2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

ブログパーツ

なんでも&緊急連絡版

« ザアカイ=レポートーⅥ | トップページ | 青島が大変だ »

2008年7月12日 (土)

私は「ものみの塔」のまわし者ではありません

 想像だにしなかったところからコメがありました(^_^;)。私も1年以上前に書いた記事なので内容をチェックしなおしました。間違ったことは書いてないとは今でも思ってます。

 ただ自己弁護になりますが、森を見て、木を見てなかったという点は否定できません。カトリックの中でも、バチカンに対し疑問を呈している方もいることだし、ジュセリーノに対し、毅然とした態度で「あなたは偽善者ではないのか?」と迫る神父もいる。カトリックの神父の助けを受けた、プロテスタントの牧師先生もいる。シスターの姿をした天使?(らしい)の導きによってプロテスタントの牧師になられた方もいる・・・

個人的には、ヨハネ=パウロ1世(1世です、アルビノ=ルチアーノ)においては、尊敬の念すらいだいてます。壮絶なる殉教者なはず。マラキ預言も信じております。

そしてかく言う私も、あるカトリックの方から、多大なるアドバイス、情報提供を受けている一人であります・・・

何が言いたいのかというと、世の中もそうですが、信仰の世界も、杓子定規で測ったように、白黒はっきりつけることは、我々人間の理解力では困難であるということです。二年近く続けたブログ活動で分かったことです。100%否定は出来ないということでしょうか?偽善者ぶって人の事をとやかく言える立場ではない・・・ということも自分自身の歩みの中で示されました。

ただ、「マリア崇拝」と「エキュメニズム(教会統一一致運動)」だけは、どう転んでも受け入れることは出来ないとだけ、ここでは書いておこうと思います。それを言ったら、ビリー=グラハムもエキュメニカル賛成で、同罪ですが。たとえ宗派、信仰が違えど、いい所は取り入れ、悪いところは拒否する態度が重要なのでしょうね・・・と偉そうに聞こえたならば、寛大な心でお許しください。

とここまではカトリックに関して。

「ものみの塔」ですが、わがブログを一部しか読んでないようですね(^_^;)・・・我が家にも地域伝道における長老の方が、定期的に訪問に来ます。おもしろがって、教理論争を挑んだのが間違いでした(ーー;)。何度ディベートしても痛み分け・・・それでも来ます(-_-;)。

人間的には温厚でとても「いい人」です。しかし「いい人」と「正しい人」とは違います。エホバの証人でなければいい仲間になれたのに・・・と思うと残念でなりません・・・

 まず私、教祖のチャールズ=ティズ=ラッセルの欺瞞から教えられたので、この時点ですでに勝負ありなのです。あの時代、あの小冊子を発行するのにどれだけの資金を必要としたか・・・巨大な組織の影がちらつきます。あのF=スプリングマイヤー氏が身の危険を覚悟で(実際に今、刑務所の中)書いたレポート。ウソのわけがない。確か彼自身、ものみの塔に一時期いたとか?記憶が定かではないのですが。

 聖書に「血を避けよ」とレビ記なり使徒行伝にありますけど、輸血を拒否して死なせるのが神の御心とも思えないし、イエスの公生涯から察するに、偽善であると思えます。そして144000人が、バブテスマのヨハネ以降の人物云々とか、ものみの塔の長老からとか、聖餐式でぶどうジュースを回すだけ(小ばかにされているということが分からないのだろうか?)、キリストによる救いとなるとうまくごまかすし・・・伝道活動をするのは立派ですが、その行いの実績によって救いに与るなど・・・明らかなるカルトです。「救い」は信仰義認のはず。信仰の土台はキリストですが、その上に建てる家は個人にかかっているわけで・・・強制されるべきものでもないでしょう。信仰に立っておこなって、家を立ち上げればいいわけで。そしてその働きは人それぞれ違うはずだし・・・(マタイ伝、ローマ書参照)

 ただ誤解を恐れずに言うならば、これまたエホバの証人は、誰にでも分かるウソ=100%デタラメというわけでもなく・・・納得できることも言う(-_-;)・・・

だから統一教会、モルモン教会に比べ、一筋縄ではいかないわけなのです。

そうそう忘れてました、明日のための霊的備え~その2

勇敢だったヤマト(と言っても、宇宙戦艦ヤマトですが^_^;)のクルーから学びましょう。友のためならわが命惜しくなどない・・・自己犠牲の精神、無償の愛・・・かっこよかったですね。また、ささきいさおの「真っ赤なスカーフ」がいいですねえ~。

« ザアカイ=レポートーⅥ | トップページ | 青島が大変だ »

宗教関連」カテゴリの記事

コメント

お久し振りですザアカイさん^^
ものみの塔の一般信者さんは自らの教義の知識もさることながら、適格にキリスト教の弱点(どう捕らえるかの問題だと思いますが、、、)をついてくるみたいですね。
お互い生半可じゃ話し合いも出来ないと何度も聞いたことあります。

ザアカイさんはエホバというよりは終末論の多さからレムナント系と捕らえてますが、そんな感じなんでしょうか?


はじめさん、どうも。
エホバの証人はレベル的に、ちと古いですがオウムの上祐フミヒロみたいな感じです(笑)。手強いです、論破するのは至難の業でしょう。

>終末論の多さからレムナント系と捕らえてますが

→どうなんでしょうね?黙示録を通して覚醒したのは確かですが(笑)。ただ今の時代に生まれてなかったら、違っていたかもしれません・・・キリスト者になってなかったりして?

たまたま偶然でしょうか、↓ここで議論してました。手強いですよww

http://speedo.ula.cc/test/r.so/life9.2ch.net/psy/1213540478/l10?guid=ON

わたぴ~です。<(_ _)>

エホバの証人に関しては、すでにいろいろなHPやブログなどでその矛盾体質が論証されていますので割愛しますが・・・。

9・11のアメリカ同時多発テロ事件において、「世の終わりが来た!」と錯覚した全米のエホバの証人が、ものみの塔本部の建物内に殺到して来たそうです。それって・・・、

「神の保護より組織の保護」を信頼してるってことなのか!? w( ̄△ ̄;)w

いったい聖書から何を学んでいるのでしょうねぇ。(-"-;) まぁ、どの宗派であれ信者の信仰心もピンキリですが、とはいえ・・・。

以下、個人的感想 (゚~゚o)

>論破するのは至難の業

というより、話している本人(エホバの証人)自体が、論理の矛盾に「気付いていない」ので、話が噛み合わないだけだと思います。彼らは自分たちのみが「神によって選ばれた民」であるがゆえ「自分たちだけが真理を知っている」と盲信しているので、話をする前から「自分たちが絶対善」であり、それ以外の人々は「サタンの世の間違った人たち」というスタンスです。
そして最終的には信仰という目に見えないものを感情論にすり替えてしまいます。どんな話でも感情論になってしまえば、埒が開かないのは言うまでもありません。エホバの証人の方々の中にも良い人たちはいますから、全ての人がそうであるという訳ではありませんが。(-_-)

正直、エホバの証人が手強いとは思いません。彼ら自身が「何を」認め「何を」認めないのかという問題なので、こちらの論証レベルの問題ではありません。また、論破することが「王国を述べ伝える」ことでもありません。

で、「ものみの塔聖書冊子協会。エホバの証人神奈川県大和会衆」さんのコメントですが、

「この子羊通信の内容は、私たちエホバの証人の主張と完全に一致しており、私たちエホバの証人は、カトリックの信者の家庭訪問をしたり、カトリック教会を訪問し子羊通信の内容を引用して、カトリックの信者を正統的キリスト教である、エホバの証人に導こうと思います。」

・・・・なんか変ですね。( ̄  ̄;)

エホバの証人にとってカトリックなどのキリスト教は「大いなるバビロン」であり、あえてカトリックの信者の家庭訪問やカトリック教会を訪問するということは聞いたことがありませんが。

またエホバの証人に導く為に何故「聖書からでなく」子羊通信の内容を引用する必要があるんでしょう?聖書からだけでは不十分ということなのでしょうか。┐( -"-)┌

わたぴ~さん、いつもながらタイムリーなフォローですm(__)m。

>というより、話している本人(エホバの証人)自体が、論理の矛盾に「気付いていない」ので、

→わたぴ~さんの書き方の方が分かりやすいですね。宇宙人とお話しするようなものです(笑)。

>また、論破することが「王国を述べ伝える」ことでもありません。

→これまたこの方が適切な表現ですね(^^ゞ

>エホバの証人にとってカトリックなどのキリスト教は「大いなるバビロン」であり

→そのようですね。うちの牧師先生も、プロテスタントの教会であっても!エホバの証人が訪問に来るとおっしゃってました(-_-;)・・・
おまけに、もし本当にわがブログ記事を引用されたりしたら・・・いい迷惑ですが。

とにかく他教団の教えを聞くことを堅く禁じられていますからね。北朝鮮状態なわけで。
私みたいに、あまりに多くの教えを聞きすぎて混乱するのもまた・・・問題ですが(-_-;)・・・

まあ、御国で直接主にお会いして聞かないと分からないだろうことは・・・多いのは確かですね。

それにしてもわたぴ~さんて・・・何者?

わたぴ~ですm(__)m

>他教団の教えを聞くことを堅く禁じられていますからね

そうそう、それ書くの忘れてました。(;^◇^;)ゝ
彼ら(エホバの証人)にとって他宗教の教えに触れたり見たりすることは、「悪霊の影響を受ける」「背教に繋がる」ことになるので固く禁じられているはず。「ものみの塔聖書冊子協会。エホバの証人神奈川県大和会衆」さんが、このブログに書き込んでいること自体が不自然なんですよね~。(;¬_¬)
にもかかわらず「元エホバの証人」ではなく、現役のような内容のコメントですし・・・。(-_-;)
なので「・・・・なんか変ですね。( ̄  ̄;) 」と書いたわけです。

>それにしてもわたぴ~さんて・・・何者?

ただの通りすがり・・・(じゃなくって(; ̄ー ̄)...)
ただの一般小市民・・・(普通誰でもそうでしょってばo(- -;*)ゞ)
ただのオヤジ・・・(ある意味正解!( ̄∇ ̄*)ゞ)

して、その正体はっ !!(゚□゚*)

「このブログのただの小姑ですぅ~」(ノT∇T)ノ ))))))(;^ω^A

まぁ、今は情報化社会なので、いろいろ調べていればそれなりのことは判りますからね~。〆( ̄▽ ̄;


>にもかかわらず「元エホバの証人」ではなく、現役のような内容のコメントですし・・・。(-_-;)

→な~る。そこまで深く考えませんでした(^_^;)、まあいいとしよう(笑)。

>今は情報化社会なので、いろいろ調べていれば

→いえいえ、情報過多時代で、玉石混交。取捨選択するだけでもかなり高度な能力が要求されますから。

ザアカイさん
エホバの証人は、おいしいごちそうに一滴の毒をたらして、食べることが出来なくなった食べ物にたとえられると思います。聖書を盾にどんなにいいことを言い、日傘をさしつつ子供さん方を連れて福音伝道に回ったとしても、一滴の毒、すなわち「イエス・キリストを神の御子と認めない」ことにより、神の目にはすべてが毒であり、受け入れられていないのではないでしょうか?(ヨハネⅠ 4・2-3)

私の性格は、欠点だらけでスローペース、超がつくほどの物忘れが激しく(あちこちに傘を忘れるあのタイプ。おかげでコンビ二のビニール傘がお似合い)、極度の方向音痴。おまけに体も丈夫ではなく・・・。しいて長所をあげるなら、楽天的、気長といったとこでしょうか。このような者を陶器師なる主(イザヤ64・8)は、なぜお造りなったのでしょうか・・・?と嘆くこともしばしば・・・。このような愚かな者ですから、もし(間違いだったらごめんなさい)ザアカイさんの中で理想のクリスチャン女性を私にダブらせている点が少しでもあったら、捨て去ってくださいね。頭脳明晰なザアカイさんとは天と地の差なのですから・・・。でもザアカイさんこと好きですよ。主にある兄弟として・・・(笑)  (エペソ5・25、28)主の御心を行えますように~。

このような愚かな私は、告白しますと一度だけ幻を見たことがあります。(あ~またへんなこと言ってるぞ~ という声が聞こえてきそう) ある日、ホットミルクを作ろうとして、お鍋にミルクを入れて火をかけたまま、愚かにも買い物に出かけたのです。まったく忘れ去り、頭の中は夕飯のことでいっぱい。スーパーに入ったとたん、そう、お野菜コーナーのレタス(笑)を見た時、目の前に鍋から煙がでている光景がはっきりと見えました。もちろん回りの光景も見えているのですが、なんといいましょうか・・・次元が違う空間に見えました。ほんの一瞬でしたが、すべてを悟り、すべて思い出し、顔が青くなって家に帰ってみると、それと同じ光景が繰り広げられていました。火を止めた時、あと数分遅ければ火事になっていたと思いました。
私が体験したことは、たいしたことではなく、このように主を信じる者を日常生活のささいなことも見守り、危険の時には助け出してくださる主に感謝しました。私の場合、危険が差し迫っていたので、このような方法を主はとられたのだと思います。主は生きておられるとを体験できたことは、愚かな私の失敗も益にしてくださるのだと思いました。(箴言3・26)(詩篇91・10-13)

※宇宙戦艦ヤマト・・・懐かしいでした(笑)

enjeruさん、こんにちは。

おっしゃるとおり!我々にあっては、徹頭徹尾キリスト本願でなければ。エホバの証人が使っている聖書だって、独自の新世界訳でしたっけ?まともに読んだことありませんが、エホバ~、エホバ~の連呼で(神の名をみだりに唱えてはならないとあるでしょうに)、キリストはどこ行ったの?という感じですからね。

>火を止めた時、あと数分遅ければ火事になっていたと思いました。

→聖霊が働いてくださったのでしょうね(^_^)v。何気ない中にも、密かに人知れず働いてくれているのだと思います。自分自身を振り返ってもおそらく、主を信じる以前からそうだったんじゃないかなあ?などと思うことがありますよ・・・

私も時々、「何で私みたいな能なしがこんなことやっているんだろう?もっと適任者がいくらでもいるだろうに!なんでよ?」と思います(それなりに分かってくれる方々がいるのは感謝感激ですが)・・・そしてよく、クリスチャンらしくない?この世のことに詳しすぎる(-_-;)、もうちょっと真面目にやんなさい!品位を落とす(笑)とかいう声が聞こえてきそうなこともわかってます(;一_一)・・・

結局・・・有力なものを無力なものにするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。 Ⅰコリント 1:28~29

ということなのかなあ?などと。

それにしてもenjeruさんて・・・おもしろい方だったのですね(^^ゞ

再度わたぴ~です。<(_ _)>

>それにしてもわたぴ~さんて・・・何者? と振られた時に

「私は「ものみの塔」のまわし者ではありません」

と答えておけば「お後がよろしいようで~・・・♪チャンチャン!と閉めれたのに~!(_△_;
う~ん・・・私もまだまだ詰めが甘いようです。Σ(T▽T;)

>情報過多時代で、玉石混交。取捨選択するだけでもかなり高度な能力が要求されますから

その通りですね。振り回されないようにしなければ。o(;-_-;)o
目先のことにいちいち拘るのもなんですが、「印やキッカケ」を見落とさないためにも取捨選択するのもかなり苦労しますが。(゚ー゚;三 ;゚ー゚)

>私も時々、「何で私みたいな能なしがこんなことやっているんだろう?もっと適任者がいくらでもいるだろうに!なんでよ?」と思います
>クリスチャンらしくない?この世のことに詳しすぎる

右に同じです。σ(^_^;) その分いろいろ経験し学んでいると・・・いうことにしておきましょう。

>宇宙戦艦ヤマト

同じ松本零士作品なら「銀河鉄道999」が好きですね。私、独身ですが、もし自分に子供がいたら絶対見せたい作品ですね~。('▽'*)


enjeruさんへ

>次元が違う空間に見えました

私が聖霊の支えを受けた時もそんな感じでしたよ。私の体験談はいずれここでお伝えできればと思います。うまく言葉で説明できるかどうか自信ありませんが・・・( ̄∇ ̄;)

ザアカイさん

>それにしてもenjeruさんて・・・おもしろい方
 そうですよ。素の私はこの通りのドジな者です。理想、壊してごめんなさいね。

わたぴーさん

独身の方だったのですね。
いつか、聖霊の体験を聞かせてくださいね。主にOKがでたら・・・。祈っていますよ。サマリヤさんとともに。

おひさしぶりですhappy01
エホバの証人の話題ですが。。
わたしも実は。。知り合いにいまして。。個人的にはたしかにいい人たちであると思ってます。
難しいとこですね。。わたし以前も申し上げましたが。。三位一体論に関しては彼らの見方が合っているような気がしてて。。
たしかエホバの証人はキリストの事は神の一人子、そして救世主だとと認めていた思いますが。 ただ神はユダヤ教や、イスラムのようにただ一人、つまりはヤハウェ(彼らはエホバと表記していますが)だけだと言っているのだと思います。  人間であれば王の子供は王子であって、もし、王が死ねば王子が王になる。。でも神は死なないからイエスは神の子供であって神にはならないかもしれない。。

でも、ヨハネ1章1節の言葉とはキリストの事ですよね。。そうするとキリストは神となりますが。。少なくとも同等とは思えないのです。
理由は。マルコの書で10章17、18節に神以外によきひとはいないといっていることから。。キリストよりも神は上の位?である事をしめしています。でも 、多神教になっては困るから、苦肉の策で三位一体論を考えだしたのでは。。と私にはおもえるのです。

どうしても三位一体論だけが引っかかるんですよ。
たしかに聖書には書いてありませんからね。。
 ニカイア会議で多数決で決められた論なのですから。
こんなのではいつまでたってもクリスチャンになれませんです。coldsweats01 クリスチャンのバプテスマを受けるときは、神が三位一体だという事をしんじるのが、必須ですからね。。
アリウス派は少数意見だったのですよね。わたし、アリウス派に同感なのです。。でもエホバの証人にも、ユニタリアンにもなるつもりはないですし。。困りました。。レムナント教会も三位一体の神を信じるのが条件ですよね。。わたし、さまよえるサマリア人です。

バルナバです。
エホバの証人では、ミカエルがイエスだと教えています。
彼らは十字架に架かった日を記念日にし、復活は祝っていません。
輸血の拒否は、血による贖いを信じていないからでしょうか?
北野たけし主演のドラマや原作本(題名を忘れてしまいました)は
かなり好意的に描いていましたね、灯台社を創立した人が本部に
質問状を送った事などはこの本で知りました(裏切り者のレッテルを
貼られているようですが)
以前ある証人の方に、
「わたしが道であり、心理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに
来ることはありません」ヨハネ14-6
その方は「私の信仰は、あなたの信仰とは違う」と言って帰りました。
早く本当の救いを受け取ってほしいと思っています。

またまたしつこくわたぴ~です。<(_ _)>

サマリア人さんへ

お元気ですか?(o^∇^o)ノ 日本は梅雨のジメジメで暑苦しい毎日です。(-"-;A ドイツはどうですか?

>どうしても三位一体論だけが引っかかるんですよ

例えば「人間の子は人間」ですよね?けれど人間は「形容詞」であって「固有名詞(名前)」ではありません。それから親と子という続柄(立場)は変わることがありません。
神についても同じように「神の子は神」です。そして固有名詞も続柄もあり・・・というふうに考えれば、イエスご自身を「神」あるいは「神の子」と呼ばわっても両立し得ます・・・よね?(゚ー゚;A(かなり不安・・・)

ただ聖書を見る限り、イエスは自分が父なる神から全権を委ねられている故、神の代理者として「神」であると言うこと(言われること)を否定されなかっただけなのかも知れません。

しかしそうなると神の創造物は全て神の子ということになりますね。(*'-')b では全ての創造物はいつか神となるのでしょうか? 神は創造物を「各々その役割に従って」創られましたから、天使も人間も動物もその役割を超えて神となることはないでしょうね。人間は神の像に似せて創られましたが、それは神の栄光を顕すためであって、いつか神そのものになる為ではありませんでした。ではイエスについてはどうでしょうか・・・?

「わかりませ~ん」(TwT。)

イエスは天で大祭司として神の右に座しておられる訳で・・・。

>たしかに聖書には書いてありませんからね

その通りですね。ですから三位一体についてはワタクシ、肯定派でも否定派でもありません。ただ神の言葉を踏み越えないようにしたいだけなので、「解らないことは解からない」と割り切り、そっとしておくのが一番かと。(;^◇^;)ゝ(考察は続けますが)

>クリスチャンのバプテスマを受けるときは、神が三位一体だという事を信じるのが必須ですからね。。

そうですね。信仰告白でありますよね。でも三位一体を本当に理解してバプテスマ受けてる人ってまずいないでしょうね。(^▽^;) とりあえず、こんなもんでしょう~って感じで。(゚ー゚;A
でもサマリア人さんのように、これからバプテスマ受けることを考えている人たちにとっては鬼門かもしれませんね。(-_-;)
本来なら「神を愛しイエスの贖いによる救いを信じる」だけで十分だと思うのですが。(^-^;)

う~ん、どうしましょっ!! (;~〓~)
誰かサマリア人さんの為に一肌脱いで挙げてくださ~いっ!\(;゚∇゚)/
私の頭ではとっくに限界点超えてますぅっ!。。゙(ノ><)ノ


バルナバさん、はじめまして。よろしくお願いします。<(_ _)>

>灯台社を創立した人が本部に質問状を送った事などはこの本で知りました

もし私の勘違いでなければ、明石順三さんのことではないですか?私、直接面識も関係もないですが、私の知人の知り合いです。かなり昔のことになりますが、その話も含めいろいろと話を聞いた覚えがあります。今では内容をすっかり忘れてしまいましたが。(^▽^;)

>早く本当の救いを受け取ってほしいと思っています。

真の神を愛し崇拝する気持ちを持っている人であれば、信仰や立場や状況は人それぞれでも、その気持ちは大切にしたいですね。神はきっとその気持ちをご覧になり、大切に扱って下さると思います。ふさわしい時がくれば神の御意志がなされるでしょうね。(*^-^)


わたぴ~追伸です。<(_ _)>

書き忘れたので、もう一言だけ。(^▽^;)

>そうするとキリストは神となりますが。。少なくとも同等とは思えないのです

同じ人間であっても「親と子」では権威も役割も同等ではないのと同じように、同じ神であっても「神と神の子」では同等ではない・・・ということなのでしょう。

ちゃんとうまく伝わっているかどうか・・・不安です。(゚ー゚;A

こんにちは わたぴーさん
バルナバさん ご回答ありがとうございます。happy01

ベルリンは先週から雨がふったりやんだり梅雨のような天気。涼しいです。スイスやドイツの山岳部ではゆきがふったそう。異常気象??

わたし、異端なのかしら?
幼子のようになれない(というか子供みたいに疑問が多いとも言えるかもしれない。なんでなんで??という風に)疑問が解決できないとなんか落ち着かないたちで。。
イエスが神だと2神論になりそうで、、ひっかかるんですよ。3つで一つなんですよね。
前にもかきましたが、三位一体って。。私の中ではクローンを思い起こさせてしまうし、、分身の術みたいで、、分けわからないんですよ。(みなさんおこらないでー)

神様かキリストに本当のところ教えていただきたいところですが。。教会が信仰告白の条件かえてくれる訳もなく。(神と御子キリストとそのあがないを信じます。だけじゃだめですよね。)
神の子供は神。。キリストは初子ですよね。
天使も神のこどもですよね。
キリストは人間で言うと、長男というところでしょうか?長男の権利というのは聖書の中でも絶対ですよね。そんな感じで理解すればいいのでしょうか。

ちなみに 景教ネストリウス派もありますよね。これ、納得できるんですが。
異端扱いですね。。現代のネストリウス派はかなり変化してカトリックよりになってるみたいですし。イコン崇拝とマリア崇拝はできませんし、場所がありません。
わたし。。むかしから変わり者(とってもマイペース人間なんですよ。長いものにまかれられないというか。我が道をいくタイプで)と呼ばれているのですが。キリスト教の価値観も異端なんでしょうか。。ショック
サマリア人(異邦人)じゃなくてアウトサイダー(異端児)になってしまう。ハンネかえた方がいいかしらcoldsweats01
教会の考え方だと三位一体を信じないと救いはないんでしょうか。なんかネットでみるかぎり絶対的真理のような扱いですし。。わからなくても素直に受け入れるべきなのか。

でもアブラハムなど旧約の人々は信仰によって神に認められているんですよね。もちろんかれと比べることは到底できませんが。。。でもキリスト以降は洗礼が救いになるという見方ですし。。やはり時期を待つしかないのでしょうか。

まとめてレスします。

メーテルは好きでした・・・って、どうでもいいじゃん(^^ゞ。

真面目に行きましょう(-_-;)。

>エホバの証人では、ミカエルがイエスだと教えています。

→そんなわけなかろうに!
知りませんでした。バルナバさん、ありがとうございます。

それにしてもサマリア人さん・・・よりによって難解中の難解に・・・おそらくこれは、御国で直接、主にお聞きするまで分からないですよ・・・私もよくわかりません。

>「解らないことは解からない」と割り切り、そっとしておくのが一番かと。(;^◇^;)ゝ(考察は続けますが)

とのわたぴ~さんのスタンスでいいと思いますよ(-_-;)・・・

「わたしが道であり、心理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに
来ることはありません」ヨハネ14-6

とバルナバさんが引用してくれた箇所が分かっていればそれでいいと思います。仲介者、ネゴシエーターという概念はキリスト教独特ですからね。ユダヤ教にも、イスラム教にもありません。これが分からないとキリスト教が分からないわけで。

その初めにおいて、受肉してこの世にこられた時はともかく(おいおい^_^;、人間の親子関係であったとしても)、少なくとも今は贖い、復活を経て「父なる神の右に座し、すべての権威を任せられていて、我々のためにとりなして下さっていて」、まもなく再びメシヤとしてこの世に王として来られる。今や完全に父なる神とイコールである。(時間軸で考えるザアカイ論方・・・ダメかな?きっとダメでしょう涙;)

・・・でいいんじゃないでしょうか。

能力の限界を感じます・・・残念ながらここまで

行き違いのようでした。補足です。聖書研究会のようになって来ましたね^_^;。

>教会の考え方だと三位一体を信じないと救いはないんでしょうか。

→そんなこと無いと思いますよ。私も三位一体は理解できずにいます、というより!納得できる説明が出来る人・・・聖書学者、神父、牧師、神学者を含め世界で何人いるのでしょうか?真実は主イエス(御国でもおそらく父なる神は見えないでしょうから)しか知らないかも?です・・・使徒の時代、三位一体という概念はなかったのですから。

>でもキリスト以降は洗礼が救いになるという見方ですし。。

→そのように捉えている教団もあるかもしれませんが、聖書を読む限り、パウロ先生によると「信仰義認」だけでいいはず。
旧約の時代と変らない真理だと私は解釈しておりますが。

遅くとも今年の9月にはオルメルトが退陣しネタニヤフが再登板しそうです。
動き出すのはやはり北京五輪後の8月、9月でしょう。

やっぱり も一度わたぴ~です。(;^ω^A

サマリヤ人さん、お気持ちはよ~っくわかります。o(≧~≦)o
三位一体の教理も大切ですが、それ以上にバプテスマ受けるためには切実な問題になってきますからね。(-_-;)

>疑問が解決できないとなんか落ち着かないたちで。。

それはみんな同じですよ。みんな疑問だらけだと思います。特にワタクシの場合「旧約聖書」。疑問多すぎ。普通の人が現代の感覚だけで読めば、まず「つまずく」でしょう。・・・(゚_゚i) 未だに謎だらけです。

>わたし、異端なのかしら?

そんなこと言ってたらワタクシなんて「ドッタンバッタン」です。(゚゚;)(。。;))((;゚゚)(;。。)

>我が道をいくタイプで)

ワタクシもそうですよ・・・というよりワタクシの場合、単なる我が儘ですが。(;^_^A ザアカイさんも言われている通り「三位一体を信じないと救いはない」というのは教会の教理であって聖書の教えではないんですよね。「キリスト以降は洗礼が救いになる」ということもありません。それではバプテストのヨハネがキリスト(救い主)であり贖い主と同等になってしまいますから。

でもそんなこといっってたら、いつまでたってもバプテスマ受けれないし。
奥の手がなくはないですが聖句の解釈の仕方によるので・・・( ̄_ ̄ i)


サマリヤさん、こんにちは。
三位一体、私も分からず教会にいた時、牧師先生に尋ねたものです。私の中でどうしても、「父なる神」、「子なる神」「聖霊なる神」の順番で偉いように感じてでまって・・・。その答えとして、水、氷、蒸気は、物質は同じだけれど在り方が違うので、目に見える状態も違う・・・、それと同じことだよ・・・と。なんとなく分かったのですが、それが神とはたして一致できるなかな・・・?なんて。私、今でもはっきりと分かっていませんよ。皆さんと同じで・・・。聖書は、バプテスマを受けたから救われるとはいっていないと思います。「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです」(ローマ10・9) 三位一体を信じないと救われないということではなく、イエスさまを心で信じるなら、救われていると聖書は言っています。サマリヤさんは、イエスさま、信じておられるようなので、もう救われていますよ。私、姉妹と思っていますから・・・。バプテスマは焦らず、祈っていれば時を与えてくださると信じます。ここにおられる皆さんもサマリヤさんのために祈っておられると思います。信仰って・・・いろいろな教義とか、ありますが・・・本当はとても単純で、幼子のようにイエスさまを愛する者を主は喜ばれると思います。つたない説明でごめんなさいね。祈っていますよ。(ヨハネ11 25-27)

enjeruさん ザアカイさん
そしてワタピーさんありがとうございますhappy01 困った子ちゃんのサマリア人に
アドバイス、励まし、感謝します。

教理って難しいですね。でもキリストが神である。。これを信じないとクリスチャンではないというのが一般的ですよね。
エホバの証人も、キリストは神とは信じていないから、方々からクリスチャンでないといわれていますし。。どうなんでしょ。
創始者のラッセルがイルミナティと関わっているという話が真実だとして。それを知っている信者の人は皆無だと思うので、気の毒だと思うのですが。

実はわたし 日本語の口語訳以外に、ドイツ語のルター聖書、そして。。1912年に発行されたドイツ語のルター聖書持っているのです。
そのヨハネ1章18節にですね。。
口語訳と、ドイツ語の新版ルター聖書には
>神を見たものはまだひとりもいない。
ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。
とかいてあるのですが。。
1912年のルター聖書には
>ただ父のふところにいるひとり子が、神をあらわしたのである。
とあるのです。新版にもルターはほかの原典の解釈(参考?)からひとり子なる神とは書いていないと注記には書いてあるんですよね。
私は残念ながら、ギリシャ語とヘブライ語の原典は持っていもいませんし、読めません。
教会の牧師さんがはたして、古い原典を読んでいるのかわかりませんが。。改ざんされている恐れはないのでしょうか。だれか古い原典に詳しい方いますでしょうか。
小石牧師さんにメールで質問したらなにかわかるかしら。。それともそんな事きいたら、エホバの証人の回し者っていわれるかしら。
エレミヤ牧師さんには絶対きけません。こわいです。たわけものっていわれそうで。

神はひとり、キリストは神でなくて神の子、救い主、唯一の仲介者という解釈でとりあえず、神とキリストを賛美したいと思うのですが。。
中世だったら、異端審問受けて問答無用、火あぶりの刑といったとこですね。coldsweats01

わたぴ~です。<(_ _)>

>だれか古い原典に詳しい方いますでしょうか。

今チョッと時間がないので、改めて後日調べて報告します。(時間掛かるかもしれませんが)

まぁ、あんまり期待しないでね~。(;^◇^;)ゝ

 主が昔その業をなし始められる時、その業の初めとして、わたしを造られた。いにしえ、地のなかった時、初めに、わたしは立てられた。まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、私はすでに生まれ、山もまだ定められず、丘もまだなかった時、わたしはすでに生まれた。すなわち神がまだ地をも野をも、地のちりのもとをも造られなかった時である。彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、私はそこにあった。彼が上に空を堅く立たせ、淵の泉をつよく定め、海にその限界を立て、水にその岸を越えないようにし、また地のもといを定められた時、わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、その地で楽しみ、その地で楽しみ、また世の人を喜んだ。 箴言 8:22~31

→小石牧師は、この箇所を引用してその初めから、すでに主イエスはいたし、天地創造の現場監督?らしき仕事を父なる神から仰せつかっていたと、HPメッセージで書いてます。

初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。この言葉は初めに神とともにあった。すべてのものは、これによって出来た。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言葉に命があった。そしてこの命は人の光であった。光は闇の中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

→エレミヤさんはこの箇所をよく引用して主イエスの神性を強調します。

納得ですよね。しかしこれでは ・唯・一・ の神と言うには・・・?

ウェインランド師は、キリストの誕生は聖霊によりマリヤの受胎の時であるとしております・・・
聖霊は神の力であると、半神論ですね。まあ、ここまではアリウス派と同じなのですが、十字架上での死により、人類の贖いが完成して、復活して天に挙げられ(ここで初めて偏在が可能になったそうです)神に等しい者となったと・・・人類の救いの型であると。そしてメシヤとして近いうちに再臨するのだと。だからキリストは信仰の手本でありその長子なのだと。我々も復活した時にはGod's Family として似た者(神の家族)、あくまで天使のような神の ・家・族・ です、になるのだと著書で書いてました。要するに今では半神から完全なる神になったのだと言っているわけですね。

師が預言者でなかったとしても、全くのデタラメとも思えず、それどころかこの方がスッキリ分かりやすいくらいですが・・・私ではどちらが正しいのかわかりません・・・どちらも正しいと思えますが、どちらかが間違いなのでしょう。主に直接聞くまでは分からない!分からないものは分からないのだからしょうがないと思ってますよ。ある意味、人間の理解力を超えてます。参考になれば。


ただ、これだけ↓は間違ってないと確信しております。

彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らを覆い、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け。」 マタイ 17:5

とあるのだから、自信を持って!主イエスを来るべきメシヤ=神として崇拝していいんだということです。

父なる神でも神の御子でも神には違いないということでいいじゃないですか。ただ父なる神のミッションを受けて、人としてこの世に遣わされた事があるということです。仮に一時的に半神だとしても父方のDNAは神なのには違いないのですから。極端な話、神のDNAを持つ以上、神ですよね?

・・・(-_-;)、と偉そうに書いてしまいましたが・・・無理やり自分を納得させているんです(ToT)/

ヨハネの福音書14・7~11

あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。
わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。
わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。

バルナバです私も解らないことは、解らないで良いと思います。
 イエスさまの十字架の贖いは自分自身のためであったと信じて
イエスさまを心に受け入れてください。
サマリヤ人さん、まず自分が礼拝できる教会が見つかるように祈っています。

>イエスさまの十字架の贖いは自分自身のためであったと信じてイエスさまを心に受け入れてください。

→バルナバさん、ナイスフォローありがとうございました。

ザアカイさん、わたぴーさん バルナバさん
ありがとうございます。
答えがでにくい質問をしてすみませんcoldsweats01
キリストのあがないを自分のためだったと感謝して受け入れます。三位一体はまだよくわからないのですが。
教会。。そうですね、よいとこが見つかるといいのですが。

それにしても。。食料の値段は勿論、ガス代も40−50%ぐらいあがりそうです。wobbly
節約しなくては。。 ニュースでも特に低所得者層の家計がかなりきびしくなるとあります。負債を抱えている人もかなりいるようです。ガソリン代を浮かすために、大型車を売り払う人も増えてきています。
日本でも同じでしょうが。。食料自給率の低さからいって、、心配ですね。
これから厳しい世の中になりますね。。

で7月16日ですが、第2のラッパ吹かれるのでしょうか?
なんか、ウェインランドさんってメッキが剥げている気がするのですが…
日本時間でギリギリ明日の今時分まで何もないなら、ウェインランドさんは偽予言者認定で良いのじゃありませんこと。
仮に彼をまったく無視したとしても神の終末時計は確実に最終コーナーに近ずきつつあると思えるからです。
1973年から35年
1948年から60年
グッドタイミング的には今年初秋にクリスチャンの携挙の第一便
続いて半年ぐらいの時差で七年患難突入ってシナリオにならないかな。。

4月17日この日は、第7の封印の最初のラッパが鳴り渡る日と予言してましたよね
ラジオで~45-90日以内に第2の鳴る。これは具体的にはオフショアへの核攻撃だ!云々~、
今日がギリギリ90日なんですけど

申命記18:20
ただし預言者がわたしが語れと命じないことを、わたしの名によってほしいままに語…るならば、その預言者は殺されなければならない。

過去にも偽予言をして不可解な死に方をした方々がおられました。
ものみの塔の三人の会長たちです。

初代ラッセル、1914年に世界は終わると予言し、1916年に心不全で死去
二代目ラザフォード、1941年あと数ヵ月でハルマゲドンだと予言し、1942年に癌死
三代会長ノア、1975年に千年王国はじまると予言し、1977年突然死
それほど神の名による預言者は厳しいものなのです。はたしてウェインランド氏の行方は如何に

アン=シャーリーさん・・・避けたかった話題ですが、逃げるのは御心じゃないようですね(ーー;)。

第二のラッパは吹かれてないと思いますね・・・第一のラッパが吹かれたとして3ヶ月がたったわけで、本当に吹かれているなら、タイムラグがあるとしても、今頃余裕かましていられないと思います・・・師は聖書的ではあると思えますが、預言となるとこれまた別でしょう。新約最大の預言者が終末に関する重大な預言を間違えるとは思えないし・・・

>仮に彼をまったく無視したとしても神の終末時計は確実に最終コーナーに近ずきつつあると思えるからです。

→これは私もそう感じます・・・いい線いっていたとは思いますが。

いい訳になりますが(いいわけ大の得意です^_^;)、一日でも早く~!というわが思いが強すぎたのは否定しません。

ま、参考にはなったことだし、一連のシリーズは削除せずに残しておこうかな?と。

わが愛するフリッツ=スプリングマイヤー兄弟にしても、2000年に核戦争を予測し、シェルターにこもったというエピソードもあることだし。しかしながら、私の尊敬するクリスチャンの一人には間違いないのですから。

そうですね。
逃げたら阿寒湖
周遊すれ蒸気船になっちゃいますよ♪
ちなみにジョン・フォード監督アン・シャーリー出演です。

赤毛のアンの本名をそのまま芸名にしたアン・シャーリー、

私はカルピス劇場のアンとダイアナの友情が好きです。決して逃げないで困難に立ち向かっていくから賞賛されるようになるのです。♪君の勇さお、ほむべきかな~十字架の陰に泉わきて

いさおと言ってもポッポちゃんの旦那様じゃないですよ。

頑張ってください。

あらためてザアカイさんの特にウェインランド氏関連を粒さに読まさせて頂きました。
去年のはじめからの2つの著作の意訳といい、エネルギッシュな活躍御苦労様でした。

ウェインランド氏が断言するように、個々の詳細はともかくとして、今年秋(2008年11月)までにアメリカに核攻撃が仕掛けられ、約半年の猶予期間を経て、アメリカという国が歴史の舞台から退くや否か、見極めるまでは彼を偽予言者と確定するのは早急な判断かな~と思うのですが
如何でしょうか?

唯一神に用いられたモーセやエリヤでさえ、いろいろ紆余曲折を経てあのような大事業を完成させたのですから。
確かに教理的に納得できないものはありますね。アドベント、かエホ証あたりの回し者臭いのも否めません。
①三位一体の否定とイエスの降誕前の存在と神性の否定、聖霊を単なる神の力エネルギーとし、神の人格?の否定
②霊魂の否定、復活の時の主イエスの状態が聖書と矛盾、死は死でしかないのだろうか。否
など、妥協できない教えばかりです。それでも主は彼を用いられる場合もあると思います。列王上22・22参照

アンさん?(気に触る呼び方だったらお許しを^_^;)、いろいろと検証ありがとうございます。

>彼を偽予言者と確定するのは早急な判断かな~と思うのですが如何でしょうか?

→難しいところだと思ってます。タイムスケジュールに限って言えば、厳しいといわざるを得ないでしょうが、大枠においては的を得ているような気がするし、黙示録の解釈も完璧だとは思いませんが、わかりやすいですからね。ただ、新約最大、最強の預言者だとするなら・・・どうなのでしょう?預言を間違えることってあるのかな?と・・・まあ、近いうちに7/16日の解説があるでしょうから、とりあえず結論を急がず待とうかなと。ヨナ書にある憐れみが現代においても適用され、災難が先延ばしされた?とすれば、それもアリかもしれませんが・・・う~ん?もう赦されないところまで来ているような・・・

>アドベント、かエホ証あたりの回し者臭いのも否めません。

→教理的に似ているところがありますね。私も臭い?と思って検証しましたが、最終的に違うと判断しました。

>①三位一体の否定とイエスの降誕前の存在と神性の否定、聖霊を単なる神の力エネルギーとし、神の人格?の否定

→微妙なところですね・・・異端かもしれませんが、私今でも三位一体が理解できないので、可能性を100%否定はしませんでした。どちらが正しいのかわからないのです・・・
キリストも最終的には神であると結論付けているようだし。
そもそも異端とはカトリックから見て異端なわけですからね。それ言ったら、カトリック、プロテスタントにしたって、イースター、クリスマスと・・・春のビーナス女神崇拝、太陽神崇拝がルーツなわけで・・・ペサハの前に復活はありえませんからね。日曜礼拝にしたって、太陽神崇拝が起源でしょ?とキリがないし、必要以上に律法主義に陥りたくないのでこの辺にします。

私は基本的にキリスト本願だし、主イエスをメシヤと認めていればそれで救われると思ってますから。かく言う私、SDA大嫌いなもので・・・でもこのあたりだけは認めているのです・・・口惜しいですけど(涙;)

>②霊魂の否定、復活の時の主イエスの状態が聖書と矛盾、死は死でしかないのだろうか。否

→霊魂の否定は私もどうかなあ?と思いました。死んだことないので真実はこうです!と言えませんが(笑)。

「復活の時の主イエスの状態が聖書と矛盾」はどういうこと書いていたか忘れたのでノーコメ。死は死に関しては、ニュアンス、捉え方の違いと解釈し、最終的には復活すると書いてあったのでまあいいだろうと(わりと私いいかげん(^^ゞ)。

おっしゃるとおり、疑問点は多いですよ、私クリスチャン=ホームで生まれ育ったわけじゃないので、割と先入観がなかったから柔軟に捉えられたところはあると思います・・・

それより私が一番気になったのは、世界的陰謀に関して全く触れていなかったこと。カザール=ユダヤに関してひと言もなかったことでしょうかね・・・サタンのエージェントではないと見ていますが、何かしら・・・書いて欲しかった。

と長々と書いてしまいましたが、また気付いた事があったら遠慮なくカキコしてくださいね。

こんにちは
あれから、どこの教会にいこうかと。。ネットでプロテスタントの諸教会をしらべてみました。 ルター派、福音派、長老派、改革派、バプテスト。
私の感覚から言って、バプテストがしっくりきそうです。少数派ですが、かなりの保守派であり、あまりカリスマ牧師がいなくて、使徒の時代のように質素な感じがいいかなと.
家から電車と徒歩で15分ぐらいですから、行ってみようかなと思います。
幼児や低学年のこどものための礼拝(聖書のおはなし、劇)もあるのもポイントかなと思います。
あと、珍しく幼児洗礼をしていないとこ、これは予定説でなくて、普遍救済主義的な考えに近いので神の慈悲と平等さが現れている気がするのです。。洗礼受けてない幼児が地獄に堕ちるとは思えないですし、仏教徒などでも、誠実な人がいるから、終末以前に亡くなった人にはチャンスがあるのではないかとおもうからです。 (甘い考えでしょうか)
洗礼を受けてても信仰がなくなっている人もいるわけですから。。

あらま!サマリア人さん、感謝ですね。
とりあえず行ってみるのがよろしいかと。バプテスト派については、私あまりよく知らないのですが、確かに保守的のようですね。ただどこもそうですが、教会によって、同じ教団でもかなりカラーが違うので一概には言えないようです。

それと万が一、「ちょっと違うぞ?」と感じた時は、2つ3つ、違う教派の別の教会の礼拝に参加してみるのも手です。とは言え、そのバプテスト教会が霊的にフィットするに越したことはありませんけどね。サマリア人さんにとって、どうかベストの教会が見つかりますように。

>終末以前に亡くなった人にはチャンスがあるのではないかとおもうからです。 (甘い考えでしょうか)
洗礼を受けてても信仰がなくなっている人もいるわけですから。。

→私もアマちゃんゆえ、そう思うのです・・・もちろん、聖書にははっきりと書いてありませんけどね。間違いなく!まだまだ隠されていることがあるはずです。

バルナバです。
サマリヤ人さん感謝します。
心に平安が与えられる教会だと良いですね。

ザアカイさん バルナバさん ありがとうございます。
日曜、見学?してきます。
昨日はその教会が提供しているの、幼児のための屋内(教会のなかにある)遊び場にいってきました。
クリスチャンの人は2人だけいて、あとはノンクリスチャンの母子がたくさんいました。
こどもの礼拝もその遊び場の一部で行われ、
幼児連れの人が、こどもがぐずるとき遊具で遊ばせながら、礼拝をスピーカーからでも聞けるようになっているので、子供と一緒でも安心そうです。
とりあえず、その教会と参加者をみてきて、できれば、ほかの教会も見にいきたいなとおもっています。

>とりあえず、その教会と参加者をみてきて、できれば、ほかの教会も見にいきたいなとおもっています。

→本当に良かったですね。今のサマリア人さんは、かつての教会へ行きだす寸前の私にそっくりです・・・私もしぶとかったから(笑)。

ザアカイさん
しぶといとは。。頑固ちゃんということでしょうか。coldsweats01
もしやザアカイさん関西人?わたしは関東人ですが。。
決心するまで時間がかかってしまうんですよね。大胆かつ慎重なもので。
それにしても、中国、地震に洪水、病気、食中毒。めちゃくちゃですね。集中攻撃といってもいいくらいに。。

>決心するまで時間がかかってしまうんですよね。大胆かつ慎重なもので。

→このへん、そっくりやで~(笑)。

程度の差はあるかも知れへんけど、クリスチャンちゅう人種は
頑固な人間が多いさかい、気い悪くせんといて~

と・・・騙されたらあかんで~

私・・・落ち武者となり、一応?関東の僻地住まいをしております(涙;)

わたぴ~です。<(_ _)>

サマリア人さんへ。不十分ですが、現時点で調べた分の一部を報告です。

1章18節の「神の独り子」(μονογενουσ)について

18節 「いまだかって神を見た者はない。父の懐にいる独り子なる神、この方が解き明かされた」

「独り子なる神」

原文では「モノゲネースな神」と「モノゲネースな子」「父(からの)モノゲネース」の読みがあります。
( Μονογενηs:モノゲネース=唯一の、独りの、独り子)

「唯一の」を意味すると同時に父が「最も愛する」という意味です(ヘブライ11章17節を参照)。「モノゲネースな子」という読みは、おそらく3章16節や第一ヨハネの手紙4章9節の「御子、すなわち独り子」という言い方に合わせた書き換えであると思われます。論理的には「子」のほうが分かりやすく「唯一の神が神を啓示する」という言い方は不自然なところがあります。しかしそのことが、逆にこちらのほうが本来の読みであろうと思わせます。ヨハネは、このようなやや不自然な書き方をしたのは「父のふところにいる独り子である神」というこの一句によって、序の初めの1~3節へと戻り、同時にここで序の言葉全体を締め括るという意図があったと思われます。

ヨハネ福音書でイエスの愛した弟子が「イエスの胸もとに寄りかかったまま」(13章25節)裏切る者について尋ねたとあります。この「胸もと」も「父のふところ」と同じであることから、父と独り子との関係はイエスと彼が愛した弟子との関係に対応しているものと思われます。

「神の独り子」が神を「示した」(εξηγησατο)とあるのにも注意する必要があります。「示す」の原語は「出版する」「公表する」ことですが、本来このギリシア語は律法解釈の専門用語です。この「示した」はギリシア文学では「神の神秘を解きあかす」ことを意味します。ここでは同時にヨブ記の七十人訳で「神は知恵を見て(知恵を)明らかに示した」(εξηγησατο αυτην〔=σοφια〕)(28:27)とあるのに通じています。

>新版にもルターはほかの原典の解釈(参考?)から「独り子なる神」とは書いていない

「単数・主格形+名詞セオスの主格」、すなわち「ただ独り生まれた者(その本質によれば)神」もしくは「唯一の方から生まれた神」という読み方(多くの研究者がこの読み方をオリジナルとみている)があり、この他に「単数・主格形+名詞ヒュイオスの単数・主格」すなわち「ただ独りの息子」という別の読み方が見られます。

「独り子」という言い方はヨハネ独特のもので福音書を調べれば分かるように、この言葉はヨハネの文書にしか使われていないものです。「独り子」という言い方をしなくても「御子」でも意味は殆ど違わないです。

この部分の原典の写本は「独り子なる神」「独り子なる御子」「独り子」というものがあり、二番目のものが最も信用されています。

サマリア人さんはたぶん「原典において(独り子の)神と記されているかどうか」を知りたいのだと思いますが、その点に関しては三位一体論に深く関わってきますので、別の機会に。<(_ _)>

ルター自身はカトリック的三位一体を消極的に否定していますので、その前提での解釈ということもあり得ます。当然カトリック的三位一体を支持する人たちとは異なるでしょう。聖書翻訳は良くも悪くも筆者の感覚が大なり小なり影響します。
現代語に訳す上でどうしても的を得た単語が見つからなかったり、複数の意味合いを持つ単語であれば、どれを採用するかを前後の文脈や聖書全体との調和をどう取るか、どの点を重要視するかにもよって語句が変わってきます。例えば

「じっと見、また手でさわったもの、すなわち命の言葉について、―このいのちが現われ、私たちはそれを見たのでその証をし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父と共にあって私たちに現わされた永遠のいのちです」
 (ヨハネの手紙 第一 1章1節~2節)

この短い文の中に、「見る」という言葉が三つあります。

「目で見た」(ホーロー 時制:完了形)

「じっと見」(セアオマイ 時制:アオリスト)

「それを見た」(ホーロー 時制:完了形)

この「見る」という動詞、一番目と三番目が同じ動詞、二番目は違う動詞です。「じっと」という言葉をつけて訳してありますが原文には「じっと」に相当する副詞はありません。実は動詞そのものが、「じっと見る、よく見る、熟視する」という意味なのでを持っています。そしてギリシャ語においては「見る」という言葉が他にもあります。

ブレポー  「一見すること;~の方に向く;の方を眺める」

ホーロー  「見る 認める わかる 味わう 経験する」

セアオマイ 「じっと見る よく視る 見つめる 熟視する」

これは単に一瞥して見ると言うのではなく「見て悟り、しかもじっと見る」ということが言われています。
「共に」とは人格的交流、交わりを表し、~と常に接触して、~と密なる交わりの中にという意味があります。

そしてギリシャ語そのものに関しては古代ギリシャ語と現代ギリシャ語があり、新約聖書のギリシャ語の場合「もし~ならば」という条件文に関してその言葉を発した人は、どのくらいの条件で仮定しているのか4つのパターンに分かれるそうです。「もし」にあたる単語が違ったり、動詞の変化が違ったりすることで見分けられるようです。

①仮定の内容が事実であると認めて語っている

②事実でないことを知りながら、反対の仮定をする

③仮定の内容が事実かどうかは未定で、ある程度の可能性を考えながら仮定する

④可能性を問題にせず、全くの想定として仮定する

日本語の訳でも英語の訳でも、話手のこのような心情を訳し分けることは不可能です。

「もしイエスを死者の中から蘇らせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中から蘇らせた方はあなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」 (ローマ書8章11節)

日本語の訳では(英語でもif~)「もし・・・住んでおられるなら」としか訳しようがないのですが、ギリシャ語では①に相当し仮定の内容が事実であると認めながら語っているということです。すなわちパウロはここで、御霊が現に住んでおられることを確実視しながら後半の話を展開しているということになります。聖書全体に条件文は、非常に多く出てきており、これらの区別が解かれば訳では解からない話手の心情まで遡って理解することができるようになるという利点があります。

現在、聖書の翻訳に関しては誤訳、違約、改悪(改竄)などの問題も多少あるようですが、それらを全て含めてそのような状態を「神が赦されている」ということも思い起こす必要があると思います。つまり基本的に聖書の中心主題を捻じ曲げたり、悪影響を与えたりするほどのものではないと考えることもできます。(モノや程度にもよりますが)古いほど良い翻訳とは限りませんし、ある一つのバージョンの聖書の一言一句を絶対的に考えることの危うさというものもあると思います。

かなり簡潔にしているので解かりづらいところもあるかと思いますがご容赦ください。あまりご期待に沿った内容ではないかもしれませんが。(´~`ヾ) 三位一体やヨハネ1章1~18節の範囲も調べてありますが、今回はこの辺で・・・。<(_ _)>

目茶苦茶長文・・・(゚ー゚;
ザアカイさん、いつもながらスミマセン。(TT▽TT)

わたぴーさん
ありがとうございます。
ルターが三位一体を消極的に否定していたのはしりませんでした。
しかし、わたぴーさん、この情報は牧師さんからのものですか。詳しいですね。wobbly
翻訳者によって、感覚が入る可能性も否めませんね。
どうも難しいテーマです。私としては、イエスがほかの天使よりもずっと前にうまれていること、イエスの神聖さは理解できるのですが、イエスが神だということとは意味が違う気がしているんですよ。
旧約でいえばイスラエルの民にとって十戒が記された石盤は神聖なものであるけれど、神ではないですし。イエスはいわば完全なあがないとして全人類のために神がつかわされたかた、神聖なる救い主と解釈しているのです。それに、イエスは洗礼後にサタンにためされていますから、神がサタンにあのように試されるはずはないとおもっているのです。
長くなりました.coldsweats01
わたし相当しぶといんです。smile

わたぴ~です。<(_ _)>

サマリア人さんへ

ワタクシの拙い説明でどこまで伝わったか、かなり不安ですが(^▽^;) 

>イエスが神だということとは意味が違う気がしているんですよ

「イエス=神」なのかどうか?という点は、三位一体を理解する上での鍵になる聖句の一つですよね~。特に創世記とヨハネの1章1節・・・(; ̄ー ̄)...

ハイ、ワタクシちゃんと調べております。〆( ̄▽ ̄;
・・・が、やはり超長文になるためコメントには不向きかもしれません。何回かに分けるか、いっそのことワタクシがブログ立ち上げるか・・・ヾ(~∇~;) コレコレ

この1章でヨハネが使っている「ことば」という言葉は、新約聖書の原典のギリシャ語では「ロゴス(言葉、理性、知恵、論理などの意味)」ですが、ヘブル語とアラム語で書かれた旧約聖書では、「メムラー (memra)」という言葉が使われています。

クリスチャンは聖書を学びながら「キリストを知ったユダヤ人」の視点(当時の歴史、文化、価値観)を持つ必要が少なからずある場合があります。(英語を学んだからと言って、アメリカの文化がすぐ理解できないのと一緒です。) 西暦一世紀の世界の共通語はギリシャ語で、現代の英語のように広く使われていました。ヨハネは極めてユダヤ的な言葉である「メムラー」という言葉をギリシア語で表現する時に、「ロゴス」という言葉で表現するしかありませんでした。日本人が「懐かしい」という言葉を英語で表現する時に、なかなかそれにぴったり当てはまる訳語がないようなものです。

しかし聖書を読んだ同胞のユダヤ人には、ヨハネの言わんとすることが分かっていたはずです。
「ああ、ここのロゴスは、メムラーのことなんだな」と…。(たぶん(;^ω^A )

「メムラー」には少なくとも6つの意味がありました。(以下の節はヨハネの福音書1章~)

1)創造主とは別の存在でありながらも、創造主である存在(1節)
2)創造の最初からおられ、創造の働きに関与した存在(3節と10節)
3)救いを与えることのできる存在(12節)
4)目に見える存在だが、人間が目で見ても死なない存在(14節)
5)律法を作ることのできる存在(17節)
6)神の存在を明らかに示す存在(18節)

イエスが神かどうかはともかく、三位一体肯定者も否定者も上記の事柄に関しては「イエスが特別な存在であると言う点で一致をみるはずです。

・・・とまあ、とりあえずここまでにしておきましょう。長文になりすぎてザアカイさんにご迷惑がかかるのもアレですし。<(_ _)>

>わたし相当しぶといんです。

・・・う、受けてたちますよっ!!...((((( ̄‥ ̄;)
(オイオイ・・・そういうことでは無いってば<(; ^ ー^)マイッタマイッタ...

懐疑的ではなく熱心であることはとても良いと思います。
ワタクシも今回改めてイロイロ調べてみて、とても勉強になりました。(調べたことの10分の1も載っけてないですが)少しずつでもお伝えできていければ幸いです。(^∇^)


わたぴ~さん、お勤めご苦労様ですm(__)m・・・って、違うだろうが!御心ならば長文仕方なしですから、気にせんといてください。

>「メムラー」には少なくとも6つの意味がありました。(以下の節はヨハネの福音書1章~)

1)創造主とは別の存在でありながらも、創造主である存在(1節)
2)創造の最初からおられ、創造の働きに関与した存在(3節と10節)
3)救いを与えることのできる存在(12節)
4)目に見える存在だが、人間が目で見ても死なない存在(14節)
5)律法を作ることのできる存在(17節)
6)神の存在を明らかに示す存在(18節)

・・・このあたりに謎解きがありそうですね・・・確かに人としての主イエスの誕生とするなら、マリヤ受胎の時なんでしょうが、その天地創造の時から、人としてではなく存在したのでしょう。

我々人間の手本となるべく親子関係を演じた?(適切ではないかもしれないが)とすれば少しも分かりやすい?

御子と聖霊は、父なる神の手足?と考えれば?・・・ちょっと違う気も?

う~ん?サマリヤ人はん、理屈じゃやっぱわからんわ~。わからんでも、メシヤなんやからええやないの~。

てごわくない
タダのアホたちや

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/187398/41810582

この記事へのトラックバック一覧です: 私は「ものみの塔」のまわし者ではありません:

« ザアカイ=レポートーⅥ | トップページ | 青島が大変だ »