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2010年2月16日 (火)

最も大切なもの、これだけは失くしたくないもの

ザアカイです、またまた更新が開いてしまいました。
どうもジャブ級のイベントは多いのですが、一進一退でストレスが溜まる今日この頃です。
いわゆる過酷なまでの心理戦、情報戦の様相を呈しているかのようです。

敵もさることながら、無尽蔵に近い体力にモノを言わせ、真綿で首を徐々に絞める戦略なんでしょうか?こちらも海辺の砂のように莫大なる情報に振り回されることなく、省エネ戦法で臨まねばならないようです。眼下に横たわる血肉の戦いは無論のこと、さらに一歩進んで霊的な戦いは、我々が考えているほど甘いものではないようです・・・おかげでクスリ常備の半病人になってしまったことだし(涙;)

しかしながら、畜生道に堕ちることなく、たとえ修羅なる世界になろうと、周りに対する気遣い、思いやりだけは無くしたくないものです。外道と化し、はたまた冷酷無比な信仰ロボットとなり血も涙もなくしてはそれまで。

イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

マタイ 22:37~40

わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

ヨハネ 13:34

それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。

第一コリント 12:25~27

たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

同 13:1~2

このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

同 13:13

だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。 もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。

第二コリント 11:29~30

と聖句を並べてみました。

これから先がどの程度の状況になるのかわかりません・・・今でさえ、自尊心が傷つけられ、ひねくれ、心が荒みつつあります。その時は正気を保てるとも限らないでしょう。まさしく文字通りの修羅場が訪れるのかもしれません。

しかし、いつまでも存続するなかで、最も大いなるものは「愛」であるとパウロは言っているのですから、この事だけは忘れずに歩みたいものです。キリスト者となって、教会へ行くようになって、キリスト者と言われる方々とつき合うようになって真っ先に教えられたのが、このことだったから(注;もちろん例外もあり(-_-メ))。
それまでの私といえば、「教理を正しく理解しないと裁かれる」とドグマ第一主義、人をふるいにかけ裁いてばかりの信仰ロボットであったから。
たとえ生き延びることが出来たとしても、それでいいとも思えない。
「あなたには非難すべきことがある」と言われないためにも。
その時こそ、真の勝利者となれることだろうから。

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主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

ホートンの詩を紹介します。

この世の人々は
偽りをとり
薬を片手にして
沈みつつ死を選ぶ
それを知って私たちは心を痛める

地につく人々が
全くの冷笑から
ただの一時間でも目ざめ
私たちの立場でものを考えたらと
天につく私たちは切に思う      ホートン

神の前に一人一人が罪の塊であるという存在。
一人一人が罪の中に生き、罪によって縛られ、罪によって霊が死んでいる存在。
あまりにも聖く、光の中に住まわれる主に触れたら、たちどころに死んでしまう存在。
そんな愚かな罪の中にある存在を愛された主イエス。
そんな存在のために愛する一人子を送られた父なる神の愛。
この神がどれほどの思いをもって人間の救いを達成されたかを思うとその愛の大きさに感謝せずにはおれません。
まもなくその主は来られると思いますが、どうかホートンがいうようにこの世の人々が一時間でも主に目覚めることができたらと・・・願わずにはおれません。

enjeruさん、いつもありがとうございます。

>全くの冷笑から
ですか・・・的を得てますね。

人類の力で何とかなると考えているうちは、そうであるかもしれませんね。
やはり、とことん行く所まで行かないとわからないのが人間なんだと思います。

そして、決して他人事ではないということでしょうか?
我々も、それすらを乗り越えねばならなくなるかもしれませんし、特権に与ることが出来るか・・・まさしく神のみぞ知るなのでしょう。

ザアカイさん
信仰、希望、愛。。 神への愛、隣人への愛、 弱いものや 自分を
冷笑するものへの 憐れみ、ゆるし。。 

この聖書の言葉も好きです。

「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れ
ない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるた
めです。」
コリント第二4章7.

土の器。。弱い もろい器に、神は 信仰という賜物をよそってくださっているのですね。

去年 なくなられた、日銀総裁の速水優氏も クリスチャンとして、有名だった
そうですね。。今日記事をよみました。
速水総裁は「私は土の器」が口癖だったようです。弱くて力はないが、信仰という宝を盛ることができる。。。
総裁として国会に呼ばれる時には、総裁室の奥の部屋でまず祈りました。そこには、「恐れるな、私はあなたと共にいる」というイザヤ書のことばが書かれた掛け軸がかけられていたそうです。。

enjeruさんが、紹介してくださった ホートンの詩

天にいるものからみれば。。 神のお考えを ほんの少しでも
理解できるようになれば、信頼できるようになれば。。 
すこしでも、胸の内の 苦しみが やわらぐのでしょう。。
それが、どうしても 罪故に 悩みや 苦しみに引き込まれてしまう。。

自分が、土の器にすぎない事に 気がつく事で、どれだけの人が
救われるのでしょうね。。 それとも、土の器などと思いたくない。
自分の力が全てという思いに とらわれて、しがみついてしまうのか。。
なぜ、これほどに 神を受け入れない 人が多いんでしょうね。。
まるで、ノアの洪水の人のように、冷笑し、神の愛ある憐れみに対して、
かたくなになったまま。。

サマちゃん、どうも。
そうでしたか、速水総裁はクリスチャンでしたか。
体制派から無視されている副島氏が「あの方は愛国派だ」と言ってましたが。

土の器ね・・・まさしくそうだと思いますね。

>自分の力が全てという思いに とらわれて、しがみついてしまうのか。。

→かつての私もそうでした。どんなに頑張っても乗り越えられない高い壁にぶち当たらないと・・・人間跪き、なかなか顔が向かないようです。特に私みたいなタイプはなおさらかも --;

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