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2011年4月 4日 (月)

なぜそんなに怖がるのか、どうして信仰がないのか

本日は久しぶりに、信仰に関する話題を取り上げてみようと思います。

昨日の聖日礼拝メッセージ、心に響きました。昨日から牧師先生が代ったのですが、今度の牧師先生・・・ちょっと毛色が今までと違うかも?
久しぶりに、夢中で聞いてしまいました^^;

さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。 そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。 すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。

ところが、イエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。 彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。

マルコ 4:35~41

この箇所の解釈というか、神学的見解ですが、大きくわけて二つあるようです。

一つは、このような困難な状況において、弟子たちは主イエスにより頼んだ。この信仰を我々も持つべきだ。~とするもの。

もう一つは、誰だったか名前忘れましたが、ヨーロッパの神学者の見解。
いや、主は身近におられるのだ、だったらなぜ、怖がりうろたえる必要があるのか?ただ黙って舟をこぎ続けることこそ、真の信仰者の姿のはずだ。~とするもの。

なるほど・・・私としてはどちらも間違いではないと感じますが、ワンランク上の真の信仰者の姿と言うのは、後者であろうという点では、牧師先生の見解と一致しました。

「なぜそんなに怖がるのか、どうして信仰がないのか」・・・ --;

この場面と似たようなところで

イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。 しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。
するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。
しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。
ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。

マタイ 14:25~32

解説は必要ないでしょう。文字通り読んでいいと思います。
ポイントを挙げるとすれば・・・
ペテロが 
“風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。”ところ
主は
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。”
と切り返したところでしょうかね。

これまた --;・・・そんな事言ったって~!!(ToT)
というのが、私の正直な感想です(-_-;)・・・

よく

舟=ノアの箱舟=教会=キリストによる救い

と喩えることができます。
このような時期だから我々日本人も具体的にわかりやすいと思うので書いてみようかと思います。

キリストを信じて救いに与ったからといって、我々はここにある記述のように、この世の人生においては小さな小舟を漕いで、世間の荒波という風、波をもろに受けて歩んでいるようなものですよね?

M9、震度6強の地震から停電、断水、通信遮断、燃料不足・・・それらから幸運にもギリギリで守られたとはいえ、相変わらずの余震の波状攻撃、オマケにいつ収束するかわからない福島原発問題・・・放射能

そしておそらく、私の個人的な聖書預言の研究?というほどじゃありませんが、これから先・・・日本だけではすまないはず。全世界的な艱難時代へと突入する合図、プロローグだったと思える時が、早ければ今年中に訪れるかもしれない・・・
リビアでは人道救援という錦の御旗を掲げ、英米仏を中心とするNATO軍は、平気でリビアの一般市民を巻き添えにしながらホロコーストに邁進中、石油利権を獲得するために血眼状態。
民間人犠牲者の数を決して公表しようとしない、してもサバ読んだデタラメの数字・・・今起こっている現象は、何も日本だけじゃありません。

そのような未体験ゾーン、人智を超えた時代が待ち構えている中で、どうすればいいのか?

当然我々としては、主イエスにより頼み、助けを求めるしか術を知りません。
しかし、ここでちょっと立ち止まって、現状出来ないまでも、信仰を見直してみるのもいいかもしれない。

「腰をすえて、恐れずうろたえず、波風を全身で受けながら・・・ただ黙って舟を漕ぐことが出来るならば、平安と勇気が与えられはしまいか・・・

なぜなら、どのような状況であろうとも、主イエスが『舳の方でまくらをして』いつも我々とともにいて下さるのだ!何をもって恐れる理由があるのだろうか?」

と、どんな時でも主イエスのみ見上げる・・・

イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。

マルコ 5:34

あなたの信仰があなたを救ったのです!

口で言うほど簡単じゃあ、ないことはダメクリである自分自身がよくわかっていますが --;

それでも無理にでも?勇気を出しましょうか!我々は主イエスの愛の中で生かされているのですから~!!

最後にミュージック・タイムです。

Boat on the river! 何とタイムリーな曲か --;(これを自己満足と言う^^;)

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主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

ザアカイさん、みなさん、こんにちは。

>「なぜそんなに怖がるのか、どうして信仰がないのか」

想像もしなかった巨大地震、津波、原発の放射能・・・。
これらが、人を襲うとき、肉がある人間ですから、
突然の出来事に恐怖と驚きと叫びの中、
創造主を知らない人のように怖がることだと思います。

けれど、嵐の中で・・・荒れ狂う風と雨の中で、主イエスは悠々と眠っておられたんですね。
そこには、静けさがあり、平安があり、びくともしない余裕があります。

「主よ、助けてください!」

それがお弟子たちの叫び。
そして無力な現実の厳しい出来事に対する私たちの叫び。

私たちが、叫び求めているお方は、宇宙も星々も地球も人間も・・・
創造されたお方であり、そこに目を留めるなら、主の助けを期待を持って
待ち望むことができますね。
あの、びくともしない平安の主に目を留めるなら・・・。

このお方は、信じる者を窮みまで愛して目には見えなくても
永遠に共にいて下さることを皆さんが信じることができますように~!
そして多くの悲しみの中にある方々がこのお方を知ってほしいです。

今日読んだ御言葉を書いておいきますね。

この時期には、出て行く者にも、はいって来る者にも平安がありませんでした。
国々に住むすべての人々に大きな恐怖があったからです。
そして、彼らは、民は民に、町は町に相逆らい、共に打ち砕かれてしまいました。
神があらゆる苦しみをもって、彼らをかき乱されたからです。
しかし、あなたがたこそ強くあってほしいのです。
力を落としてはなりません。
あなたがたの働きには報いが伴っているからです。(Ⅱ歴代誌15・5-7)

enjeruさん、いつもどうも。
憶えてるかなあ~?
このエントリーで取り上げた3つの黒文字の箇所・・・おととしの夏、ストレスがピークに達して、神経破壊されちゃった時、enjeruさんがピックアップしてくれたとこなんですよ(^^ゞ

だから余計、これらの箇所は思い入れが強かったんです。口で言うほど簡単じゃありませんけどね。

でも、毎日のように口ずさんでいると、そのうちその気になるかも?などとも^^;

あ、そうそう、新任の牧師先生、メッセージであと一箇所取り上げたところがあるのでピックアップしておきましょうか。
「もう一度、イエス様に対する愛を見直すべきですね。そしてその愛を伝えられたら、いつ召されてもいいです・・・」と言い切りました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。

ヨハネ 14:21

ザアカイさん

>3つの黒文字の箇所

そうだったのですね・・・。
御言葉は、生きていてその時々の
環境に応じて、豊かに働いてくださいますね。

>ヨハネ 14:21

感謝です。

トマスも、すぐ動揺します。信仰が足りないせいか、それともトマスが持つ精神障害のせいかは、判別できませんが……。
だから、というわけでもありませんが、最近トマスはよく祈ります。
「信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。」(ヤコブ 5:15)
じつは、昨日から今日にかけて、ブログ友のことで、夜も熟睡できないほど悩んだことがあります。そのことで、だいぶ祈りました。
祈った末、パン! と天から降った解決がありました。あとは、主が良くして下さるでしょう。トマスの人事は尽くしました。
やはり、「主は我らの避け所、我らの砦」なのですね。

enjeruさん、覚えてましたか。
棺桶に片足突っ込むま・・・もとい --;、永遠に忘れませんよ。
今も後遺症が残ってますが、しょうがないとしましょう^^;

トマスさん、しょうがないですよ^^;
私も地震の時は、一瞬頭の中真っ白!!
詩篇23篇が思い浮かんで朗読したのは、地震が収まった後でしたから。
「所詮、この程度」と、逆に謙虚になれて、いいこともありますしね。

>トマスの人事は尽くしました。

→よかったですね。微力ながらうまくいきますよう、お祈り申し上げます。

ザアカイさん、皆さん、こんにちは。

過ぎ越しの祭り

エジプトで主なる神が地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトのすべての初子を打つという災いが下された時、
イスラエルの家々の鴨居に傷のない羊ややぎの赤い血をつけ、
それを見られた主がその災いを過ぎこされたということを記念しての祭り。

あなたがの家々の血は、あなたがたの印となる。
わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。
わたしがエジプトの地を打つとき、
あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。(出エジプト12・13)

傷のない羊ややぎの血は・・・災いを通り越しました。
それは犠牲の血が捧げられ、その血が内側にいる者を守ったからです。

主イエスの血

恵みの時のキリスト者は、主イエスの犠牲の血によって罪の贖いと共に
聖霊の働きによりその血が印となって「子羊の怒り」の災いから守られています。

それは携挙の時、神の御怒りからの過ぎ越しの印となって、キリスト者を天に引き上げて下さることでしょう。

大きな災害も世界の経済の破綻も、主が来られる日が刻一刻と迫っていることを告げています。
多くのキリスト者が、艱難を通ると恐れおののいている時、
主イエスは、愛する花嫁がこの世が始まって以来の艱難から救い出すために来られるという真理に覆いがかかっているのをご覧になられて
どんなに嘆き悲しんでおられることでしょう。
花婿に信頼しない花嫁に・・・。

現在のキリスト者が死を見ずして天に引き上げられるという大きな
喜ばしき恵みの真理を知れば、私たちの心と目は、
いかに今が困難であっても・・・その時を待ち望みつつ主イエスと共に歩いて行けると思います。

やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、
ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。(ヘブル9・12)

御霊も花嫁も言う。「来てください。」(黙示22・17)

今年の過ぎ越しの祭りは4月19日(18日の日没)からのようですね。

今年に入ってから、さらに世の動きのスピードが早まったと感じざるを得ません・・・

忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。

ヨハネの黙示録 / 3章 10節

これからしばらく正念場が続きそうですね・・・

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