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2007年1月15日 (月)

失われた一週~ダニエル書 9:24~25

 またまた書ける時に一気に行きます。前回の記事でダニエル書に簡単に触れました。やはり詳しく書こうかと思います。キリストの誕生、メシア預言も含んでおりますので。

 “あなたの民と、あなたの聖なる町については、70週が定められています。これはとがを終わらせ、罪に終わりを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なるものに油を注ぐためです。それゆえ、エルサレムを建て直せと言う命令が出てから、メシアなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路をもって、建て直されるでしょう。その六十二週の後にメシアは断たれるでしょう。ただし自分のためではありません”

ダニエル 9:24~25

ここの箇所はメシア生誕の正確なる預言として有名です。

簡単に解説します。牧師先生ほどの説明ができませんことお許しください。

まず七週と六十二週は、483日。

ペルシャ王アルタクセルクセス王のエズラへの「エルサレムを建て直せ」と言う命令が出されたのがBC457年。

1週は7年だから、483日を483年と考える(聖書解釈上の基本、1日を1000年とする場合もある)とBC457年から483年後はAD26年となる。

紀元26年は主イエス=キリストがバプテスマのヨハネからヨルダン川で洗礼を受けて3年半の公生涯に入った年である(30歳)。

メシアの生誕は誕生ではなく即位を基準とする。このことは日本における天皇の誕生(即位)をもって元号が変わることを考えるとわかりやすい。

なお知らない人が多いと思われるが、キリストの誕生(正確にはBC4年)を紀元元年とするならば、今年2007年は2011年である。西暦は4年ずれている。このことは歴史学者の間では通説のようである。何年か前の朝日新聞にも載った。新聞が認めざるを得ないということは、メディアを牛耳る連中が渋々認めたということ。ただ、混乱を招くので、今までどおりでということらしい。

要するに“世の中、真実がベストであるとは限らない”と歴史学者(名前は忘れた)が書いていた。なるほど納得。

そして問題は残りの1週なのですが、これがまだ到来していないのです。ストップウォッチが止まったまま。この先いつかはわかりません。我々はその過渡期、空白の時代にいるということです。でもそう遠くないうちに、終末の7年が訪れるのではないかと私は感じます。この空白期間の説明を何らかの文献で読んだのですが、どの本のどの箇所か忘れてしまいました・・・

ただ私は、我々人類が一人も滅びることなく悔い改めるため、この期間が存在すると信じます。私の信じる神は、憐れみと慈しみの神であるから。

これはとがを終わらせ、罪に終わりを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なるものに油を注ぐためです。

~案外この辺にヒントが隠されているような気がしてなりません。神は忍耐を持って我々人類のために忍耐しておられるのかなと・・・

残念ながら、私ではこれ以上わかりやすく説明することは不可能です。

私は再び、人類の救いの全き完成のため、御心の成就のため、再び主は物質世界に再臨されると信じます・・・

そのとき、我々にはもう悲しみも、苦しみも、死もなくなると聖書には書かれています。神の国の訪れ、福音の完成です。

信じるか信じないかは、個人の自由です、強制はできません。

私はこの奥義にわが人生をかけています・・・アーメン

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主イエス=キリストの愛」カテゴリの記事

コメント

再臨を信じるか?と聞かれれば、わたしは「信じる」と答えます。だって聖書に書いてあるから。

黙示録の出来事はいつなのでしょうか?教理もくわしくない楽天躁鬱なのですが、なぜか、「人間にはわからない時に、それも一番の危機の時に起こる」ような気がしています(聖書によらない言葉なのであまり信じないでね)。

イエスが1度目に人の子として来られた時、ほとんどのひとは予言された王が来られたことがわかりませんでした。2度目も同じじゃないかな~と思えるのです。

ただ、時期はひしひしと近づいていることは、聖書によっても明らかだと思って(というか牧師に教えられて)います。

定められた時、それはわたしたちが生きている間でしょうか?

こんにちは。初めてお邪魔します。
私も信仰者の末席に連なる者です。
全部ではありませんが、興味深く拝読しました。
さて最後の一週に関してなんですが、これは現在から見て未来というのではなく、イエスキリストが十字架にお架かりになって復活され、天の聖所でのご奉仕のため天に帰られた年からの7年間を指すのではないでしょうか。即ち西暦40年(実質的には44年)までと言うことですね。
すでにこの一週は成就していると思います。
この70週は「ユダヤ人の救い」のためのものですよね。40年にあくまでもイエスキリストを救世主と認めない頑ななユダヤ人達がステパノを石で撃ち殺したことにより、この70週・490年は遂に終わりをつげ、その後は主の救いを宣べ伝える対象が異邦人=霊的イスラエルに移ったと私は考えています。

私も「再臨」はもう間もなく、私達全ての人類の前に明白に訪れると信じています。主イエスキリストは密かにおいでになるのではありません。全世界にラッパの音の鳴り響く中、主は天使を従え、栄光の雲に乗っておいでになられるのです。誰一人としてその栄光に満ちた光景を、世界で最大のその出来事を知らないで過ごせる人間はいません。
私にとって、「再臨」は最大の希望です。そして、全世界の全ての人間がその時を「恐怖・絶望」ではなく「希望と喜びを持って」迎えてほしいと切に願っています。
私も最後の艱難の時の前に聖徒だけが携挙されるという非聖書的な説を信じてはいません。もし個人的にその時を迎えるとしたら、信仰者もやはり艱難に遭う事でしょうが、「聖徒にはその期間は短くさせる」という約束があります。いずれにしても最後まで主に依り頼めば、私達は恐れる事はないと信じています。
主の約束により、私達は共に励ましあい、再臨までの暫しの時を希望を持って歩んで参りましょう。

そまんさん、こんにちは。また一人、目の開かれたキリストの兵士が現れましたこと感謝です。日本という国もキリスト教徒人口は少ないですが、少数精鋭でまだまだ捨てたものじゃないと感じます。

さてこの記事の講義は、小石牧師の一連の本(残念ながら絶版)、そして

エレミヤの部屋~
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/
(サイドバーからバックナンバー→2→26~50→38=「ダニエルの70週のたとえ」をご覧ください。この記事以上に詳しいです。)

から受けたものです。私などにオリジナルの発想解釈などできるはずもありません。
私は当初からユダヤ人だけではなく、全人類の救いを対象としていると解釈し、最後にはユダヤ人も悔い改めるとの聖書の箇所(どこだか忘れましたが)から、まだ成就していないとしております。難しい箇所なので、おそらくそうだろうとしか言えませんが・・・

再臨に関しては全くもって、ほぼ同じような信仰をお持ちのようで私としても心強いです。

>主の約束により、私達は共に励ましあい、再臨までの暫しの時を希望を持って歩んで参りましょう。
→私はどうも弱い人間のようで、このようなことをやっているにもかかわらず、常にサタンの攻撃にさらされ、揺るがされ、疑いが全く起こらないと言ったらウソになります。

しかしこうしてブログ活動を通して、同志にめぐりあえたこと、主に感謝いておりますよ。その時まで、どんなことがあろうと、耐え忍んでともに歩まれんことを。アクセス感謝です!

そしてこのブログに集う同志の皆さんにも言えることですが、これからも何か感じましたら、遠慮なくコメントお待ちしております。

ごめんなさい(汗)
昨日のコメント、計算間違いでしたね。
簡単な算数もできないとは。早くも脳の老化が始まったんでしょうか。
70週・490年の終わりを「西暦33年」に訂正します。7年ずれていました。改めて申し訳ありません。今後ともよろしくお願いします。

続けて書きますと、私が上で述べた「70週の歴史的解釈」では、イエス様の十字架から70週の終わりまで「3年半」ということですね。重ね重ね申し訳ありません。

ザアカイさんの「未来・預言的解釈」が正しいか、私の書いた「歴史的解釈」が正しいかは実の所はわかりません。後者は私の属する教派の採用している解釈ですから、私もそれを妥当と感じ書かせてもらいましたが、究極的には不充分な知性・霊性しか持ち合わせない私達人間には、自信を持ってこれが正しいと断言できませんからね。ましてやそれによって不用意に信仰者同士が対立するのも、主の御心ではないでしょうし。今確かにはわからない事、おぼろげにしかわからない事も、いずれ時が来れば主が確かな事を悟らせて下さると信じ、焦らずに待ちましょう。

ダニエル書では、特にもう一箇所、8章の14節の「2300の朝夕の後、聖所はそのあるべき姿に戻る」とのみ言葉が気になっています。
これは、イエス様の天の聖所での取り成しのお働きが質的に変わる、いよいよその仕上げとして至聖所へ移られ、最後のご奉仕を始められる時を指していると思われますが、それは即ちいよいよ再臨が間近い事を私達に指し示してくれる訳でですから、非常に重要な出来事だと思うのですが。。この「2300の朝夕」の起算点がどうも判然としないのです。「70週」と同じエルサレム再建命令の出されたBC457年と言う説もありますが、よく考えてみれば聖書にはそれを裏付ける記述は無いんですよね。
上記の説を取れば、主が至聖所に入られたのは1844年ということになりますが、私にはどうもそうではないような気がして仕方がないんです。
ともあれ、これもいずれは私達に明らかに示されるでしょう。

だいぶ長いコメントを書いて送信しようとしたら、消えてしまいました!(涙)
もう一回挑戦します。
ユダヤ人も最後には悔い改める~これはマタイ23の39(ルカ13の35も同じですね)のみ言葉によって、そういう時が必ず来る事がわかりますね。逆説的な表現ではありますが。
私は「メシアニックジュ~メシアニックイスラエル」の動向に非常に関心を持っています。
彼らは安息日を守りながら、イエスをキリストと信じる人達ですが、彼らの勢力の進展により、いよいよ再臨が間近い事を知る事が出来ると思います。
今はまだユダヤ教人口の中では少数派ですが。

サタンに攻撃され、揺れ動き、疑う事もある~
私も全く同じです。日々それこそ毎日自分の弱さ・愚かさを思い知らされています。でもだからこそ私には信仰が必要だとつくづく感じます。恵みにより信仰が与えられた事、これはどれだけ感謝しても足りないくらいなんですが。現実には感謝が余りにも足りない事を自覚しています。欠点だらけの私ではありますが、最後まで主から離れないでいたい、主にも私と共にいつまでもいていただきたいといつも祈り求めているんです。

そまんさん、色々とコメントありがとうございました。勉強になりました。世間は広い、牧師先生、聖書学者真っ青な位の人がいるものですね。

聖書解釈の二重性、歴史的事実と予表、預言的性格から考えると、どちらがどうとか・・・確かに正解を見つけるのは難しいかと。お互いに、的ははずしていないとは思いますが。

そしてメサニック=ジューですが、これまた厄介ですね。マラノがかなりの数で紛れ込んでるはずですから。見分けるのも難しいことでしょうし。

正直言ってダニエル書は、研究文献、情報も黙示録に比べ少ないことからも、謎だらけ、黙示録以上に私にはわからないことだらけです。

これからダニエル書に関しても少しずつ、ベールが開かれるような気もしますが・・・
最終的には誰でもない、自分自身との戦いなのでしょうね・・・最大の敵が自分自身であると・・・

重ね重ね御礼申し上げます。今回はこの辺で、それでは。

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