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2011年7月 2日 (土)

「一致することの難しさ」と「愛が冷える」

7/3 Up Date

告知; メールを一通いただいているのですが、NTT docomo で通信障害でも発生しているのでしょうか?エラーで戻ってきてしまい返信できません。どうかご了承ください<(_ _)>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今現在までブログ活動を続け、約4年と10ヶ月になります。よく続いているものだなと自分でも感心してしまいます^^;

そんな中で、多くの方(キリスト者であるなし関わらずです<(_ _)>)と語り合う機会に恵まれたなと感じます。

大きく色分けすると

① 出会いの当初から共通の価値観を持ち、霊的にフィットするタイプ。

② いきなりバッティング、ちょっとした価値観の相違で反発し合うが、雨降って地固まるタイプ。

③ 結局は、信仰のポジションの相違、価値観が違う為、分かり合えず袖を分かつタイプ。

④ 例外的に、当初は同じ価値観で同士として出発するが、途中で変節、おかしさに気づき(お互いそう思っているんでしょうね)距離を置くタイプ。

の4タイプでしょうか。

正直言いまして共感してくださる方も多い反面、反発を覚え、私に対し憎悪の念を遺憾なくぶつけてくる方が多いのも事実です。

①のタイプの方は神の与えてくださった恵みですね。

②のタイプの方は一旦、共通する一致点が見つかると、今まで以上に絆が強まるパターンが多く、お互いの個性が激しくぶつかる分、ある意味①の方以上に歩み寄れる場合すらありますね。その後不思議とバッティングしなくなります(笑)
苦難の末にわかりあえるため、これまた深き恵みです。

④のタイプの方は悲しいことですが、こちらとしても伊達や酔狂でやっているわけじゃなく、ある意味真剣勝負的なところがあるので致し方ないでしょう。なんでもなあなあで、「まあいいや」とするわけにもいかず、仲良しクラブ、お客様第一の商売とは切り離して、この世の利害を一切排除してやっているわけで、「しかりはしかり、否は否」です。
誰にも「譲れない分岐点、妥協点」はあるものです・・・

問題は③のタイプですね --;

私も以前はケンカ売られたら喜んで買い、徹底的にとことんやるタイプでしたが、最近そのアホさ加減というか、その空虚感というものを覚え、適当なところで引き下がることを覚えました。
その土台、価値観、ベースが違うわけで、どこまで行っても平行線、やりあうだけ無駄ですので。適当な落とし所に収斂することは残念ながら・・・ない。

この点においては、自分も含めクリスチャンこそは悔い改めるべきですね。みんながみんなとは言いませんが、クリスチャンにはこのようなヒステリックなタイプが多いです。とにかく蛇のごとくしつこい・・・こちらが、これ以上話しても無駄だからと引いても、喰らいついてくる。その憎悪の念には恐ろしさすら感じます。聖書的でないことは言うまでもありませんが。世の終わりが近づくと人々の愛が冷えるとは良くぞ言ったものです。

過去のコメント欄を見ていただければわかりますが、私もそれほど話しのわからない偏屈、バカでも頑なでもありません(笑)
相手の言うことに一理あれば、へりくだって聴く姿勢は持ってますし、じぶんの間違いに気づいたときは、恥を忍んで認めます。
しかしながら、「もう無駄だからやめましょう、どこまで行っても平行線です」とこちらから持ち掛けても、何度も何度もしつこく投稿してくる。
そもそもここは私のホームグラウンドで、アドバンテージは管理者である私自身です。極端な話、何を書こうが自由なわけです。いやなら読まなきゃいいだけのこと。
私だって人様のブログ(一部掲示板は除く)ではあくまでアウェイ側。そのあたりはマナーというか、大人としての常識をもって対応しております。
たとえ面白くない記事を書いていようと、ケンカを売るような非常識なまねはしません。
だったら、ブログを開設してないのであれば、自身で開設し訴えればいいだけではありませんか。クリスチャンを自称しながら、世間の一般常識がまるでわからない。世の中のことを知らないで宗教などという危険極まりない、くだらん気休めに走るからそうなるわけです。

注;誤解を招く発言ですが、私が信じる神と御子は単なる宗教ではなく、全宇宙(第一の天=地上、第二の天=物質的宇宙、第三の天=霊的世界)の真理だと信じるのでこのような書き方をしました。面白くない方は反論しないでスルーしてください(笑)

そこにあるのは、相手に対する激しい憎しみ、優越感、自分だけが正しいとする誤った勘違い、自分をサタンのごとく高く挙げようとする傲慢、神の言葉である聖書より自分の属する組織、聖職者の教えを優先する誤った態度です。

一つ例を挙げましょう。
こんな事したくなかったのですが、致し方ありません。
私は最後に以下のように書きました。

「これ以上、あなたに付き合っている暇はありません。はっきり言って無益だからです。
一つ前の投稿は削除させていただきました。以後投稿されてもすべて削除させていただきます。」

普通、正常な精神、一般常識のある人であれば引き下がりますよね?今のご時世、食ってくだけでも大変なのに、人様のブログ記事にしつこく因縁つけてる時間などないはず・・・私だったら、ブックマークから削除し、二度とブログを訪れたりしませんけどね。

ところがたまたま、スパム・コメント・ログをチェックしたらなんと!!誰だかはわかります。得意の匿名ですが。清々していたのに、これにはさすがに驚いて、開いた口が塞がらなかった --;

「あなたは、カトリックと議論をしても筋の通った反論ができないという事がわかりました。私はプロテスタント福音派からカトリックに改宗しました、プロテスタントの事もカトリックの教えも両方知っています」 11/6/22

* 福音派と言ったって、たくさんあるのですけどね?ましてやカトリックと違い、同じ教団でもそれぞれの教会でカラーが違います。そもそも筋の通った反論って何でしょうか?
教会に躓いて、福音派に対する憎しみだけを信仰の拠り所にしている人に何言ったって無駄だと言っているのに。

「あなたも都合が悪くなると勝手に削除したり、掲示板に書き込みできないようにする汚い人間だということがわかりました、福音派の牧師のレベルの低さがよくわかりました。」
11/6/22

* こちらから「どこまで行っても平行線、無益だからやめましょう」と言っても聞く耳持たないでしつこく絡んでくるから、仕方なく

>一つ前の投稿は削除させていただきました。以後投稿されてもすべて削除させていただきます。

と、しこりを残さないようにと、ひと言、断り入れてるのに・・・問答無用で削除したわけじゃありません。
そもそも私は牧師じゃなく、変わり者で日陰者の一信徒に過ぎませんが --;
まだあります、呆れました。憎しみのあまり犯罪に走りゃしないかと心配します・・・

「いんちきザアカイ情報操作はお手のもの、あなたは立派なカルト宗教の指導者!」
11/6/23

* はいはい、私は胡散くさい変人で異端ですよ(笑)、これで気が済みましたでしょうか?これをどう取るかは読者各々にお任せしたいと思います。

まだケリのついてない、結果が見えてない自分が蒔いた種のごとき記事がわんさかあります。これは自分で刈り取らねばなりません・・・
自分の見立てが間違ってた時は、その時には、言い訳などせず自分の間違いを素直に認めますよ。そしてネットから姿を消しますよ、それだけの価値しか自分にはなかったということで、また一から出直しますよ。
ただし、指導者じゃありません。だからこれだけ自由なことが書ける。指導者だったら実名でやってます。ましてや「巨人の星」の動画貼り付けたりしませんよ(爆;)

よほど以前所属していた教会でひどい目に会ったんですね。ある意味気の毒ですが、教会に躓いても、キリストに躓くことなく、教会に八つ当たりすることなく、無所属で、いやそれだけに天の父なる神のみ見上げ、キリストを愛し、素晴らしい信仰を持った知恵ある方々を片手以上、私はブログ活動を通して知ってます。

必要以上に教会を狂信するからこうなる。教会とは言え、所詮人間の創り上げた組織で集合体です。完璧な教会などこの世に存在するはずがない。人を救うのは、組織としての教会ではなくキリストです。本末転倒してます。
私を憎むのは勝手ですが、ここまで来ると異常性を感じるゆえ、福音派の教会に対する破壊工作などしないでいただきたい。消火器を投げ込んで教会の窓を割る事件が関西でありましたが、間違ってもそのような行為だけは真似して欲しくありませんので。心配しちゃいます。

さて、これで終わったのでは芸がありませんので最後にひと言。
間違っても「憎しみ」を信仰のバネにはすべきではありません、それこそサタンの思う壺で主が悲しまれます。
カトリック、プロテスタントを問わず、教会、組織に躓いても(これらは所詮人間、肉的なものです)、天の父なる神、御子なる主イエス、人知れず静かに働かれる聖霊・・・に躓いてはいけない。最後は神と個人の契約、関係です。神は「自分が憐れみたいと思う方を憐れんでくださる方」であるはずですから。

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コメント

こんにちは ザアカイさん

ブログをしていて、自由にコメントをかけるように
すると、いろいろな問題もでてきますよね。
どうしても、キリスト教は愛や赦しを説くというイメージがあるので
それを逆手に取って、嫌がらせをするひとがいますよね。。

クリスチャン(主に信仰を持つ理由)にも、いろいろいますね。
聖書の神と教えが真理であり、主イエスが唯一の救いの道として考えて、教会の(聖書知識を得たり、交わりという)価値は認めつつも必要以上に、器主義や人の言動に寄り掛かりすぎない バランスのある信仰を持った牧師なり信徒たちも、たくさんいると思うのですが。
どうしても 人間は、社会的な生き物ですから 人に焦点をおきすぎてしまう事もあり、ときに不満や疑問や失意に合う事はありますよね。
期待する事は、悪い事ではありませんが、適切な期待なのか。。たんに自分の都合を考えての期待なのか。。という事を判断するのは、クリスチャン同士であっても難しいとおもいます。
教会、牧師などの指導者、信徒達との間でつまずきがあったとき、その教会=キリスト教、クリスチャンであると狭い枠組みで捉えて、一時的にもしくは一生。キリスト教や教会(特定の宗派)嫌いになる事もありえますね。

でも、信仰の根底に主への愛があれば、そのような失敗や勘違いや過ちが
あっても、クリスチャンとしてまた一層砕かれて。。。成長してゴールにむかうことができるのかもしれません。

主の恵みと憐れみと、平安が全ての人にありますように。(* ̄ー ̄*)

サマちゃん、毎度さんです<(_ _)>

むむむ・・・まったくもって同感です、反論の余地なしですよ。相変わらず成長というか飲み込み早いですね(驚;)

>教会、牧師などの指導者、信徒達との間でつまずきがあったとき、その教会=キリスト教、クリスチャンであると狭い枠組みで捉えて、一時的にもしくは一生。キリスト教や教会(特定の宗派)嫌いになる事もありえますね。

>でも、信仰の根底に主への愛があれば、そのような失敗や勘違いや過ちがあっても、クリスチャンとしてまた一層砕かれて。。。成長してゴールにむかうことができるのかもしれません。

特にここの箇所、いつも私も事あるごとに書いているのですが、「人を見ればブレる、神のみフォーカスしよう」という、絶対的基準がやはり人間には必要なんだと思います。

ザアカイさん、私は羊の皮をかぶった羊なので大丈夫ですよ。
こんばんは、いつもお世話になっています。

>プロテスタントの教えも、カトリックの教えも知っている・・。

ぬ~む。不思議な文章ですね。・・知らなくてよろしい。
知っておくべきは、主イエスの教えだけで必要充分ですよね。

ペンテコステ派・タカ派・福音派・ハト派・旧田中派・
後期印象派・・・それって一体なんなんでしょうね?

なぜ彼らは 「私はイエス・キリスト派です」と言えないのだろう?
それだけで充分だと思うのです。
主は「党派心を持ってはならぬ」と我々に命令しました。

また、あれやこれや苦しい理屈をくっつけて、
神に祈る際、自分と神様の間に像を置くのも変だと思わないのかな?
それって天の父に失礼だと感じないのでしょうか?

図で示しますと
    ↓
神さま - 像 - 自分   ・・・明らかに父に失礼ですよね。
                   きっとそういう人って、神様の気持ち第一よりも、
                   自分の基準を第一に考えているのではないでしょうか?
            
そういった人々へ。
自分と父の間に障害物を置かず、
神様 - 自分 というカタチで直接祈って下さい。

ガリラヤさん、こちらこそお世話になってます。

>知っておくべきは、主イエスの教えだけで必要充分ですよね。

→はい、私もそう思います。
主イエスにおいて一致できれば、そのほかの細かいことまですべて同じと言うわけにはいかないのだからそれでいいと思います。
人間の理解力には限界があるわけで
そのことを取り上げて、ああだ、こうだと、必要以上に言うことは愚かですからね。
逆に言うならば、微妙なずれがあるからこそ、健全な面もあるわけでして。

ザアカイさん、皆さん、こんにちは。

終わりの時は「愛が冷える」・・・今がその時でしょうか?

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなる。(マタイ24・12)

不義が増すにつれ、互いに裏切り合い、憎み合い、愛が冷えてゆく世の中。自分中心でエゴの塊・・・人間の罪。
人間の愛は、時と環境によって左右されやすく、冷えてしまったり、消えてしまったりする可能性があるもの。
悲しいことですが・・・。

一方・・・

愛は死のように強く、
ねたみはよみのように激しいからです。
その炎は火の炎、すさまじい炎です。
大水もその愛を消すことができません。
洪水も押し流すことができません。(雅歌8・6-7)

主イエスの人類に対する愛は、激しく・・・。
洪水の力は、本当に全ての物を押し流してさらって行ってしまいます。
けれどあの強大な破壊力を持つ洪水さえ
押し流すことのできないほどに主イエスの人類に対する愛は、
激しく、燃え盛る炎のように輝いています。

その愛の究極の現れが、
天から地に下り、人類の罪を贖罪するため十字架に架かられた主イエス。
不動の決して変わることのない不変の永遠の愛。

人が愛に飢え乾いている世。
どんなに時が経っても
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ43・4)
と言って下さる主イエスの偉大な愛を多くの人が知ることができますように・・・。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、
私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。
ここに愛があるのです。(ヨハネⅠ 4・10)

enjeruさん、いつもありがとうございます。

何も今に始ったことではないかもしれませんね・・・
でも世の中見ていると、明らかに時代を逆行しているようにも見えますよね。

これから益々揺さぶられ、更なる試みがやって来るのでしょうね・・・そんな中でキリストにある愛を抱いて、義を貫き、乗り切ることが出来るのか?まさしく正念場が目前に迫っているのかも?

ただただ、憐れみにより「クオ・バディス」のペテロのように歩めたら幸いですが・・・正直言って、あまり自信ないかも?・・・とほほ。

真剣勝負が伝わるね
吉祥寺の森のバカ達にも教えてあげて

また読み直した
しかし何回見てもいいよね
内容はほとんど賛成します

人の話しきかない人多いな
クリスチャンのなかに

>人の話しきかない人多いな
クリスチャンのなかに

→狂信者が多く、自分のとこの教えだけが正しいとする偏屈で独善的な人が多いのも事実ですわね --;

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