
‥って。

ザアカイさんはそう思った事は有りませんか?

▲▽●
はい、パジェロミニは飽きないですよ。

いざという時だけ四駆で、普段(99㌫の時間)はFRです。

FR独特の、あの直進安定性の無さはクセになります。

そう思ったこと、当然ありますわね^^;

The forum is a brighter place thnaks to your posts. Thanks!

Cathleen, I'm also very glad you become so happy with this forum! Please come here again and left lots of posts.

Hi,Cathleen and Matthew.
Thank you for your comments.
Recently I've received English comments so much.

By the way,I have a question.
Do you understand Japanese;what I said in this post?

If you understand these contents of this post,I'd like you to write in Japanese.
If you understand what I wrote,I think you can write in Japanese.

For some of us can't understand English;what you wrote.
Because most of participants of this forum are Japanese.

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