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2007年7月25日 (水)

救いとは・・・主の十字架

我々は不完全であって、すべてを知っているわけではない、正しいとは限らない

すべてを正しく理解し、真実を知っているならば、イエス様は十字架におかかりになる必要などなかった

我々はゆえに罪許されたのである、永遠の大祭司なる主イエスの功によって・・・

私は不完全なまま受け入れてもらおうと思う、それでいい

イエス=キリストこそ、真実なる贖い主であって、来るべきメシアなのだから

私は泥だらけの服を着たままで、汚れたままで・・・イエス様の御前に立とう・・・

しかられるのを覚悟した幼子のように・・・

* ここのところ陰謀系の記事が続いたので、たまには光の化身として登場してもいいかな?と・・・らしくないのですが・・・苦手だし(-_-;)

「行い主義」を強調するというか、強制する惑わしを打破するためにも・・・

異論反論、色々な信仰があるかと思います。私も捉えたなどとは間違っても思っておりません、まだまだ発展途上。

“まったき聖化”を金科玉条とするメソジストの信仰ではありません。

しかし私では“まったき聖化”、聖霊がわが中枢に鎮座することなど不可能なのです。どこまで行けばいいのか・・・際限がないし、わからない・・・

だから罪を取り除いてくれた神の子羊の十字架にすべてをかけよう。自分の努力では自分を十字架につけて滅ぼすことはできないから・・・救いは“行い”=律法によるのではなく、イエスを贖い主であると信じること=信仰義認でいいはずだから・・・

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コメント

ザアカイさん、こんにちは。
少し、考えたのでコメントさせていただきます。
>我々は不完全であって、すべてを知っているわけではない、正しいとは限らない

生存の為に知識は必ずしも必要ではないのだと想像します。
しかし、遺伝子情報に埋め込まれた本能、性格も知であるとすれば、、私たちは正を受けた瞬間から知に目覚めている事になります。

人間生まれた時に備わった性格を変える事が中々むつかしいようです。

さて、知識とは、後天的なものを指すと仮定します。
果たして先天的な情報、遺伝子情報との差はなんでしょうか?

後天的な知は自らが取捨選択出来うると、、、。
果たして、その次元の中で人間は自由であるのか?

要は人の想像力の世界なのかもしれませんが、、
地球上に許された、このような存在は人間だけなのでしょうか?それとも、、、

知と智と血、、おなじ“ち”です。
そして、地に生きる我々、、存在。

ひとつだけ、、、
知とは、毒の様なもの。
そして、原因と結果、、
知の後をどうするのかは、、
我々にとって引き受けざる負えない因果なのだと思っております。

そして、、その先は、、、
幾通りもある答えの中からの創造、、
謎に立ち向かいたいという人間の好奇心、探究心、、

やりがいがあると、、私は思っております。

失礼いたしました。

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