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2008年12月11日 (木)

旧約聖書~エレミヤ書より

私の苦手とする聖書ネタです。久々にエレミヤ書を通読し終えました。と言っても、自慢じゃありませんが、4回目(^^ゞ・・・旧約聖書はボリュームもあり、根気が要ります(-_-メ)。

ちなみに一番読んでいるのは(いわゆる通読で)、「ヨハネの黙示録」(これだけは10回以上(ーー;))、次に「マタイ伝」、その次が「ダニエル書」でしょうか?やはり、おかしなクリスチャン、頭がイカレてますね(涙;)。

やはり読み終えて思うのですが、エレミヤ書のトータル的なテーマは「警告と裁き」であると感じます。

炎上するユダ王国、バビロンに破壊の限りを尽くされ、累々と築かれた屍の中で、呆然と立ち尽くすエレミヤの姿が、まるでつい最近のことのように脳裏に浮かぶかのようです。

イザヤはペンを炎につけて書き、エレミヤは涙に浸して書いたと言われるように、何ともいえない「悲惨、哀愁」を感じずにはいられません。

主よ、あなたがわたしを欺かれたので、わたしはその欺きに従いました。あなたはわたしよりも強いので、わたしを説き伏せられたのです。わたしは一日中、物笑いとなり、人はみなわたしをあざけります。

それは、わたしが語り、呼ばわるごとに、「暴虐、滅亡」と叫ぶからです。主の言葉が一日中、わが身のはずかしめと、あざけりになるからです。

もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火の/わが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません。

エレミヤ 20:7~9

私は、エレミヤ書と言えば、ここの箇所を真っ先にイメージします。言いたくないことを言わねばならないエレミヤの心境は如何ほどだったでしょう。預言者の厳しい使命とは我々の想像を絶するものだったことでしょう。できることならごめん被りたい・・・つらい働きだったと思います。

私がやっているブログなど「幼稚園児のママゴト」みたいなものであると、つくづく痛感させられます(T_T)。私などが間違って?エレミヤみたいだったなら、3日と持たず発狂することでしょう。

そして炎上し、破壊の限りを尽くされ、掠め取られたユダ王国の姿が、これから来るであろう、

「終末の背信に走った裁かれるべき教会」

「罪が究極まで積みあがった現代物質社会」

とダブって見えてしまうではありませんか。

過去のものではなく、これから訪れるであろう「終末の姿」に思えてなりません。覚悟だけはしておきたいものです。嘘つき呼ばわりされようと、おおかみオヤジ扱いされようと、これだけは私も言っておこうと思います。これだけは必ずこうなるはず。他人事、かつてあった悲劇ではない・・・確かに「神の激しい怒り」は全地に注がれることでしょう。

残念ながら、宇宙人がやってきて、マザーシップに引き上げられ次元上昇するなどという、都合の良い事は起らないでしょう。このようなことを信じている人は、まず間違いなく慌てふためき、命乞いをしても真っ先に裁かれます。

ちと脱線。しかし読んでいて暗く、気分が滅入って来る中においても、私は一筋の光をも見出すのです。これから世は、こうなるであろうが、単なる「容赦なき裁き」では終わらないと思う。甘いかもしれないが、「警告と裁き」だけではないと感じる。もちろん、生物学的に言って、この世の命を失う=死ぬことはありえますが、確かに全能なる万物の創造主たる神は憐れみ深い。予断ながら、積極的にサタンの働きに加担しなかった者まで地獄の業火で永遠に苦しめ続けるとも思えない。

主は言われる、その日その時、イスラエルの民とユダの民は共に帰ってくる。彼らは嘆きながら帰ってくる。そしてその神、主を求める。 彼らは顔をシオンに向けて、その道を問い、『さあ、われわれは、永遠に忘れられることのない契約を結んで主に連なろう』と言う。

エレミヤ 50:4~5

* 解説:イスラエル、ユダの民は、文字通り現代のユダヤ人(サタニスト=カバラ主義ユダヤ教徒は論外)の末裔も指すでしょうが、霊的なたとえの意味合いでは、現代の霊的イスラエル=真実なるクリスチャンを指すと解釈します。そして、これからも「キリストによる救い」を信じる方が益々起こされることでしょう。そう、嘆きながら帰ってきて、神を求めるはずです。

イスラエルは、ししに追われて散った羊である。初めにアッスリヤの王がこれを食い、そして今はついにバビロンの王ネブカデレザルがその骨をかじった。

それゆえ万軍の主、イスラエルの神は、こう言われる、見よ、わたしはアッスリヤの王を罰したように、バビロンの王とその国に罰を下す。 わたしはイスラエルを再びその牧場に帰らせる。彼はカルメルとバシャンで草を食べる。またエフライムの山とギレアデでその望みが満たされる。

主は言われる、その日その時には、イスラエルのとがを探しても見当らず、ユダの罪を探してもない。それはわたしが残しておく人々を、ゆるすからである。

エレミヤ 50:17~20

* 解説:イスラエルは、真実なるユダヤ人と真実なるクリスチャン。おそらくアッシリアがアメリカ、バビロンは、おそらく、EU、中国のいずれかだろうと思われる。そして激動の終末からキリストの再臨、千年王国へ。そしてついに!涙がまったく拭い去られます。

そしてキリストの尊き血で贖われたレムナント(残りの者)が、キリストゆえに罪赦された時、主イエスを王とした新しい時代が訪れ、我々は重荷を降ろすことが出来ると私は解釈します・・・

このようなシナリオならば、私はたとえハズして嘘つき呼ばわりされてもかまいません。信じるだけでも価値がある。

年末になって暗いニュースばかりですが、私はまだギブアップしません、このような未来予想図がある限り。途方にくれても行き詰らないと信じます。極端な話、主にあって休みに入る者は幸せであるともあるから・・・

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主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

「わたしの生まれた日は呪われよ、母がわたしを産んだ日は祝福を受けるな。

エレミヤ20:14

エレミヤはわたしには太宰と重なります。人間失格の大庭葉蔵に

太宰治 津島修治さんは津軽のセレブな名家に生まれ 生涯自分はブルジョアとして滅亡しなければならない人種というインナーイメージの十字架を背負い「生まれてきてごめんなさい
と悲痛な叫びを小説を通して語らせました。モデルの押切もえさんも太宰の演じる人間に共感して「DVD太宰治」に出演しています。
ギレアデに癒す油バルサム油はないのか。
太宰自身が エレミヤの悲痛な叫びの聖書に人間の「凄まじいもの」を語っています。

「神に問う。無垢の信頼は罪なるや?
「いっさいは過ぎていきます。わたしがこれまでの生涯で唯一悟った真理 それはいっさいは過ぎていくことです。

6月13日愛人と玉川に入水心中した太宰

…もう少しの勇気があったなら

主の慈悲の光を信じられたなら

エレミヤ31:17-25

アンちゃん、ハードボイルドなコメありがとうございました。
私、文学はあまり詳しくないのですが、太宰治と芥川龍之介の双方か一方か忘れましたが、自殺したかたわらに聖書が置いてあったと聞いてます・・・・

>「わたしの生まれた日は呪われよ、母がわたしを産んだ日は祝福を受けるな。
エレミヤ20:14

→・・・ここも重い言葉ですわね・・・「人間は悲惨を知らなくては一歩前に進めない」と私は考えるのですが、前進できず、脱却できずに押しつぶされてしまう人がいるのも事実・・・自分とて、「絶対こうはならない」とは言い切れない・・・

特に長年延々と、自分が築き上げてきた世界が、信じて疑わなかった世界が、あっさりと音を立てて崩れ去るのは、人間なかなか耐え切れるものではありません・・・

太宰や芥川が真実なる福音を聞いて、理解していたならば・・・結果は違ったものになっていたかもしれませんね・・・
かく言う私も、幾度となく揺るがされ、悪態ついて・・・現実冷や飯食わされ続け、それでもどっこい生きているわけで・・・何故だかわからない、忍耐しきれるかわからない・・・奇跡に近いです。

こんにちは
自分は創世記を読んで出エジプト記に差し掛かったところです
しかしヨセフの話と言い、モーゼの話と言い、どこか現代と共通するところがあるように感じますね
苦難があって、主が憐れみを与えられて・・・ヨセフの場合は事前に準備するよう啓示まで与えられていますし、苦難や悪に見えることも後から憐れみを受ける為のものだったのだということが良く分かります
それと、ヤコブ(イスラエル)の12人の子どもへの祝福の中身を見ると、一口にユダヤ人といってもいろいろあることが分かりますね
豊かに祝福を受けた部族がある一方、まるで悪役になるかのような言葉を与えられた部族、奴隷のような役割を与えられた部族、ユダ族のはイエス様を予言しているかのようです
ところでギリシャの暴動はヨーロッパ各地に飛び火して、各国のギリシャ大使館で騒動が起こったりしているそうで・・・ベルリンでも騒動があったと聞きました・・・サマちゃんが守られますようお祈りします
ところでたった今アメリカ上院でのビッグ3救済の議論が壊れたというニュースが入りました。英語なので自分の読み間違いかもしれません・・・本当でしょうか・・・どうなるんでしょうか・・・
主よどうか皆さんに憐れみをお与え下さいますように

たろさん、こんにちは。おお!いよいよ出エジプトですか。確か旧約は初チャレンジだとおっしゃってましたよね?前もって言っておきますね(^_^;)・・・出エジプトの後半部分25章あたりから次のレビ記(-_-;)・・・旧約の律法の記述ばかりで、退屈で、初めて読んだのではうんざりします・・・しかし!わからなくてもいいから、とりあえず一日一章ずつでも、我慢して読んで下さいm(__)m。そのうち少しずつわかってくる箇所も出てきます。ここで躓く方が案外多いですから、健闘を祈りますm(__)m。

そうですか、ギリシャの暴動は飛び火ですか、みんな一般庶民は、鬱憤が溜まっているんでしょうかね?サマちゃんは、わたぴ~さんのブログでコメしてたから、たぶん大丈夫でしょう。
ローマも大暴風雨で道路が冠水しているようですね。テベレ川の水位がすごく高いです。ベネチアも一週間経っても、高潮から水位が下がらず水浸し状態みたいです(-_-;)・・・
なんだか嫌な感じです・・・前代未聞ばかりで。

>ところでたった今アメリカ上院でのビッグ3救済の議論が壊れたというニュースが入りました。

→確認したところ、本当のようですよ。いよいよ政府、FRBを含めた高度な?最終的政治判断で結論を出すんでしょうね・・・おそらくもう結論は上からの指示で、既にでていると思いますが・・・

みなさまこんにちは
たろさん、心配してくださりありがとうございます。(*^-^)
大丈夫ですよ、ギリシャの領事館が平和的に?選挙されて、抗議が行われていましたが。。。  といいつつ、まだ体調も気分もいまいちで落ち込んでます。(゚ー゚;
ザアカイさんが仰るように、政治の腐敗で市民のうっぷんがたまっているのでしょう。 わたぴーさんのブログのコメと重なりますが、このときばかりと、左翼と過激派の人々や、それに乗じた若者がやりたい放題しているのでしょうね。
先日、ベルリンで高校生が大学で教育の権利について平和的に?デモを行いましたが、パンク系の左翼のわかものがどさくさにまぎれて、大学内で器物破損してましたから。そんなものです。 暴動の波がひろがらないといいのですが。。

たろさん。わたしも、旧約聖書の通読、ぼちぼちしてます。レビ記以降、ペースが落ちましたが。。。ヨシュアから列王も内容がきつかったです。( ̄Д ̄;;
普通の歴史小説と違って、神の民の歴史ですからね。。。懲りない人々の神への不信をためいきをつきつつ、毎日自分の霊の弱さに気づかされる自分と重ねてしまい。。1章読むのもきつかったですよ。(そんなときは新約聖書で息抜きしました。)
列王まではなんとか読んだのですが、ちょっと歴史書をよむのに疲れたので。。歴代からエステルをとばしまして。。ダビデ王とソロモン王の関連もあったので詩編、伝道の書をよみました。。。いまはヨブ記を読んでいます。(*^-^)

サマちゃん、無事で何よりでした。

>いまはヨブ記を読んでいます。(*^-^)

→これまた難解中の難解の書ですね(^_^;)。初めの方だけは、スラスラ読めるのですが、途中からわけわからん禅問答みたいに・・・( ̄Д ̄;;

4回読んでも、半分も理解できてないような・・・

ザアカイさん、こんばんは。
現在読んでいる旧約聖書は、雅歌です。(創世記から順番に読んでいます)
雅歌だけは、旧約聖書の中で場違いな感じがするのですが・・・。
羊飼いとシュラムの女性との恋愛を書いているとか・・・。
きっと神さまの奥深い愛が啓示されているのでしょうね。

>「終末の背信に走った裁かれるべき教会」「罪が究極まで積みあがった現代物質社会」

最近、本当に「子羊の御怒り」がそこまできているように感じます。
私の中で明らかに去年の年末とは違います。霊的に・・・。
ザアカイさんの言われる警告は、必ず実現すると信じます。
神様の御怒りが始まると、人類が経験したことのないような未曾有の災害と苦難が襲うと聖書に記されています。
第一次世界大戦、第二次世界大戦は、人類が経験した悲惨な大戦でしたが、
それでも「子羊の御怒り」よりは、はるかにましであると思います。
聖書の予言は、本当に100%成就します。黙示録は、必ず主のご意思によって実現します。
ザアカイさんのこのブログの警告が、多くの方々の救いに導かれますように・・・。

わたしが呼んだのに、あなたがたは拒んだ。
わたしは手を伸べたが、顧みる者はいない。
あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、
わたしの叱責を受け入れなかった。
それで、わたしも、
あなたがたが災難に会うときに笑い、
あなたがたを恐怖が襲うとき、あざけろう。(箴言1・24-26)

enjeruさん、こんばんは。
雅歌ですか、確かにハード=ボイルドな旧約においては異質ですよね。私この雅歌ですが、初めて読んだ時、何の事だかさっぱりわかりませんでした。

参考までに私、3回目に読んだ時、ふと閃いたのですが
例えば、2章8節から15節の場合、「わが愛する者」を主イエスに置き換えるとどうでしょう?
なんか主イエスが、我々に向かって「私はここにいる、早く出てきなさい」と呼びかけてくれているようで・・・
そして3章5節なんかは、福音伝道の極意とでも言えるような・・・
主イエスと自分に置き換えて読んでみるとすん~ごく!簡潔明瞭なのですよ。
美しい旋律を感じるのです。
オリジナルの解釈なので、正しいかどうかはわかりませんよ(;一_一)・・・

>私の中で明らかに去年の年末とは違います。霊的に・・・。

→私も去年に比べ、「近づいたな」とは感じます・・・

みなさん、よく聖書朗読されておられますね。
出エジプトに、ヨブに、雅歌…

最近はキリスト書店でDVD聖書があって創世記からアダム ノア、アブラハム イサク ヤコブにヨセフの物語が映像で観られるようになりました。モーセの物語はアニメを含め数作ありますし、ルツやエステル、エレミヤまで物語としてあったのを確認しました。新宿オアシスにて
もちろん主の生涯も数作品あります。ザアカイさんのお好きな黙示録も映像にありました。

しかし、しかし、雅歌の映像は未だ作品未確認ですww
非常に難しいでしょうね。表現方法を間違えたなら、未成年は鑑賞不可になる可能性大
聖書の中に男女の性愛を謳歌した作品があるのは私は素晴らしいと思います。

私たちは主に造られた作品なんですから、なにも隠し事は必要ないからです。

そこには女性も男性と対等に性の悦びに浸っている。あの封権社会にあって聖書は 性の悦びをありのままに表現している、本当に素晴らしいと思いました。

ちなみにエレミヤとは「神が高める」という意味だそうです。
彼自身が悲しみの預言者として低くへりくだったから 逆に神に高められたのでしょうか。

ザアカイさん

>「わが愛する者」を主イエスに置き換えると

置き換えて読んでみました。確かに優しい旋律の中にイエスさまの語りかけを感じます。
ありがとうございます。教えて下さって・・・。

雅歌8章6-7の御言葉に対して、スポルジョンの好きな言葉を一つ。

それは長く続いた死の苦しみであった。しかし、愛はその苦痛に耐え抜いた。
恥ずべき死であった。愛は恥をさげすんでいた。
刑罰の死であった。しかし、愛は私たちの不義を負うた。
捨てられた寂しい死であって永遠の父も御顔を隠されたが、愛はそののろいに耐え、すべての上に御顔を輝かせた。

人間らしい感情
この世の中にひとりでも不幸の人のいる限り
自分も幸福にはなれないと思う事こそ、
本当の人間らしい感情でしょうに、
自分だけ、或いは自分の家だけの束の間の安楽を得るために、
隣人を罵り、あざむき、押し倒し、
(いいえ、あなただっていちどはそれをなさいました。…恥じてください。人間ならば恥じてください。

「貨幣より

人の心を疑うのは最も恥ずべき悪徳だ

「走れメロス

恥の多い生涯をおくってきました。自分には人間の生活というものが見当つかないのです。

「人間失格

大人とは裏切られた青年の姿である。

「津軽

優しいと云う字は、にんべんに憂いると書くのですね、人を憂いる、人の寂みしさ、侘びしさ、辛さに敏感なこと
これが優しさであり、今人間として一番優れていることではないでしょうか。
様々な壁に突き当たり傷つく時、純粋に人を信じ 愛することが罪だとしたら、いったいどのように生きていけば良いのかと迷ったこともありました。

「神に問う、無垢な信頼は罪なりや。

「人間失格 より

ザアカイさん私泣いています。イエス様って本当に優しい優しい方なんだと


アン・シャーリー

enjeruさん、こんにちは
ま、一つの類推解釈かもしれませんが
テーマが「神のアガパオ」であるとするなら、「当たらずとも遠からず」だとも思ってます。

「私はここにいる、さあ!隠れてないで、ためらわないで出て来なさい!
 私はあなたの心の戸を叩いて、いつまでも待つつもりだ」・・・って感じかなあ?

アンちゃんは文人だったのですね・・・

>この世の中にひとりでも不幸の人のいる限り
自分も幸福にはなれないと思う事こそ、
本当の人間らしい感情でしょうに

→このようなことに気づく時、少しも主に似たものとされるのでしょうね・・・
今でも弱肉強食の「新自由主義」を信仰している輩も多い中、少しは成長したのかもしれません。

太宰にしても、芥川にしても、純粋すぎたんだと思います・・・
セカンド=チャンスの問題にも発展しかねないので、あまり書きたくないのですが

私は、あのような純粋過ぎたゆえに躓いた人間が、永遠に苦しめられるとは思えないのです・・・
順番はあるとしても
必ずや、主ご自身が、「真実なる福音」を、直接語りかけて「救い」に導いてくれる気がして・・・

ザアカイさん 子羊通信のみなさん こんにちは すっかり艱難時代な世の中になってしまいましたね。しかし、いまは主の日です。できるなら生きて主の栄光を見たいものです。ストレスで体調不良やうつになることもあるでしょう。みなさん どうか体調と精神の不調に気をつけてください。

「だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。あなたがたの解放の時 が近いからだ。」こういうわけで、わたしたちもすべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、

「ああ。主の日はお前たちにとって何か。それは闇であって、光ではない。ああ、まことに、主の日は闇であって、光ではない。暗やみであって、輝きではない。」  アモス書 5章18

「主の大いなる日は近い。それは近く、非常に早く来る。聞け。その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、やみと暗黒の日、雲と暗やみの日、角笛とときの声の日だ。」  ゼパニヤ書1章14 

使徒さん、こんにちは。いつもコメありがとうございます。

>すっかり艱難時代な世の中になってしまいましたね。

→ラッパはいつ鳴るかわかりませんが、ジンバブェのコレラ=パンデミック、ギリシャの暴動もまだやっているし、元ナスダックの会長の巨額詐欺事件と・・・次から次へと出るわ出るわ。とんでもない世の中なのは事実のようですね。

>しかし、いまは主の日です。できるなら生きて主の栄光を見たいものです。

→切にそう願います・・・一人でも多くの方が悔い改め、真理を見るなら良いのですが。

こんにちは。(*^-^)
使途さん、アモス書とゼパニヤ書ですか。。まだよんでおりませんが、預言の書でしょうか。クリスチャンの方なのでしょうか。聖書を読み込んでいらっしゃるようにおみうけします。(゚▽゚*)
一般的にも、夜明け前が一番暗いとも言いますね。
主の来臨は、まさに朝日が差し込むように感じられるのでしょうね。
明けない夜はない。。。主が必ずこられるという希望があるからこそ、なんとか落ち込みつつも、持ちこたえられるのかもしれません。

webbot予言でも今月おこるかもしれないと予想されてましたが、カリフォルニアの地震の可能性、シュピーゲル紙にもあげられておりました。
140年周期に大きな地震が来る可能性があるとのことで、今年を含め30年以内におこるだろうという見方とのことです。  

遠藤周作の本を読んで、旧約聖書のヨブ記に関して書かれていて興味を持ち
岩波文庫のヨブ記とエレミア書と最近続けて読みました。
オカルト本も好きで、過去に何冊か読んでいますが、
此方のブログの意見と僕の意見は全く同じです。

エレミア書を踏まえて、現在の状況を見ると絶望的で
日月神示に書かれている内容とかなりダブってるような気がしますし
マザーシップが仮に来たとしても救い上げられる人は自分も含めてかなり少ないような気がします。
今は、まともな事を言えば叩かれ、まともな事をやろうとした人の多くも叩かれる
でも諦めないで、希望をもって出来る事をやりつつ生きるしかないですね。

fixさん、コメントありがとうございます。
2008年12月に書いたのですねえ・・・書いた内容忘れたので読み返しました。
そこそこ的を得ているかな??などと(笑)

>今は、まともな事を言えば叩かれ、まともな事をやろうとした人の多くも叩かれる
でも諦めないで、希望をもって出来る事をやりつつ生きるしかないですね。

→それしかないでしょうね。
ローマ書10:11にはこうありますよ。
聖書は、「すべて彼(キリスト)を信じる者は、失望に終わる事がない」と言っている。

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