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2008年7月27日 (日)

いつまで待てばいいのでしょうか

わたしは彼らがその罪を認めて、わが顔をたずね求めるまで、私のところに帰っていよう。彼らは悩みによって、わたしを尋ね求めて言う、

「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主は私たちをかき裂かれたが、またいやし、私たちを打たれたが、また包んでくださるからだ。

主は、ふつかの後、私たちを生かし、三日目にわたしたちを立たせられる。わたしたちはみまえで生きる。

私たちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。主はあしたの光のように必ず現れいで、冬の雨のように、私たちに臨み、春の雨のように地を潤される。

ホセア 6:1~3

わたしは、いつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。

ホセア 6:6

久しぶりに聖書からのテーマを書こうかな?などと。ホセア書のテーマは「姦淫の女」と一般的に認識されていますが、これは神から離れてしまった教会、もしくは我々・・・特に“今でさえそれでも豊かな”日本などその典型でしょう。神を知らない、求めない人類のたとえとも解釈できるかな?などと。

この箇所からちょっと思うことがありましたので、徒然なるままに書いてみようと思います。

私の終末カレンダーでは、2008年7月27日現在は終末のプロローグに入っているであろうことは間違いないだろう。しかし正直言って、主の再臨まであと何年かかるかはわからなくなった・・・しかし、第7の封印が解かれるまで、そう長くはないだろう、早ければ来年あたり?というのが最新の理解であります。

正直言って私は歯がゆい・・・覚悟は出来ている。今のような生かさず殺さず、生き恥をさらしている状態に、それほど長く耐えられるほど気長な性格ではない・・・つまらぬプライドを捨てられずにいる(この辺がまだまだ至らぬ限りで、ガキンチョなのです、とほほ)・・・その時はその時・・・どうせならいっそうの事、足踏みなどしてないで、ドラスティックに事を運んでいただきたいとさえ思っている。

しかしそうはならない理由がこのあたりにあるのではないだろうかと思ってもみる。神は「忍耐を持って」我々が顔を向けるのをギリギリまで待っておられるのではないか?と。

それでもダメな時は、神の涙によるムチ・・・黙示録の世界が成就する時なのではないかなと。私は次元上昇のアセンションなどというのは、たとえ殺されようと間違っても信じない。傲慢極まりないサタン的性格のものだ。人類の歴史を見れば明らかで、その本質においては何ら変らない。少しも進歩などしていない。義人は一人もいないのだ、そんな高尚な生き物ではない・・・

もし本当に近いうちに、核の雨が降るならば、それは神の涙雨ではないかと思う。残念ながら、人類の救いの最終手段はそれしか無いとさえ思ってしまう。そこまで追い詰められないと、神をたずね求めないのではなかろうか。主イエスの十字架がわからないのではなかろうか。

それまで主は我々の自由に任せ、とことんまでやらせるのだと思う・・・憂鬱な話ばかり書いていて嫌になってしまうが仕方がない。

しかし我々はそこで終わらない。たとえ道半ばで息絶えようと、我々には復活という希望がある。主が再臨する時まで、生き延びなければという気力がある。だから私は、このようなおどろおどろしいことでも躊躇なく書けるのだと思っている。嫌われたっていい・・・わかる人だけ読んでくれればいい。

神の究極なる愛は

わたしは、いつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。

のだから・・・

たとえ我々が姦淫の女であっても・・・見捨てることはなさらない・・・忍耐強く待っておられるのだ。

だから私は“果てしない義”を求めるより、素直に罪を認め、主のみ前にへりくだり、憐れみと許しを請うことを求めたい・・・

以下、私が一発で惚れ込んだ器=何度かコメくれた楽天さんのエントリーを紹介します。サブ=ブログからなので知らない人も多いことでしょう。

本当にどうしようもなくつらい時、主イエスという方は、“死に体にむち打ち、果てしない義を求めよ”とは決して言わない・・・“愛する子よ、あなたが一番つらかった時、私はあなたをおぶって歩いたのだ”と言ってくれるはずです。

楽天さんの証しがそれを証明してます・・・

http://happy-unhappy.air-nifty.com/nikki/2007/12/post_cf60.html

単刀直入、短いので1分かかりません、一読の価値アリ!!

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主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

ザアカイさん
こんにちは。私たちクリスチャンが主を待つのは、忍耐が必要だけれど、一番忍耐しておられるのは主イエスさまだと思います。一人でも多くの人を救いたいと・・・。もう少しだと思いますので祈りつつその時を待っていたいと思います。ノアの箱舟の時代、ノアが五百歳の時、セム、ハム、ヤペテが生まれ、(創世記5・32)ノアが六百歳の時、洪水が起こった(創世記7・6)と記してあります。仮に息子たちが30歳の時、箱舟を作ったとするとと、ノアは70年間も箱舟を造り続けたことになります。その間、神さまを恐れない人々は、嘲り、中傷し、ばかにしたことでしょう。それでも主が語ったことは必ず実現すると信じたノアの信仰はすばらしいと思います。

ザアカイさん。たまには、外に出て夜の星空でも眺めてくださいね。小さいころ、「あれが小熊座?これが大熊座?」なんて探したものです。あの星は少しも変わらず静かに主をほめたたえているのに、変わってしまったのは私たちの方ですね。そして、息抜きしてくださいね。

 天は神の栄光を語り告げ、
 大空は御手のわざを告げしらせる。
 昼は昼へ、話を伝え、
 夜は夜へ、知識を示す。
 話もなく、ことばもなく、その声もきかれない。(詩篇19・1-3)

私、この暑さの中、クーラーをチョッピリ低く効かせて熱いホットコーヒー飲みながら、白血病で召された本田美奈子さんの「Amaging Grace」聞きながらホッとひと息ついてます。・・・(笑)

 もし遅くなってもそれを待て。
 それは必ず来る。遅れることはない。(ハバクク2・3)

enjeruさん、いつも暖かい応援、励ましの言葉ありがとうございます。

なんか(-_-;)・・・出来のいいお姉さんに、出来が悪く、聞き分けのない駄々っ子の弟が、戒められているみたい(^^ゞ

もし遅くなってもそれを待て。
 それは必ず来る。遅れることはない。(ハバクク2・3)

→そうですね、必ず成就するはず・・・
頭では分かっているんですけど・・・頭と心は別の生き物みたいです(T_T)

ザアカイさん
お気持ちはよくわかります。
わたしも、まだかまだかと思います.
まさにペテロ第二の手紙の3章が言い表していると思います。
多くの人は今が、終末の日だと思ってもいません。
歴史が繰り返しているにすぎない、神などいないと。。
神を信じる人々は、つらいですがひたすら待ち続けなければなりませんね。

昨日、また前回と同じバプテスト教会にいってきました。
昨日はイスラエルの日曜という日だったようで、、三位一体祭から10週めの日曜日に定められているそうですが。。ご存知でしょうか?
私には意味合いがよくわかりませんでした
今回は60人程参加者がおり、(正式には100人程いるそうです。いまは休暇で参加していない家族がいるとのことです。)ピアノ伴奏者の代わりに、牧師が時々ピアノ伴奏をするなど、和やかな雰囲気でした.
毎回子供のための礼拝をする教会が近くにあまりないため、
来週はできれば同じバプテスト教会のほかの会衆にいってみようかなとおもいます。
メソジスト系の教会もできればのぞきにいきたいのですが。。結構歩かなくてはいけないので。そのときは子供は預けていこうかなと。。
もし気に入れば、がんばって子供も連れて行こうと思います。

サマリア人さん、いつも私のようなアホにおつきあいいただき感謝です。サマリア人さんのような方にご理解いただけるとは心強い限りです。

>昨日はイスラエルの日曜という日だったようで、、三位一体祭から10週めの日曜日に定められているそうですが。。ご存知でしょうか?

→いいえ、私も知りません(笑)

着々と主のお導きが進んでいるようで感謝ですね。
そうですね、いくつか回って見るのはいいと思います。その中から選べばいいわけで。きっと、その中からベストの教会を示してくださることでしょう(^_^)v。

それはそうと、今日、日本では金沢で川が氾濫してとんでもないことに。神戸でも川が氾濫し犠牲者が。その他敦賀で突風が吹き一人犠牲になり・・・爆弾低気圧ですごい事になってます・・・明日も引き続き要警戒のようです・・・桜島の火山活動も要注意レベルになったとか?

こんにちは
以前牧師さんに聞いたルターの言葉があります
明日世界が終わるとしても、私は今日リンゴの木を植える、、
御国を待ち望むのも大事ですが、日々の小さな恵みに感謝しつつ生きるのも大事、ということかな、と思います
もっともそれができれば自分もいろいろ悩まなくていいんですけど、、

たろさん、いつもコメありがとうございます。

>御国を待ち望むのも大事ですが、日々の小さな恵みに感謝しつつ生きるのも大事、ということかな、と思います

→ごもっともです、そしてむしろ!こちらの方が大事だと思います。

このレベルまで成長すれば、ある程度信仰が分かってくるのでしょうね。私の場合、まだまだ遙か彼方のようです・・・

出エジプトの時のイスラエルの民にならぬよう注意したいとは思いつつも・・・困難な作業ですね・・・とほほ。

7月28日
米軍、アルカイダ幹部狙ったミサイル攻撃 パキスタン。

これは666反キリストの計画により実行されま

した。まもなく、大変な事態が起こります。必ず

起こります。この事件を契機として・・・彼を出

現させるため、この事は行われたのです。・・・

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2423753/3171091

>米軍、アルカイダ幹部狙ったミサイル攻撃 パキスタン。

→・・・近々やるだろうとは思ってましたが、本当にやっちゃったみたいですね・・・どうなるんでしょうか、今後の成り行き要注目ですね。

蛇足ながら8月1日が皆既日食かつ新月みたいですね・・・

何時の日か、でしょうね。
但し、ある程度再臨近しのしるしがマタイ24から詳細に述べられています。
私は例の1973年に主が終末の楔を打ちこんだものと信じています。メル・ボンド氏やデビッド・ウィルカーソン氏、バジリア・シュリンク女史が三人ともこの年を特別な時代の入り口と証していますし、メルキオ・タリ率いるインドネシア宣教チームの天使のメッセージ、その年を境に悪霊の反発でしょうか、超能力ブーム、予言、終末思想、オカルトがまん延し、性風俗も過激となり、オイルショックに日本沈没、人間革命出るわ出るわ、まさに地獄のふたが開かれた感じです!あれから35年 今年の秋に何かあると予感します。ウェインランド氏など私はもともと眼中にありません

アンさん、参考となるコメありがとうございます。

いやあ~、私も外しまくりでまいっちゃいますが(笑)。

まあ今回、贋作を掴まされた結果となろうとも(なりそうな気配が・・・)、二人の預言者が現れるならば、聖書の解釈にもよろうかと思いますが、三年半なはず。私は終末の二人の預言者にフォーカスして行こうと思ってます。

多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう。
ダニエル 12:4

ここまでが限界なのかもしれません・・・

もし、1967年の老クリスチャンと当時は年若きクリスチャンの会話が本当なら、実質的に主の再臨は2000年前後に起っていたのかもしれません。しかし現実には再臨はなかった。ある予言では主は千年王国開始を14-5年憐れみの理由から延長されたと書いてありました。
もしそうなら答えは2015年前後に伸ばされたのかもしれません。2015-7=2008
数年のズレがあったとしても、百年千年のズレはまずあり得ないと思います。やはり、先の1973年+35年+七年ではないだろうか?
いよいよ七の月も今日で終わり
明日から八月そして九月十月…果たして如何に
私は仮りに半年ずれても来年春には何かとんでもない事が起こる予感がします。まずは今年秋に期待しています。もし地上生涯が残すところ あと数十日だと認識したなら皆さんは残りの時をどのように過ごしますか?

http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmongoler800%2Fbible-shin%2Fbible-shi8.htm%3F_gwt_pg%3D0&hl=ja&q=%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%82%89%E3%81%A8%E3%81%AF%E5%BE%A1%E4%BD%BF%E3%81%84%EF%BC%9F&source=m&start=25&site=web

ザアカイさん こんにちは、
アン シャーリーさん初めまして。
けい挙については。。日本ではかなりのクリスチャンの
方が賛同しているようですが。。
私は、以前ももうしあげましたが、黙示録をよむと、獣の印を受けずに死ぬクリスチャンがいるとおもわれるので、やはり、艱難のなかで試されるのでと思います。
聖徒の忍耐が必要だともありますから。。。
 
日本では、エレミヤさんや、小石牧師など少数派がけい挙は、
艱難前にはないと考えているようですね。
ただいえることは、けい挙が艱難前にあると信じているクリスチャンにとって、それがなかったとき、絶望しつまずき、サタンの側につくようになるのではないかと。。。不安になるのです。
そういう意味で、艱難前けい挙の考え方が広まっていることが、サタンの罠なのではと、、疑い深いわたしはおもうのです。
おいしいはなしには罠がありますから。

ザアカイさん、サマリアさん、そして皆さんこんにちは

主イエス様の再臨に関してですが、やはり私は非常に近いと思います。以前ハーザー誌で久保有政氏と奥山実氏の携挙と再臨は患難前か否かを激論しておりました。また山岸牧師によれば、再臨とラプチャーは患難に関わらず2000年間のいつでも起こり得た、と結論してました。パウロはこの瞬間にも天へ引き挙げられると信じて書簡を書いていたのだし、もし患難が起きなければ再臨がないのだと聖書を否定する結論になると書いていました。まったく同感です。でも2000年間それは起きませんでした。
つまり結論は簡単です。再臨携挙はいつでも起こり得る、ただただ主の采配だと云うことです。
確かに期待して何もなく失望するなら始めから期待など…
でも聖書的態度は今か今かと花婿の到来を待ちわびる花嫁リベカではないでしょうか。
油断して寝込まないようにしたいものです。今はマタイ25章の真夜中なのですから
「さあ花婿だ!

アンさん、リンク先読んで来ました。なかなか示唆深い内容で参考になりました、感謝。

サマリア人さん、教会へ行き始めたばかりとは思えないほど・・・知ってらっしゃる(^_^;)。

私も自分では知らず知らずのうちに、艱難期後のようなブログ記事を書いてしまいますが・・・
本当のところは「なってみないとわからない」というのが本音です。

ただ・・・J=ダービーにしろ、100%デタラメではないので、私としては・・・自分は何でも知っているかのように
絶対正しいのだ!という感じで(特に未来に関すること)断定するのは避けたいと思います(^_^;)・・・

予言のまったく当たらないザアカイ君なので(笑)。

ザアカイさん、アン シャーリーさんこんにちは。
けいきょについては、艱難前か後かは、はっきりとは断言できないと思います。
ただ、ネット上でみたところ、艱難前だと信じている人がおおいみたいなので、コメントさせていただきました。
私も、艱難の時期は刻一刻と近づいていると信じています。
ただ、私からみますと、日本のキリスト教信者は、非常にアメリカのキリスト教会の影響を受けすぎているきらいがあるように思えます。(すべてにおいてアメリカの影響が大きいですが。。)
ドイツ語のインターネットサイトではあまり、けいきょの事がみつかりません。
(けいきょにあたるドイツ語がわからないのでラプチャーで検索してみました。)
ヨーロッパの教会も勿論、悪霊の影響があると思いますが、アメリカ文化自体もあまり重要視しない風潮がありますから、ヨーロッパではアメリカの教会の影響を受ける確率が少ないようにおもえます。

わたしもかなり疑い深い性質なので。(ザアカイさんもご存知だと思いますが)。100% 艱難前にクリスチャンがけいきょされるなどと信じると、実際起こらなかったときに、信仰がゆらいでしまうことを心配をしているのです。クリスチャンがけいきょを信じている、非クリスチャンもいるわけですから、それみたことか、神が艱難からのがれさす事なんかない!神などいない!といわれる恐れがあるからです。その批判をうけたときどれだけの人がつまずかないでいられるか。。。
けっして、批判するつもりでいっているのではない事をご理解いただきたいと思うのです。老婆心です。
ひょっとすると、艱難まっただなかにけいきょされるかもしれない、だとしたらよいなと。。ともおもっているのです。しかし、最終的にそれは神がきめることですから。
ただ、いつ艱難がきてもいいように心の準備をしておかなくてはならないのは同感です。

実話です。私の姉が嫁いだ先の義理の両親が相次いで亡くなりました。(長男の嫁なので同居してました)普段はろくに介護もしていなかった向こうの家の姉さん方三人と弟さんの5人が集まり、醜い遺産争いの結果 家と土地を売り払い金に換えて分割しようって話になりました。(義祖父さん義祖母さんは通帳や保険がほとんどなかったそうです)
結局姉夫婦は私が保証人になった賃貸マンションに引越しました。貰えたお金は税引きで一人あたりニ百万円弱ほどしか入らなかったそうです。
世もまさに末なのでしょうか?金の亡者たち、渡る世間は鬼ばかり、はた目にも薄気味悪いマンガのような現実です。身内の恥を敢えて晒しました。人々は将来に対し不安定な為、金銭に貪欲になっています。底辺にうごめく人間の醜態を見た気がします。
主よ来たりませ!

>わたしもかなり疑い深い性質なので。(ザアカイさんもご存知だと思いますが)。

→あらま!と言うことは・・・私は疑われていない?(笑)

>100% 艱難前にクリスチャンがけいきょされるなどと信じると、実際起こらなかったときに、信仰がゆらいでしまうことを心配をしているのです。
>けっして、批判するつもりでいっているのではない事をご理解いただきたいと思うのです。

→はい(^_^)v、充分理解しておりますよ!

ついでながら一つ(^^ゞ。私の信仰として、「艱難期前携挙説を信じる人は裁かれる」と・・・
裁き主、神にでもなったつもりで偉そうに語るのが嫌いなわけで・・・
もし違っていたらどう申し開きするのでしょう?
放蕩息子の兄はタイプじゃないです・・・

教職者という立場も分かりますが、この件で私、去年・・・ある方の一番弟子の女伝道師とウェッブ上でガチンンコ議論して
「あなたの信仰にはついていけない」となった経緯があり・・・

「哀れみとか愛があなたのメッセージには感じられない、冷たい人ですね」というようなことを書いたところ
「神の義があってこそ、憐れみが注がれる」・・・(-_-;)、「あなたは完璧なシミ一つない方なのですね、どうぞご勝手に」となり・・・

律法主義、ドグマ至上主義、警告と裁きばかり毎週毎週聞かされていたのでは・・・
うんざりしちゃいますよね?

旧約の民が、律法主義では神に顔を向けることが出来なかったということを無視しているのでしょうか?
厳しい裁き主として、また限りない愛に満ちた憐れみ主として・・・
一面しか語らないのはどうかな?と思うのです。

それとも私がアマちゃんなのでしょうか?


ザアカイさん、サマリア人さん、こんにちは。そしてアン シャーリーさんはじめまして。
ザアカイさん
 >出来のいいお姉さんに、出来が悪く、聞き分けのない駄々っ子の弟が、戒められているみたい

そんなつもりでコメしたのでは、ないのですけど・・・。ただ励まそうとして・・・。ごめんなさいね。ザアカイさん、知ってらっしゃったんですね。私が、「篤姫」の出身地に住んでいること。もしかしたら・・・?と思っていましたけど・・・。 sakurajimaは、毎日見ています。あの山見て育ったといっても過言ではありません。は~、言うつもりではなかったのに・・・。バレてしましました。(笑)

携挙について初めてアンさんが同じ立場の方と知ってうれしくなりました。ここで、私一人がこの立場だったので。携挙についてアメリカの影響が大きいのは、確かだと思いますが、私がこれを信じる根拠は、聖書が何といっているか・・・。聖書の神はどのようなお方であるかという点です。色々な牧師さんや偉い方々の意見は参考にしますが、自分で聖書を読み、祈り、真理を教えて下さるよう主に求めた時、主は必ず艱難の前に迎えに来てくださると確信できました。もし、聖書を創世記から黙示録までお読みになっておられない方がおられるなら、通読されることをお勧めします。忍耐が必要ですが・・・。でも読み終わった時、神という方がどのようなお方か、霊的な祝福がありました。今まで何度も私をお助けになられた愛する主は、もう、御座を立ち上がろうとしておられ、愛する者を御前に集めようとしておられるように思います。私にとって携挙は、まさに今日、明日の問題として受け止めています。主は、「いつも主にあって喜びなさい」(ピリピ4・4)とおっしゃっています。私の知っているクリスチャンの方々が、社会人として本当ぎりぎりのところを通されています。そして、彼らの苦悩、苦痛、涙は主への祈りとして「主よ、早く来てください!」「主よ、早く迎えに来てください!」と天に立ち上っていると思います。ちょうど出エジプトの前のイスラエルの民のように。「イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた」(出エジプト3・23) この祈りは、世界中の試練に置かれたクリスチャンの叫びとなって天に届き、「出エジプト」すなわち携挙が起こるのだと思います。

仮にザアカイさんに子供がいたと仮定します。その子は、命をもって償わなければならない罪を犯したとします。その子が助かる道は、ザアカイさんの身代わりの犠牲しか助からない状態に置かれたとしましょう。小さい頃から手塩にかけ、慈しみと愛を持って育ててきたその子が助かるためなら、喜んで犠牲になると思います。ザアカイさんの性格なら・・・。親の愛はそれほど強いもの。ザアカイさんは天国に行き(ごめんなさい。ザアカイさんにたとえ話の中で天国に行ってもらいました・・・笑)、その子供は罪赦され地上で暮らし、その様子を天でザアカイさんは片時も離れず、見守っています。なぜなら、自分が犠牲になってまで愛した子供だから・・・。その子がどのような困難にあっているのか・・・、危険が迫っていないか・・・。必要なときは、救いの手を差し伸べます。そして、地上に悪が満ち、ザアカイさんに地上の人を裁く権威が与えられているとします。もう、この悪を滅ぼそうと・・・。怒りがこみあげてきて・・・。その時、サアカイさんだったら、地上にいる愛するわが子をどうします?地上にいる自分を犠牲にしてまで「愛したわが子」も一緒に滅ぼすでしょうか?なぜその子供を悪人たちと一緒に滅ぼさなければならないのでしょうか?ザアカイさんだったらできます?   神とはそのようなお方であると聖書はいっています。 だから、今 試練があっても迎えに来てくださる主を喜ぶことができます。

  不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行いなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。(黙示22・11)
  「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。(黙示22・20)

enjeru様はじめまして
そうなんです。主の属性を知ると患難直前携挙が可能性大だと思います。

第一テサロニケ4:16-18 第一コリント15:52
死者は蘇ります。しかし私たちは「変えられる」のです。つまり私たちは死んでいないので蘇りではなく変えられるのです。すでに死んだクリスチャンは天で霊として新しい復活の体のよみがえりを待っています。今生きているクリスチャンは挙げられます。地上では主を否定する者だけが残ります。レフトビハインドです!
私たちに与えられる新しい栄光のからだはイエス様と同じからだです。死なない年とらない、病気知らず、瞬間移動 空中飛翔の可能なまったく新しいからだ 物質や引力に影響されない新しい創造体です。週の始めとは八日目ではありませんか
天も地上も行き来しともにくつろげる体

千年支配に必要なスーパーパワーも出せるようです♪こんな夢のような現実がまもなく訪れます。必ず

アンさん、再登場ありがとうございます。そのようなことがあったのですか・・・
私もサラリーマン時代、幸い私の担当顧客にはありませんでしたが、仕事柄、先輩行員からよく話は聞いていたので分かります・・・
人間の本質そのものですね・・・相続話というのは、聞いていて反吐が出そうなくらい気分が悪くなります・・・本当に醜いですね・・・
でも、それがわからないと人間と罪に関する命題は永久にわからず、「人間根っからのワルはいない」と東洋的発想になるのかな?などと。

enjeruさん、いつもありがとうございます。
>そんなつもりでコメしたのでは、ないのですけど・・・

→分かってますから、気にしないで下さい。

>知ってらっしゃったんですね。

→いいえ、そこまではさすがにわかりませんでした。「九州地方在住かも?」くらいでした。
桜島の活動はたまたま、毎日チェックするブログ情報で知っただけで・・・そうでしたか(笑)。

(-_-;)・・・またまた管理人泣かせの命題が・・・(涙)

最初に断っておきます、艱難期前携挙、艱難期中携挙の立場の方はお二人だけじゃありません。古くからの読者で最近登場しませんがアレグロさん、そしてバルナバさんがいます。
私と携挙に関する立場は、微妙に違えど仲良く?やってます、というかやっているつもりです(笑)。
私としてもガチガチの艱難期後携挙論者というわけではなく、どちらかというと艱難期後のポジションですが「その時にならなければわからない」というものです。

おっしゃることは、痛いほどよくわかります。そして第一テサロニケ、コリントほか、聖書の箇所からも確かにそう取れるということも。
私としても「いいかげん楽にしてくれ~」というのが本音ですし(T_T)。

ただ、出エジプトしたものの、カナンの地に入れた人は試みのうちのごく少数、黙示録3:10からは艱難期後とも取れるし・・・
また使徒行伝では、ステファノ、ヤコブなどは早々と殉教しているし・・・ペテロ、パウロもかっこよすぎるほどの殉教を遂げているし・・・
その他フス、サボナローラなど宗教改革の時、また日本でもキリシタン迫害で多くの者が殉教したわけで。
そして今は間違いなくラオデキヤの教会・・・生ぬるいのであなたを口から吐き出そうとあるし、すべて私の愛しているものを、わたしはしかったり、懲らしめたりする。
黙示 3:16、19

また、これから来るであろうアメリカでの大艱難においても、必ずしも艱難前に・・・とも思えず・・・
アメリカではあれだけのキリスト教国(良くも悪くも)にもかかわらず、まだ歴史上、迫害の歴史がありませんからね。あれだけ背徳も極まると
マタイ伝にあるとおり、麦と毒麦との区分けが出来ないのかな?とも思うし・・・

これらのことがらが終末に再現しないとも限らないし・・・そして、「顕現された息子」などトンでもで、キリストは二度来るとも言ってないし・・・
杓子定規で測ったように、はっきりと区分けできるのかな?と思うのです。そんな単純じゃないような気もするし・・・
クリスチャンで携挙される人がいるかもしれません・・・しかし残る人もいる気がするのです・・・
よって、くどいようですが「その時になってみないとわからない」としておきます・・・run away~♪とうまく逃げ切れたかどうか(ーー;)

「あなたはいつ来られるのですか、主よ、いつまでなのですか・・・」とは根気強く毎日祈っていても(当然、何もわからない(涙))
「艱難の前に来られるのですか?それとも後なのですか?」と祈ったことは一度もないのです、スミマセンm(__)m。

ぶっちゃけ極端な話、来る時期さえわかれば、前だろうが、後だろうが私はどちらでもいいとさえ思っているんです。
殉教大いに結構じゃないですか、ただ今の状態で犬死にするのが、つまらぬ死に方をするのが耐えられないというか、忍びないわけで。
復活が約束されていれば(たぶん、大丈夫かな?と)それでいいのです・・・

とまあ、長々と書いてしまいました(-_-;)・・・
アンさんにしても、enjeruさんにしても仮に携挙に関する信仰が違っていても・・・
素敵な姉妹方だと思ってます(^_^)v・・・心の奥底から、ウソ偽りなくそう思いますよ・・・

主イエス=キリストの恵と、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同とともにあるように。
第二コリント 13:13

ザアカイさん。
わたしがいいたいことはほとんどいっていただきました。
が、また付け加えさせていただきます。(雅子さんじゃありませんけど
アンさん,enleruさんの神に対する愛と、信頼はわかります。
神は愛である.キリストを人間のために犠牲として、つかわしてくださった。
ただ、ザアカイさんも述べられたように、神は哀れみ深いかたであるですが、裁きをおこなう方でもあります。

父なる神ですから、、、母の愛情とは違う気がするのです。
人間でいうならば、母親は、どうしても子供の怪我をしたり苦しむのを見ていられず、ついつい過保護になり、助け舟をすぐにでも差し伸べたいと思うものです。
わたしも、この典型です。母なる神であれば、けい挙も艱難前にでも、いえ、それ以前にでもするとおもいます。
父親としては教訓になるためには、多少は痛い思いもした方がいい、それが次の失敗を防ぐ教訓になると、物事を大局的に見ることができるとおもうのです。
もちろん、子供が苦しむのをよろこぶ父親などいません。そのばだけでなく、長期的に物事を考えることができるのが長所だと思うのです。
人間のために、ひとりごをささげる。こんなことは、母親には無理でしょう。
たとえ、復活することをしっていたとしてもです。
父親ならば出来るかもしれない。。と私はおもうのです。アブラハムのように。サラだったらきっと、自分が犠牲になった方がいいと考えるでしょう。。ヨブとその妻の例もあります。。忠義という観念がつよい男性と,同情、情緒の深い女性の違いだと思います。
女の私がこんなことをいうのもなんですが。男性には女性にはないものがあるとおもいます。

艱難前にけい挙があることを信じている人は裁かれる。。。などとは勿論おもっていませんが、
艱難まえにけい挙されないということには、目的があると思うのです。
聖書にもかいてあるように、一人でも多くの人が悔い改めるのを望んでいる神が、艱難の3年半のまえにクリスチャンになっていない人を見過ごすのであろうか? 慈悲深い神だからこそ、最後に2人の証人、そして聖徒達(クリスチャンでしょうか?)が伝道活動をとおして、出来るだけ多くの人を悔い改めるよう助け、最悪の場合、クリスチャンが殉教するのも許されるのではないでしょうか。
神の愛は人間には量りし得ないものです。

クリスチャンもどきがなまいきいってすみません。
でも、誠実な女性クリスチャンのお二人、わたしも好きですよ。
わたしも、女性ですが、性格的にかなり男性に近い中性人間?なので、細やかさがかけて
気分を害してしまうかもしれませんが。これからもよろしくおねがいします。

ところで、わたぴーさんお元気ですか?

ところでわたぴ~さんです。(;^ω^A

サマリア人さん、お元気ですか?気にかけていただいて嬉しい限りです。<(_ _)>

>艱難前にクリスチャンがけいきょされるなどと信じると、実際起こらなかったときに、信仰がゆらいでしまうことを心配をしているのです。(中略)
その批判をうけたときどれだけの人がつまずかないでいられるか。。。

ワタクシ自身はむしろその逆です。「神様はあえてそういう状況を赦される」と思います。イエスや使徒たちでさえ試されたのであればなおのことです。
ただ、神様ご自身があえてそうなさるのかどうかは解釈によって違ってくると思います。キリストであるイエス自身がある人々にとって「つまずきの石」であったのであれば、どんな試みがあっても不思議ではありませんからね。でもワタクシ、耐える自信は
全然ありません。ヘッポコクリスチャンですから。\(;゚∇゚)/ (断言してど~するっ!!)
神様、その時は何卒よろしくお願いします。御心のままに。<(_ _)>

教会探し、精力的にされているようで何よりです。(^_^) 
ワタクシのすぐ近所にもデッカイ教会が2軒あります。(だったら行けよっ!!・・・って(;^◇^)ノ~☆(ノ ̄皿 ̄)ノ)
「イスラエルの日曜という日」「三位一体祭から10週めの日曜日」調べてみましたが、解からず終いです。<(_ _)>
定期的に教会に通うとなると、いろいろと思いがけず大変だと思いますが、「どこにしようかな~?♪o(^-^ o )(o ^-^)o」と考えている時間分、神様に想いを馳せる時間が増えている訳ですから、ど~せなら楽しんじゃいましょう!\(^▽^)/


>enjeruさんへ

携挙に関してはワタクシ基本「後期説」なのですが、正直「前だろうが、後だろうが私はどちらでもいいとさえ思っているんです」というザアカイさんと同意見です。<(_ _)> 前期説の解釈にも一理あると思うところもありますので、否定も批判も現状するつもりはありません。いずれにせよいつかは解かる事ですからね。(^_^) それよりも気になったのは

>なぜその子供を悪人たちと一緒に滅ぼさなければならないのでしょうか?

という例えの部分です。神様のもたらす滅びと人間のもたらす滅びを混同していませんか?
人間のもたらす滅びは「無差別」ですが、神様のそれは全然質の異なるものです。「出エジプト」から「約束の地」またそれ以降においても、神様はその時々において罪あるものを「個別に」打ち倒されました。たとえそれが数え切れない人々の集団の中であってもです。そのような事柄は聖書の中にたくさん書かれているのではないでしょうか?
違う見方をすれば、だからこそ「終末の困難・迫害」という特別な時や時代にあっても「神様に守っていただける」という想いを確信として持てるのだと思います。

この点に関しては携挙に直接関連してはいないので、あえてワタクシの考えを話させていただきました。個人的な意見ですが気に障ったらごめんなさいね。<(_ _)> 


>アン・シャーリー さん はじめまして。 わたぴ~と申します。<(_ _)> 

最近、精力的にコメントをして下さっているようで、貴重なご意見が拝見できること感謝します。<(_ _)> 
信仰の立場や解釈に多少の違いがあれど、同じ「イエスをキリストとし、神の愛に生きたい」と願う者同志、これからも活発に意見交換させていただければ嬉しく思います。(*^-^) よろしくお願いしますね。<(_ _)>


>さて、ザアカイさん、お元気ですか。

ワタクシも最近、この世の中で生活していくことに少々お疲れ気味であります。( ̄▽ ̄;)
夏が来る前にすでに夏バテ状態、しかし頭は梅雨入りのまま・・・(|||▽||| )
そんなワタクシからひとつお知らせです。

「冷やし中華始めました」(o^-^o)

・・・・もといっ!! (><*)

「ブログなんぞ始めてしまっちゃいましたのねん~♪」 ( ̄▽ ̄;


まだ記事はアップしてないのですが、とりあえずご報告まで・・・( ̄▽ ̄)
勿論、聖書の記事中心にやっていきます。それなりに体裁が整えばまた報告しますね。
(いつになるんだか、先がオモイヤラレル・・・(´o`)

わたぴ~さん、どもです。
いやはや、論点のレベルが高すぎて私一人ではもてあましていたところです、助太刀感謝。
結果として、一つの結論に収斂はしませんけど、それでいいとおもってます。
強制、脅迫でそうなったのでは、カルトになってしまいますから(^_^;)
「真実は、いつかわかる」でいいと思って。
そのことが惑わしになるなら問題かも知れませんが、いろいろな解釈があっていいとおもいます。
土台がキリストでありさえすれば。

ブログ記事アップしたら教えてくださいね、楽しみに待ってますから(^_^)v

>ワタクシも最近、この世の中で生活していくことに少々お疲れ気味であります。( ̄▽ ̄;)

→右に同じです(-_-;)・・・
「あと何年・・・赤字の決算書を眺め続けるのだろう・・・今まで奇跡的に持ちこたえてきたけど、体力が年々消耗してきたし、何時か潰れるかも(;O;)・・・」
というのが本音です・・・とほほ

その時はわたぴ~さんが、私の意志をついでブログ続けてください・・・って、いかんいかん!
これからが本番という時に!・・・人間強がるのも根性が要りますね。

わたぴーさん お久しぶりです。
夏バテですか? わたしも鼻風邪ひいてしまいました。
気温の変化にうまく適応するのは、、難しいですね。
ところで、 ブログですか?! たのしみです。
わたぴーさんにも、たくさん教えてもらいことがやまほど。。。。
なーんて ザアカイさんのブログともう一つ、遊びに?いくところが
ふえるのは楽しみです。
神は 私たちの信仰をためされる。。。わたしだいじょうぶかしら?
わたしも臆病者ですから(臆病者はそとにほうりだされると黙示録にあるので。。。)必死な祈りで、艱難のときに強めてもらうしかありませんね。
ペテロの書だったとおもいますが、ほこるとしたら自分の弱さをほこる、
、という記述がありました。
弱い自分を神にゆだね強さを保てるように、より頼むということでしょうか。。

ザアカイさん
いつも難題つきつけてしまいすみません。(反省してないサマリア人
enjeruさんが出来のいいお姉さん。年齢からすると実際はいもうとですね?わたしは、ちょっかいをだす調子のいい妹といったところでしょうか?)
このサタンの世の中で、そして金の亡者のような醜い人々を見続けて生きるのは苦しいですが。。あともうすこしでゴール(新しいはじまり)です。
もちろん大艱難という最終難関をとおって。。信仰を強めるためにいまはウォームアップといったところでしょうか。
そして、神のご意志であれば大艱難のとき、未信者をひつじになるよう助けるのも、クリスチャンのつとめとなるかもしれません。
いままで、キリストの教え、伝道に見向きをしなかった人々も、覚醒されるのでしょう。

のびたさんも 先日ブログを更新されて、すこしほっとしました。
どうされているのか心配でしたが、きっと確かな情報がくるまで静かにまっていたのだと思います。
20年も、神を待っていらっしゃるのですから。。辛抱は相当のものです。
大艱難のときの伝道合戦。それが来年からなのか、もっとあとかまだわかりませんが。
神は艱難のとき、さいごまであきらめず、一人でも多く助けるよう聖霊の助けをおくってくださるのでしょう。
また、新しい情報をたのしみにしています。

サマリア人さん、あなたはたいしたものですm(__)m。一体どこでそこまでのこと・・・覚えたんでしょうか?舌を巻くとはまさしくこのこと(^_^;)。

>わたしだいじょうぶかしら?

→はは・・・それを言ったら私だってそうです。その時はその時で勇気を与えてくれるよう祈るばかりですね、老ペテロのように。

>未信者をひつじになるよう助けるのも、クリスチャンのつとめとなるかもしれません。

→そのために今、そのための働きを担うよう、主はそのような者を集めているのかもしれません、サマリア人さんもそのうちの一人かもですよ!

>きっと確かな情報がくるまで静かにまっていたのだと思います。

→nnobitaさんはそのような方です。心配するには及びませんよ。
キャリアが違いますから。私のようなせっかちで、ガラの悪いチンピラとは違います(笑)。

再びサマリアです。
弱さを誇るという記述、以前読んできにいっていたのですが。さてどこだったかとさがしてみたら
ペテロでなくパウロでした。 コリント第2の12章です。 ちゃんとメモしておかなければ。探すのに苦労してしまいます。
たいしたことではありませんよそこまでのこととは??  なんのことやら。。
強がらなくても自然体で大丈夫ですよ。
ザアカイさんのためにも励みになる聖句だと良いのですが。

enjeruさん
わたしもenjeruさんをみならって、聖書全巻読み始めようとおもいます。
どうしても旧約は創世記や詩編、箴言、ダニエルあたりは面白いのですが。。。レビ記など律法の書はねむくなり。。歴代とか古代史のような箇所はとばしがちで。(神様すみません。)さぼって読んでませんでした。
とても励みになるので、また書き込みしてくださいね。

わたぴ~です。<(_ _)> 

サマリア人さんへ

>聖書全巻読み始めようとおもいます

確かワタクシの記憶違いでなければ、一日3章ずつ読めばちょうど一年で通読できるはずです。

例えばモーセ五書を見ると、創世記は人間の堕落を、出エジプト記は人間が救われるということを語ります。レビ記は人間がどうやって神を礼拝するか、民数記は人間がどのような旅路を歩むべきか、申命記は天国(または神の王国)への備えをさせます。そしてこれらの事柄はイエスをどのように指し、どのように証言しているかということと照らし合わせながら考えて読むといろいろ見えてくると思います。(*'-'*)

・・・あ、  自分のブログで書こうと思ったのに、ネタばれしちゃいました・・・〆( ̄▽ ̄;)

>伝道

わたしも遥か大昔、経験がありますが・・・・o(TヘTo) ご想像におまかせしますぅ~(T▽T;)

わたぴーさん 聖書の読み方。
テーマを考えてよむというのは いいアイデアですね。
眠くなりそうな レビ記や民数記を違ったみかたでで読めるかもしれません。
わたぴーさんのブログは、聖書を一緒に楽しく読むための、わたしのようなクリスチャンの卵のための案内になりそうですね。
聖書は解読が非常に難しいですね。。創世記を読みましたが、さっそく疑問が。。また次のときにでも(疑問の多いサマリアです

さて 今日は風邪で調子があまり良くなく、家で,テレビ中継の礼拝を見てみました。(ちなみに日曜日に礼拝中継を一部のテレビで見ることが出来ます。)
ちょうど ライプチヒでバプテスト教会の若者のための国際礼拝があり、
どんなものかとみてみました。
若者の集まりということもあり,ダンスやモダンな賛美歌などが
ありましたが、それほどカリスマ的な感じではなかったので、安心しました。
バプテスト派は、ドイツでは少数ですが、アメリカではかなりの多数派らしいですね。。。
ビリーグラハムもバプテスト派とは、ショックでしたが、、マーティン ルター キング牧師もバプテスト派でしたね。
基本的にバプテスト派は万人牧師といいますか、権威をあまり振りかざさないイメージがよいなとおもったのですが。。
アメリカではちょっと違うのでしょうか。
国によって、また同じ国でも教会ごとに違うので、
一概にどこの教会がいいとか悪いとかいえなそうですね。。。


>さて 今日は風邪で調子があまり良くなく

→体調が悪い時は無理しない方がいいですよ。

>ビリーグラハムもバプテスト派とは、ショックでしたが

→ジョン=ウェスレーもフリーメーソンだったそうです(-_-;)・・・怪しげな霊媒、インマヌエル=スウェーデンボルグの親友ということで・・・
自分の教派の教祖の悪口書くのも何なのですが、「まったき聖化」は人間に絶望を与える「つまづきの石」のような気がして。
私のようにはじめから「そんなレベルに達せるわけねえじゃん!」というようなひねくれた人間なら良いのですが
生真面目な人だと・・・何となく臭い?とは思っていましたが、そのことを聞いた時はさすがにちょっとショックでしたが。
それ以外の教えはオーソドックスなプロテスタントの教えなので安心できます。

どこの教派にも「サタンの楔」が打ち込まれていると思って間違いないです・・・この世は無菌室じゃないから仕方がありません。
油断も隙もありません、キリスト教会はサタンの最大の攻撃のターゲットですから。
それでも私は、失うより得るものの方が多いと思ってますよ。

>国によって、また同じ国でも教会ごとに違うので、
一概にどこの教会がいいとか悪いとかいえなそうですね。。。

→おっしゃるとおりです(^_^)v

ザアカイさん
また中国。。ウイグル地区で警備隊の襲撃がありましたね。。
オリンピックの直前にこれだけのことをして、当日はどうなることやら。
中国でのオリンピック開催自体が、問題を悪化させてますね。
やっぱり、中国でのオリンピック開催も問題を見越して意図的に決定されたようですね。

ダライラマもオリンピックを開催するのに反対しないのも、寛大な心からというより、結局問題がおこることが
わかっているからかなと。。ひねくれた考えをもつ私には思えます。
ダライラマは、欧米では人気ありますからね。
ちなみに彼も今年の5月にベルリンのブランデンブルグ門付近での平和集会で
演説といいますか、民衆にチベットの平和についてかたりかけました。
22000人の観衆があつまりました。わたしも付き合いでいってきました

アンさんが指摘するように、70年代から不道徳も増してきましたね。
今月はArteという人気のある、フランス系テレビ局で70年代をテーマの番組が放映されるのですが。。みるきもしません。女性の性の解放、ウーマンリブ、同性愛の認可【同性愛のミュージシャンがでてきたのもこのころですね】ウッドストックなど麻薬文化が広がる。。。
以前の道徳からの解放、自由ともいえる年代ですね。

わたしは新約聖書がやはり理解しやすくて好きなのですが、とくに
ペテロの手紙一と二も短くて簡潔な文章ですが気に入っています。
ペテロ第二 2章18、19 の自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷となっている。。。という言葉が、現在にも退廃しきった世界に当てはまるとつくづく思います。
そして 残念ながら聖書の教えを曲げ、サタンの世の中に迎合するキリスト教会にもあてはまります。ホモの結婚、そして牧師を認めるのですから。。
ベルリンも非常にホモに開放的で、ベルリン市長はホモですし、1979年からヨーロッパでも有名な年に1度の、ホモや女装趣味の人々の大パーティーも行われています。
通りで女装してあるく男性を見て、???となっている我が子になんと説明すればいいのか。。 
やっぱり私は、もう少しちいさな町に引っ越ししたいのですが。。なかなか難しく。
ため息をつくばかりです

再びザアカイです。
サマリア人さん、本当にコメ欄最多登場、盛り上げてくださり感謝ですm(__)m。
北京オリンピックですが、私はど~も!第二次世界大戦前のヒトラーのベルリン・オリンピックとダブってしまい・・・
「オリンピック後は世界はあ~なるのかなあ?まあ、早いか遅いかでしょうがないかな・・・」と思ってみたり。

>ペテロ第二 2章18、19 →まさしく現代の姿そのものですね。

>ベルリンも非常にホモに開放的で、ベルリン市長はホモですし~

→なな、なんと!知らんかったです(-_-;)・・・
どこがいいんでしょうかねえ?私、女性は三度の飯より大好きですが(^^ゞ
・・・って、いかん、いかん、真面目に書かねば・・・
これでは単なる中年おやじのコメになってしまう(-_-;)

首都東京大地震の日
17日(満月の日)

阪神大震災の日
17日(満月の日)

17日は破滅の日、聖書のノアの方舟にも出てくる
有名な日付け 要注意日! 1日、2日前に赤い月
が出たら間違いなく起こる!

目次の月齢カレンダーをクリック月齢を見ればシンクロ
していると分かる。
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm

>使徒さんへ
聖書では地震の原因を4つあげています。
ケース① 人の罪のゆえに
格言の書30:21-23
アモス8:7、8背信や不公正がまかり通ると地が揺れるそうです。
ケース② サタンのゆえに
イザヤ14:16、17この者が地を震わした、と記載されています。サタンはヨブの子らを大風で死滅さす、またある時はレギオンの力で湖上に暴風を起こして宣教を妨害
ケース③ 自然法則のゆえに
この世はあくまで仮宿であることを悟りましょう。地震は地球が老朽化している神からのメッセージでもあります。永遠の都にこそしんの安らぎ 希望を置いて進んで行かなければいけません。
ケース④ 時のしるしのゆえに
マタイ24:7
エゼキエル38:16、18-20
さらにもう一つ
ケース⑤ 神の栄光のゆえに
パウロとシラスの獄中賛美の時やペンテコステ聖霊降臨時など。また主イエスが十字架で息を引き取られた直後また ゼカリヤ14:3-5の再臨の時です!

あるクリスチャンの母親が戦時中、激戦地に送り出された愛する息子の為に無事な帰りを信じて一生懸命とりなしの祈りを捧げていました。
そんなある晩のこと、突然 心が騒いで祈る必要を感じ 一体何のために祈るのかもわからないまま、とにかく祈りました。
その後 しばらくすると息子が無事に戦地より帰還し母親のもとへ帰宅しました。無事な帰りを喜び迎える母に息子は静かに語りはじめました。
「お母さん。実は僕は戦地で死ぬところでした。
母親がとりなしの祈りをしているまさにその時息子は歩しょうな立っていました。すると狙撃兵の銃撃にあい、弾は左胸に命中気絶してしまったのです。
「僕が死ななかったのか左胸のポケットに入れていた聖書が弾にめり込んでそのまま残っていたんだ。
これを聞いた母親は神様に感謝しました。
確実に迫り来る災害 とりなしの祈りと備えは必要です。詩篇91を朗読すると災いから逃れられるそうです。

もし、先に書いた事が現実となれば・・・・これは!

聖書の暗号によれば、日本とイスラエルは『災害の日』という同じ年に、唯2っ出てくる国だそうです。

イスラエルは原爆のホロコースト! 日本は未曽有の大地震に見舞われると!・・・これが終わりの始まりであり・・・艱難時代の始まりであって・・・
主の再臨、携挙は近いと思われます。

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