黙示録ウェッブ研究会「144,000人」~UNIさんのコメントより
また一人強烈なツワモノが現れました。プロでしょうか?鋭いご指摘です。コメント欄にレスしようと思いましたが、長くなりそうです・・・よってブログ記事にします。最近クリスチャンの方も結構アクセスしてくれていますし、お互い益になると思いますので。
ーコメントより引用開始ー
11章の二人の預言者と144000人は別でしょう。私はやはり7章で額に印をおされた144000人であると思います。17章12-14に十の角(十人の王)に闘いを挑まれるが子羊とともに打ち勝つと記されています。これはハルマゲドンとは違います。ハルマゲドンの様子は19章に記されています。6つ目の鉢によって集められた獣と地の王たちと彼らの軍勢と主が闘い獣と偽預言者を捕らえます。この時、主は白ではなく赤い服を着ています。14章14-20に記されている通り酒ぶねを踏まれたからです。これについてはイザヤ書63章3-6にも記述があります。ともあれ第一の復活が起こるのはこの後のはずですから、144000人が「6000年間から選ばれた、それこそ選びの民」というのはどうなんでしょう?
ー引用終わりー
UNIさんはじめまして、コメント感謝です。勉強させられました(汗;)
強烈なご指摘のような気がします・・・
まず始めに断っておきますが、私は牧師でもなければ聖書学者でもありません、単なる平信徒です。ただウェインランド師のe-bookは、今まで私が接した黙示録関連の情報、文献の中では一番納得がいくものだったのでブログで紹介してみたものです。
私にわかる範囲で挑戦してみます。
>11章の二人の預言者と144000人は別でしょう。私はやはり7章で額に印をおされた144000人であると思います。
→144000人の解釈ははっきり言って私ごときではわかりませんし、確信を持って、自信満々で応えることができる牧師先生も誰一人知りません。私の聖書の読み込みが浅いのかもしれませんが、私は7章の144000人と二人の預言者は別である、特に切り離して解釈する必要はないと考えます。この二人は、おそらく今現在この世の命のある人間からでしょうし、印をおされている中からとの解釈に無理はないと私は考えます。それと144000人が、今現在(我々の世代はこれに当たると私は思います)地上の命ある人間からのみ選ばれるというのは、我々の先入観かもしれないとも思うので。再臨前に生きたまま携挙される人(いるとすれば)、また、この二人のように再臨のとき死から復活する人というのは、例外中の例外だと私には思われます。この方々が144000人の中に含まれるとしても、トンデモ解釈にはならないと考えます。
>ともあれ第一の復活が起こるのはこの後のはずですから、144000人が「6000年間から選ばれた、それこそ選びの民」というのはどうなんでしょう?
→指摘されて気がつきました。聖書を読み返すと確かにそのようにとれますね。直接本人に質問しないと私も答えようがありません。ギリシャ語原文を読んだところでギリシャ語わかりませんし。
考えられる可能性として、144000人が主イエス&天使の軍団と共に再臨する第一の復活である初穂(霊的体)であるとして、再臨のときから千年王国の存続期間に復活する人(これも推測の域を出ませんが)を含めて第一の復活に与った人と定義し解釈するならばどうだろう?とも考えます。ここの箇所を読む限り、そうとしか考えられません。黙示録は時間の時系列が複雑に入り組んでいるので何ともいえませんが。
アンダーラインがない箇所はおっしゃるとおりの解釈であると私も考えます。
貴殿ほどの信仰と能力があるのでしたら、本をご自分で読まれるといいかと思います。サイドバーにリンクが貼ってありますので、そこからダウンロードできます。246Pからの全文英語の大著なので大変かと思いますが。英文自体はそれほど難しくはありません。私が言うのもなんですが、少なくとも方向性は正しいし、的外れな非聖書的な異端解釈ではないことを保証します。
私としても、読後の疑問が全くないわけではありません。可能ならば、直接本人に聞きたい疑問点も正直言ってあります。メルアドもHPにあるのですが、残念ながらそこまでハイレベルで特殊な英語力も私にはありません。
師が本物の終末に遣わされた神の預言者かどうかは、2008年の秋までにアメリカが炎上するか、その後3年半、二人で神の僕として全世界的活動を始めるかどうかで判断できると思われます。一番強烈なのは、「エルサレムで殉教し、3日後に復活し、主と共に再臨する」というものでしょうか。もうすぐ真か偽か答が出ます。
もし預言者があって、主の名によって語っても、その言葉が成就せず、またそのことが起こらない時は、それは主が語られた言葉ではなく、その預言者がほしいままに語ったのである。その預言者を恐れるに及ばない
申命記 18:22
・・・だと思いますので。なおこれ以上突っ込まれても、これが私の限界ですのでお許しください。
信仰が弱く、この程度の能力しかない役立たずですが、主にあるネットワークがこれからの時代ますます必要であると感じます。これからもよろしくお願いします。
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ご挨拶もせずに不躾に質問したにもかかわらず丁寧な回答ありがとうございます^^
ヨハネの黙示録は大変解釈に幅がある書物でどれが正しいのかは分かりません。もしかするとウェインランド師の言うとおりなのかもしれませんし。ただ真摯に考察されてる方と出会えてうれしくつい書き込んでしまいました。攻撃しようとか粗探ししようとかそういう意図はないのでご容赦下さい。
二人の預言者についてはゼカリヤ書4章にも記述がありますね。144000人とは別と主張したのは「彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く」と書かれていてこの間は団体行動をとるんだろうなと思っただけなんですが^^;
私はこのブログで初めて存在を知ったのですが、具体的な数字まで出してウェインランド師という方は強気ですね。そうならなかったらどう言い訳するんだろうとこっちが心配になっちゃいますよ( ̄д ̄;)
投稿: UNI | 2007年5月30日 (水) 00時15分
話はそれますが.........
2テサ 2:11 それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります。
マタイ 7:13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
ヨハネ福 10:7 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。
ローマ 10:9 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
ローマ 10:10 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
*ですから”イエスは主”と言う事が主にある”羊の門”でありますから
”イエスは主”と言った時に”狭い門”と”広い門”を入ると言う事です
尚且つ
”ローマ 9:18 このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。 ”
と言う事ですね..........
投稿: 見えない天使 | 2010年6月26日 (土) 10時04分
見えない天使さん、はじめまして。書き込みありがとうございます。
いやはや約3年前にこんな事書いていたなんて。すっかり忘れてました(笑)
今では、随分痛い目にもあい、まさか!と思う人まで大嘘つきである可能性もある。すべては仮説の域を出ないと思っていていいだろうと、大分認識も変りました。
仰るとおり、本当の意味での出発点は
>イエスは主”と言った時
からなのでしょうね・・・
この世では厳しい訓練を避けては通れないのでしょう。
そしてまた、戒めるべきはこれまたご指摘の通り
かたくなさ・・・ですね。
特に「病的なかたくなさ」に陥ることだけは気をつけねば。間違いに気づいたら、頑なにならず悔い改めるですかね。
投稿: ザアカイ | 2010年6月26日 (土) 15時00分