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2007年5月 7日 (月)

日曜礼拝より~イエス=キリストとともに前進する

 さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、イエスが先頭に立って行かれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた。するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、自分のみに起ころうとすることについて語りはじめられた。

 「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に引きわたされる。そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引き渡すであろう。

 また彼をあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。そして彼は三日の後によみがえるであろう」。

マルコ 10:32~34

 いやあ~、久々に勇気付けられるメッセージを聞きました。ゴールデンウィーク中ということもあり、出先で他教団の礼拝で!というのも、なんとも皮肉です(^_^;)。

メッセージの中身を要約すると:

 我々がキリスト者であるというのは、我々の努力によるものではない。主が引き留めてくださっている。救いと復活に向かっての行進である。先頭を行くのは主イエス=キリストである。一人も見捨てられることはない・・・勝利へ向かっての行進なのだ。我々に疑い、恐れが起こっても、困難にあおうとも、主は常に先頭から後ろを振り返って、気遣ってくれている、一人として脱落しないようにと・・・

という内容でした。私みたいに、闇との関わりの多い?クリスチャンには久々のヒット、こころ和むメッセージで感謝でした。

 やはり何と言いましょうか、信仰にはバランスというのが必要だとつくづく感じました。「主の愛、よき知らせ=福音」というのが基本だと思いますので。熟練の域に達した、年配のご婦人方の人を疑うことを知らないあの純粋な笑顔、私のようなどこの馬の骨ともわからない部外者でも、初対面でも気安く声をかけてくれるあたたかさ・・・本来あるべき姿であり、本来ならば・・・それだけで必要十分なのではないでしょうか。それだけでみんなうまくいくのに・・・たとえ完璧とは言えないまでも・・・主イエス=キリストが我々を牧してくださるのだから・・・

主は私の牧者であって、

私には乏しいことがない。

主は私を緑の牧場に伏させ

憩いのみぎわに伴われる。

主は私の魂をいきかえらせ、

み名のために私を正しい道に導かれる。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、

災いを恐れません。

あなたがわたしと共におられるからです。

あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

詩篇 23:1~4

 でも悲しいかな、この薄汚れた物質世界、それだけでは不十分なのですね。そのようなピュアな方々を食い物にするデーモンとのハーフが存在するのもまた事実。

 私自身、時々、「なんでこんなことやっているのだろう?こんなことやってたって、この世的には何のいいこともないのに。だったら、いいアイディアがないとはいえ、本業立て直す努力でもしたほうがいい。それどころかこのような活動はリスクすら伴うというのに・・・あ~、一体何やってんだ?こころなごむ福音的メッセージだけと関わりたい」と考えなくもありません・・・

 そしていくら主が先頭に立って導いてくれるとはいえ、私自身基本的に社会的弱者、つい目先の現実を見てしまう。正直申し上げて、疑いが起こらないわけではありません・・・不安や恐れがないわけではありません・・・それほど心臓に毛の生えた、岩石岩男のような男ではありません・・・ただでさえこのようなストレスだらけの世の中・・・吹けば飛ぶような存在です。

 罪滅ぼしのつもりでなんて考えが時々おこりますが、これは聖書的、キリスト教的信仰ではありません。救いはただただ神の一方的な恵みであって、行いによるのではないわけで・・・救いに与ってはじめて、自分にできることをやればいいわけで、強制であってはなりません。この辺が、信仰義認ではなく、行い主義を説く「エホバの証人」の罠なのですね。行いの奴隷となってはなりません・・・それとどこかのカルト団体みたいに、選挙になると目の色変えて活動する創○も神から遠く離れている、って当たり前か。

 だからでしょうか・・・このような活動をあと何十年も続ける自信は正直ない・・・そして時間もそれほど許されていないことでしょう。近いうちに必ずすべてが終わる・・・神の国が実現する・・・「この世の君」から主イエス=キリストが、この世をも取り戻してくださる・・・我々の顔から涙を、悲しみを、苦しみを全くもって取り除いてくださる・・・

 先陣をきって導いてくださっているのは、万軍の主、イエス=キリストその方なのだから・・・

門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。

栄光の王がはいられる。

栄光の王とはだれか。

強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。

門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。

栄光の王がはいられる。

この栄光の王とはだれか。

万軍の主、これこそ栄光の王である。

詩篇 24:7~10

アーメン、主よ、来たりませ

PS;らしくない記事です。得意分野ではありませんが、わたしでもこのような健全な?ブログも書けるのですよ^_^;

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コメント

エレミヤの心情とは、そのようなものだったことでしょう。いや、全ての預言者も…。
“民主主義”の懐ろに安住している今日の教会。
聖書の教えは“神主主義”だったはずですが…。
エレミヤ6:14
「彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、
平安がないのに『平安だ、平安だ。』と言っている」
今日の教会が、このような状態になっていはしないか…?
主にある平安と、神の痛みが交錯する毎日です。

ネットの住人さんはじめまして、コメント感謝です。私のブログ記事はこの世的に言うとほとんどが「トンデモ記事」です。この世がすべてではないとはいえ、本音は平安のうちに一生終わりたいというところです。この記事のソース元の説教のなかで牧師先生も「弟子たちも本当のところは、ガリラヤ湖畔で主の話を聞きながら過ごす、それだけで満足だったのではないか?」とおっしゃってましたが・・・私もそう思います。私の知る限り、長年教会を離れないで残っている人の多くは(どの程度のパーセンテージかはわかりませんが)、人には言えない何らかの苦難、試みを経て十字架を背負って生きている、というのもまた真実のようです・・・

レスです。
元祖レフトビハインドはだいぶ研究しましたが、その中には危険な思想がいっぱい隠されていると思います。「イエスの名」を乱用して戦争さえも正当化できてしまいます。
でもワードフェイスの危険性に比べればはるかにかわいいものだと思います。冷静に考えれば間違いだってすぐわかりますから。
ワードフェイスの怖さは、その教えの9割が正しいという点です(ワードフェイス出身の信者は稀少価値ですよ)。私もその教会で教えられたこと、今でもほとんど真理だと思っています。でも1割の間違いが問題なんです。「イエスにあって私たちは〜である。」という告白をさせられますが、だんだんとイエスと私たちが同じレヴェルになって行き、最終的には「イエスぬきで」色んなわざをしようという危険をはらんでいます。本家アメリカのワードフェイスはもうデッドラインを超えてしまっていることが色んな情報からわかりますが、日本で伝道しているワードフェイスの指導者たちはまだデッドラインのぎりぎり手前か、一部は超えているかというところかと思います。日本人は比較的慎重なのか、それともクリスチャンが少ないから急速に広まらないからなのかわかりませんが、いずれ結末は目にみえています。わずかのパン種が大きくなってきたら聖書がひっくり返るような解釈さえできますから。

アレグロさん、いつもどうも。
>ワードフェイスの怖さは、その教えの9割が正しいという点です
→確かに!ワードフェイスと限らず、敵陣営の巧妙な惑わしは、90%の真水に10%の毒を混ぜるという方法ですよね。このレベルなら、我々偏屈でおかしな?アウトロー=クリスチャンならわかりますが、99%の真水に1%の毒を混入されたら・・・正直言って私自信がありません。

 ジョン=ダービーにしたって、7000年の人類計画=時代真理においては、正しいような雲行きですしね。エホバの証人だって、なかなか鋭いところ突いている教理だってあるし・・・すべてが異端というわけではなし。要は微量のパン種が、パン全体を大きく膨らませるということでしょうかね?これが致命的な背教へとつながってしまうから怖いのですよね。

よくよく警戒せねば。嫌な時代に嫌な役回りを与えられた気がします・・・って半分は望んでいたことだったりして(-_-;)・・・否、やはりこの記事のように光の部分=主の平安、心地よい福音に触れているのが一番!

主の平安、心地よい福音…その通りだと思います。チャールズキャップだかノーベルヘイズだか忘れましたが、病気の癒しを求めてお祈りを頼んだ女性の体の痛いところをバットで打ったら病気が奇跡的に治ったらしいですが、そんなことイエス様がするわけないですよね?
今の時代、偏屈な人間こそ安全ともいえます(笑)人をむやみに信じないことは大切なことだと思います。信じる価値のあるものは聖書だけだし、確かに色んな解釈が可能だけど、平安であるか、心地よいかでふるいにかければ極端な方向へは走らないと思います。

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