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2011年4月18日 (月)

過ぎ越しの羊

今日一番の気になった記事です。

米国南部で200以上の竜巻、44人死亡
2011年04月18日 09:01 発信地:米国

【4月18日 AFP】米国南部で14日から16日にかけて200以上の竜巻が発生し、家が吹き飛ばされるなどして44人が死亡した。救急隊員らが17日、発表した。

 最初の竜巻は14日、オクラホマ(Oklahoma)州の人口350人の小さな町Tushkaで発生。大半の家屋が損壊し、高齢者2人が死亡した。

 翌日にはアーカンソー(Arkansas)州、ミシシッピ(Mississippi)州、アラバマ(Alabama)州、ノースカロライナ(North Carolina)州で数百の竜巻が発生。ノースカロライナ州では最多の23人が死亡した。また、竜巻は16日夜、バージニア(Virginia)州でも発生した。

 気象サイトAccuweather.comの気象学者メーガン・エバンズ(Meghan Evans)さんは、「3日間で、241の竜巻が14州で発生した。これは観測史上もっとも多い数だろう」と述べた。強いジェット気流、湿気、南部を襲った寒冷前線が原因とみられるという。(c)AFP/Charles Duncan Pardo

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

学者先生は、なんやかんやと屁理屈つけて因果関係を後付け解説したがりますが、個人的には、日本を襲った大震災のごとく・・・世界的な現象なのではないかな?と感じざるを得ません。
今年は中東革命から始まり、日本での東日本大震災。おそらくこのままでは終わらないでしょう。太陽活動の活発化による磁気、磁場の異常が原因なのか?それとも人工的なサタニック・アタックなのか?ケースバイケースでその両方なのか・・・私などにわかろうはずもありません。

かと思いきや、栃木県で小学生の登校中の列にクレーン車が突っ込み6人が死亡・・・言葉が見つかりません。

唯一つ言える事、時は最終コーナーを廻り、終末に差し掛かっているか?もしくは既に、終末に突入している可能性が大きいということでしょう。

本番はこれからなのでしょう、今はこれほどでも・・・まだ最終的な悔い改めの猶予が残されている神の慈愛、憐れみの期間なのか・・・わからないものはわからない。

日本の今回の大惨事を見ただけでも、目を背けたくなる、涙なくしては見ることが出来ないというのに・・・我々人類は、これ以上のカタストロフィを眼のあたりにしなければならないのか・・・憂鬱な話です。
それでもすべては神の御手の内、コントロールの範囲なのでしょう。これ以上の「悪の跋扈」は許さないという毅然とした、かつ厳粛なる現実なのでしょう。それでもつらい現実であるには違いありません・・・

もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。

マルコ 13:20

あるいは急に帰ってきて、あなたがたの眠っているところを見つけるかも知れない。

同 13:36

そして今日は

「過ぎ越し」=ペサハ=passover

でもありました。とかく教会歴ではイースター(キリストの復活)ばかりフォーカスされますが、この

「罪の赦し」=「贖い」=「キリストの十字架」=「過ぎ越しの羊」

が大前提であることに、反論の余地はないことでしょう。

まさに、過ぎ越しの羊が屠られている午後3時ごろ、キリスト・イエスが十字架に架かられ「救い」が完了したのです。そう、「完了した」、これは一度限りで完全。付け足すものは何もありません。ただ、キリストがメシヤであると信じる信仰、これを「信仰義認」といいますが、これで「我々は永遠に生きる者」、もっとわかりやすく言えば、「たとえ肉の命が滅びようとも霊の命は生きる」。そう、「死んでも生きる」のです。これは唯一のメシヤ、イエス=キリストによってのみ、可能なのです。

その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。わたしは主である。
その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。
この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。

出エジプト 12:12~14

今、マルコ伝を読んでいて、3時40分ごろ、13章から16章であったというのも、示唆深いものがあったのでなおさらです。

陰謀論、世界情勢、終末論を語るのもいいですが、私は少なくとも、そのような艱難を味わう羽目になった時の希望、解決策として・・・メシヤであるキリストをこのブログでお伝えしたい。
誰が何と言おうとこれだけは譲れませんし、これがなければ、このブログの存在価値は「ゼロ」ですので。

今日本は大変な目にあってます、「平時」だと言う認識は私にはありません。「戦時体制」と言うには大げさとして「準戦時体制」と言っても過言ではないと思います。

私も御多分に漏れず、震度6強の強烈な必殺コークスクリューパンチを喰らい、KOはされませんでしたが、カウント9でヨレヨレ状態で立ち上がり、毎日のようにカミソリジャブのごとく余震を喰らい、その間、震度5弱のストレートパンチを5~6発程度喰らいながら、パンチドランカー一歩手前、おまけにいつ収束するかわからない原発問題の環境の中で

Joh

「立て~!立つんだ!ジョー!!」 ~by 丹下段平
「矢吹君!もう少しじゃない!戦うのよ!!」 ~by 白木葉子

を型の違った神からの励ましと受け取り、本日・・・今年も「過ぎ越し」を迎えることができました。

福島原発の恐怖を超える「核の恐怖」が世界のどこかで近々訪れるかもしれない、聖書にそうあるのだから、おそらくそうなるのでしょう。

そんな時、誰を、何を希望として前進し続けるのか・・・私は確固たる確信、希望を持っている「つもり」です。

見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。

マタイ 28:20

付録:
http://hosi.org/a/
http://hosi.org/cgi-bin/hebrew/month.cgi?5771@7

2011

たぶん、今日の日没後が、「過ぎ越しの祭り」入りだったと思う^^;
数え方により、一日ずれているとする説もあるようですが。

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コメント

ザアカイさん

日本は本当に 戦後以来かつてないほどの危機状態にありますよね。
アメリカもハリケーンの被害はいままでもあったものの、地震といい
ハリケーンといい、頻度と強度が この100年間ほど異常発生している
といえますね。。。

多くの人が亡くなり、家財をなくし、不安のなかで暮らしています。
困難の中、希望をもって対処できる人もいれば、ただただ呆然として
絶望にうちひしがれる人もいます。。 
たとえ、家や家族が無事でも、地震や今後への不安があるというのは 
それぞれ状況は違っても苦しいという事にはかわりませんよね。

私は、多くの方が主に助けを求めて希望を持つ事ができるように願います。
精神面で慰めを得るのは、本当に難しい事だと思います。。
もちろん、主の支えも私たちが把握している以上に沢山あると思いますが、
身近にいる人と通しての支え、協力、温かい言葉も必要だと思います。。 
どうか助け合いによって、苦しみが減りますように。。 

サマちゃん、いつもどうも。

まだ地震、原発問題が一段落したとも思えませんし、ここに来て経済面での打撃が表面化してますね・・・

とにかく人とモノの動きが悪い・・・これがまたボディーブローのように効いてきてます --;
本来であれば、4月は移動の時期で、それなりに悪い月ではないのですが、先月の反動もあってか、対前年でかなりマイナスしてますね。

周りの戦後の混乱期を経験しているはずの年配の方々を見ても、あの修羅場を乗り越えてきたというたくましい姿は微塵も感じられません。弱りきったかよわき老人という感じです・・・

やはり人間って、一度いい暮らしをしてしまうと元には戻れないのかもしれませんね・・・
我々の世代の方が、現状を認識しているのでは?と思うときもしばしばーー;

これからは我々の世代が、先頭に立って進んでいかねばならないかもしれない・・・などと感じたものです。
益々隣人愛を実践せねばならない時代に入っているかもしれませんね。

ここのところ、ブログでハードボイルドな顔、掲示板では軽薄短小な顔を使い分けているような?(笑)

ザアカイさん、皆さん、こんにちは。

今朝、読んだ聖書(旧約)は、歴代誌Ⅱ30章でした。
今が、「過ぎ越しの祭り」の期間だけに、多くの恵みをいただきました。
感謝!

またイエスさまも最後の晩餐の時、過ぎ越しの食事をされたことも
意味深いですね。

種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過ぎ越しの子羊をほふる日に、
弟子たちはイエスに言った。
「過ぎ越しの食事をなさるのに、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」(マルコ14・12)

そして、その食事を通して、ご自分がなされる犠牲の血と肉を象徴したパンとぶどう酒の杯を示されことも、そのことを生きている限り覚えておくようにとすぐに恵みを忘れてしまう人間に教えられた憐れみだと思います。

子羊主イエスの犠牲・・・それゆえにただ一方的に恵みによって救われていることに思いを馳せつつ・・・この過ぎ越しの期間を過ごしていきたいです。

夕食の後、杯をも同じようにして言われました。
「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。(Ⅰコリント11・25-26)

enjeruさん、いつもありがとうございます。

さて、今度は24日がイースターですね。
ま、このイースターの日付についてはいろいろと「いわく付」ですが、主は「罪の根源、動機」から裁く方でもあるので、我々にあっては、素直な気持ちで復活を祝いたいと思ってます。

わりとこのあたりはこだわる私です --;
購い、復活と成就しているわけでして、あとは再臨を待つのみですね!

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