2024年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

« 2009年12月初旬、世界では一体何が起きているの? | トップページ | (今更ながらですが)ノルウェーの怪光について »

2009年12月10日 (木)

今日、御国では祝宴が

今回は、たま~に!しか書かない --; というか、書・け・な・い (ToT)・・・鳩の要素、光の部分を書きます。世の情勢も動きそうで、動かないし、そうしよう。あっても14日か?

それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。

だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。

「わたしたちはあなたのために終日、/死に定められており、/ほふられる羊のように見られている」/と書いてあるとおりである。しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

ローマ 8:31~39

今日は、うれしいお知らせがありました。おもしろいもので、わが事のようにうれしいものなのです(^^ゞ
日々、苦しいことばかりで、ろくなことないのにねえ~ --;
我がブログの読者でもある、たろさんが洗礼を受けられたこと。一つ前のエントリーのコメ欄に祝辞が次々と届いております。
サマちゃん(サマリア人さん)に次いで二人目です!ハレルヤ~
プロテスタント教会では、洗礼をまだ受けていない人を「求道者」と呼んでいます。教会には、新規でやってくる人がそれなりにいますが、教会に根付いて、洗礼まで行く人って、案外少ない・・・ --;
それだけに価値あることだと思います。楽じゃありませんから。
そうして考えてみると、教会って、相変わらず敷居が高いんでしょうかね?私もそうでしたが。

http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/135034346.html

あなたも登場する聖書物語~モトイさんのブログ

にもありますように、聖書においては確かに、使徒行伝だけは中途半端な “to be continue” 的な終わり方をしてます。「このあとパウロはどうなっちゃうの?」となっております。モトイさんによると、現代も使徒行伝は継続中であり、我々もその一翼を担うべく、この物語に参加しており、キリストの再臨まで続くのだ~ということが書いてあります。なるほど!納得です。
そして日々、その働きに加えられていく。なんと素晴らしいことでしょうか!

確かに「救い」は、行いによるのではなく、信仰により、それは一方的な神からの恵みであります。しかし、そこで終わるのではありません。「キリストによる救い」という基礎工事=土台にどのような家を建てるかは、我々次第・・・どのような歩みをするか?
宿題はあったのです!
どのような形で、キリストに関わっていくかは人それぞれで、私にはわかりません。
私の場合、このようなこの世的には「キチガイ=ブログ」と呼ばれる情報発信がそれなのかも?しれません。

ただそれも、

すると彼はわたしに言った、「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。

ゼカリヤ 4:6

とあるように、権力でも能力でもありません(神がそれぞれの賜物に応じて、適材適所に配置するというのはあるでしょう。)、いわゆる聖霊の働きが大きいと感じます。でなきゃ、とうの昔にこのブログは終わっていたことでしょう。

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

ヨハネ 1:9~14

私の書く記事の9割は、世の裏側ですが、これ(↑)がキリスト教の本質なのです。光を知らずして、真の平和、平安はあり得ません。
キリストによる、贖い、復活、再臨が約束されているから、サタンの陰謀ばかり書いていても、絶望しない。悪霊に攻撃されても気が狂わない(既に頭がおかしいという指摘もあるが --;)、最後にあるのは「主は我らの勝利」なわけです。

私はブログやっていても、誇れるものが何もない --;
しかし、「目の開かれたキリスト者」がこれだけ集められたということだけは誇りたい。と言っても、私の能力によるところは限りなくゼロなのですが。

種は蒔かれていたとはいえ、ブログ上で出会った同志が、このように受洗まで二人も導かれたというのは、本当にうれしいものです。その歩みは決して楽ではなかったはず・・・試みられ、時には突き放され・・・「それでもあなたは、私を信頼するか、私に希望を見るか」という苦難の末の洗礼であると思うから。たろさんや、サマちゃんのコメントを通して察することが出来るから。

イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。

ルカ 19:9~10

私もキリストを知って、10年近くかかって洗礼へと辿り着いた頃を思い出させていただきました。
そうです、キリストの最大の目的は、「失われたものを尋ね出して救う」ことにあるのです。私のような偏屈でひねくれ者の天の邪鬼でさえ、心を開いて、主イエスを見つめるのであれば、喜んで手を差し伸べてくださったのです。

これから世は、間違いなく混沌としていくはずです・・・イスラエルのイラン攻撃による黙示録の本番が始まるのは時間の問題であるとさえ思えます。

とはいえ今日は、天の軍勢とともに、祝宴を楽しもうではありませんか。

キリストにあるならば、その先にある希望を、「その時こそ、人類がなし得なかった解決がなされるのだ」ということを知ることが出来るはずだし。

今も主イエスは、天のみ座で父なる神の右に座し

「私は今もあなた方に呼びかける。あなたは一人じゃない、あなたさえ心を開くなら、今日あなたの心に泊まろう。私はあなたの主であると同時に、かけがえのない親友なのだから。私にすべてをまかせなさい。」
と・・・絶えず呼びかけて下さるのです。

« 2009年12月初旬、世界では一体何が起きているの? | トップページ | (今更ながらですが)ノルウェーの怪光について »

主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

たろさん

受洗おめでとうございます!

たろさんのこれからの歩みが主に祝福されますように。
御言葉をプレゼントしますね。

わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、
地のはるかなる所からあなたを呼び出して言った。
「あなたは、わたしのしもべ。
わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを助ける。(イザヤ41・9-10)

ザアカイさん、
イエスさまの救いの福音を感謝!
世が段々暗き方に沈んで行く時、イエスさまの福音はより光を増して輝いていると・・・。
あのイエスさまがゴルゴダで十字架にお架かりになった時、サタンは勝利を喜んだでしょうけれど、それがサタンを打ち砕く神の恵みの計画であったことはなんて感謝なことでしょうね。
イエスさまの血は、いまも罪を洗い流し続けている恵み・・・。
その救いを多くの方が受けますように~!
遅くならないうちに・・・。
恵みの時が終わらないうちに・・・。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。(ローマ10・10)

私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。
神の和解を受け入れなさい。
神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(Ⅱコリント5・20-21)

enjeruさん、こんばんは。

祝電がまた一つ届きました、感謝。まだありそうですね。

なんかサタンが歯軋りして悔しがる姿が想像できて愉快です(笑)

いつもやられっぱなしじゃつまらないし、いいかげんいやになるので、こんな日があってもいいでしょう。

せめて、10回に1回くらい勝ちたいですよね(笑)

おはようございます
エントリーまで立てていただいて恐縮です
実際、実人生でもほんとに転機かも?という状況もあります・・・先が見えなくて不安はありますが、神様の御心を祈り求めていきたいと思っています
皆様の言葉が励みになります。感謝です

お早うございます。
モトイです。

たろさん、重ね重ねお祝いします。でもたろさんより明らかに周りの方々が喜んでますよねw。私もそのひとりですヨw。

私も自分の時を思い出します。私は色々あってその時必死だったから、周りの人が喜ぶのが不思議でした。

ザアカイさん、ブログの引用感謝です。

世界中からこれだけ日本人クリスチャンが集う子羊通信は、実に貴重な場所ですよ、ほんとに。

私も余り書き込みはしませんが、掲示板も含めていつもチェックしてます。そんな人も意外に多いと思います。

さてさて、これからもただ主の力にみんなですがって行きましょお ^__^)/

たろさん、こんにちは。
今日は久しぶりに忙しくて、自分のブログ見るのが今になってしまいました。

そうそう、いつもチェックするブログにいい事書いてありました。ある精神科医の本かららしいですが

>「待つことほど楽しいことはありません、
実現してしまえば、それが何でしょう、
待つことほど楽しいことはありません、」と

>ギリシャの哲人 ヒポクラテスは言う;
「人は体の中に100人の名医を持つ」と。
これをホメオスタシスと称し、体は治ろうとする性質を持つ。

私もだいぶ良くなったとはいえ、相変わらず一日一錠のドラッグとお友達状態です(-_-;)・・・でも確かに人間の自然治癒能力というのは侮れないようです。
そして、「発想を変えて待つ事を楽しむ」というのもまた真なりですわね。あせらず、地に足をつけて。これからですよ(^_^)v

モトイさん、確かに自分の時って私もそれほどでもありませんでした。「長かったけど、ついにくるべき時が来た」と、わりと冷静でした。おもしろいもので、周りの人のほうが、なぜか自分のことのように喜ぶんですよね(^^ゞ

いつも励ましの言葉、ありがとうございます。
モトイさんのブログからは教えられることが多いですから。
いくら悪態ついても、最後には頭下げて主のもとに帰るんだから、不思議なものです --;

タンザニアの牧師でガジマという方がおられるのですが、
その方は死人を150人ほどよみがえらせてる方で、
本当の意味でのリバイバルを予感させるものがあります。

友人が、マルコーシュパブリケーションという会社で翻訳や編集を
してるのですが、近々その本が出る予定のようです。

実際によみがえった人たちの衝撃的な証しも添えられています。
黄泉で悪霊に拷問されてた様子とかも鮮明に証しされています。

ハーザー11月号12月号には一部掲載されて反響が大きかったみたいです。
今、知り合いの牧師夫妻もガジマ牧師のいるタンザニアで訓練中です。
よみがえりの主に期待大!デス~♪

たろさん、ご受洗おめでとうございます!!
御国の名簿にたろさんの名前が記されたんですね!!
素晴らしいですね!!

ジュリさん、いらっしゃい。
祝辞ありがとうございました。

タンザニアのガジマ師に関して、まったく知らなかったのでネットで少し調べてみました。宮崎県の教会あたりで交流があるようですね。

それにしても150人もの死者の甦りですか・・・聖書の奇跡の記述を信じないわけじゃありませんが、現代においてこれほどの奇跡が!と思うとにわかには・・・信じるのが難しいですね --;

見た感じ、爽やかな感じで胡散臭さは感じられませんが、とりあえず情報があまりにも少ないのでニュートラル・・・

ひねくれ者でスミマセンm(__)m

ガジマ牧師の事は、
もともとは、マルコーシュ(ご存じです?ハーザーという月刊誌とか発行されてる)の笹井社長から聞いた話です。

わたしもDVD見せてもらってびっくりでした。
まず謙遜なところとイエス様を心から愛してる風なところに好感がもてました。
(普通、この手のタイプってなんか高飛車風が多いですよね?)

まぁ急に信じられないのも無理もないと思いますぅ。
昨日、実際に蘇った人たちの証言も読みました。(発売前ですが)
でも、ガジマ牧師も蘇らされた人たちも嘘はついてないと信用できました。

蘇った人たちは、霊の世界で死んで悪霊に海の底や暗い穴に連れて行かれ、そこで拷問を受けたり、悪霊の命令通り動かされたりしてたようですよ。
14人程のの証言者の中で、ひとりだけ天国に行って戻らされた人がいました。
真実を述べてるな~というのがわたしの印象です。

なんかこの終末時代に希望の持てる貴重な証しですよねっ☆
日本でもこのリバイバルが進んで、多くの人が救われますように・・・と願っています。

ジュリちゃん、情報ありがとうございます。

そうですね、先入観を捨ててですかね。
ガジマ師が本物の神の僕ならば、これから益々そのみ業が主の栄光を現すことでしょうからね!名前を覚えておこう。

要注目と行きましょうか!

ザアカイさん、皆さまこんばんは!
ザアカイさん、尊いお働きを感謝します!
たろさんの受洗嬉しいですね♪
ブログ読ませていただいていつも勉強になります。

ども、わたぴ~です(vv)

なんだか、めっきりお久しぶりな感じ目一杯ですが(^^;)

たろさん、バプテスマを受けられたんですね。O(≧▽≦)O
今年一年の疲れが吹っ飛んじゃいました。
天の国で父なる神様や主イエス、天使達も声を挙げて
大喜びしておられるでしょうね。ワタクシも嬉しい限りです。
・・・とはいえ、ワタクシ、
あんまりお役に立ててませんが~(;^_^A

ま、この世界で暮らしていく分には、
まだまだ色々あるでしょうが、このブログを通して共に
歩んでいきましょう。主イエスの名の元に。
今後ともよろしくです(vv)

ゆうさん、こんにちは。
祝辞がまた一つ増えました、感謝。
私は場を提供しているだけで
なんらたいした事やってないのですが
こういうのって、なんかいいですよね(^_^)v

わたぴ~さん、お待ちしておりましたよ。
私も、わたぴ~さんのブログは毎日チェックしてますが
ここのところ私も
コメントできずにいました(^_^;)

このような殺伐とした世の中にあって
このような関係が築けるのは、ありがたいことですm(__)m

こんばんは
皆さん重ねてありがとうございました
わたぴ~さんがおっしゃるとおりこれからもいろいろあるでしょうね。ただ洗礼受けて今なんだか安心感みたいなものが出てきたような感じです。
まえは神様に不満をぶつけて、こんなに試練ばかりなら神様から離れてやる!、みたいに感じることが多かったんですけど、洗礼を受けてから神様とつながっているということが当たり前で自然な感じがしてきました。もっともまだ受けてから日が経ってないからわかりませんが・・・

たろさん、肩肘張らずですよ。

この道は、決して楽ばかりではないですからね・・・むしろ苦しいことのほうが多いような気さえします。
逆に考えると、苦しい道だから、ささやかな事でも心和んで、喜べるのかもしれませんね。

狭い道には違いないですね・・・

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 今日、御国では祝宴が:

« 2009年12月初旬、世界では一体何が起きているの? | トップページ | (今更ながらですが)ノルウェーの怪光について »