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2007年4月12日 (木)

キリストの復活は日曜日ではなかったという衝撃的真実!~ロナルド=ウェインランド師ー第2章ーⅡ

2012/5/27

実はこの件に関しては・・・メサニック=ジューの見解によると、土曜日復活が通説なんだそうです --;

時と法を変えたのは、ローマ=カトリック教会である(太陽暦、日曜礼拝)とは真実なのかも?

引き続き、要チェック事項のようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ザアカイです、このようなことを書くのは正直言って・・・つらいです・・・我々が真理であると信じて疑わなかった教理の根幹部分が揺らぐわけですから・・・しかし大事なことだと思います。知っておくべきです。

 何でもカトリック教会の巧妙なるペテン(またカトリックの憎しみをかってしまうかも?)・・・だったような・・・正直言って、牧師先生、伝道師、教師と呼ばれる人では書けないでしょう。即刻 異端、カルトのレッテルを貼られることでしょう。牧師生命がその時点で終わってしまうことでしょう。でも何のしがらみがない私なら・・・できます・・・失うものはありませんから・・・

 異端と言うのはカトリック教会から見て異端だと言うことらしいです(小石牧師から教わった)。その教えを、何の疑いもなく受け入れたプロテスタント諸教会も同罪ということなのでしょうけど・・・

「このようなことをいう人は、教会で憎まれるし、パージされるであろう、だれにも相手にされなくなる、しかし真実だ、人間は真実を嫌う」とウェインランド師は言います・・・私も教会で発言する勇気は・・・ありません。ウェブ上で、ハンドルネームだからできるというのが現実であり、限界です。

 これが今私の抱えている苦悩であります・・・いくら主は「罪を許されるかた」であるとはいえ、背骨、心臓部分ですから・・・

 結論から言いますと、神は天地を6日かけてお造りになり、7日目に休まれた。よって7日目の安息、土曜日が本来の聖日礼拝である。これは神との約束(契約)であって、新約の時代になっても変わることはない。使徒の時代は土曜日に礼拝していた。日曜礼拝には聖書的根拠はない。キリストが日曜日の早朝に復活したから日曜日に安息日を変更したのは、カトリック教会のペテンである。日曜日は週の第一日目で、Sunday=Sun、なんと、太陽神崇拝で、バール崇拝になるという!そもそもキリストは日曜日に復活などしていない!わが神の教会(Church Of God)は土曜礼拝を守っている、このことが全てとは言わないが、神の民としての印なのだ・・・ということなのです。よってイースターもウソ!・・・となるらしい・・・クリスマスは言うに及ばず・・・

 これには、さすがのザアカイも驚いた!アメリカが炎上するどころの話ではない・・・私、正直言いまして、出エジプトの後半の律法部分とレビ記・・・一番苦手です(^^ゞ・・・3回ほど読みましたが、よくわからん、退屈で読むのが苦痛だ、というのが本音です。今の時代必要なのか?と考えていました。でもどうやら無視できないようです。よって完璧なる解説はできないのですが、私にできる範囲で・・・解説に挑戦いたします。

 その解きあかしはこうです。

 さてユダヤ人たちは、その日が準備であったので、安息日に死体を十字架の上に残しておくまいと、(特にその安息日は大事な日であったから)ピラトに願って、足を折った上で、死体をとりおろすことにした。 

ヨハネ 19:31

 しかし予言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。

 マタイ 12:39~40

 多くのことを語ると混乱するし、詳しい旧約の律法も私は知りませんので、ここのところを最大のキーといたします。まず>特にその安息日は大事な日であったから、と言う記述。我々はこのことから金曜日の午後であると教わってきましたが、どうやらこれは、過ぎ越しのようなのです。週の安息日ではなく、年に一度の安息というのが真実のようなのです。当時のローマ=カレンダーによると、なんと!水曜日の午後!この時間に主は十字架にかかられ、罪の贖いを完了させたと!

 次に3日3晩という記述。私たちは使徒信条にもあるように、「3日目によみがえり・・・」とあるので、金曜日から数えて土曜、日曜の早朝・・・とりあえず3日目にはなりますが、実質1日半!上記のマタイ伝の記述によると3日3晩とある、まる3日=72時間後に復活しないと、メシアの条件を満たさなくなると言うのです!つまり金曜日の午後から計算すると月曜日の午後となり、日曜日の早朝ではなくなるわけで、水曜日の午後から計算すると土曜日の午後となり、安息日と一致する。これは聖書的である。またマグダラのマリアが、日曜日の早朝に墓にいった時にはすでに体はなかった、土曜日のうちに復活していたということと矛盾することもない!というのが真実である・・・とします・・・

 そのほか、反論できない根拠をレビ記などの旧約の律法との整合性から引用しておりますが、私ではうまく説明できないので省略いたします。そしてちょっと箇所が出てきませんが、マタイ伝で「私は、律法を廃するために来たのではない」という主の言葉もあります・・・

 確かに3日目に復活されたという3日目・・・私はクリスチャン=ホームで生まれ育ったわけではないので、必要以上の先入観は持っておりませんでした。だから疑問に感じたのかもしれませんが、まる3日経っていないのでは?という疑問がないわけではありませんでした。

 だったら確かに日曜日の聖日礼拝の意義はなくなってしまう。やはり土曜日が本来の聖日礼拝となるのでしょう。しかもバール崇拝の巧妙なるサタンの惑わしに騙されていたとなると・・・愕然としました・・・

 しかし現実問題として、現代の日本社会において、土曜礼拝に変更するとして、ちょっと困難ではないか・・・土曜日仕事の人もいる、やはり現代の生活環境からいっても、日曜の午前がベストだ、そもそもそのような根拠から土曜日聖日礼拝を執り行っている教会を私は・・・知らない・・・仮にあったとしても、通える距離にあるのかどうか・・・ウェインランド師も実行するのは非常に難しいだろうと言っておりますが・・・

 私のポジションとしましては、水曜日の午後に十字架にかかられ、72時間後、土曜日に復活した、これは神のご計画、メシアとして、神の御子としても真実なのであろう。よって聖日はやはり、土曜日とすべきだ。という信仰に悔い改めましたが、教会に礼拝に行くのは、やはり日曜日の午前しか不可能なのです。現代人は忙しい、しかも日本人のクリスチャン人口は約0.7%。常時日曜礼拝参加者は、カトリック、プロテスタントあわせても、20万人ほどという現状。

「私はけっして日曜日に礼拝していても、バール崇拝などという恐ろしいことをするつもりはまったくありません、あなた様だけを礼拝いたします、これが日本における数少ないクリスチャンの精一杯の姿なのです」と申し開きするしかないと思っております・・・

 ただ、水曜日の午後に十字架にかかられ、息を引き取られ、土曜日の午後に、主イエス=キリストは復活した、7日目の安息日=土曜聖日礼拝が本来の姿で聖書の真実なのだ・・・ということは憶えておいたほうがいいかと思います。私は神の預言者(くどいようですが、おそらく本物、2年後に真実がはっきりするらしい)に聞き従います、それが自分自身において不完全な姿であったとしても。

日曜礼拝(復活のペテン)、イースター(復活ではないが、過ぎ越し(Passover)を守るのが正しい)、クリスマス(聖書的根拠のないおとぎ話)、三位一体(これに関しては3月分のブログ記事を参照してください)と合わせて4点セット。我々が真実であるとして信じて疑わない根本教理の間違いを指摘されました。これは耳に痛かった。

 「今更そんなこといわれたって!」というのが率直な感想ですが、悔い改めるのがベターなのでしょう、実践は難しいとしても。このことにおいて、この本を読むには、信仰を持つ者にとっては度胸と勇気がいるといったわけです。幸か不幸か、私は知らずに読んでしまいましたが(-_-;)。

 なおこれ以上突っ込まれても、これ以上の解説は私では不可能です、石を投げれば当たるような、どこにでもいるへっぽこ平信徒なので。本を読んでください。

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ウェインランド預言」カテゴリの記事

コメント

お久しぶりです。いや〜、私でもちょっとついていけなくなるような衝撃的なことが書かれてますね。
正直言って、降参という感じです。
でも私はどんな極端と思えるような解釈でも、可能性の1つとして尊重したいと思います。可能性を全部並べてみたら、また新しい発見があるかもしれませんので。
そのうち私もザアカイさんがびっくりするような珍説をアップロードできたらと思っています(でもくれぐれも本気にしないで下さいね)。

いつもどうもです。私も正直、かなりの反発を予想したのですが、今のところ・・・ない^_^;。そのうちこのブログ炎上するかもしれません(^_^;)。

確かにこんなことばかり書いていると、イノセント?なクリスチャンから憎しみの集中砲火を浴びかねません。特にカトリックの信徒を敵に回していますから。怒リ心頭状態かも(-_-;)。でも言うべきことは言わないと、ということでやっています。間違ったこと書いていないと思いますしね。ピンチの時はフォローお願いしますm(__)m。我々みたいに偏屈なのはマイノリティーですが、今の時代貴重だと思っています。私のへたくそな解説でご理解いただき感謝です。ほんとに油断もすきもないですね。

 はじめまして。僕の意見を言いますが安息日は現在の土曜日だと言われています(確かかはわからない。)。安息日は神の安息日だとあります。ですから、キリストが安息日に復活されたという説は疑問に思います。なぜなら、安息日に神がキリストを復活されるということは考えにくく、その次の日、日曜日に復活されたというのが筋が通っているようにも思えます。聖書にも終末のとき、「あなたがたの逃げるのが安息日にならないように祈りなさい。」とあります。それほど安息日という日は神の休まれる日ではないかと思いますが。

光道国さん、はじめまして。おっしゃる事確かに一理あるかと。しかし安息日に主が癒しを行った箇所もありますよね。神はその手の業を休まれなかったと私は解釈します。要するに律法学者にとって安息日がつまづきの石になった箇所です。そういう意味では聖書的だとも思うのですが。まあ、私などに証明せよと言われても無理ですが。キリストが再臨したとき真実は明らかになることでしょう、それまで生き延びましょう。

私達は土曜日に礼拝してますよ。アメリカでは土曜日に礼拝しているプロテスタント系の教会は結構あります。私達は金曜の午後にイエス様はなくなられ、主も安息に入られた、と解釈をしています。色々ありますね。勉強になります。これからはもっと真実を求められる時代になると思います。「宗派」とか「どこどこの教会員」、ということにこだわりすぎると、本来の目的がぶれてきますね。もちろん主の家である教会は大事ですし、神様の家族も大事。私達家族も毎週土曜日に欠かさず教会に通い、そこで色々お手伝いさせていただいています。でも、常に聖書に習うように心がけています。違った解釈があればそれも参考にしますし、もしかして将来はここの教会にいないのでは?と思うこともあります。パーフェクトな教会はこの世には存在しませんからね。いつも主に委ねて主が私達に願うように生きていければ幸せですね。

アップルパイさん、訪問感謝します。
ほぼ、2年半前の記事ですね。

私も今はだいぶ信仰のバランスが変ってきました。この頃はある方の影響もあり、人を裁くのが好きでした(-_-;)・・・

確かに使徒の時代は土曜日だったかもしれないけど、今は土曜日に礼拝できない人だっている。礼拝しない人よりはいいのでは?と考えるようになりました。自己弁護で、私は甘いのかもしれませんが。

最終的には、真実を祈り求める姿勢が要求されるのでしょうが、謙虚に人の話を聴くのは大事ですね。様々な解釈、信仰があります。もちろんその土台はキリストの救い。これがわかっただけでも、ブログをやってきた価値があると思ってます。
聖霊は「他人を通して語る」という側面があると感じます。

>パーフェクトな教会はこの世には存在しませんからね。いつも主に委ねて主が私達に願うように生きていければ幸せですね。

→仰るとおりですね。もちろん律法を無視することはできませんが、必要以上に律法主義、原理主義に陥ることなく、分裂すれば、サタンを喜ばせることになると思うし、日々軌道修正を兼ね、発展途上の只中にあると思うようにしております。

貴重な書き込み、ありがとうございました。

僕も土曜日礼拝の教会(SDA)に通っていますが、安息日の問題はいまだに僕の頭の中では確信は持てません。恥ずかしいことに何年も悩んできた問題です。
 あくまで僕の意見ですが土曜日が安息日であることは間違えないでしょう。いろんなサイト見てきて思います。また、ユダヤ教を見れば分かります。
だけど、十戒を見ればこういうふうにも受け取れます。「6日間働いて7日目は休みなさい」とありますのでそれが何曜日であろうと、とにかく7日目は安息日になるという考え方。

 最近はガラテヤ書の「自由を得させるために、キリストはわたしたちを開放してくださったのである」ガラテヤ5:6「キリストイエスにあっては、割礼があってもなくても問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。」という御言葉を信じ、安息日の律法の問題に悩まないようにしています。

 また、土曜日に復活したという考え方には賛成できません。口語訳マタイ27:62節に準備の日(ユダヤ教では金曜日のこと)とあります。
 また、イスラエルでは「3日後」という言葉は「3日目」というふうに数える習慣があるそうです(教会の牧師から教えられたことです)。
最後まできいてくださってありがとうございます(o^-^o)

 

きつぅさん、はじめまして。

いやあ~、だいぶ月日も流れ過去記事を読み直すと「あら、こんなこと書いてたのね」と思い出しました。

この記事のソース元の自称預言者も、今ではその真偽がかな~り、多分99.9%怪しくなり、吟味検証をし直さねばならないだろうと思ってます。
すべてがでたらめではないと思うだけに尚更です。
時とともに、この本に書いてある事で、いろいろと聖書と矛盾することも自分なりに発見しました。
自分の至らなさ、無能さ、恥を隠さないためにも削除することはしませんでした。

SDAの方ですか。なるほど、いろいろと教えていただきありがとうございます。

私も今は、必要以上に律法にこだわらないようになりました。ご指摘のガラテヤ書は、そういう意味では私にとっても非常に有益でした。

極端な話、真理は御国に入った時に、直接主イエスに教えていただけばいいことだと考えるようになりました。
その為にはまず、救いに与らねば何にもなりませんね --;

またいつでも書き込んでください、ありがとうございました。

 どうもです。

 ちょっと訂正があります。

 イスラエルでは「3日後」という言葉は「3日目」というふうに数える習慣
        
                     ↑
                     ×

                   正 解
                    ↓

 イスラエルでは日を数えるとき、例えば「3日後」という場合、その数えた日を一日目として数えるそうです。今はどうかわかりませんが・・・。

わざわざすみません。
意味はわかりました、ご丁寧にありがとうございました。

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