いと深きもの
「神様っていったい、何なんだ。
助けてくれるもんじゃないのかい?
かばってくれるもんじゃないのかい?
一生懸命生きた人間の、味方になってくれるもんじゃないのかい?」
芳子は黙って窓の外を見た。そして、静かに竜太を見て言った。
「神は、絶対者、なの。
この天地を創造して、私たち人間を創って、
命を与えて下さった絶対者―」
自分に言いきかせるような声だった。
「その絶対者なる神の深さはわたしたち人間の想像を超えているわ。
人間の物指では計ろうとしても計ることができないの。
竜太さん、おわかりになる?」
竜太は激しく首を横にふった。
「わからない。絶対者など、ぼくにはわからない、そんなもの」
三浦綾子 「銃口」より~
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いきなりですけど、いつも巡回しているブログで、三浦綾子さんの本よりの抜粋記事が目に留まりました。ブログ記者も印象に残った箇所と書いておられるように、示唆深い箇所ですね・・・
ちなみに私、この本読んでません --;
もっともな疑問だと思います。真面目に誠実に生きているならば、もっと報われて良い筈だ・・・ましてや、主に従い歩もうと決心したなら・・・ところが現実はというと、必ずしもこうではありませんね。それどころか、以前にも増して火の粉が絶えず飛んできたりして(涙;)
ペテロやパウロなどの生涯を見てもその最後は殉教です・・・この世で生きていると、理不尽で納得のいかないことばかり。「なぜだ~!」と思わず叫んでしまう。
かっこつけてもしょうがない。天罰が下る事を覚悟して言うならば、隠したってしょうがない。すべては天の書に記録されてます。私もたびたび強烈な悪態ついてます。
「どこまで耐えれば・・・上を見ればキリがない、下を見てもキリがない。しかしながらそんな中において、私はあなた様の前に首を垂れました。それでもまだ不十分だというのでしょうか(神の目から見ればまだまだ不十分なんでしょうね)?どれほど卑しめられ、辱められ、わずかばかりのプライド、自尊心をズタズタにされ、屈辱を味い、いつまで生き恥曝しながら生きねばならないのでしょうか?
伊達や酔狂でやってんじゃねえんだよ!人生賭けてんだよ。このような時救いの御手を差し伸べてもくれず何が神だよ!いつまでも沈黙してんじゃねえよ!人をバカにするのもいいかげんにしろよ!」
と・・・敬虔のけの字もない。
ところが、ところがです。悪口雑言を浴びせても・・・どんなにやさぐれ、自暴自棄になっても・・・「もはやこれまで」と思っても、何とか最悪の事態だけは免れてここまで来てます・・・なぜなのか?わからないものはわからない。
他にどんな希望があるのか?と問われても、それ以上のものなど何もない。いくら見渡しても、考えても、他になければ主に賭けるしかないわけで。
自分の無力さ、「この世の君」=サタンの陣営の強大さを知ってからはなおさらです・・・マトリクスの世界で飼いならされ、いい気になって自惚れていただけのこと・・・この世の知者、エリートがいかほどのものか?聞いて呆れます。
神のその無限なる可能性、深さは我々の想像を絶するほどに深きもの。我々の尺度で測ることは不可能・・・ある程度の事を教えられているとはいえ、すべてがわかるわけではない。
この言葉を口ずさみ、そっと目を閉じてみました。自分が底なしの渦の中に引き込まれていく、無限といわれる宇宙をただ漂う・・・そんな感覚です。自分という単なる一個人の何とちっぽけなことか・・・
すべての答えがわかるのは、主イエスと直にお会いする時でしょう・・・それほど先ではないと感じる。いや、そのはずだ・・・
“絶対者など僕にはわからない”・・・そう言われて責める事は出来ないし、偉そうに説教垂れることも私には出来ません・・・
でも、ここまでこの世界に深入りしてしまった、マトリクスの世界から片足くらいは抜け出ていると自負する今の自分の置かれている状況から言えること、それは
真理は一つ。備えられた道をただひたすら誤らずに進むこと・・・all or nothing 目に見えない世界は間違いなくある。我々はある目的をもって生かされているに過ぎない。どこへ行くかも知らされている。差し出された手を掴むか、あるいは拒否するか。Get the truth! そんな感じでしょうか。
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足るほど天に文句を言ってください。お気持ちは良くわかります。私も通ってきた道だから。
何が不幸かって、神により頼んだとしても何の応答もなく、神に見捨てられることが一番不幸であるという感情が得られれば、パチ、パチ、パチです。天では、天使が喜んでいることでしょう。
真綿で首を絞められるように、お金がなくなってゆき、将来の不安が頭をよぎります。どうしょうもなく、悪魔に頼めばお金が入ってくることはわかるのですが、そんな者には頼みたくない。
より頼む人は主しかいないし、応答がなくても、捨てられたと思っても、主しか頼る人がいないという心境でしょう。それでいいです。生活は、私の経験上、なんとかなります。、
十字架上の主の心境のいくばくかを味わわされているのだと気楽に考えることです。
実際、主に頼んで、いつもその願いをかなえてもらってるので、自分は何と主に可愛がられているのだろう、とうぬぼれてる人にはわからない心境かもしれません。スポーツでも見所のあるやつは、監督に特にしごかれるのです。
まあ、りっぱに十字架に架かってください。
投稿: のびた | 2010年11月 7日 (日) 19時23分
あら、のびたさん。
こちらではお久しぶりですね。
なるほど。さすがは先輩クリスチャン。経験に裏付されているだけに説得力あります。
私ごときが、立派に十字架に架かることなどまず不可能ですけど、場合によっては、これから嫌でもそのような状況を味合わねばならなくなるかもしれませんね。
そのためのリハーサルと思えば思えなくもありませんが。
人間って、自分で考えているよりも案外タフに出来ているようですね・・・
投稿: ザアカイ | 2010年11月 7日 (日) 22時10分
ザアカイさん、皆さん、こんばんは。
>神様っていったい、何なんだ。
>神のその無限なる可能性、深さは我々の想像を絶するほどに深きもの。
私たちが信じている生ける神様が、ご自身について語っておられる御言葉を聖書の中から読む時、
そのように宣言できる方はこの神さま以外に存在しないと確信をもって信じることができますね。
わたしのほかに救い主はいない。
このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。
あなたがたのうちに、異なる神はなかった。
だから、あなたがたはわたしの証人。
――主の御告げ。――わたしは神だ。
これから後もわたしは神だ。
わたしの手から救い出せる者はなく、
わたしが事を行なえば、
だれがそれをとどめることができよう。(イザヤ43・10-13)
わたしは初めであり、終わりである。
わたしのほかに神はいない。
わたしが永遠の民を起こしたときから、
だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。(イザヤ44・6-7)
わたしは万物を形造った主だ。
わたしはひとりで天を引き伸ばし、
ただわたしだけで、地を押し広げた。(イザヤ44・24)
わたしが主である。ほかにはいない。
わたしは光を造り出し、やみを創造し、
平和をつくり、わざわいを創造する。
わたしは主、これらすべてを造る者。(イザヤ45・6-7)
またイエスさまは、ご自身のことを次のように言っています。
わたしは、天から下ってきた生けるパンです。(ヨハネ6・51)
わたしは世の光です。(ヨハネ8・12)
わたしは門です。(ヨハネ10・9)
わたしは良い牧者です。(ヨハネ10・11、14)
わたしはよみがえりです。いのちです。(ヨハネ11・25)
人間が考え出した神々は八百万あり、サタンに仕えていますが、真実の生ける神は唯一であり、宇宙、地球、人を創造し、人を愛し、ご自身天から下ってきて救いを与える神。この神の御名がほめたたえられ、栄光が世々限りなくありますように~!アーメン
わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。
初めであり、終わりである。(黙示22・13)
投稿: enjeru | 2010年11月 7日 (日) 23時57分
こんばんは~。先日、病院で90歳の品の良いおばあさんに話しかけられました。戦時中、3歳のとき、横浜で火の海の街の中を逃げて、助かったこと。家族の中、唯一、生き残ったは自分だけだったが、その後は裕福な伯父さんに引き取られ幸せな人生だったことなど・・・。 それから、 「 もう、いつ死んでも良いと思うが、やっぱり、死にたくないのよ・・」と言われました。本来、人間は、永遠に生きられるように創られているから、当然だと思いました。その方に聖書の福音・・永遠の命をお伝えしました。・・・・ 希望と忍耐する力をいただいてます。ローマ12:12
投稿: ゆー・ | 2010年11月 8日 (月) 00時05分
僕は芳子にはなれない。どうみても竜太です。
神様に文句ばっかり。
木や石や金や銀でできた神なとむなしい、と言いながら、自分は見えもしない、触れもしない、苦しんでいる時なにもしてくれない、、、、
木や石は少なくとも見たり触れたりはできますよね、、、、
目つきがおかしくなり、人と目を合わせない、体がだるくて休みは寝てばかり、頭のなかでは倒錯の空想がときどき暴れ回る、もう完全に廃人です。
一時的な快楽に溺れるか、我慢するか、綱引するのがまためんどくさいすね。
投稿: たろ | 2010年11月 8日 (月) 01時07分
わたしの個人的な思いやエゴなどで天は動かない。人はつい自己の思いやエゴを期待し失望させられる 何が起こるかも分からないのに やみくもに何かを期待して、見事に期待ははずれ戸惑いと失望に押しつぶされそうになる。自分は特別な人間だなどと思っていたならそれはとんでもない思い上がりである。などと反省させられるのです。
やあ^^お久しぶりにコメしました。見てますよ ザアカイさん。何があっても何もなくても落胆したり、めげないでね^-^。
投稿: 使徒 | 2010年11月 8日 (月) 11時54分
enjeruさん、いつもありがとうございます。
それにしてもenjeruさんは聖書読み込んでますね、脱帽。
ちょうど今、イザヤ書を読んでいる所なので示唆深かったです。
ゆうべ、あと3章で読み終わる予定だったのですが、64章読み終わったところで睡魔が・・・今日で頑張って読み終えましょう --;
「イザヤは火にペンをつけて、エレミヤは涙にペンをつけて書いた」と言われますけど、まったく持ってその通りですね。
ゆー・さん、こんにちは。
義母の実家が横浜なので、横浜大空襲の話はよく聞かされましたよ。まだ幼かったようですが、母に手を引かれて野毛山方面へ逃げたそうです。
福音を伝えることが出来たとの事、感謝ですね。
たろさん、しんどそうですね・・・
見えないだけに、一方的に話しかけても反応(してくれているとして、我々には聞くことが出来ないゆえ)がないので、忍耐が要りますからね・・・
自分の想いを思う存分、正直にぶつけていいと思います。そこから何か見出すことがあるかもしれませんから。
こんな時気の利いた事を書ければいいのですが、なかなか思い浮かばず、すみません。今はかすかでも、光が見えることだけは間違いないはずです。
私も、後遺症?かどうかわかりませんが、相変わらずジャンキー状態なのには変りありません。
投稿: zaakai | 2010年11月 8日 (月) 12時10分
使徒さん、久しぶりですねえ!
しばらく音沙汰なかったので気になってましたが一安心、感謝。
確かに!仰るとおり、反論の余地なしですね。
尊敬する某牧師が言ってました。
「神のご計画においては、自分の思いなどどうでもよい。その為なら、わが命など塵あくただ。」
とは言うもの・・・私はここまで霊性が高くなく、このレベルには程遠いですが --;
いつも暖かい励ましの言葉、ありがとうございます。
投稿: ザアカイ | 2010年11月 8日 (月) 12時25分
東海アマの記事を見てください。
これは本当に大変なことです。
TPPとこどもたちの未来
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm
佐藤優はわたしの後輩です。
投稿: 漁師 | 2010年11月 8日 (月) 15時29分
漁師さん、いつもありがとうございます。
短気で性格的に少々?問題あるかもしれませんが、私も東海アマさんのHPとツイッターはいつもチェックしてます。
このコラムには私も激しく共感しました・・・
ユダ金陣営の陰謀云々抜きにしても、奢る人間というのは、一部のエリート支配階級とその他奴隷のごとき一般庶民という世界人間牧場の構図が居心地いいものなのでしょうか?
やはり太古の昔より時代は変わっても人間の罪深き本質って変らないのですね。
世はどんどんスピードを上げて極まっている感じです・・・
私も仕事がらバブル崩壊後、早い時期から「価格破壊」「規制緩和」「選挙での酒陣中見舞い禁止」「道交法による飲酒運転の罰則強化」「タスポ導入、有無を言わせぬ値上げ」など間断なき攻撃で、15年近くいじめられながら生きてますが、いよいよ仕上段階なんでしょうか・・・
振り払っても振り払っても火の粉が飛んできます。心身においてどこかしら不調を訴えおかしくなるはずです。
信仰薄き未熟者の私としては「やはり急いでもらわねば!」と思ってしまいます。
佐藤優氏はクリスチャンだとは聞いてましたが、元外交官だから外国語学部あたり出ているのかな?と思っていたら、同志社の神学部卒だったんですね!驚きました。
投稿: ザアカイ | 2010年11月 8日 (月) 18時20分
再びこんな話が出て来ました。
http://nonnchann.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-4608.html
投稿: 漁師 | 2010年11月 9日 (火) 21時47分
中国関連でこんな話も出て来ました。
易日記
http://www.asahi-net.or.jp/~pa6c-isi/
投稿: 漁師 | 2010年11月 9日 (火) 21時50分
あら、のびたさんのブログですね。
イスラエルの悔い改めの時期ですが、私は主イエスの再臨を見るまではないだろうと考えてました。
メシヤと信じた反キリストによる裏切りですか。興味深いところですね。
投稿: ザアカイ | 2010年11月 9日 (火) 22時59分