2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

ブログパーツ

なんでも&緊急連絡版

« 2009年秋が来る | トップページ | キリスト教を理解するにあたっての基本 »

2009年8月27日 (木)

キリスト者として、輪廻転生について考える

はじめに断っておきますが、生まれ変わりを信じる信じないは自由です。強制、押し付けは一切いたしません。あくまでも自由意志で。

しかし、キリスト者を自称する者が信じるのは、いかがなものでしょうか?

ええ~、火に油を注ぐ結果になるかもしれません・・・自分自身、本調子でないのに、こんなこと書いてブログが炎上するかもしれませんが、ハッキリしなければならないことですし、どうもスッキリ、もやもやが晴れない・・・背中を押される気がするので、この際私の考えを書いておきましょう。

生まれ変わり、カルマというのは、そもそもヒンズー教の教えです。キリスト教とは対極のはず。

参照 ↓

http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/126035398.html

生まれ変わりという洗脳:苫米地英人著「洗脳」より

常連コメンテイターである、モトイさんのブログより抜粋させていただきます。

-----------------------------

引用開始~

インドの社会的な洗脳であるカースト制度はいまも働いています。苫米地氏によるとカーストの低い階級の人々は貧困の中にあえいでいるそうです。しかしこのカルマの思想のおかげで、社会的な慈善活動が受け入れられないそうです。彼らにとって現世で苦しむことは来世での良いステージを約束するので、慈善活動は全く以って大きなお世話なのだそうです。

不思議なことですが、このようなインドのヒンズー教的な社会洗脳に疑問を持った人物がゴーダマ・シッダールタ(釈迦)のはずでした。しかし日本の仏教は釈迦の否定した生まれ変わりもカルマもすべて受け入れてしまっています。

引用終了~

-------------------------------

私が生まれ変わり(リーインカーネーション)を肯定するクリスチャン(ごく少数派だと思いますが?)に、一つ聞きたいことがあります。

うまく回答をごまかされてしまいましたが。

もっとも基本であり、大切である「キリストによる救い」をどう理解しているのでしょうか?

わかり易いように具体例を提示します。

救いに与かり、御国の住人になったとします。

仮に10回生まれ変わったとしましょう。ということは、10の人格が存在するわけですよね?そのうちの誰として御国の住人となるのでしょうか?おそらく10人で、我先にと争うことでしょう。その他の9人の人格は消滅するのでしょうか?

はたまた、10人が全員クリスチャンなわけでしょうか?クリスチャンである人物だけが住人となるのでしょうか?何人か救われない人格者も存在するというのでしょうか?それとも一人救われていれば、その遡及効果は全員に及ぶとでも言うのでしょうか?

または一人の人物の中に、10の人格が存在するのでしょうか?いわゆる多重人格です。

そんなバカな?まるでどこかのカルト宗教ではないですか。

このように「救いと輪廻転生」に関しては、矛盾だらけで、ツッコミどころ満載なわけですよ。

自分は自分だけ唯一人でいいではないですか。

こんなことくらい、聖書学者でもなければ、教師でもない一平信徒の私でさえ理解できます。

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

ヘブル書9:27~28

ヘブル書には、人間は一度死ぬと書いてあります。どう解釈すると二回も三回も死ぬのでしょうか?

神の主権を否定することにはなりませんか?

そしてバプテスマのヨハネは、エリヤの生まれ変わりだという方がそれなりにいます。

私、口語訳聖書を使ってますが、

そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。

マタイ 11: 14

弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。

答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。

しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。

そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。

マタイ 17:10~13

輪廻転生肯定論者にとっては、文字通りそのように取りたくなるのもわかりますが、「エリヤが生まれ変わった」などとはどこにも書いてありません。

聖書解釈には、たとえ、比喩というのもありますのでお忘れなく。

類推解釈または拡大解釈です。

よって輪廻転生がないのであれば、前世の罪とカルマという概念も、関係ないと考えますが。

蛇足ですが;

神奈川県の厚木、相模原界隈にそのような事を公然と説く教会があるとは聞いております・・・

« 2009年秋が来る | トップページ | キリスト教を理解するにあたっての基本 »

宗教関連」カテゴリの記事

コメント

死後、私たちが別の肉体で再び生まれる、何度も生まれ変わるという信仰があります。
各々の転生は、前世でどのように生きたかによって決定されるというのです。何者として、あるいは何物となるかは私たちの業(ごう)の結果。これが復活と似ている点は、ただ超自然的というだけです。輪廻転生と復活との間にはいくつかの根本的な違いがあります。

まず第一に、転生は再び死ぬことになっていること。第二に次に受ける肉体は以前とは全く似ておらず、特に意識下の記憶のないところでは正体が判らなくなる危険が生じます!
「私は誰なのか?」が、「私は誰であったのか?」になります。第三に、究極的なゴールは時と空間の外での非人格的かつ無意識的な存在状態を達成するため、肉体からまったく逃れることです。
この輪廻転生の概念を詳しく検討するのに多大な時間を費やさなくても、次の二つの具体的な見解でそれが真実か否かを充分納得させることが出来ます。

一、もしイエスの復活が既定の事実と証し出来るなら、転生の信仰は放棄されなければならないこと

二、イエスの生涯が私たちの来世に関するモデルになるなら、私たちの現在の独自性はそのまま残り、再び与えられる体は認識可能なものとなり、永遠に残ります

ザアカイさん、皆さんこんにちは。
モトイです。

ブログの紹介感謝です。

なかなかチャレンジングな話題ですよね。ザアカイさんの調子も回復しつつあるようで何より何より・・・。

私のブログと違って子羊通信は、多くの方がコメント欄でフォーラムを作るので、見ているだけの人も含めてかなり多くの方が楽しみにしていると思います。(ブログが炎上してもドンマイですw。常連さんの誰かがフォローしてくれるでしょう。ザアカイさんはマイペースで管理していてくださいw。)


今となっては私も輪廻転生は惑わしだと悟りましたが、さてかく言う私は実は、キリストを信じた当初は輪廻転生の証拠を聖書で探し回ったりもしていましたw。

輪廻転生やカルマと言う考え方は、レベルの低い妙な安心感を抱くんですよね。来世があるから良いや、見たいな。 (◎_◎;)

本物の唯一の神につながること無しにはこの惑わしから離れられないかも・・・。(離れると不安になるから・・・。)

仏陀は弟子たちに自分を崇拝するなと言ったり、自分の葬式をするなと言ったりもしたのに、何一つ弟子たちは守らなかったようです。五百羅漢というのがその弟子たちですが、彼らが仏陀の教えを歪めた張本人で、自分たちも崇拝の対象になってますw。

ちょっぴり難しかったかな…カトリックの遠藤周作さんには悪いけど、ユダヤ教やキリスト教的には輪廻転生生まれ変わりな概念はありません。寧ろ「あなたがたは決して死なない、神のように目が開かれて~」っていう女に対する蛇の惑わしが根拠になってしまいます。ヤハウェ(エホバ)はハッキリと「汝らは死ぬ」と断言しました。そしてアダムと女は肉体の滅びと共に塵と骨となりました。但し、神が造られたアダムの霊は再び神のもとに還ります。ハデス(シォオール)黄泉または陰府(よみ)と呼ばれる場所で霊は休息をとります。神は魂をリサイクルする複雑な輪廻転生システムを作り上げませんでした。人間として生まれた霊魂はたった一度の地上生涯を精一杯生きなければなりません。だからこそ人生は貴重であり尊いのです!
地上生涯を終えた人間の霊は復活までハデス(シォオール)で待機するのです。動物や虫に輪廻転生することはありません。少なくとも聖書的キリスト教的にはあり得ない。
バプテスマのヨハネがエリヤの生まれ変わり?違います。因果応報はありますが仏教的意味ではありません。

人間の希望は主の再臨と復活にあります。転生で人類を奴隷化支配しようとする思想はニムロデからのバビロンから

アンさん、ニアミスですねぇ~。打ち込んでいる隙に先を越されました。

サタンは鼻タレですかw。大爆笑でした。

そうそう…唯一、例外として生まれ変わりが聖書に記載されています。
それは主イエス・キリストの降誕です!
神でありながら、人間として生まれ変わりマリアの子宮に奇跡的に移されたあの出来事だけが生まれ変わり輪廻転生、前世を否定する聖書の中で例外中の例外として取り上げられています。

以上 アンちゃんの輪廻転生研究序説を終わります。

ルカによる福音書23.43の
イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。
というのが転生のことを示すという説を聞いたことがあります。

アンちゃん、モトイさん、フォローありがとうございましたm(__)m

何を隠そう私も実は(-_-;)・・・キリスト者になるず~っと!以前・・・小学生の頃読んだ・・・
つのだじろうの「後ろの百太郎」の影響を受け、盲信していたわけではありませんが、輪廻転生を否定もしていませんでした。

まあ、もう一度生まれ変われるとしても、こんな物質界に生まれ落ちるのは、二度とゴメン被りたいです。
正直言って、二度とイヤ!です。

何故私自身、これほどこだわるのかと言うと、以前このことで大火傷をしているからなのです。
だから、騙されて欲しくない。
恐ろしいほどの美貌?の持ち主の、自称=女預言者が相手だったので
コロッとだまされそうになりました(涙;)

キリストを見ないで、人間を、特に女性(ToT)に惑わされ、器崇拝してしまったのですね(T_T)・・・
「女王様、私を下僕、犬とお呼びください・・・家庭でさえ捨てる覚悟です!どこまでもお供いたしますう~(^^♪」みたいな(笑)
ウソです、冗談ですよ!!本気にしないで下さいね(爆;)

そんな時です、頭をガツ~ン!とハンマーで叩かれ、色仕掛けの罠から解放されました。
ギリギリのところで危なかったですわ。

「キリストの十字架の贖い」=救いの真髄を考えれば、簡単にわかることなのに・・・
ダメクリな私なので、その程度のレベルなのですがね。

↓参照

http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/
ホームページ・メッセージ080629        小 石  泉
輪廻転生と十字架

>それにしても世界にマリー・アントワネットの生まれ変わりを自称する人は何人居るのでしょうか? 馬鹿もほどほどにしなさい。
(一部抜粋)

あの先生、普段は温厚ですけど、ここぞ!という時は、旧約の神みたいに威厳を示し、破邪の剣を一振りです・・・

ザアカイさん、皆さん、こんばんは。

神は、ひとりひとりに、その行ないに従って報いをお与えになります。(ローマ2・6)

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。
そして数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物が開かれたが、それは「いのちの書」であった。
死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じて裁かれた。
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。
そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。(黙示20・12-13)

神さまは、人間ひとりひとりの罪をすべて記憶されて、ひとりひとりを隠れたことも明るみに出し、さばかれます。
従って、人が生まれ変わることなどありえなく、それはサタンの惑わしでると思います。
人が誕生してから、死ぬまでを神さまは、ひとりひとりご存知。
ひとりひとりが神の前に立つ日が必ず来ると聖書は言っています。
その前に主イエスを信じて、罪の赦しを受けた人は幸いであると・・・。

主が立てた予言者なら、矛盾はなく、一貫して主の栄光を現わす存在であると思います。
一つの矛盾でもあれば、その人は予言者ではないと・・・。
~の生まれ変わりだとか、黙示12章の女だとか自ら言うとき、本物ではないと思います。
女予言者の記事、読みましたが、イエスさまの名より女予言者の名が多く記されています。
はたして?主は喜んでおられるでしょうか?

ザアカイさんおはようございます。
 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。

 イザヤ書?でしたか多くの者を地の獄に閉じ込めている者がでてきますね、またイエスさまが地に下った時そこにはノアの時代に滅んだ多くの者が居ました。

enjeruさん、こんにちは。

ローマ2・6、黙示20・12-13、と引用いただきありがとうございましたm(__)m
ここからも、人間は一度生まれ一度死に、救いに与かっていれば復活する。
自分は自分、自分自身のオリジナルな霊的要素は復活しても変らないというのが理解できました。
やはり聖書を読む限り、輪廻転生とは矛盾すると考えます、勉強になりました、感謝。

バルナバさん、こんにちは。

ニコデモは私、聖書の中では、好きな登場人物です。

やはり主イエス=キリストの復活が、我々の雛形と言うか、モデルであると考えます。
旧約の人たちもみな、黄泉で待機していて、主イエスが下っていって福音を宣べ伝えたと理解するのが正しいのかなと考えます。新たに生まれると言うのは、復活であるんですね・・・やはり自分は自分なんでしょうね。
ダビデはダビデ、ソロモンはソロモンであったんだと思います。
そうしやって考えてみると、新約時代の我々は、旧約の方々より恵まれてますね。


前世占いのサイトやっている人に、「リ、インカーネーションは真実ですかね」と聞いたら、「さあー?どうだろね」といわれて、ずっこけた。
るちゃん、いろいろと教えてくれてありがとう。(私はてっきりルツ記からと。かえるちゃんですか~早く天国にかえるぞーって)
偽パワーは一時天国でも、後で何倍も苦しむってことね。
今苦しくとも、本物を選び、嘆き苦しむのも現世だけの貴重な体験だと、受け入れましょう!
オラのタマモノ120%?(タマならお金のタマがほしけれど)まだまだ修行が足りんぜよ~千%にならなければ、千年王国にはいれま千。
ゆうさんは、有り余って邪魔なお金をおばあさまと叩くのも良いけれど、おかまちゃんのはあるから、おなべのバレエ団を創って~見たいワン!

ザアカイ社長、お金を集めて持ってくドロボーなんかに負けないで!
ちなみに、間かんぺーちゃんは、「な~い」「だってない~んだもん」で通し、監禁されたら窓から走って逃げる。それで今アースマラソンへいっちゃった。
借金トリというトリにしか捕まえられないのだ!

世泣さん、いつもどうもです。

>今苦しくとも、本物を選び、嘆き苦しむのも現世だけの貴重な体験だと、受け入れましょう!

→いい事カキコしてくださいましたね、現世だけの貴重な体験・・・そう自分に言い聞かせましょう!

借金トリですか、こりゃどうも(笑)

まあ、とりあえずは・・・仕入代金だから・・・意外とマジメで律儀な私です(爆;)
もっとも、腹黒く、ふてぶてしいタイプでしたら、病院へ行かずに済んだでしょう。

皆さんにお尋ねしますが、
エリヤは来たのでしょうか、それとも来なかったのでしょうか?

預言者エリヤはバプテストのヨハネと同一人物ではありません。ヨハネ自身が否定しています。(ヨハネ1:21)しかし主イエスはバプテストのヨハネはマラキの預言されたエリヤだと肯定しました。(ルカ7:27)なぜでしょうか
それはエリヤの精神 エリヤの霊を体現した人物がメシヤの先駆者として現れる それがバプテストのヨハネだという意味で仰られたからです。エリヤはバプテストのヨハネの生まれ変わりではありません。

ブログ管理人からひとこと;

アンちゃんが模範解答を書いてくれたので、特に書くことはありません。

>それはエリヤの精神 エリヤの霊を体現した人物がメシヤの先駆者として現れる それがバプテストのヨハネ

→これをもって「エリヤは来た」と理解して問題ないと考えますが。

私の質問に答えて下さい。
エリヤは来たのですか?それとも来なかったのですか?

ザアカイさん、山ちゃんおはようございます。
エリヤは来ていますしもう一度来ます。
 
 旧約聖書の一番最後にそれは記されています。「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」(マラキ4:5,6) 福音書を読みますと、当時のユダヤ人はエリヤの再来をたいへん気にとめていたことがわかります。バプテスマのヨハネに対して「あなたはエリヤですか」(ヨハネ伝1:21)と聞いています。イエス様に対しても「彼はエリヤだ」(マルコ6:15)という人々がいました。「律法学者たち(は)、まずエリヤが来るはずだと言ってい」(マタイ17:10)ました。

バプテスマのヨハネの誕生をその父ザカリヤに告知した御使いは「彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」(ルカ1:17)と伝えています。まさにマラキの預言そのままです。イエス様ご自身が、バプテスマのヨハネについて2回、エリヤであると語っています。「あなたがたが進んで受け入れるなら、実はこの人こそ、来るべきエリヤなのです。」(マタイ11:14) 「「エリヤはもうすでに来たのです。・・・」そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと気づいた。」(マタイ17:12,13) もちろんバプテスマのヨハネ自身が「そうではありません」(ヨハネ1:21)と言っているように、同一人物ではなく、その働きをもって象徴的にエリヤだといわれているのです。その働きは、御使いがザカリヤに告げたように「整えられた民を主のために用意する」(ルカ1:17)ことでした

 山ちゃんに質問です地球に破壊をもたらすニビルは今どこまで来ていますか?
アンナヌキは人類を創造しましたか?

バルナバさん、ザアカイさん、アン・シャーリーさん、こんにちは。

>それはエリヤの精神 エリヤの霊を体現した人物がメシヤの先駆者として現れる それがバプテストのヨハネだという意味で仰られたからです。エリヤはバプテストのヨハネの生まれ変わりではありません。
>その働きをもって象徴的にエリヤだといわれているのです。
>ヨハネ自身が「そうではありません」(ヨハネ1:21)と言っているように、同一人物ではなく、

あなた方の解釈によれば、エリヤは来ていません。エリヤの働きと使命感を与えられた別の人物が来た、と言っているに過ぎません。
マラキも主イエス御自身も、エリヤを遣わす、エリヤが来た、と言っているのです。エリヤの使命感を抱いた別の人物が来る、来た、とは言っていません。
エリヤを遣わす、とはエリヤの霊が、即ちエリヤ自身が来ることです。エリヤが来たのである、ということもエリヤ自身が、エリヤの肉体は別として、来たことを意味します。それ以外の解釈はあり得ません。エリヤの霊というとき、あなた方はエリヤ以外の何かだと理解しておられるようですが、これはエリヤ自身を指すのです。バルナバさんの霊というとき、これはバルナバさん御自身を指します。キリストの霊はキリスト御自身を指すのと同じです。
ヨハネ自身が「そうではありません」と言っても、バプテスマのヨハネの認識如何に関わりなく、主イエスは、エリヤが来た、と言われます。イエスは嘘吐きですか?
ヨハネ9:1-3の主イエスと弟子たちの会話をお読み下さい。ここでは生まれ変わりの概念が自然な形で交わされているではありませんか。

あなた方は色眼鏡を掛けて聖書を読んでおられる。生まれ変わりは異教徒の迷信であってそういうことはあり得ない、という色眼鏡です。
この色眼鏡を横に置いて、上記の青い字で書かれた聖句をじっくりと、お読みになることをお勧めします。固定観念があっては、聖書を正しく読むことは出来ません。無理な解釈から、主があなた方を救い出してくださいますように。生まれ変わりの思想は聖書の中にはっきりと啓示されているのです。ただ、あなた方の思いが黒い雲に覆われているために見えないだけです。

> 山ちゃんに質問です地球に破壊をもたらすニビルは今どこまで来ていますか?
アンナヌキは人類を創造しましたか?

ニビルあるいはニブルは今どこまで来ていますかですって?私は知りません。
人類を創造したのは神御自身です。アンヌナキではありません。


管理人のザアカイです。

みなさん、ありがとうございました。
これ以上、何を言っても無駄のようです。
私がリンダ=ニューカークを、偽預言者呼ばわりしたのが気に入らなかったのかどうかわかりませんが、これ以上は百害あって一利なしと考えます。
時間の無駄です。

真実は、最後の審判で明らかになりますから。

荒れる前に、感情的になる前に
これにて終了ということで、ご了承願いますm(__)m。

理解いただけなくて残念ですが、仕方ありません。リンダ預言には多くの箇所で、生まれ変わりについて語られています。主イエスがまた御父が語っておられます。1-3、2-12、3-7、3-11、4-13、4-21、6-4、7-5、9-15、11-4、12-50p5、12-55です。そこには、リンダが使徒ヨハネの生みの親であったこと。アロンであったこと。生まれ変わりは魂たちの前進成長のためにあること。この教えは救いには必要ないこと。より高い認識のためには必要なこと、迫害のことがあります。12-55には預言者自身による反論が乗っています。いずれ、又の機会にお会いしましょう。ザアカイさんはじめ、皆様、有り難うございました。

お尋ねします。
確かに山ちゃんさんの言っているように他の皆さんの説明ではエリヤは来てない、と私も思います。


>生まれ変わりの思想は聖書の中にはっきりと啓示されている
これはエリヤとヨハネのことを通して、そのことを明確に聖書で示している。ということでしょうか?
ヨハネはエリヤの生まれ変わりだけど、本人のヨハネは自覚がないということでしょうか?

私達は輪廻転生をしていて動物を含め霊はいろいろな肉体に住まうのですか?
自覚がなかったら、せっかく現世で苦労しても、生まれ変わった時、あの時の苦労が報われたという事が分らないのですか?
行いが悪かったから今度は虫に生まれ変わってしまった!ということも自覚が無ければ分らないので、今が良ければそれで良いのではないでしょうか?

輪廻転生=生まれ変わり、なのでしょうか?
クリスチャンは新しく生まれたのですよね?キリストによって。この表現は正しくないですか?

私は良く解りませんがどちらにしても、神様は正しい方で、この方を信じる以外に生きる望みはないと思います。
私が誰かの生まれ変わりだとしても、自覚が無い限り今現在の自分と向き合うしかありません。
それだけで十分しんどいです。

聖書が生まれ変わりを肯定しているなら、だからどうしろ、と言っているのですか?
クリスチャンは全てを神に委ねているのですよね?だったら、どのように生まれ変わるのかも神様が決めるのですよね?

その最後の審判の日、この私、という自覚があるのでしょうか?

?ばかりです。でも神様信じてます!


すみません。書いてる間に終了になってたんですね。
ごめんなさい。

若葉マークのクリさん
以下のHPをご覧下さい

http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/

左サイドバーから2008年一覧→2008/6/29「輪廻転生と十字架」
と順次クリックしてください。わかり易く語っておられますよ。私などが解説するよりいいです。

さて・・・

恐れていたことが起ってしまいました・・・

>リンダが使徒ヨハネの生みの親であったこと。アロンであったこと。生まれ変わりは魂たちの前進成長のためにあること。この教えは救いには必要ないこと。

→山さん
 警告したはずですよね・・・これ以上関わるなと。

バカ言うのもいいかげんになさい!
そんなこと聖書のどこにも書いてない!
救いは神の一方的な恵みであって、信仰義認のはず。行いによるのではない。ローマ書をよく読まれよ!
聖書の言葉とリンダとかいう偽預言者の言葉とどちらを優先させるのか!
それと聖書の曲解をやめよ!あなたは洗脳されている、自分でわからないだけ!

これ以上我がブログで害毒撒き散らし、何もわからない無垢な方々を惑わすのはやめよ!

若葉マークのクリさんへ、山ちゃんです。お尋ねの件につき私の知っている範囲でお答えいたします。
>これはエリヤとヨハネのことを通して、そのことを明確に聖書で示している。ということでしょうか?
仰るとおりです。更にヨハネ9:1-3を見ると、当時は生まれ変わりは普通に認識されていた事実であったことが伺えると思いますが。リンダ預言の中でも、主イエス御自身が同様のことを語っておられます。(1-3参照)
>ヨハネはエリヤの生まれ変わりだけど、本人のヨハネは自覚がないということでしょうか?
ええ、そうかも知れません。御使いが、 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、...と言った言葉を、ザカリヤが息子に伝えなかったか、伝えたけれども本人が認識しなかった、のかも知れませんね。
>私達は輪廻転生をしていて動物を含め霊はいろいろな肉体に住まうのですか?
禅の大家であった鈴木大雪氏は、米国の大学で教えていたときに、学生の質問に答えて、自分は猫が好きだから、前世は猫であった、と答えられたそうです。これが仏教の輪廻の思想だとするなら、生まれ変わりの真理とは異なると思います。クリスチャンの場合には、人から人の例しか知りません。また、広辞苑によると、輪廻は限りなく生と死を繰り返すようです。切りがないのです。しかし、勿論、私たちには目的地があります。すべてが完成するときがあるから、まことに有り難い限りです。このように、他の宗教の輪廻思想と、クリスチャンの場合には違いがあると思います。
>自覚がなかったら、せっかく現世で苦労しても、生まれ変わった時、あの時の苦労が報われたという事が分らないのですか?
私自身、前世がだれであったか、なかったか、知りません。必要なら主御自身が教えて下さると私は思います。だから、私は詮索しません。ただ、今、やることを、精一杯やっておれば良いと思います。リンダ預言では必要があって、主イエスが彼女に啓示されました。
>クリスチャンは新しく生まれたのですよね?キリストによって。この表現は正しくないですか?
全く正しいです。
>私は良く解りませんがどちらにしても、神様は正しい方で、この方を信じる以外に生きる望みはないと思います。私が誰かの生まれ変わりだとしても、自覚が無い限り今現在の自分と向き合うしかありません。それだけで十分しんどいです。
仰るとおりです。この方を信じる意外に生きる望みはありません。もう、十分しんどいです。病気やら何やらでね。
>聖書が生まれ変わりを肯定しているなら、だからどうしろ、と言っているのですか?クリスチャンは全てを神に委ねているのですよね?だったら、どのように生まれ変わるのかも神様が決めるのですよね?
だからどうしろ、とは言っていないのです。生まれ変わりの教えは、救いには不要だと、主が言っておられます。知らなくとも良いわけです。それで、十分に救いに与れるのです。ただ、より高い認識のためにはこのことを知っておく必要がある、と言われています。そうです、全ての決定権は神にあります。
>その最後の審判の日、この私、という自覚があるのでしょうか?
勿論です。良いに付け、悪しきにつけ、自覚はあります。ヘブル2:13にこんなくだりがあります。「見よ、わたしと、神がわたしに賜わった子らとは」と言われた。「神がわたしに賜わった子ら」というのは完成され栄光化された私たちのことです。主イエスが宇宙に向かって、さあ、この素晴らしい私の子たちを見なさい、と宇宙の全被造物たちに向かって叫んでおられるのです。この時、私たちの自覚は最高潮ですよ。yamayori2007(atmark)yahoo.co.jp

ザアカイさん、
大変失礼しました。これでホントに終わりにします。どうも有り難うございました。

しかしあなたもおもしろい方ですね。
怒る気力も失せましたわ。

カルトもそこまで行くとお笑い道場で優勝ものですね。
あきれてモノも言えません。どこでそのような教えを受け入れたのか不思議ですよ。
正気の沙汰とは思えません。洗脳って恐いですわね。
メアドまで書き込むとは、新手の新興宗教の勧誘が目的でしょうか?

削除も考えましたが、あまりにもおかしくて笑えるので残すことにしました(笑)
ブログやっていて、こんなにおもしろいコメントを、マジメにしつこく、書き込んでくれた方を私は知りません(-_-;)・・・
さすがに↑のコメント全部読んで信じ込む、まともなクリスチャンはいないと思いますので(爆;)


さて、

若葉マークのクリさん、お久しぶり。
元気そうで何よりです(^_^)v

いいですか、絶対に!惑わされてはいけませんよ。
「キリストの十字架の救い」から離れさせる、サタンの邪気以外の何ものでもありませんからね。
小石牧師のメッセージを読めば、一目瞭然です。

これが「まともな、普通の」クリスチャンの信仰です。

若葉マークのクリさん、
ここには私などより遙かに優れた
有能な方がたくさんいますから

何か疑問を感じたら、世間に疲れたら
いつでも来てくださってけっこうですよ。
みな歓迎しますから。

安心してください、害虫は即座に駆除しますから。

ザアカイさん、皆さん、こんにちは。

関東の方に台風が来るみたいですね。
こちらの方に来ないように祈ったら、そちらにいっちゃいましたね。
関東方面の方々が、台風災害から守られますように。

ザアカイさん、お疲れモードのようですね。
信仰の闘いは、最近激しさを増しているようです。
どんな時も主にしがみつき、主から目を離さないでいないといけませんね。
そして互いに祈りあい、支えあうことが本当に必要な時期であると・・・。
皆さまの上に主イエスの守りと十字架に架かられたイエスさまの愛が豊かに降り注ぎますように~!

「キリストは肉において現れ、
霊において義と宣言され、
御使いたちに見られ、
諸国民の間に宣べ伝えられ、
世界中で信じられ、
栄光のうちに上げられた。」(Ⅰテモテ3・18)

ども、わたぴ~です(^-^*)

え~、何だか、遅刻常習犯のように今頃やってまいりました。(゚ー゚;A
・・・と、思ったらザアカイさんが「打ち上げ」ならぬ「打ち止め」されましたので、
今回は、このまま失礼させていただきます。m(_ _)m

が、折角なのでいつもの一言。

「・・・ツッコミどころ満載すぎぃ~」(-_-;)

♪チャンチャン

ども、わたぴ~です(^-^*)  追伸です

ザアカイさん、新着分、確かに受け取りました。
enjeruさん、いつもすみません。
お二方、ありがとうございました。m(_ _)m 感謝です。(^^)

ザアカイさん、小石牧師のメッセージ読みました。

>さすがに↑のコメント全部読んで信じ込む、まともなクリスチャンはいないと思いますので(爆;)
→同感です。

ザアカイさん、少し元気になったみたいですね。
ここが無くなってしまったら、もう行く所がないです。

enjeruさん、どうもです。

>そして互いに祈りあい、支えあうことが本当に必要な時期であると・・・

→そのようですね、我々は不完全なので、お互いサポートし合わないといけないかもしれません。
キリストの体=教会、の肢体としてですね。

台風ですか・・・イヤですね、逸れてくれますように。

わたぴ~さん、どうもです。

う~ん?なかなか、わたぴ~さんのように冷静沈着にとは行かず・・・
我慢すればするほど、マグマが溜まる私です(ーー;)・・・

私にとって、いわくつきのテーマだったのでよけい、勝負どころでした。
実はある北海道の兄弟からの情報で、「リーインカーネーション」を説くカルト教会の被害状況の報告を受けていたのでなおさらでした。
おそらくそのルーツは、例のリンダ=ニューカーク、「主の山へ」というHPであることは、ほぼ間違いないでしょう。
似たようなこと言ってます。
私の別のカルト情報のルートも、糸を辿っていくと、リンダ=ニューカークへと行き着きます。憶えておいて損はない名前です。キリスト教ではなく、「リンダ教」ですね。

若葉マークのクリさん、そうですか、読まれましたか。
納得されたようでよかったです。

少し、感情に喜怒哀楽が生じてきました。
とは言え、周りの環境は変り映えしませんけどね・・・

ある姉妹から紹介された、アオウ=コンブー師(通称、青昆布師)という、シンガポールの中華系の牧師先生が言っておられました・・・

「これからの時代益々、我々は、周りの環境に左右され、振り回されてはなりません。信仰を持って主を見上げるて歩むことが勝利へと繋がります」と・・・確かこのような事?でしたよ。聞いたばかりなのに・・・記憶力が低下してます(-_-;)

口で言うほど簡単ではありませんけどね。

>投稿: ザアカイ | 2009年8月29日 (土) 18時14分
(中略)
安心してください、害虫は即座に駆除しますから。


このような発言をしろとイエス様は仰ったのですか?
他を傷つける行為・行動でございましょう。

キリスト教を信じているならば、イエス様の行為・行動を実践なさればよいと存じます。
貴殿等はなされていますか?

因みにカルトというのは何か知っておられますか?

内実さんおはようございます。

 聖書に終末が近づくと人々は自分に都合の良い話をしてくれる教師の話を聞こうと彷徨うようになるとあります、それは神の語ることでは無く人の語ることなのです。


>因みにカルトというのは何か知っておられますか?
私はリンダ=ニューカークの本を信者に薦めるがリンダ=ニューカーク本人からは
相手にされていないキリスト教系団体がカルトだと思います。

聖書に何かを付け足したり、聖書から何かを取り除いたり、そんなところは要注意ですね。
以前に森山諭氏が警告していた頃より今はバイブルカルトが沢山有るようですね、森山氏は
イエスさまより大切なものが有るとその団体から抜けれなくなる危険性を警告していました。

>害虫は即座に駆除しますから

→不適切だったかもしれません。
謙虚に自分の非を認め悔い改めましょう。すみませんでした。
なにぶん、不完全で、日々罪を繰りえし、許しを請うばかりですので。

カルト、特に今回の論点でもあるバイブル=カルトに関しては、バルナバさんが答えてくださったようです。
バルナバさん、ありがとうございます、感謝。

キリスト教含め各々の解釈などで生まれ変わり等無いと信じておられる方もいるでしょう(それぞれの教えでございます)。
釈尊を絡めておりますので長文失礼。
(知識としてはウィキペディア等で「輪廻転生」等についてお調べ下さい)

>不思議なことですが、このようなインドのヒンズー教的な社会洗脳に疑問を持った人物がゴーダマ・シッダールタ(釈迦)のはずでした。しかし日本の仏教は釈迦の否定した生まれ変わりもカルマもすべて受け入れてしまっています


上記はどのようなニュアンスか存じませんが、釈尊は生まれ変わりを否定なされてはいません。
(『なぜ修行をなされたのか?またどのような段階に至ったと云われているのか?四聖諦をなぜ説かれたのか?』等々。このように前提から否定できるわけがないのです。学・理窟ではなく実践、実感しておられる人ならばなおさらこのような妄想をいだくこともありますまい)

どの方の引用が存じませんが、悪い意味でのヒンズー教的なカースト制(生まれ変わり、カルマ思想)等を否定なされているのでございます。
また“2500年以上前であるコト”を考慮にいれないとなりません(加上も含め)。

誰であれ実践してない人たちが出した情報が正しいとは限らないのです(また何千年という年月が=正しいというわけではない。世をみても改竄等され逆でございましょう)。
恐縮ながら神とは実践・体験・実感からでしか知りえないのでございます。
また様々に“惑わす情報も流している状態”であり、人としての基本・基礎さえ守れないシステム、我々は十善すら守ってない環境化なのです。


>仮に10回生まれ変わったとしましょう。

失礼ながら妄想から基づく前提でございます。
ゆえに妄想に基づく『矛盾だらけで、ツッコミどころ満載なわけ』という結論となっていると存じます。


>よって輪廻転生がないのであれば、前世の罪とカルマという概念も、関係ないと考えますが。

念のためにもう一度打っておきますが、ヒンズー教の概念と一緒にしてはなりません(それぞれの教え。地域・段階に合った教え)。
結果、釈尊を都合よく利用していると存じます。

学・理窟(妄想となり不毛)でしておられますから色々割愛しますが、
この場合の流れは社会に混乱を起こす流れ(“せつな的に十悪を起こす事を肯定する流れ”)ともなりえます(利用される)ので打っておきます(どうしてなのか?と思われる方は恐縮ながら既に御理解してない証拠なのです)。


ですから、現実的に有意義に“このような面”からも業(カルマ)を観てくださればよいと存じます。
“悪業を作らない為”に『悪い事(十戒の逆)をしなさるな』と云うコトだと観てくださればよいのではないでしょうか。
(生まれてくる子供達、生命によい環境を与えるように尽力する流れとして)

現代までのシステム(環境等)は悪業の繋がりで存在しているのです。
神・十戒(十善)を裏切る人たちの諸々の悪業により、このシステムが作られていると“実感なさっておられる”と存じます。

心よりもカネ中心のシステムがあり一部にのみ富を独占し、それを利用する人たちの“業”により、さらに回転(悪循環)している(世代を超えて“何千年単位”の業)。
我々を苦しめる悪業(因縁)を作り出す流れとなっている。

ですから生まれてくる子供達もその悪業(環境等)のシステムにより苦しむことになっているのです(悪業がございますから、“善人が苦しむ心無い世<有害物質により汚染されている環境も含め>”でございましょう)。

人がわざわざ地獄を作っているとも云えるのでございます。
(聖書にも目に見えない“悪魔”という記述はございましょう。これにより洗脳・大量虐殺も含め争いが何千年と過去から利用されている“業”がございます。ですから問題禍根が現在まで及んでいるのです。キリシタン大名含め打ちたいのですが割愛)


というようにニュアンスでございますが“目でも業が観える”と存じます(業とはこのような意味でもあるのです)。

ですから、その根(悪業)を断てばよい。
つまり改善すれば此の世はどうなりますか。
まずは、順序としてそれを我々は望んでいるのではないのですか?
黙示録だけ望んでいる狂信者もおられるようですが。
(ですから恐縮ながら打たせていただいております)

“業”についても少しは得心されたなら幸いです。
兎にも角にも我々の霊肉調和・繁栄を乱す教え(妄想・妄言)はもういらない(必要ない)のでございます(何千年も甚大な被害を人類・地球に及ぼしてきたでしょう。まだ神の御恩も知らず感謝なく続けるのですか)。


因みにイエス様も釈尊が説かれた四聖諦を行為・行動でも説かれているのです(既存の聖書でも内省を促しておられる)。
ですからその点からも凄いのです。
マコトの四聖諦とはすべての道の基本・基礎なのでございます。
ただ実践なさっておられるイエス様(道)の本当の信者はあまり拝見してはございませんが。
(ですからイエス様と逆の事をしたから事実、悪業で世がここまで乱れたのでしょう。このように実に成っているではないですか)


知識として打たせていただきました。拝
上述を間違っていると感じる方がいてもよいのです。
それがその人の段階と存じます(十善の逆の世を求めているのでしょうか)。
つまり洗脳も含め霊性がそのような段階だという事。
(各々の段階でありそれでよい)

兎にも角にも“人為的な黙示録を何卒望まないよう”に願います。
(すべては“人がワザワザ争いを起こしている”悪業でございましょう)
それよりも人としての基本・基礎足る十善をまず広め実践してください(倫理がないならば我々を霊肉苦しめる宗教なのですから、そんなものはいらないのです)。拝


バルナバ様御返信ありがとうございます。

>それは神の語ることでは無く人の語ることなのです。

道理が備わってないならば、その通りだと存じます。
勉強になりました。
ありがとうございました。


エントリーでは釈尊についてどうやら知ってるよう(『生まれ変わりという洗脳』引用含め)でございますから、業についても含め打たせていただきました。拝
しかも茶化しておられる人もいる始末。

http://ja.wikipedia.org/wiki/カルト

勉強になりました。感謝!

ザアカイ様
御返信ありがとうございます。
こちらもこのようなエントリーから現状を色々知ることが多かったです。
勉強になりました。感謝!

 内実さんザアカイさんの引用した方の言いたいのは私はこう理解しています。
釈迦は人間は生まれ変わり(カルマ=業)をするが、そこから抜け出す事、つまり解脱
とでも言うのでしょうかそれを説いている。(それが結果的に生まれ変わりの否定に繋がる)
ただわたしが調べてみた所によると釈迦は
蛇族の王子ということです。そして釈迦は地獄を説き悪い
事をすれば地獄へ行くという恐怖の念を利用し支配したのだと思っています。あくまで個人の解釈ですが。
 生きることが全て苦であり、苦行では悟りを得ず失望しました。よほど若い頃は悲惨な人生でしたのでしょう。
キリスト者はイエスさまの十字架による贖いを受けた者です、自分は罪びとだと自覚し自分の行い例えば
正しい見解、考え、生活、努力などではなくただ神の恵みによる救いを信じているものです。
内実さんが何を信じ、何を真理だと考えていようとイエスさまを信じていないのであれば話は平行線であり
私たちとは真理を共有することは出来ませんし、ここで釈迦の教えを説いた所でそれこそ馬の耳に念仏です。

>仮に10回生まれ変わったとしましょう。ということは、10の人格が存在するわけですよね?そのうちの誰として御国の住人となるのでしょうか?おそらく10人で、我先にと争うことでしょう。その他の9人の人格は消滅するのでしょうか?はたまた、10人が全員クリスチャンなわけでしょうか?クリスチャンである人物だけが住人となるのでしょうか?何人か救われない人格者も存在するというのでしょうか?それとも一人救われていれば、その遡及効果は全員に及ぶとでも言うのでしょうか?または一人の人物の中に、10の人格が存在するのでしょうか?いわゆる多重人格です。

まだ、お話しが続いているようですね。忘れておりました。ひとつだけ、ザアカイさんのご質問に答えておりませんでしたので、お邪魔とは思いましたが、敢えて、ここにお答えしておこうと思います。さて、マタイ17章の変貌の山で、エリヤが登場します。生まれ変わりであるバプテスマのヨハネではありません。ここに1つのヒントがあります。こう言えるのではないかと思われます。つまり、その必要に応じて、エリヤとして登場するし、また、必要が有れば、バプテスマのヨハネとして登場する、ということです。マタイ17章では預言者の代表であるエリヤでなければなりませんでした。もう1人の相棒がモーセであったからです。バプテスマのヨハネではだめなのです。こういうわけで、ザアカイさんのご質問のように、1人が10人に生まれ変わったとしても、1人だけが残って、他は消滅するのではんなく、それぞれ10人の人格はちゃんと堅持されつつ、それぞれが、その必要な場面に登場することが出来る、という推論です。混乱しないだろうか?ええ、その心配は要らないと思います。私たちの神は混乱の神ではなく秩序の神であられるからです。
ついでにもうひとつ、小石泉氏の説教を拝見しましたが、私が皆さんにしました、「エリヤは来たのですか、来なかったのですか?」という質問にはどういう答えが戴けるのかなと疑問に思います。エリヤとバプテスマのヨハネの関係が全く論証されていないからです。生まれ変わりはあり得ない、悪だと言わんばかりの前提に立っておられます。思考に柔軟性が欲しいものです。ではお邪魔致しました。メアドを書いておきますので、ご意見のお有りの方はそちらへメールを下さいますように。yamayori2007(atmark)yahoo.co.jp


yamayori2007(atmark)yahoo.co.jp

はじめまして、
山ちゃん様

山ちゃんさんの 質問で エリヤはきたのか、こなかったのか
ご自身が、イエス様は エリヤは来たといった。 とみとめておられるので、
それが ヨハネであった。 
それだけでは 理屈では 納得できないのでしょうね。
でも、これが輪廻として エリヤの生まれ変わりとは
言っているでも ないですし、 エリヤはきたのだ。。それだけで いいのでは?

<エリヤとバプテスマのヨハネの関係が全く論証されていないからです。

まるで、以前のわたしをみているようです。(*^-^)
わたしも、以前 三位一体に関して、 そうとう もめました。
神も、キリストも認める。 でも、三位一体の神という概念は わからない、それでも
自分の知恵を はるかに超えるものが 存在されていて、私たちを 導いてくださる。
その方の見地は 計り知れないわけです。
自分ですべてを知らないと、気が済まない。。。 わかりますよ、
じゃないと、盲信になってしまうようで、確信がほしい。。
でも、 山ちゃんさんは 信じているわけですよね。 神と イエス様を。。


ルカの福音書
6章28節 を おもいだしました。
イエス様は。。。女から生まれた者の中で、ヨハネよりすぐれた人は、一人もいません

と おっしゃったのです。

イエスは、こういってます。
神の国で一番小さい者でも、彼より優れています。

エリヤは モーセと同様に旧約時代の 偉大な
神の信仰の具現者であったわけです。

それでも、私たち イエスを聖書を読み、祈りをとして 体験する
私たちのほうが、すぐれている。。
べつに、私たちは 立派なにんげんではないです。

愚かで、無価値とおもわれるような、うちひしがれた 心をもつもの、
子供が親を慕うように、 父を求め、
キリストによって、罪をあがなわれ 肉の命はおわっても、霊の命を持ち、
天に導かれるわけです。
わたしたちは霊によって 生まれ変わった人間ですから。

山ちゃんさん
<生まれ変わりはあり得ない、悪だと言わんばかりの前提に立っておられます

善悪は 人間には 判断が そもそも 難しいのです。
善悪でなくて、聖書全体から 神のご性格を 考慮して 考えるように
つとめる。  これしか、できません。
悪ではなくて、そもそも ひつようなことですか?

エリヤが 天にいったというのも、もちろん 
具体的には どういうことだったのか。。わからないことです。
キリスト以前に  天にのぼるとは、どこの天だったのか。。??
疑問はつきませんよ。。。
聖書にすべてのことは 書ききれない、でも 救いに十分な情報はあるわけです。


ザアカイさん、こんにちは。

台風は大丈夫だったかしら?祈っていましたけれど・・・。

ある末期の肝臓ガンの方をお見舞いに行ったとき、その方は泣きながら「死にたくない!」とおっしゃいました。
大の大人が、背中を震わせ、自分が行くべき世界に恐怖を感じ、絶望に打ちひしがれていました。
また、「自殺したい!」とも言いました。
その方に福音を伝えて、祈ると「アーメン」と小さな声でつぶやきました。
その方に主の救いが訪れたのだと思いました。
その方はほどなくして意識不明に・・・。死の恐怖を感じることなく主の御元へ、本当の故郷へ旅立たれました。
主のご配慮は、なんて優しく、愛に満ちておられるのかしら・・・。

イエスさまの福音は、罪からの解放と死の恐怖につながれていた人々を解放する生きた力。
このイエスさまの本当の福音に触れるとき、人は変わるのだと思います。

どんな頑固な人もどんな罪まみれの人もどんな絶望している人も、どんな孤独な人も・・・。
イエスさまだけが、人を造り変えることができるのだと思います。
私も現在、ザアカイさんと似たような状況ですが、それでもこの方に目を注ぎ、助けを待ち望みます。
主イエスこそ私の必要をすべて知っておられるし、欠点も愚かな点もすべてご存知で愛して下さいますから・・・。

その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人人を解放して下さるためでした。(ヘブル2・14-15)

主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。(ヘブル2・18)

サマちゃん
久しぶりのコメント。感謝しました。サマちゃんの信仰jが主にあって祝福されますように~。

山ちゃんさん
主に救われている方。どうぞご自分の人生で主イエスの栄光を現わすことに力を注がれますように。
主に喜ばれる人生を送られますように。
真理が山ちゃんさんを自由にしてくださいますように。
ただ祈ります。

enjeruさん、いつも尊い祈り、コメありがとうございます。

東関東は今のところまだ、致命的な被害は出てないようです。今夜遅く(って、何時ごろまでなんでしょう?)までが峠だとか?この分で行けば、何とか無事通過してくれるでしょう。

いつも貴重な証しありがとうございます。

私の周りでも「死んじゃいけねえよ」と言う人が多いですが
いつかは死ぬわけで・・・

私としては、前世の記憶のないまま、また再び、この物質世界で苦労するよりは
パラダイスでその時までのんびりするか・・・
ゆっくりと寝ていたいですね。

私は死んだ事ないので(って、当たり前ですが)
絶対こうなのだ!とは言えませんが

具体的には、第一テサロニケ4:13以降読む限り
眠ったような状態なんでしょうかね?
意識はあるんでしょうかね?
パラダイスとは、一体どのような所なのでしょうかねえ~?

ま、苦しくないことだけは間違いないでしょう。

バルナバ様
勉強になります。拝
どちらがイエス様を信じてないのでしょうか。
(どちらも信じておられるならば幸いと存じます)
恐縮ながら貴殿は馬ではございません、イエス様の信徒でございましょう。
そのように打たれて殻に閉じ篭ってもよいのですが、イエス様はそのような御見解を御望みでしょうか。
尊い贖い主であらされるイエス様の御真意を現在のキリスト教の人たちが実践なさっているならば幸いと存じます。拝


>とでも言うのでしょうかそれを説いている。(それが結果的に生まれ変わりの否定に繋がる)

2500年前以上の事であり、加上されている事も含め打たせていただいたのです。
文脈的に味噌糞一緒にし“生まれ変わりは無い”という風に惑わし捉えかねないゆえに打たせていただいたのです。
人物を例に出しスピリチュアルも否定なされている本なのですから(権威付けし見えないものは無いという“逆洗脳本”ともなりかねない)。
この引用された書籍につきましてナニを意味しているのかも含め念のために置いておきます。

既述しましたように、どのような教えがあってもよいと存じます(また釈尊の教えではなく誰でも知っておられる初歩的な真理でございます。恐縮ながらどうも気付いておれないようですが内容的にもイエス様も同義を説かれたのです、ですから凄いのです。畏れ多い事にイエス様を釈尊より下に見られる方も多いですが)。

ただそれは“道理が備わってから初めて全ての人<生物等含め>にとって有益な教え”となるのです。
真理とは、まずは“十善”でございます。
(これは曲げられない事実でございましょう)
これの逆を行為・行動とすれば世はどうなりますか?
(何でも自由ではなく、人に備わっていなければならない必要なものなのです)
全ての基本・基礎なのです。

でございますから、

『それがその人の段階と存じます(“十善の逆の世を求めているのでしょうか”)。
つまり“洗脳も含め”霊性がそのような段階だという事。』

このように打たせていただきました。

また、

『このような発言をしろとイエス様は仰ったのですか?
他を傷つける行為・行動でございましょう。』

とも打たせていただいたのです。

もしこの当たり前の十善等(人としての基本・基礎)が備(実践)わってないならば“世の調和・繁栄を乱すカルト”なのでございます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/カルト

そのような“偽宗教は人類に必要ない”のです。
(イエス様もそのような事は一切仰っておりません)

ですから『“人為的な黙示録を何卒望まないよう”に願います。(すべては“人がワザワザ争いを起こしている”悪業でございましょう)』

と打たせていただいたのです。


現在の信徒の人たちは本当に、およそ2000年のイエス様(神)が望まれた行為・行動をしているのでしょうか?
(『武器を作れ、戦いをしろ、利息をとれ』とは仰ってないと存じます。畏れ多いことでございますがイエス様が現在の世におられるならば、どのように人々に働きかけるでしょうか)

という意味でも洗脳(副題:スピリチュアルの妄言と精神防衛テクニック)という本を紹介されておりましたので打たせていただいたのでございます。

真理ならば方向性は同じでございましょう。
イエス様の素晴らしさを打たせていただいているのですから。
とても有意義で楽しかったです。
ありがとうございました。拝


サマリア人様
>善悪は 人間には 判断が そもそも 難しいのです。

上記文言はよく云われる事でございます。
失礼ながら全てをナアナアとする魔(悪魔)の教えと存じます。
ゆえに、その当たり前の基準がないから世が乱れているのでしょう(ですがイエス様の行為・行動と、なりよりも“十戒”があるではないですか)。
またこれにより『押し付けがましい』という防御機制等で誤魔化すパターンをする人もおられますがそのような問題ではないのです。
つまり“基準を知らないのですから実践もなさっておられない”と云われていると同義ともなり、人々を惑わしかねない。
口だけでは意味(内実)がないのです。

このようにございますから恐縮ながら何卒、人としての基礎・基本(十善)をまずは実践し、“イエス様の行為・行動を広め”御実践なさってください。

しなければ“カルト”なのですから。
(恐縮ながら今のキリスト教?の行為・行動は尊いイエス様に罪を着せていると存じます。罪を着せてないならば何千年もキリスト教を自認?する国等に拝金教が蔓延り戦争はありますまい。イエス様の教えをどのように解釈すればこうなるのか?何たる悲劇茶番か)

勉強になりました。
ありがとうございました。感謝!

―抜粋開始―

苫米地英人著「洗脳」
スピリチュアルの妄言と精神防衛テクニック

第1章 まやかしのスピリチュアリズム
第2章 カルトという裏ビジネス1―カルトの成り立ち
第3章 カルトという裏ビジネス2―カルトの巨大化
第4章 カルトvs脱洗脳家
第5章 禁断の洗脳テクニック1―洗脳の基礎知識
第6章 禁断の洗脳テクニック2―支配者の洗脳手法
第7章 洗脳護身術

アマゾンのレビュー等も御参照下さい。

―抜粋終了―


権威付けもよいですが、それが何を意味しているのかを考えていただきたい。
“逆洗脳”にもなりかねない(洗脳の洗脳に使われるならば、笑い話にもならない)。
ただ見えないものは無い。魂が無い等の流れにも利用されかねない。

“世を乱し破壊するカルトからの脱却”として有意義に御読みになればよいとは存じます(色々打ちたいが割愛。凶悪事件等の後どのような法案が成立しただろうか)。

念のため著者経歴もウィキペディア等参照下さい。
戦争も含め、日々人がカネの為に人を騙し殺すような信じられない世なのです。
このような事実を鑑み笑い話にもなりませんが、アジェンダに『すべての宗教の撤廃』項目がある事もお忘れなく。
(映画監督等が告白しその後どうなったのか)
現在は宗教に対して人々はどのように感じているだろうか。
も、含め見れば興味深いと存じます。


因みに、このような書籍を引用するならば、キリスト教の復活等(奇跡)はどうなるのか。
(一般の人から見れば見れば“復活”こそ奇跡。死んだ人間が蘇る。映画等でも茶化していましたが。イスラームではニュアンスですが「骨からも復活する』等々。それも見えない力でございましょう)

ある意味におきまして遠まわしに、三大宗教(分派含め)もカルトだと云っているようなものでございましょう。
(『死ねば天国に行ける』等々を心無い人たちに利用され、現実を蔑ろにし宗教?等によって世は破壊され乱され何千年も戦火に見舞われたのは事実でしょう。このようなものはなんと呼ばれますか?)

また、この本を引用する矛盾等(流れ)に気付いておられない。
因みに副題にあるように有名な方を例にとりスピリチュアル等も否定しているのです。

これは“念のために”打っております。
見えないものは無いと信じる教(無宗教・拝金教)に誘導されないように願い上げます。


「一瞬で相手をオトす洗脳術:禁断の「一目ぼれ」テクニック 」という書籍もあるようです。
是非読んでみたいものでございます。

それでは失礼致します。
ありがとうございました。拝

ザアカイさん、
大した被害がないようで感謝!

>眠ったような状態なんでしょうかね?
>パラダイスとは、一体どのような所なのでしょうかねえ~?

C・H・スポルジョンの言葉を紹介します。
 
ああ、主にありて死ぬる人は幸いなるかな、
彼らはその労働かより離れて休息する。
そしてその業は彼らに従う。
その静かな休息は、神が彼らに十分な報いを与えるために彼らを呼びさまされる時までは、決して破られることはないであろう。
天の御使いに守られ、永遠の神秘に包まれて、栄光の相続人たる彼らは眠り続ける。
彼らが目をさました時はどうであろう!
彼らは最後のいこいの場所に横たえられた時、疲れ果てていた。しかし、起き上がるときはそうでない。
彼らは安息に入った時は額に皴があり、その顔は憔悴しきっていた。しかし起き上がる時は、美と栄光をまとっている。
見るかげもないしなびた種が、美しい花となってちりの中から咲き出る。
墓の中の冬は去り、あがないの春と栄光の夏がやってくる。
死は幸いである。
なぜならその時、神の力が私たちの仕事着を脱がせ、朽ちることのない結婚の晴着をまとわせるからである。
「イエスにあって眠れる」者は幸いなるかな!

私個人としては、死んだ瞬間、霊はイエスさまのもとへ行き、肉体は携挙のときまで、墓の中で安息していると思っています。
ま、すばらしい所には違いありませんから、楽しみですね!
今の試練も苦労もすべて忘れてしまうほどいいところなのでしょうから・・・。
時々、永遠に生きるって・・・どういう時間の流れが続くのかな?と思うことがあります。

内実さんおはようございます。
>どちらがイエス様を信じてないのでしょうか。
(どちらも信じておられるならば幸いと存じます)

 貴方はイエスさまの何を信じているのですか?
言葉ですか、行いですか、贖いですか?

私は黙示録の世界だけを待ち望んでいるわけでは有りません、
黙示録は神の裁きであり、イエスさまを信じる者には希望です。
貴方がイエスさまの救いを受け入れていれば当然黙示録に希望を
見つけると思います。

苫米地英人氏の引用という体裁を取っていますが、この場合はモトイさんのブログの
引用ですし、聖書自体が権威なのですから何かに依って権威を付ける必要も無く
今回のエントリーも基本は聖書です。例外的にヨハネがエリヤの生まれ変わりだと仮定しても
それで全ての人が生まれ変わるということにはなりません、なぜなら、『エリヤは来る』と預言されているからです。
主の訪れの道備えをするために特別な使命を与えられているのですから。
神が人を創造したのは神ご自身を礼拝させる為でした、それも自由意志においてです。しかし人は神を離れ自由気ままに
生きノアの時代に洪水に依って滅ぼされました、モーセの十戒において正しい規律ある生活に依って救おうとしました、しかし、
もともと神を離れた人々はそれを行うことが出来ません、最後にご自身が人とな全人類の罪の身代わりの為に十字架に掛かったのです。
そして神の身代わりは自分の為だと信じ受け入れた者を救うという福音です、この事が理解できなければイエスさまを信じることは出来ないのでは
無いでしょうか?内実さんがこの福音を受け入れていればその他の事はあまり重要ではありません。


enjeruさん、スポルジョンの引用ありありがとうございました。
慰められますね。

話は変わって
最新のエントリーにもキリスト教の基本概念を書きましたが
私の基本的考え

人間の良心等というのはあてにならない、絶対基準を聖書に求めるしかない。
人間はどんなに努力、修行しても神の基準に到達することはできない。
律法を100%完璧に行えば救われるが、人間には誰一人として不可能であるとうことは歴史が証明している。
あのモーセでさえも出来なかった。
よって、救いが必要であるという、徹頭徹尾他力本願というか、キリスト本願。

どうしてもキリスト者としてのバルナバさんのコメントに同意してしまいます。

内実さんはキリスト者ではなく、様々な宗教に精通した修行僧のような方ではないでしょうか?
違っていたらすみません。

ただ誤解していただきたくないのですが、それはそれでいいのであって、否定、非難するわけではありません。
信仰の相違ですから、私がどうこう言うのは余計なお世話でしょうし。


内実様
はじめまして。

善悪の判断が難しいのは事実ですが、
モーセの十戒 そして なによりも 大切な教えは 神を愛し、自分を愛するように人を愛するということ。
そして、ひとの罪を 自分が許されたように ゆるすこと。

これは、クリスチャンとして、大切なおしえであります。
これを 軽んじるものではないのです。。

でも、イエス様がなぜ、律法の完成者であるかは
その、恵みと 憐れみ、許し それが 最大だとおもうのです。
人間は、パウロがのべたように、 どんなに 良いことをしたいとねがっても、
実際は 罪を犯してしまうものです。
イエス様が許してくださるから、善行をしなくてもいいやとか、わざと罪を おかすのではありません。

罪とは、的外れといいます。
善悪を基本としては、理解していても、ひとは心の底まで 物事の本質まで見分けることはできないので、的外れな 善行や、良かれと思ったことをするものです。
そんな、自分の気付かない 罪を許してくださる、 イエス様の贖い許しを感謝していく。。。 それしかない。。。 そうおもうのです。

行いのないものは、意味がないということ。
わかります。 
わたしも、キリスト教の世界や。クリスチャンといわれる人々の矛盾に悩みました。
神への信仰が 中途半端なままで、去年まで教会にもいきませんでしたから。
しかし、立派な人間には 間違いをおかさない 本当の善人には救いは必要ないんです。
聖書にも、善人は一人もいないとありますから。

聖書にもヤコブ書にもありましたね。。

しかし、 ヨハネの6章29節
「イエスは答えて言われた。『神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。』」
とあります。

善行をすること、それ以前に 主を信じることが業なのです。
信仰によって、すべてが可能になる。
つまり、信仰というエネルギーがあれば、善行やほかの 徳のあること、
良いことを おこなうことが 神に成長させていただく。。という助けによって できるようになる。。
もしくは そういう 回数?がふえていく。。そういうことなのだとおもいます。

クリスチャンであろうと なかろうと、 私も 少なからず 鬱になった人間ですから、いえるのですが、 人はなにかをするには、自分への信頼
人への信頼なしには、何も行えないんです。
動くことすら できなくなるんです。
信頼とは、生きる活力、エネルギーなのだと、ふかく思います。

神の言葉はパンです。 エネルギー源なんです。
どうしても、エネルギーが弱まっている時は、良いことをできなくなるものです。

神は 私たち一人一人の心、背景、性格をご存じですから、 人間のように
表面的な主観や 偏見、間違った情報で だれかを さばいたり、 非難されたり、
罪のない人に 濡れ衣をきせたり、冤罪になることはないです。


神は私たちの 強さも、弱さも すべてをご存知です。
わたしは、完全で不正のない 善悪の判断ができる正義の神を信じて 頼りにしておりますが、
弱い者への愛と憐れみをも 持ち合わせるからこそ、
父として 愛することができるのです。。

私は 最近 洗礼を受けるまえは、神に対して畏怖の念といいますか、尊敬の念がつよかったです。
恐れもありました。。 信仰といっても、愛を込めたというより、恐れ、敬意でした。
でも、いまは、愛情ある神の特質に 感謝し、信頼しています。

エンジェルさんにも、私はとても 影響をうけました。
最初は、彼女の 愛するイエス様。。。という言葉に、 う。。。ん。わたしは どちらかというと 敬慕するイエス様というかんじだよな。。と 思ってましたが、 洗礼をうけ、 ザアカイさんはじめ、この子羊通信の住人のかたに
キリストへの愛と信頼を 教わってきました。
いまでは、愛するイエス様と、心からいえるようになりました。(*^-^)

サマちゃん、いつもありがとうございます。
まだ日本にいるのでしょうか?

それにしても・・・驚きましたよ!
いつの間にやら、冷静沈着なベテラン=クリスチャンに成長しちゃって・・・
十分に主の栄光を顕してますね。

彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。
語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。

マタイ 10:19~20

まるで、この箇所をこの目で見たかのようです!すごい!

サマちゃん、こんにちは。

>いまでは、愛するイエス様と、心からいえるようになりました。

まあ、サマ」ちゃん、なんてうれしい言葉なんでしょう!
洗礼を受けられてから、ほんと変わりましたね。
イエスさまが、人を造り変えるというのをサマちゃんを通して見る思いがします。
ザアカイさんやわたぴ~さん、バルナバさん、モトイさんや皆さんの支えで霊的に成長されたのですね。
感謝!これからもお交わりよろしくね。
私、やっと旧約聖書、読み終わりそうです。おそ~(笑)

私の好きな御言葉プレゼントします。

  永遠の愛をもって、
  わたしはあなたを愛した。
  それゆえ、わたしはあなたに
  誠実を尽くし続けた。(エレミヤ 31・3)

>他のは米国人の4、5歳の男の子。第2次大戦のときの戦闘機乗りの生まれ変わりです。

山ちゃんです。8月27日に米国の男の子のことを書きましたが、それがyoutubeにありましたので、関心の在る方はご覧下さい。ただし英語です。
http://www.youtube.com/watch?v=_EWwzFwUOxA

上記のYouTube動画では、飛行機墜落の悪夢を何度も見ること、飛行機が大好きなこと、第二次世界大戦時の名前や状況を
知っていることを、輪廻の証拠としていますね。 
知っている=記憶を持つ、記憶を持つ=輪廻がある、と定義し、結論づけています。

キリスト者が推薦するビデオなら、神の力(あるいはサタンの策略)についての発言の一つも欲しいところですが、
聖書の一句も引用されず、輪廻は神の約束した永遠の命、という母親の解釈のみです。
それどころか輪廻を信じるカウンセラーの
「ユダヤ教キリスト教文化の影響が少なくなった現代こそ過去の記憶がよみがえりやすいのです」
という、ニューエイジ思想(反キリスト)の発言を取り上げています。
番組は信仰と科学の対決といっていますが、実質はキリスト信仰とニューエイジ信仰の対決ですね。

最後にデータの出処も明かさずに、ユダヤ・キリスト教徒の頭数は自己申告でカルトを計算に入れているか否かも
明らかにせず、
「仏教、ヒンズー教は輪廻を信じています。ユダヤ教徒の1/4、キリスト教徒の1/4も輪廻を信じているのです」
番組を締めくくっていますね。このあたりに製作者側の意図が表れていませんか。

ここはザアカイさんのブログです。あなたが自分の思想を世に宣伝したいのであれば、他人の敷地でなく、ご自分の
ブログを立ち上げてそこで行ってはいかがでしょうか。

ザアカイさん、 agua さんおはようございます。
agua さん頼りになりますね。催眠術で過去性を探る時、催眠を施す人の
意に沿った回答をするそうですが、『記憶は嘘をつく』という事もあり、サタン
による記憶のすり替えも考えられます。
>「ユダヤ教キリスト教文化の影響が少なくなった現代こそ過去の記憶がよみがえりやすいのです」
山ちゃんはリンダさんの翻訳をされていますよね?するとその動画の意味も理解されているはず、
あなたはキリスト者なのですか?

つっこまれる前に訂正しておきます。
>ユダヤ教キリスト教文化の影響が少ない「現代」
ではなくて、文化の影響が少ない「年齢」の今こそ過去の記憶がよみがえりやすい、です。

番組から抜粋: キャロル・ボウマン(輪廻研究で知られる作家、カウンセラー、セラピスト) 
「私達はとても幼い時期から、この文化、ユダヤ教キリスト教文化の中で、輪廻は存在しないと教えられてきました。」
「彼ら(この年齢の子ども達)は文化によって(心理的に)条件づけられておらず、この(今の)人生では経験を重ねて
いないので、(過去の)記憶がより簡単に浮かびあがるのです。」

おはようございます、aguaさん、バルナバさん。
ここでの生まれ変わりの討論は終わっています。
お二人のメアドを教えて下さいませんか。
ご返事を差し上げます。

あきれ返って、もう何も言う気も起きないのですが
管理人としてひと言だけ。
(何回言わせりゃわかるのよ?)

>ここでの生まれ変わりの討論は終わっています。

→だったら何故?you tube 動画をわざわざ紹介して
挑発、煽るような事をするわけ?
そして自分に都合の悪い質問には決して答えようとしない・・・
カルトの特徴そのものです。
どう客観的に見ても、aguaさん、バルナバさんに論破されているのを
認めようとしない。

「直接メールください」などとよくもぬけぬけと、人様のブログに書き込めますね?
頭は大丈夫でしょうか?洗脳って本当に恐いですね!
一人獲得するといくら報奨金もらえるか知りませんが、
こんな所で、新興カルト宗教の勧誘などしないでいただきたい!

最終警告とします。

これ以上、害毒まき散らかされては示しがつきません!
山さん、以後コメントを一切禁止させていただきます!
(随分と猶予を与えたつもりですがね?)

今後は遠慮なく削除します!
それでもわからない時は、プロバイダに、スパム、アラシとして
私の持っているあなたのアクセス情報を報告しようと思いますので悪しからず。

そんなにアピールしたけりゃ、他でやってください。
ニューエイジ系のブログとか?いくらでも賛同者はいることでしょう。
それなら私としても何も文句を言いません!
あなたみたいに、出張っていってネガティブ=コメントすることもしません!

これでも一応?「正統派」キリスト教と主イエスの救い=贖い、復活、再臨を信条とする
ブログをやっているつもりです。

我々から、真正なる聖書の御言葉、十字架の救いを奪い去ろうとするサタンに魅入られた邪悪な力よ
今すぐここから出て行け!!

主イエス=キリストの御名によって命ずる!

(どうしてここまで書かねばならないのでしょうか・・・ブログやっていて初めての経験です)

ども、わたぴ~です(vv)

さて、ここでワタクシナなりに、ハッキリ申し上げておきましょう。

今回、コメントを寄せられた方が述べられた「エリヤが来る」と輪廻転生の件ですが、
ご本人の主張している答えと、ご本人が述べている内容が

「全く正反対のもの」

であることを、皆さん気付いておられますか?簡単に言えば、自分で自分の首を絞めているということです。
ですから、今回の「エリヤが来る」と輪廻転生の件に関して、ワタクシ個人の解釈云々という以前に、
彼自身が、彼自身の言葉として、コメントを通して、彼の主張していることと「全く正反対の結論」を述べているのですよ。
これは信仰云々、解釈云々以前のことです。

また、少し厳しく言わせていただければ、常連のみなさん。コメントを下さる方々。
各々、単に「自分の解釈はこうだ」ということとは別に、どこがどう違うのか認識できていますか。
これは決して、ワタクシの考え方が絶対正しいとかとか、強制したり押し付けようという意味ではありません。
ワタクシの老婆心による取り越し苦労ならよいのですがね。
偉そうに聞こえたのならスミマセン。そういうつもりはありませんのでご理解下さい。m(_ _)m

これまでワタクシは皆さんから「ひょっとして、牧師さん?(勿論、違いますよ( ̄ω ̄;) )」、
「正体何者?」なぁ~んて冗談まじりで言われてきました。ええ、ワタクシの正体は「ただの中年デモクリオヤジw( ̄▽ ̄;)w」です。
・・・と、これではいつものペースで話が進みませんね。(;^_^A ネット上なので個人情報云々ということもあり、
全てをお話するという訳にはいきませんが、以前のワタクシは

「表面上は信仰義認でありながら、実際は律法を重視する元カルト律法主義者」です。

ま。勘の良いかたなら薄々お気づきでしょう。
ですから、経験上という意味でいえば、「匂い」でわかるんですよ。たとえ文章だけであっても、
同じ(カルトという意味で)「虎の穴」出身ならね。
それなりの場数も踏んでますから、一般論としてのカルトの知識や傾向だけでなく、
実際の洗脳や惑わし、やり方を文字通り体験を通して知っています。(-_-;)
(ワタクシの経験による考えが全て正しいと言っているのではありませんよ)

これからは惑わしも一層多くなり、霊的に目覚めていなければ危険度は増していくでしょう。
ですから、常連のみなさんは勿論、このブログをご覧になっている大勢の方々、
祈りをもって今一度、自分の信仰をしっかり確かめ、保っていきましょう。

もう一度言っておきます。
今回の件を通して感じられたこと、聖書理解を今一度よく吟味、整理しておきましょう。
それは今後、同じようなことがあった時に、相手を説き伏せるための準備としてではなく、
自分の信仰を、自分の責任において果たしていくためにです。

ブログ管理人としてひと言・・・って!ここんとこ、こればっかりやないかい?(関西弁変換ソフトがあると聞いてはるんどすが・・・って、京都弁だとこれでええのんか?)

わたぴ~さん、オオトリありがとうございましたm(__)m

ザアカイさん、わたぴ~さん皆さんおはようございます。
ザアカイさん、京都弁やったらこんな感じと違うやろか?
『ここんとこ、こればっかりやは、ほんと、えいかげんにおしや、この暑いのに、難儀子やわ~』

わたぴ~さんの言っていること考えてみました。
もしかして、エリヤは死んでいないって事ですか?
実は私熱くなってその事を忘れていました。

ども、わたぴ~です(^-^*)

バルナバさんへ

>もしかして、エリヤは死んでいないって事ですか?

残念でしたぁ~・・・って、クイズじゃないってぇ~の!(>▽<;;
エリヤの最後に関しては、ワタクシも理解に苦しみます。それはモーセの場合も同じです。
また、山上の変貌の際にモーセとエリヤが顕われますが、肉を伴なって顕われたのか、霊としてなのかは記されていません。
ただ、ワタクシの解釈においては「エリヤは死んでいなかった」という前提には立っておりませんので。(vv;)

神は、ヨブの苦難の原因について答える代りに、神が世界の創造者であり、ヨブは被造者に過ぎないという「事実」を指摘していますね。
「伝道の書」においては、有限な人間は無限な神から与えられた人生を喜んで受けとればよいのであって、
それを応報主義という人間の理屈で説明しようとしてみても空しい、という事も書かれています。

「転生」「転生」という言葉の定義は、人が新しい人生への出発として「赤ん坊の体で生まれてくる」事を意味しています。
「別人になった」という話は、「再出発」ではなく、「一つの人生の継続」であって、この場合は「人格移動」と呼んだ方がふさわしいかもしれません。
また、これらの事と「憑依」を混同している場合もあるでしょう。
自分自身の本物の記憶なら、決してぼんやりした記憶や飛び飛びの記憶にはならず、
大人になってからの記憶だけで綴られる事もありません。また、幼児体験も含めてしっかりと「連続した記憶」になっているはずです。
しかし、実際「輪廻の記憶」と言われるものは、悪事や恨みを思い起す事が無く、飛び飛びで曖昧で都合よくカットされています。

さて、「エリヤがきた」の件については、全て書いていると、またザアカイさんにご迷惑がかかりますので。(゚ー゚;A
とりあえず、ザアカイさんがお許しがでれば、ポイントだけということで・・・
別にウチの方でやっても良いですしね~。

え?(`∀´;)、ハナからそんなもの期待も望みもしていないってぇ~!

お呼びでない? こりゃまた失礼いたしましましまし○×▽◇・・・・(あ、舌噛んだ((^┰^))ゞ)

バルナバさん、京都弁講座ありがとうございました。
「~やないかい」というのは、大阪弁でしょうか。河内弁というのがあるとも聞いてますが(あの、べらんめえ調がそうでしょうか)?
神戸、大阪、京都で違うとは聞いてます。
ということは、和歌山、奈良、滋賀を入れるとこれまた微妙に違ってくるんでしょうかね?

こちらも、茨城、栃木、福島では似てますが微妙に違います。
不思議なのは、群馬は首都圏語と変りません!
千葉は都会ですが、千葉市を越えて、木更津、富津、南房総へ行くなら(年配の方だからかもしれませんが)、通訳がいなけりゃ何言っているかわかりません(笑)

わたぴ~さん、まいどです。

そもそも知る人ぞ知る、輪廻を説いている某カルト牧師自身(自分はムー大陸の神官だったらしい?)
「証明は出来ませんがね」程度の認識みたいですよ。

>とりあえず、ザアカイさんがお許しがでれば、ポイントだけということで・・・
別にウチの方でやっても良いですしね~。

→せっかくブログやっているんだから
ご自分のブログにアップしてくださいな。

ども、わたぴ~です(^-^*)

了解です。(vv)

では、「ご希望があれば」という前提でそうしましょう。その際はウチの方に

「聞かせてちょんまげ~!」ヽ(ω` )ノヽ(´ω`)ノヽ(´ω)ノ

とでもコメントしておいてください。「それとなく ( ̄▽ ̄;)」やってみます。(うわっ!テキトー過ぎ・・・ヽ(;▽;)ノ)
それから、あくまでも「個人的にこう思うよ~ヽ(○´3`)ノ 」程度のことなので、あんまり期待しないでくださいな。

こんにちは
無事にドイツへつきました。(*^-^)

ザアカイ兄  ベテラン デモ クリスチャン もどき。?。でした。
主を信じる信仰そのものが業という言葉は
モーセなどの 業の伴う 信仰によって義とされるともありますが、
それは 単に立派なクリスチャンになるというのではなくて、
従順という最大の業ということ これが信仰、神への信頼の強さからくることなのだと、 自分にもすごく
新たに 身にしみました。
サタンなどは、神の存在も力も信じていながら、不従順になった。。
それは、自分にとって 利益があるかどうかが気になって 仕方がなくて、
本当はすばらしい 賜物をいただいているのに 高慢と不従順から、誤用してしまった訳ですよね。。。

創世記の最初の 罪の始まり。。。蛇と最初の男女の会話 この 短い よく知られた話ですが。。
知っていても、どんどん その最初の間違いの重荷が 
今の自分にも 感じられ、かんがえさせられます。。

エンジェルさん すてきな言葉をありがとうございます。
神の誠実な愛 これに対する信頼が 愛と信仰なのですね。ヽ(´▽`)/

わたぴ〜さん
エリヤの件は なぞですよね。

ヘブルの4章 14節の
私たちのためには もろもろの天を通られた 偉大な大祭祀である 神のイエス。。
とありますし。。。 シュオルの慰めの場所が、その もろもろの天にあたったのだろうか。。???
シュオル 墓にははいらなかったけど、行った場所は イサクやヤコブたちと おなじなのか。。

エペソ4章10節には
もろもろの天よりも 高く上られ、

とあるので、エリヤがいった 天と、イエス様が上られた
天は全く違うから、イエス様は エリヤが もろもろの?天には昇っていても、ご自身以外は 天には昇ったものは いないと
おっしゃっていたのですかね。

どうしても 原語でないので、微妙なニュアンスが違うと 矛盾に感じたり、
チンプンカンプンに なるのですかね。。

小石牧師も、たしか 天やシュオルの様々な場所のなことを お話しされてましたよね。。。


わたぴ〜さん よろしくお願いいたします(=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

サマちゃん、無事ベルリンに着きましたか、感謝です。

しかしまあ、時差ボケとか平気ですか?
さっそくコメント入っていてびっくり!

かなり昔のことですが、ロンドンから日本に帰ってきて
二日間は時差ボケで、何にも出来ませんでしたよ。
今回は残念ながら、オフ会に行けませんでしたが
次回時間が取れたら是非・・・って、いつよ?
この世では無理だったりして?

ザアカイさん

じさぼけです。。。
朝は4時に目が覚め、よるは 6時には疲れて眠くなります。。
まるで、農家の人のような 健康?な  いや。。。中世の時代に
さかのぼったような感じでしょうか、、、
昼寝など 休憩をいれて、コーヒーをいつもより 多めに飲んで、むりやり
目を覚ませて 通常の生活に戻す予定です。
せめて 8時に寝るくらいに。。。

オフ会、また 機会があるようでしたら、
。。。でも、 どうなりますかね。 今年の動向。。

やはり時差ぼけ現象が出てますか(-_-;)・・・

今年の秋は・・・わからないけど、本気だったりしたりして?

此処わたしが締めくくりますね、
聖書は原則として文字通り信じるべきです。象徴やしるしの場合は明らかなコメントがあります。
初めに光りがありました。そして、上の水と下の水があったのです。昔は誰も上に水があるなんて信じませんでした。ところが無重力状態にあったら水は落ちてこないのです。紫外線や有害なものを遮断していたのです。だから昔の空はキラキラ輝いた想像を絶する麗しい空であったに違いありません。
「見よ。それは非常によかった」

人も最初は素晴らしい存在でした。プロトタイプの肉体とはいえ、人は死なないように創造されたのです。(後に栄光のからだに変化する余地があったとはいえ)エントロピーの法則で人間は堕落し素晴らしいレベルから落ちて、つまり良いものが駄目になった。
人間は死ぬものでも老いるものでもなかったのです。まして、生まれ変わって転生を繰り返すよいな霊魂のリサイクルなど創造主のお考えにはありませんでした。罪人になった人類をますます神から引き離す企みとして輪廻転生の罠を仕掛けたのは、はじめからの蛇サタン悪魔でした。汝らは決して死なない?

人間をサタンの罠から解放して救うために主イエスは地上に来られたのです!ハレルヤ

聖書が、創作か体験から伝承されているかは判断出来ませんが。
私が霊的体験で思ったことは、この世の理で聖書を読むと理解できないということ。
私の考えでは、聖書の編集者が、理解できない部分をその時代に合わせて改編したのではないかと思うのです。
聖書の矛盾を探すのではなく、自分が納得出来そうな部分を探して認めれば良いのではないでしょうか。

霊感の強い人なら体験していると思いますが、魂は肉体死すると意思や記憶で容易に分裂します。
肉体死直後の魂は霊的レベルが低く、現世の理を引きずって自由に動けないようです。
霊的に近い者や縁のある場所なら動けるようですが。
信仰で霊的レベルが高い魂か、目的意識の強い魂は、自由に動けるようです。
霊道に沿って霊はいるし、霊的宗教世界に続く霊的ゲートも近くに複数ある。
霊的ゲートに近づくと、人ではない、大きくて畏怖を感じる。
霊的ゲートが見えていても、役目があるため、この世にいる魂もいる。
霊的ゲートに入れず、さまよう魂もいる。また、それを追いかける黒い魂もいる。
霊的ゲートには、良い雰囲気や悪い雰囲気のあるものがある。
ゲートの雰囲気は、宗教によって違うようです。
魂は不透明で丸いが、こちらに知識があれば人の姿が見える。
霊感の強い人は、魂の流れから輪廻転生が何を意味しているのか直感で分かるのではないでしょうか。

そこで霊的な体験から推測した考えを述べます。
魂の一部で信仰の部分が、霊的宗教世界(魂が集まって出来た世界)に入り、その魂の欠片は宗教的安息を得る。
霊的宗教世界に続く霊的ゲートは、形状や大きさは複数あり、三位一体説はそこから出たのかなと思う。
魂に信仰がなければ信仰用霊的ゲートは見えず、さまよいます。
魂の残りは、他のゲートに行くか、現世にさまようか、転生用ゲートに行くような気がします。
転生場所があり、そこは単独では意思を保てない魂の欠片が集まっており、何かの条件がそろうと転生するのではないでしょうか。

聖書に書かれてる内容を、ただ信じるだけではだめでしょう。
おそらく、信じるというよりも、そこに確かに存在するものとして認識していないとダメだと思われます。
霊魂との接触も、こちら側に知識があれば物理的に存在しているように感じ取れます。
聖書の内容もキリストも事実として受け止めれば、肉体死で魂が自由になったときに、見えるようになるのではないでしょうか。

懐かしいエントリーです。
昔霊感のあった者様、参考になりました。
ま、確かに人間の理解に絶対と言う事はありませんし、ましてや目に見えない領域ですからね。
ありがとうございました。

>カトリックの遠藤周作さんには悪いけど、ユダヤ教やキリスト教的には輪廻転生生まれ変わりな概念はありません。

あらら。
残念ながら、原始キリスト教では、輪廻転生はあるとされていました。
しかし、ニカイア公会議で、聖書は書き換えられ、輪廻転生はないとされてしまったのです。
しかも、イエスは、エッセネ派に所属しており、このエッセネ派は、チベットの大乗仏教となって受け継がれたのです。
そう、イエスは仏教徒だったのです。
驚きでしょう?
イエスは、ゾロアスター教とジャイナ教の影響を受けていますので、これらの宗教を信仰する方が正しく生きられるかと思いますよ。

続けて失礼。
書き忘れていました。
イエスのことを知りたいのであれば、「聖イッサ伝」を読むことです。
聖書よりも正しいキリスト教を学べるはずです。
なお、日本において、比較的イエスの教えに近い宗教が、実は国によって弾圧されたオウム真理教だったのです。
オウム真理教も、大乗仏教から学んでいますよね。
信者は白い衣装を着て、一日2食の聖人の食事を摂る。
食事は菜食です。
不殺生戒。
瞑想。
エッセネ派は、モーゼの教えを正しく受け継いでいたそうです。
日本に存在する仏教も影響を受けていますが、この仏教に10戒が存在していますよね。
これも、モーゼの教えです。
なので、正しく守りましょう。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/187398/46044323

この記事へのトラックバック一覧です: キリスト者として、輪廻転生について考える:

« 2009年秋が来る | トップページ | キリスト教を理解するにあたっての基本 »