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2010年10月 4日 (月)

キリストの十字架の意義とは?

10月になりました。おかげさまで、このようなキリスト教と聖書を掲げた、クセのあるブログでも、始まって約4年、先月ヒット数が50万をやっと!超えましたm(__)m、まだまだマイナーですが。

とりあえず、閉鎖もせず(されず)、病を発症し、ヨレヨレ状態の中、何とか続いているのも、主なるキリストの憐れみと、サポートしてくださる頼もしい主にある兄弟姉妹、また良きサマリア人の方々によるものが大きいと感じる次第でございます。
とりあえず表向きは?今現在、平和であるが「過酷な戦場」に我々は生きている。とする表現がふさわしいかなと思う今日この頃です。

日曜日の聖日礼拝で、インスピレーションを受けたことがありますので、書いてみようかなと思います。

陰謀論的なウラ読み分析の政治経済、時事問題記事ばかりをメインにして書いていると、

「ホンマにクリスチャンかいな?ウソは罪やで。偽善者ぶりよってからに。ええかげんやめよったほうがええんちゃうか?ワレ」などと言われそうなので --;

マルコ15章、21,22節から「十字架を担ぐ祝福」

そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた。
そしてイエスをゴルゴタ、その意味は、されこうべ、という所に連れて行った。

説教要旨は、

神の計画に偶然と言う言葉はない。クレネ人シモンが、偶然居合わせて、担ぎたくもない十字架を担ぐことになったのは「神の摂理」なのです。アレキサンデルとルポスは、使徒として素晴らしい働きをすることとなったのだから。

今の時代も、各自おのおの十字架を背負って生きています。人生いい事ばかりとは限らないのです。十字架を担うことにより主イエスに近づくことが出来るというものです。

と言うようなものでした。

私も本屋で、ある牧師先生の書いた陰謀本を読んで、福音を聞いてから約10年・・・バブル崩壊後の苦難の道程を経て、ついに主イエスの前に跪き、観念し、首を垂れ、福音を受け入れました・・・宗教アレルギーであったゆえ、割としぶとかった --;

確かにこれは偶然ではなく、神の摂理以外の何ものでもないと感じます・・・そうとしか思えませんので。そうじゃなきゃ、私みたいなへんてこりんな、変わり者のある意味危ない?クリスチャンが誕生するとも思えませんし・・・

キリスト者になったからといって、人間そう簡単に変るはずもなく、人生がばら色へと変換するわけでもありません。

教会、教派によっては、いい事ばかり、耳障りのいい事しか言わないところがあります。
しかしながら、私も経験則により断言できますが、いい事ばかりでは決してありません。

いい事ばかり強調しすぎると、逆境に耐えられなくなり、道端に落ちた種となってしまいます。十字架の苦しみを忘れてしまう、主イエスの十字架により、何一つ罪のない方が、生贄の子羊となり、我々は罪と律法から解放され、自由となり救いに与る者となった。これがキリスト教の原理原則、出発点です。

また、奇跡、癒し、預言をことさら必要以上に強調し過ぎるのも危険です。私たちは奇跡を見るから信じるのではありません!奇跡があろうがなかろうが、主イエスを信じるものです。
確かにこのような奇跡の類もいいでしょう、否定しません。しかし、こればかりに偏り、こればかり語るのは本来の信仰者の姿ではないと思う。
一例を挙げれば、阿修羅掲示板の「空耳版」に預言、奇跡、癒しの事しか書かず、私に言わせれば偽預言者の代弁者ですが、偽預言者を聖書より上に置く偶像崇拝者、キリスト教の真理とニュー=エイジの違いもわからぬ「病的な頑なさ」の自称=クリスチャンがいますが、惑わされないようによくよく注意すべきです。自分で知らないうちに洗脳され、サタン配下の悪霊にいいようにやられ、そのことに気づいていない、毒の混じった真水を撒き散らしているのもわからないで、主の福音の伝道者と勘違いしているバカモノがいますので。

さて、話がそれましたが
十字架は苦しみのシンボルであって、これが福音(良き知らせ)へとつながるのは疑問の余地がありません。

そりゃ、この世で祝福され、来るべき神の王国でも祝されれば、これよりいい事はありませんが、人生そんな甘いものではありません。
そして私は、人生における苦難は決して無駄になるとは思いません。そして私自身の歩みを振り返っても、危機一髪に近いような出来事もそれなりにありましたが、最悪の結果だけは免れてます・・・聖霊は静かに人知れず働いておられる、私はそう信じるのです。
聖霊は謙虚な方ですから、悪霊のように露骨に姿を表すことはありません。なぜかって?私自身、悪霊体験しかしてないから(涙;)

要するに私が言いたいのは、このブログでは、当たったためしのない近未来予想図、予測を中心にやってますが、それは(当たらない言い訳 --;)警告の要素も含んでおります。
自己弁護するわけではありませんが、時期的なものは外しまくりですが、大枠、大局観においては決して的を外しているとは思っておりません。

遅かれ、早かれ、近いうちに人類は苦難の中を通らねば、神の祝福を受けることは出来ないということ、これは今でも変らぬ真理だと思っております。ニューエイジ的なアセンション、UFO船団の救いなどは、明らかなる惑わしでしょう。誰でも楽して幸せになれるという耳障りのいい話には罠があるということに気づいていただきたい。

わたしはこれを聞いたけれども悟れなかった。わたしは言った、「わが主よ、これらの事の結末はどんなでしょうか」。
彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。
多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。

ダニエル 12:8~10

ここにある通り、我々は人生と言う荒野の旅において、自分では気づかないうちに、白くされ、錬られているという事。試みに打ち克ち、「それでもあなたは私=イエスがキリストであると信じきることが出来ますか?」と試されているのですね。
原則は「信じるだけで救われる」というのは真理ですが、我々人間の側から見ると、そんな生易しいことでないのもまた真理。
教会から、それだけでなく主イエスから離れていく兄弟姉妹を見るにつけ、そう感じざるを得ません・・・

キリストによる罪の贖いは「一度限りで、付け加えるものなど何もない。それは完璧であって、その尊き血潮に優るものは何もない」のですけど、人間の側から見ると「救われたとはいえ、日々、罪を犯し続け、罪の意識と戦い、毎日のように主イエスに十字架に架かってもらっている・・・」これが現実なのではないでしょうか・・・少なくとも私はそうです。だから反って、何としても手を伸ばし御衣のすそに、指先だけでもいいから触れねばならないという意識を持ち続けたいのです。

キリストの救いが完璧な形で現れるのは、来るべき再臨の時、「王の中の王」として、再び来られる時でしょう。

それには、条件があるということを私は言いたいのです。主イエスによる神との和解の罪なき子羊としての生贄、命がけの苦しみ、ただ神からの一方的な恵を受け入れること。これが過ぎ越しの羊の血でもって、自己を霊的にガードすることにつながるのです。これが絶対条件である事を言っておきたいのです。

物質的な備えももちろん必要ですが、まずは霊的な備えから始めましょう。すべてはそれからです。

出エジプトに出てくる雲の柱、火の柱は、実は宇宙人の乗り物、UFOだったとか、聖書を知ったかぶりし、単なるオカルト的な好奇心、酔狂で終末論を語るべきではない、それが言いたかったのです。このような人間に待っているのは「滅び」しかありませんから。

付録;今日の重大ニュース

○ イラン大統領アフマディネジャドが「オバマを地獄に送ってやる」と言ったそうな。
私的には連中のマスコミを使ったプロパガンダであると思いますけどね・・・

○ 小沢氏、強制起訴へ 検察審査会2度目は「起訴議決」

これは検察の不祥事報道の最中、ちょっとまだ、どう読んでいいのか、情報不足ですね。霞ヶ関の官僚機構が、捨て身で保身を計ろうとしているのか?
日本国最後の?権力闘争なのか?中国、アメリカが絡んでいるのは間違いないでしょう。

機会があれば上記二つ、エントリーすることがあるかもしれません。つい反応してしまう --;
今はまだ記事にするには時期尚早かなあ~?などと。

やはり私に与えられた役回りというか、メインなるブログテーマはこっち方面なんでしょうかね?・・・とほほ。

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主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

毒を吐く人は、一度会ったことがあります。
とある精神科クリニックのデイ・ナイトケアの仲間の一人だったのですが、彼はクリスチャンでありながら、「敬う」「感謝する」こととは程遠い人でした。
病気は、パウロがそうであったように、神の意思がそこに働いており、われわれ人間は、病気を差し引いても余りある神の恵みを十分に受け取っているはずです。(コロ助はリスペリドンはじめ、一日13錠の向精神薬を飲んでいます。)
彼はついに母教会を離れ、毎週遠くのキリスト者集会で、神ではなく人に出会っていたのです。かつ、その集会でも、神を誉めず、人を誉めていたのです。
彼が今どうしているか分からないのですが、「真の神」を讃えていれば、と思います。
ちょっとした昔話でした。「内容」欄をお借りしたこと、感謝します。

それにしてもコロ助さんは偉いね。
悪態一つつかずに、受け入れねばならない事を受け入れているから。
口で言うのは簡単ですけど、なかなか出来るものじゃありませんからね・・・

やっぱり、あれですかね?
私は、「一度救われたら、救いからもれることはない」との解釈を支持してるんですけど、必ずと言っていいほど脱落者が出ますからね・・・と、人の心配している余裕はないのですけど --;

ヨハネ第一の2:19にあるように、救われていたと勘違いしていただけ、初めからキリストに属していなかったと解釈すべきなんでしょうかね。
おそらく説が割れることでしょうけど・・・

そして私はまた、アルミニウス主義者なんですが、結果だけにフォーカスすれば、予定調和説もあながち間違ってないような気もしますね。

また気が向いたらいつでもおいでください。

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

中学生の時、私自身の中に人を中傷したりする良きものがないことに
気がついた時、ものすごく空虚で満たされない思いに苦悩したのを覚えています。

私には、自分のしていることがわかりません。
私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。
もし、自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないことを知っています。私は善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することができないからです。(ローマ7・15-18)

人が自分の中に自分では処理することの出来ない罪の性質を見出した時、初めて主イエスの十字架の意義がわかるのだと思います。

罪は末期ガンのように切っても切ってもどんどん増え広がる腫瘍のようなもの。腫瘍に覆いつくされた人の霊は神の目に死んでいると聖書は言っていますね。死んだ霊は、決して天国に行く事ができないと。

愛と憐れみに満ちた神は、その一人子イエスを十字架で腫瘍と共に釘づけにして、救いの道を開いて下さったことは本当に感謝です。
主イエスを信じる者は、腫瘍を取り除かれ、霊が生かされ天国に行く事ができること。それが本当の恵みでなくてなんでしょう?

この世で肉は、病気になって薬を飲んだり、生きるための戦いに疲れて苦しんだりしますが、霊が生かされて涙をすっかりぬぐい取られた天国に行く事の最高の祝福の価値が保証されているキリスト者は隠された宝を持っていますね。あともうちょっとの時、主を待ち望みたいです。

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(ローマ8・18)

私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責めたてている債務証書を無効にされたからです。
神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。(コロサイ2・14)

enjeruさん、いつもどうも。

>私には、自分のしていることがわかりません。
私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。
ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。

→ここのローマ書の部分は強烈ですよね・・・
ここの箇所は、何の抵抗もなく受け入れることが出来ました。

当時のパリサイ派、いや、そればかりでなく今現在のユダヤ教徒にとっても、パウロは許し難い裏切り者、ローマ書は破り捨てたい書なんでしょうけど、このコーマ書により、キリスト教はユダヤ教から脱却して世界宗教へと発展した事、また、パウロ自身、元ガチガチのパリサイ派のエリートで迫害者であった事などを考えるにつけ、これは神業以外の何ものでもないと実感させられますね。

罪の性質、こればかりはキリストに帰依してもさっぱりなくなりません --;
ただひたすら許しを請うばかり。

アンちゃんのメイン掲示板からも撤退することに決めました。ブックマークからも削除。読むから出張りたくなるんでしょうからね。
どうも霊的に違和感を感じる人、上から目線の偉ぶっている人に対し、つい紳士的に?(かどうかわかりませんが)異論を指摘し、相手の経絡秘孔を突いてまう為、相手に逆切れされ(プライド高いんだろうな)、喧嘩両成敗で投稿削除(笑)

アウェイなので遠慮して、言葉を選んでいたつもりですが(爆;)
潮時でしょう。私のようなガラの悪いアウトロータイプのキリスト者の居場所じゃないですね。素直で純粋な霊性を持った方も数名いるので、ほほえましく読ませていただいていたのですけどね。

そんなことがあった後なので、タイムリー極まる投稿です、感謝です。

旧約の時代だったら、私も羊を飼って、毎日生贄を捧げねばならなかった所です。羊飼う経済的余裕もないからその前に破産だな(笑)

ザアカイさん

主が御心の所で、証をしていかれることを祈ります。

ご自分のホームグラウンドには、素敵な兄弟姉妹がおられることは
感謝ですね。

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4・6-7)

enjeruさん、あなたという人は本当にクリスチャンの鏡ですねm(__)m
私みたいな不良クリスチャンとこうしているのが不思議でなりません(笑)

ピリピのこの箇所も大好きな所です。クリスチャンになり立ての頃、フリッツ=スプリングマイヤー氏に教えていただいた箇所です。

ついでながら、フリッツ氏ですが、イルミナティに楯突いた為、冤罪をでっち上げられ刑務所に10年近く入れられておりました。
今月、釈放されるかもしれないという情報が届いております。
しかし、あの国のやること、まだまだ予断を許しません。
そして彼は日本移住を希望しているそうです。

読んでおられる方、どうかこの場を借りて申し上げますが、彼が無事釈放され、日本移住の希望が叶うよう執り成しをお願いいたします。

いろいろあったみたいですね。

enjeruさんの言う通りだと思いますよ!

元気だして下さいね!

たろさん、こんばんは。
お気遣いありがとうございますm(__)m

大丈夫ですよ、かつて某陰謀系掲示板で、一匹狼として、切った貼ったやっていた経験があるので、そう簡単に凹むようなタマでもありません(笑)

ただ、かつてあの板でもって、ご存知「山ちゃん」とまたまた輪廻転生を巡りバトル第二弾、一度やらかして喧嘩両成敗で削除されていることがあるので(^^ゞ

このすぐ熱くなる悪いクセは、一度死ななきゃ直らないみたいです --;
復活した時は直るといいんですが^^;

こんにちは。ザアカイさん
先日は多々失礼な発言をしてしまいすいませんでした。世の中の流れに注視しすぎ、ネットの波に溺れている私には十分すぎる警告感謝です。溺れながらもなんとか区別しているつもりでも区別しきれないのが今の私のようでザアカイさんのようにきちんと固いものとやわらかいものを区別できるできる人はとても有用です。
私は30年間牧師のそばでどちらかというと傍観者として教会政治の表と裏の一端を見てきました。私の発言には正しいものと正しくないものがあるのは事実だと自覚しています。
そして放蕩息子で信仰心が低い私ですが…もし私がキリストの内に守られている家庭で育っていなければまさに翻弄されている人生に陥ることでしょう。しかし、今何とかキリストの愛の故に守られています。感謝です。
私がキリストの愛(家庭)に守られている時間はきっと残りわずかですが
そのわずかの内にキリストの愛にきちんとしがみつけるように願っています。北イスラエルの王のように父が亡くなった瞬間、神から離れたとかならないようにしたいです。

私がとりあえず離れたのはネットに固執しすぎてサタンに利用されないようにするためです。やり取りがとても鋭く、クリスチャン同士と言えども言葉・御言葉を戦わせることによってネットの世界では魂の殺し合いにしかならず。実を結ぶには程遠い状態になることを理解したからです。
特に衝撃的だったのは反キリストと言われたことです。事実は事実ですが
驚きを通り越して戸惑いと怒り心頭でした。きっと私から言われたザアカイさんもそうだったのでしょうね。ごめんなさい。


色々ありましたがこれからもよろしくおねがいします。

ちよさん、どうも。
どういたしまして。私としても自身の舌を制御し切れず、いらん事まで発言してしまったのは事実ですし、よって一理あるし、非もあったと判断したまでです。人間自分にも落ち度があった場合は、謙虚に素直に受け入れられるものです。ダビデに学んでます^^;

キリストだけ見上げて歩んでいけば、大丈夫だと思いますよ。どこだか箇所忘れましたが「キリストを信じ、失望に終わった人はいない」と言うようなことが聖書に書いてあるではないですか。

>きっと私から言われたザアカイさんもそうだったのでしょうね。

→いや、私慣れてますから(笑)
「嘘つき」「口八丁のペテン師」、リベラル派からは特に攻撃が激しく「ガチガチの福音派の狂信者」「原理主義カルト野郎」「偏屈な社会的落伍者」などなど、どれだけこのブログで罵声浴びせられたか(大笑)

実はね、時効だから書いちゃうけど、あの寛容と柔和の権化のようなサマちゃんにさえ --;・・・「ちょっとサタンの霊の惑わしうけているの自分で気づかない?」とまで!言っちゃったことあるんです(ToT)/~~~
逆に言うと、サタンの攻撃を受けるようにならないと一人前のキリスト者と見なされないのかも?

でも何つ~かなあ~?
ネットと言えど、お互い腹割って本音で言いたい事言い合うと、より一層きづなが強まることもありますよ。どうにもならず袖を分かつパターンももちろんありますがね。
そのどうなるかの結末は、神にしかわからないと思う。御心ならば「雨降って地固まる」となるんでしょうね。

仰るように、時にはネットと限らず、リアルな面でも距離を置いて、自分自身を省みるのもいいと思いますよ。ケースバイケースで引くことも大事です。
自我を打ち砕かれて、キリスト者は成長していくんだと思います。そういう意味では、今回の経験も決して悪いことばかりじゃないと思いますよ。肥やしになれば、それで感謝です。
その証拠に、ほら~!
今回の投稿は爽やかな、棘が取り除かれ、一皮向け生まれ変わった新生ちよさんの誕生のようなコメントじゃないですか!
私としても自分のことのようにうれしく感じました。

それにしても私、こんな記事書いてたんだね --;
とてもじゃないですが、自分が書いたとは思えないし、らしくない・・・

 題:キリスト教の伝道活動について
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の実体が判らなかった明治は、
 西洋のすぐれた学問などの知識を得たいの機運から、
 日本人の優れた特性「進取の精神」から、
 西洋の学者や教師を招いて学ぶ時代だった。
 何でもかんでも勉強しよう、学ぼうの日本の民だった。
 その様な時代は、「西洋の総べてが良い」の気運で、
 その時代の想いからキリスト教もよいと思った。
 それ故、進取の思考の明治の学究の徒の人たちは、キリスト
教も一生懸命に学んだ。
 そして、まだ、よく分からない内にキリスト教化した人もい
た。
 しかし、今現在、キリスト教の事が、種々、分かってきた日
本において、
 また、最近のキリスト教研究において、
 それらの研究成果などの情報から、キリスト教の問題点が、
種々、分かり、明らかとなって来た。
 しかし、それ故、キリスト教は、プロパガンダ(キリスト教
は素晴らしいという嘘宣伝)に専心している。その為もあり、
その悪さ加減が隠されているけらいがあった。
 今、西洋・ヨーロッパは、脱キリスト教が、大分、進んでいる。
 アメリカにおいても、知識層は、特に、脱キリスト教の状況
となっている。
 それ故、キリスト教側も、教勢の維持の行動を強く行なって
いて、例えば、学校などの場でのキリスト教教育について、問
題が多発し、裁判事例も多い状況となっている。
 その多くで公正な宗教教育が大義である事により、キリスト
教側の敗訴という状況の中にある。
 その様な現状の世界の中で、日本においても、活動や働き掛
けがある。
 例えば、NHKを利用したキリスト教の巧妙なる伝道行為が
多く見られる。
 以下は、その事例の1つ。
(参考)しん‐しゅ【進取】 みずから進んで物事に取り組むこと。
「―の気性に富んだ人」
(参考)がっ‐きゅう【学究】 もっぱら学問の研究に携わること。
また、その人。「―の徒」「―肌の人」
            (つづく、後はブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp

う~ん?
私としては「キリスト教」と言う宗教ではなく、「イエス=キリスト」ご自身を信じているのでございます。

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