なぜキリストを信じるか~ある姉妹の証し
ザアカイです、中東が相変わらず荒れてます。イラン艦船のスエズ通過が23日に延期とか。
世の中、いよいよ末期症状、終末の様相を呈してきました・・・米英イスラエルの奸計、侮り難しと言ったところでしょう。
しか~し!そんな中にあっても、
そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
マタイ 24:14
とあるように、確かに神の福音は、マイナーもマイナーなここ日本の地においても、宣べ伝えられるようです。
以下は、最近、教会へと通いだした「ある姉妹」の証し(注;証しとは宗教体験のことですが、私的にはキリスト教で言う「聖霊体験」だと思ってます)です。
転載の了解が出ましたので、この場にてご紹介します。
いつもこのブログで書いてますように、信じるか信じないかは読者の判断にお任せします。
信じるのも自由、信じないのも自由。よって、神に従うのも自由だし、従わないのも自由。
自由・・・これは人間に与えられた何人であろうと犯すことの出来ない権利。それはたとえ全能なる神であってもです。そこに強制、脅迫が存在したのでは、本来の「愛」は成立しません。キリストが十字架上でなされた購い=全人類の救い=神の差し出された手を掴むかどうかも、これまた各人の自由意志に任されております。
かく言う私自身も、この境地に至ったのはここ10年ほどのことで、それまでは、すべては自己責任、自分の力でこの世を泳ぎきってやると突っ張っていました・・・
自由という言葉は一見素晴らしく思えますが、そんな中で私が悟ったこと。自由とは反面、荒涼とした荒野に一人身を置く孤独な一匹狼のごとくであるということです。
人間としての限界、己の無力さ、能力の限界を知り、壁にぶち当たり、初めて知らしめられることであるかもしれません・・・
賢明な読者のこと、「大人の信仰」ということを前提にお読みいただけると幸いです。
え~、ごたくが多くなりました --;
それではメイン記事へと行きましょう。
訳注は、私がつけました。本文の姉妹とは何ら関係ありません。
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プロロ~グ
私は、宗教を毛嫌いする家庭に育ちましたが、赤ちゃんの頃からの記憶があり3歳くらいに不思議な体験をしてから霊感というのか、感が鋭く良くも悪くも霊的な体験が色々ありました。(救われてからは良い体験がはるかに多いです)そういうこともあって占いやスピリチュアルやオカルト、宇宙人など不思議な世界が大好きで、それが悪い結果に繋がるとしったのは救われた最近です。
本題へ
さっそく伝えたいのが、マリアのメダイやロザリオの話です!(※私の個人的体験を伝えるだけで、これを真実だとか誹謗中傷を言いたい訳ではありません)
私には全く聖書の知識が無く、オカルトや終末の話からクリスチャンの姉妹のブログに辿り着き、聖書を読まないと世界を知ることはできないと感じ、聖書を注文しました。ところが届くまで3週間もかかる!
まだ神の愛も知らず、終末の恐怖ばかりが込み上げ、混乱し、焦り、何かできないかとネットを徘徊していました。何の知識も無い私は、聖書=西洋=キリスト教=カトリックという図式が頭の中に刷り込まれていて、カトリックの方が流している情報ばかり閲覧し、祈るにはロザリオが必須、メダイがあれば救われると信じ、急いで手に入れました。そしてメダイを首からかけ、ロザリオを持ち、マリアへの祈りが大事だと信じ覚えようとしましたが、長くて難しく主の祈りがメインでした。
そんな日の寝静まった夜中、夫が「うわぁー!!」っと半狂乱で飛び起き思いっ切り足をバタバタさせ私を蹴ってきました。夫は夢見が悪く何度かこういう事がありましたが、今日は尋常じゃないので「しっかりして!どうしたの!?」と、私も必死に呼びかけ目を覚まし、訳を話してくれました。「ふくろうがいてROM(注;HN)に向かってはばたいて羽を落としていた、だから追い払おうとしていた」らしいです。朝になってあれは何だったんだろうと考えていると『バビロン』と声が聞こえたような頭の中に映像が浮かんだような感じで、とにかく『バビロン』だと感じたんです!でもどういう意味の言葉か全くわからなかったので、「バビロン ふくろう」で検索しました。するとバビロニアの女神とふくろうの象徴など色々関連が出て驚きました。
(注;バビロニアの女神とは、セミラミスのこと。創世記に出てくるバベルの塔のニムロデ=太陽神は子であり、夫でもある。悲しいことですが、クリスマスのルーツも、冬至にまつわるこのニムロデ崇拝なのです。オカルトによると、ニムロデの誕生日が12月25日だとか!その妻なるセミラミスの別名はビーナス、アフロディーテ、イシスなど。ルーツはすべてセミラミスです。よって、カトリックの聖母子像の正体もこれ。サタンの毒が巧妙に紛れ込んでます)
でもその時は、マリアのメダイやロザリオと関係があると気付きませんでした。(最近こちらで知ったカレイドスコープさんや、日本一バチ当たりさんを見て気付きました!)聖書が届いてマリアの事が聖書に全く書いてない事を知るまで、しばらくメダイを首からかけ、ロザリオも持っていました。
(注;そろそろ憎まれようと、はっきりと書かねばならない時期に来ているようです。カトリックの方の機嫌を損ねることを覚悟で書くならば、マリヤ崇拝は、ローマ帝国の多神教、ビーナス崇拝に起源があり、当時の皇帝=コンスタンティヌス帝の国教化と相成り、妥協の産物であるということがわかります。つまりビーナス崇拝をマリヤ崇拝に巧妙にすり替えたわけで、その行き着く先はバビロン=セミラミスなのです。神が偶像崇拝を厳格に禁じた理由がここにあるのです。
これは他人を裁く律法主義でもなんでもなく、真理の問題です。お世話になっている「日本一バチ当たり」さんの言葉を借りるならば、世的ではなく、取り返しのつかないバビロン的罪となります。)
メダイを身に付けていると金属アレルギーでもないのに首周りがかぶれ、真っ赤になりました。あとどこからともなくバラの香りが漂ってきました!家の中には一切バラの香りの物は無かったのにです。不思議に思って調べるとマリアの出現の時にバラの香りがすると知りました。
聖書にマリアの事が書いてなくカトリックに疑問を持ち出していたある日、また夜中寝静まった時に今度は私が夢を見ました。私も悪夢を見るのは幼い頃から慣れていたのですが、ふくろうの事もあったし恐怖でした。金縛りで身体が動かず、ヘビが巻き付いて絞められる感覚で、夢の中で必死の思いで側にあったロザリオに手を伸ばし、十字架のイエス像を握りしめ主の祈りを唱えました。すると『これがあなたの神か』と声が聞こえたような映像が頭の中に浮かんだような、言い表しにくいいつもの感覚がありました。ただ、いつもよりはっきりと、魂が震え上がるような響きの感覚でした。金縛りの恐怖なんか比になりません。
そこで夢は終わり神さまが怒っていると感じ、翌朝すぐにロザリオとメダイを処分し、カトリック以外の情報を探して、モトイさんのブログ「雲の柱火の柱」や小石泉先生の「礼拝説教集」に出会い、神さまの愛を知り本当の意味で救われました。偶像には悪霊が働く、そう感じた体験でした。
その後すぐ実家に家族で2週間ほど里帰りしていた時の事も書かせて下さい。
実家に帰っても、福音を知らず死んだ人は死後どうなるんだろうと考えると、久しぶりの沖縄も楽しめず、家族や親戚や世界中の人の救いのために神さまに祈りました。それと、「クリスチャンとは言えないような、こんな私の祈りでも聞き届けて下さるなら、私にもわかるようなしるしをください」と願いました。
すると、ドライブに出掛けた車の中でいつもの感覚が働き、ハッとさせられ見るべき場所がわかり、目をやると教会の十字架や案内板がありました。(その日だけでなく滞在中ずっと何度もで、沖縄にも沢山教会があると初めて知りました)夕暮れ頃、公園にちょっとした高台があったので登ってみようとなり登ると、またあの感覚があり、そこに目をやると、光る十字架が空に浮かんでいました!
驚いてよく目を凝らし見ると浮いているのでは無く、教会の屋根の十字架で、夕暮れで点灯していたんですが感動しました。
他にも実家に滞在中、雨も降っていないのに虹を4回も見ました。1回目は太陽の近くに二重の虹で「めずらしいな~」くらいで、2回目は雲の隙間に小さな虹「‥もしかして神さま!?」、3回目の虹を見る前に夢を見ました。夢の中で真っ暗闇の中、夫の声だけが聞こえてきて
「俺達家族も親戚もみんな陰府に落とされたんだ!」とか騒いでいて、私は戸惑いながらも「そんなはずない!神さまは私に虹を見せてみんなを救うって約束して下さった」とか反論した所で『合格だ』と聞こえたような気がして目が覚めました。
そして何故かすぐ窓のカーテンを開けたんです。空には綺麗なアーチの虹が架かってました。4回目の虹は朝、実家の屋上で祈って空を見ていると、太陽の光が差してきてパァーっと虹が現れました!こんな私の祈りでも、神さまはちゃんと聞き届けて下さると確信を得ました。
嬉しくて嬉しくて今でも思い出すと涙が出ます。
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以上転載~
わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。
さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。
すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。
こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。
にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。
そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。
創世記 9:11~17
ノアの洪水の後、虹が出ました・・・これまたお世話になっているモトイさんに教えていただいたことですが、虹はどうやら「祝福のしるし」のようですね。
個人的に思うことは、これは聖霊体験と言っていいでしょう。非常に聖書的でもあり、私は神からのインスピレーションであると信じます。ついでながら、私が教理として信じ、理解してきたことが、あながち間違いではなかったことが証明され、私も自分のことのようにうれしく感じたものです。
ちなみに私はこのような体験は全然ありません(ToT)
何度か悪霊に追いかけられ、口の両端を吊り上げ、腹の上に乗られて、口の中に指を突っ込まれたようなことはありますが(涙;)
ここ一年ほどはないな --;
最後になりましたが、貴重な証しを転載することを了解してくれた姉妹に御礼申し上げます。
主イエス・キリストの御名において、上からの豊かな祝福がありますように。
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ザアカイさんこんばんは。だいぶ前に一度だけ書き込みしました。
お久しぶりです。^^
聖書の引用がよく自分にタイムリーなのでよくブログ拝見させていただいてますo(_ _)oペコッ
エジプトのデモなどでネットの可能性?(怖さ?)を知りました。でもこんな風に出会うはずの無い人の話を知り得るのは凄くありがたいと思いました。
これからもよろしくお願いします(*^.^*)
投稿: hir0shy | 2011年2月21日 (月) 21時10分
こちらこそお久しぶりです。
そういえば、メキシコ湾はどうなってるんでしょうねえ~?懸念したほどの被害は出てないんでしょうかね?
おっしゃるように、ネットは使い方によっては、悪魔の凶器にもなるし、神の強力なる正義の武器にもなる諸刃の剣だとつくづく感じます。
使い方を間違えないようにしたいものですね。
こちらこそよろしくです<(_ _)>
投稿: ザアカイ | 2011年2月21日 (月) 22時24分
ザアカイさん、皆さん、こんにちは。
証・・・感謝します。
主を信じ、救われるのに一人一人方法は違っても
神さまが呼ばれたら、神さまはその人の心に働いて信じることが出来るように導いてくださいますね。これも聖霊の働きなのだと思います。
>なぜキリストを信じるか~
< 福 音 >
神があなたの債務証書を見られて、「有罪」の宣告をされる時、
その罪の刑罰をあなた自身が受けなければならないことは、恐ろしいことです。
その時は、信じようと信じまいとどんなに時がかかっても一人一人にやってきて、あなたの一生の心の中の罪、行動の罪、すべてが神の前に
さらけ出されて、あなたを罪に定めるのです。
それをあなたに見せられる時、あなたは自分がしてきたことのすべてをはっきり自覚でき、神の前に恐れおののくことでしょう。
あなたがしたように、あなたにもされる。
あなたの報いは、あなたの頭上に返る。(オバデヤ15)
人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル9・27)
だからこそ、神は人間が負うに耐えない罪の刑罰の身代わりとしてその御子イエス・キリストに負わせて信じる者を救おうとされました。
聖書は、なぜ神の御子が地上に来られたのか、その愛と救いを宝石のように散りばめられた言葉を持って、証しています。
神を信じる者の債務証書を無効にしてくださいます。
いろりろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。
神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。(コロサイ2・14)
あなたが信じるか信じないか、この救いを受け入れるか受け入れないかはあなたの自由。
けれどその自由の結果は、あなた自身の霊の行く末に決定的な相違があることを覚えていてほしいと思います。
すなわち、いのちと死、祝福とのろい・・・という。
私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。
私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。
あなたはいのちを選びなさい。(申命記30・19)
語っておられる方を拒まないように注意しなさい。
なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。(ヘブル12・25)
ザアカイさん、長くなってごめんなさい。
投稿: enjeru | 2011年2月22日 (火) 14時24分
ザアカイさん、こんばんわん。
みなさん、こんばんにゃん。
るちゃんはROMさんのように霊的に敏感だったらなぁと思います。
でもそれだけ、彼女への神様の期待も大きいのだと思います。
そして「あとの者が先になり・・・さきの者が後になり・・・」
先輩クリスチャンがた! ぼやぼやしてられないわよ~~
enjeruさんのメッセージ、とっても良いですね!
るちゃんも最近申命記30:19からメッセージを作ってみたんです。
クリスチャンになって、るちゃんはかろうじて天国行きのキップを手にしていたけど、祝福とは程遠い生活をしてましたから、この御言葉の意味が今は痛いほどわかります。
投稿: るちゃん | 2011年2月22日 (火) 20時22分
皆さん、こんばんは。今回の記事、とても、感謝しています。マリア崇拝は、バビロンと私も感じます。
体が拒否反応してしまうのです。神に感謝いたします。ザアカイさん、皆さん、お元気で・・・。
投稿: ゆー | 2011年2月23日 (水) 21時34分
こんばんは。すみません。先日のメール、わけのわからない内容で・・・。ずっと、クリスチャンとして、すべての人に隣人愛をと・・・、つとめていたのですが、私生活の中で、どうしても、不快な気持ちにさせられる人がいて、そんな自分に、ここ最近、悩んでいたのです。
今回の記事で、その方が、いやなのでなく、その方のマリア崇拝に、嫌悪感を感じていたことが、わかり、気持ちが楽になりました。
気持ちも落ち着きました。ありがとうございます
投稿: ゆー | 2011年2月26日 (土) 00時21分
ゆーさん、こんにちは、なかなかレス出来なくてすみませんでした。
気づきが示唆されて感謝ですね。
私の知り合いにも十字架のペンダントを握り締めて主に祈る女性の方が数名いますが、そういうのとはまた違いますからね。
集中力を高める手段としてそのようなのは、特に問題ないと感じます。
投稿: zaakai | 2011年2月26日 (土) 18時16分
始めまして乱夢と申します。
ザアカイさんのブロクをこれから読ませて頂きます。
enjeru さんのコメントは深く共感する物がありました。
これからよろしく。
http://ranmu2007tengatenmei.blog102.fc2.com/
投稿: 乱夢 | 2011年3月 8日 (火) 00時27分
乱夢さん、こちらこそはじめまして。
はて?どこかで聞いたことあるHNなのですが・・・思い出せません、すみません。こちらこそよろしくお願いします。
投稿: ザアカイ | 2011年3月 8日 (火) 12時17分
あった、ありましたよ!
罰当たり管理人さんのブログのコメ欄でお見かけしたんでしたよ。
もっとも同一人物とは限らないかもしれませんが^^;
投稿: ザアカイ | 2011年3月 8日 (火) 14時57分
乱夢さん
enjeruです。はじめまして。
私のコメントに共感していただいて感謝!
もしかして同じ県在住の方?でしょうか?
降灰に悩まされている・・・。
投稿: enjeru | 2011年3月 8日 (火) 17時27分
素晴らしい話しです
わたしも似た体験しました
投稿: あ | 2011年7月21日 (木) 17時16分