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2010年7月16日 (金)

ザ・シークレット「引き寄せの法則」とヤベツの祈り

私がいつもよく覗いている掲示板で、「引き寄せの法則」の危険性についての投稿を、某天才ブロガー氏の記事から引用して書いていた方がいます。ちょっと思うところがあったので、私なりに書いてみようと思います。

ええ~、結論から言いまして、私もその通りだと思います。はっきり言って危険です。強く念じて、強制を強いるのは、疑いなく魔術の一種でその波長はサタンへとつながるリスクがあるといっていいでしょう。サタンは見返り、取引を求めます。そこには無償の愛というのは存在しません。

また、音頭とりの本人にそのつもりがあろうとなかろうと、自分を神の地位にまで高め、新興宗教の教祖となってしまう危険性もないとは言えないでしょう。これが巧妙なるサタンの罠、惑わしであるわけです。

ま、某天才経営コンサルタントの持論の「百匹目の猿」現象なども、一歩間違えるとその傾向があるでしょう。その思いが良い悪いは別にして、相手は人間じゃないわけで、人の弱みにつけ込んで来る暗黒の帝王です・・・祈りの対象を曖昧なままにし、安易にスピリチャル、ニューエイジに走るのは危険です。

さて、キリスト者以外の方は知らないかもしれませんが、「ヤベツの祈り」というものがあります。これについて論じてみましょう。これについても賛否両論ありますが、なぜ「ヤベツの祈り」を持ち出しかというと、「引き寄せの法則」を論ずるうえで参考となるからなのです。

「ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は『私が悲しみのうちにこの子を産んだから』と言って、彼にヤベツという名をつけた。ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように』そこで神は彼の願ったことをかなえられた」

(I 歴代4:9-10)

私の理解では、要するに、「あなた方の願っていることが(神の御心に叶っているのならば)神に受け入れられるように大胆に願い、祈りもとめなさい」ということでしょうか。

もちろん、「神の義と神の国とをまず求めなさい」(マタイ 6:33)であることは間違いないのですが、ここで言う「神の義と神の国」とはイエス=キリストとイコールであると言っても差し支えないわけで、主イエスによる統治と言ってもいいでしょう。

そんなことはキリスト者にしてみれば当然なわけで、ルカ伝18章には、

また、イエスは失望せずに常に祈るべき事を、人々にたとえで教えられた。

(ルカ 18:1)

とあるように、「願っている事を大胆に(私利私欲のみであってはもちろんダメです、これは神の御心ではありません)」あきらめずに祈る事を、不義な裁判官と熱心に訴えるやもめのたとえ話から推奨しているように、私には解釈出来ます。

この世において祝福を受ける事を祈っても、私利私欲のために用いるのでなければ、何ら悪いことではありません。この世でも祝福されるのであれば、謙虚に受け止め、いただき、神の働きのためにも用いればそれでいいわけですから。(ちなみに私の現実はと言うと・・・「災いと労苦」ばかりですが (ToT)/~)

さてここからが、本質に触れていきますが、私はある方から

「ヤベツの祈りは、日々、一言一句変えずに、同じ事を祈るのは、神に強制を強いることであり、魔術である、だからけしからん!」と教わった経緯があります。

何となく「引き寄せの法則」と共通する所がありますよね・・・

で、この事を当時、私が師事していたもう一人の牧師先生に質問しました。

こちらの師はヤベツの祈りに対し、必ずしも否定的ではありませんでした。師いわく「そもそも一言一句変えずに毎日祈ること自体不自然極まりないことです。何も肩肘張らずに、思うところをごく自然に、神と対話するように、毎日祈りの課題として祈ればいいのでは」との回答。なるほど!何事も極端はいけない --;

この姿勢は、次の箇所につながると思うし、異論反論あるにせよ、私はヤベツの祈りを完全否定はしません。

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。

そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

ピリピ 4:6~7

ということで、私は大胆に書きますが、祈りの対象をはっきりとせず、強く念じて、強制的に実現させようという思いはサタンの罠であるということです。悪いことは言いません、やめたほうがいい。

自分を神の地位まで引き上げる「アセンション信仰」のニューエイジャーにはおもしろくないでしょうが、魔術と祈りの違いを理解すべきです。

そして、これまたおもしろくないかもしれませんが、「主イエス=キリスト」の御名において父なる神に祈ることです(カトリックは「父と子と聖霊」の御名においてでしたか)。ただ個人的には、主イエスに一方的に話しかけているようになっていますけど。拙い祈りでも、主イエスが、信じるのであれば、いくらでも父なる神に取り成してくださいます。

私としてはこちらの方がよっぽど有益であると感じますがどうでしょう?

あ、それとその辺の神社の神はダメです。せいぜい狸か狐の霊ですから(爆;)

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コメント

ザアカイさん、皆さん、こんにちは。

水害が終わったかと思えば、今度は猛暑で被害がでていますね。
しかも、世界的に・・・。EUやロシアでも猛暑で干ばつや火災が起きているとのこと。異常気象は、世界中の人が感じていても、真の神様を求める人はほとんどいない世ですね。

あなたがたは、地の塩です。(マタイ5・13)
あなたがたは、世界の光です。(マタイ15・14)

暗い世でキリスト者は、神さまから見て、世界の光であり、地の塩。
塩は地の腐敗を防ぐ働きがあり、清める働きがあります。
光は闇を照らす希望の光。喜び。

携挙が起こったとき、地の土で造られた器は、キリストの命に飲み込まれ、天の形を持つことになりますが、その時、「死は勝利に飲まれた」という御言葉が実現するのでしょうね。

キリスト者が引き上げられた地上では、霊的に光が消え、塩はなくなり、文字どおり暗黒が覆いつくすのだと思います。その暗黒は闇の力、サタンの時。そして反キリストの霊は定められた人物に入るのだと・・・。

これは、個人的にそう思うことですので・・・。
皆さまの考えは違っても主イエスさまが事をなさる日は近いと感じます。
その日まで忍耐して歩まないといけませんね・・・祈りつつ・・・。

「しかり。わたしはすぐに来る。」
アーメン。主イエスよ、来てください。(黙示22・20)

enjeruさん、こんにちは。

いやほんとに、日本だけじゃなく、世界的に洪水、熱波、旱魃かと思いきや、南半球では主に南米で、大寒波で死者が出ているようですよ。

中国の三峡ダムもまさか決壊はしないと思いますが、キャパを超えて放水、上流の重慶などは洪水で町が水浸しみたいですね・・・

>皆さまの考えは違っても主イエスさまが事をなさる日は近いと感じます。
その日まで忍耐して歩まないといけませんね・・・祈りつつ・・・。

→まさしくロトの日、ノアの日が近いような気がしてなりません。最後の悔い改めのチャンスかもしれません・・・

それほど遠くはないと思います。仰るように忍耐して、祈りつつですかね!


その通りです。私も以前からそう思っていた一人です。これは聖書の歴史的一文です。一人密かに祈るなら兎も角、人に薦めるのはいかがか? 現代では領土問題がそちらこちらで有り、いくら制限を広げる力の祈りと言っても誤解を受けかねません。だいぶ前にクルセード○○とか言うミッションが有りまして、これは言うまでもなく十字軍のことです。問題提起したことが有りましたが、だれからも返答がなく今では消滅したのか聞きません。同じように世に誤解を招くことは慎むべきです。そうでないとイエス様もお喜びにならないでしょう。

半田様、コメントありがとうございます。
そう言っていただけると心強いです。
様々な惑わしがはびこっていますので、注意が必要ですね。

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