“神の子”という概念
久しぶりにザアカイ表の顔、光の化身の登場です。
今回は“神の子”、父と子と聖霊の子について確認を兼ねて論じてみたいと思います。
この場合の父と子なのですが、親と子の関係の他、“人として、要するに受肉して神がこの世(現世)に来られた”という意味合いがある、ということです。当然そこには、人間を演じなければならないのですから、制限もあるということです。
このことを例によって、小石牧師のメッセージ集からよくわかりやすくするため一部引用します。
引用開始ー
さて、古今東西、多くの国々の王様は「神の子」と呼ばれてきました。たとえばエジプトのラメセスとは太陽神ラーの子、ラーが地上に現れたものという意味です。(ちなみにメセスはモーセス、すなわちモーセです。だから出エジプト記のモーセもその前に何かの神々の名前があったと思われます。しかし、モーセはそれを嫌って取ってしまったのではないかと思います。)また、日本の天皇も神の子という意味です。つい60年前までは現人神(あらひとがみ)と真面目に言われていたのです。ですから神の子とは父と子という親子関係の意味だけではなく、“神が地上に現れたもの”と言う意味があります。目に見える形で現れた神という意味です。
ユダヤ人が神の子という場合、それは創造者なる神の顕現者という意味ですから、重大なことです。太陽や神々の子という場合とは比較になりません。それだから、イエス様が十字架につく前、大祭司の前で尋問を受けたことが重要なことになります。
中略~
見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」 黙示録1:7~8
「神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者。アルファであり、オメガである方」それがイエス・キリストです。Αはギリシャ語の最初の文字であり、Ωは最後の言葉です。黙示録の最後にも「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」22:13 とあります。御子は神であり神の現われなのです。
・・・ということです。くどいようですが、主イエス=キリスト、メシアなるヨシュアは万物の創造主、全知全能の人間の姿をした神ご自身なのです。
そういった面でも、エホバの証人は間違っていると。彼らは、異常なほどエホバを強調し、地上天国を強調します。人間がそこに介入する限り、地上天国など達成できるはずがないと、人間の本質を少し考えればわかるのに。
私のところにも常連のエホバさんが来るのですが、ついつい相手をしてしまい、いつもこの点で平行線・・・「じゃあ、また~」となります。人間的には私の数倍、純粋無垢なだけに残念です。彼らのエホバに対する思い込みは異常なほどで、どうしようもありません。彼らには“キリストの救い”という概念はありません。
話が脱線しましたが、これで子の概念がお解りいただけだと思います。神ご自身が自ら、我々人類を救う為この世に来てくださったという事です。
十字架による罪の贖い
そして死からの復活
それから、まだ成就しておりませんが、再びこの世に来る・・・
再臨がなってはじめて、我々からすべての苦悩がなくなると、私は信じます。
そう遠くはない未来にそれは成就する・・・
私は半分期待しております。
どうか主よ、来たりませ。
PS;やはり、この世の裏側、闇=イラン空爆やら、第三次世界大戦、格差二極化、インサイダー、藪大統領、獅子郎、ケケ中、自民党の悪口etc・・・を語るより福音を語るほうが何億倍・・・果てしなくさわやかで、すばらしいと感じます!真正のキリスト者たるもの、本当はこうでなくてはいけませんね!
でも得意分野は、闇の暴露・・・悲しいです、とほほ・・・
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