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2006年12月10日 (日)

インマヌエル~神はわれわれとともにいます

 久々に光ザアカイの登場です。12月です、アドベントに入り、クリスマスも近いということで、本日の集会での説教もイエス=キリストの生誕にまつわるお話。去年はルカ伝から聖母マリアがテーマ、今日はマタイ伝から父ヨセフにまつわる話でした。いわゆる聖家族というわけです。

 母マリアに対するスタンスとして、聖書第一主義をとるプロテスタントとしては、「神の母」であるのは確かですが、カトリックのように、マリア被昇天という与太話、キリストと共同の贖い主であるという四位一体的教理、マリアに対して祈るロザリオの祈りといったような異端的崇拝は邪道であり、「モーセの十戒の偶像崇拝」にあたると捉えます。

 ただ誤解のないようにこれだけは強調したいのですが、不倫疑惑をかけられ、普通の人間では耐え切れなかったであろうあれだけの重大なる神の働きの一端を担った、普通の人間の母親としての幸せを犠牲にして神に自分を捧げたという意味においては、彼女の信仰は素晴らしいと思いますし、尊敬しております。

 しかしくどいようですが、女神ではありません。

 話は変わって今年のテーマの大工である父ヨセフ、彼もまた神の重大なる働きの一端を担ったと言う意味において、偉大であった・・・と言うお話をいただきました。いいなずけである処女懐胎したマリアを信頼し、神からの啓示に従順に従った、赤ん坊であり人間としてこの世に来た、神の子イエスの保護者としての与えられた役割を全うしたというわけです。父ヨセフはあまり話題にならないこともあり、あまり関心がなかったのですが、今日の説教を通して見方が変わりました。

だてに神から御子の父親を任されたわけではなかったのですね。

 さて信仰の手本としてのヨセフ、マリアの話が終わると、いよいよクライマックス

 見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。 これは、「神われらとともにいます」と言う意味である 

マタイ123

 ここからが大事なのですが“われわれとともにいます”には二つの観点から見ないと完全ではないとの事。

1.われわれとともに歩み続けてくれる

 典型例として以前このブログでも紹介したフット=プリントを紹介しましょう。

 ある夜、私は夢を見た。

私は、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上に二人の足跡が残されていた。

一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出された時、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

私の人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつも私の心を乱していたので、

私はその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ、私があなたに従うと決心した時、

あなたは、全ての道において、私とともに歩み、

私と語り合ってくださると約束されました。

それなのに、私の人生のいちばんつらい時、

ひとりのあしあとしかなかったのです。

いちばんあなたを必要とした時に、

あなたが、なぜ、わたしをすてられたのか、

わたしにはわかりません」

主は、ささやかれた。

「私の大切な子よ。

わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない

ましてや、苦しみや試みの時に。

あしあとがひとつだったとき、

私はあなたを背負って歩いていた。」

ただこれだけでは片面しか見ていないとのこと

2.ヨセフのように私たちにも、荷を負うよう求められる側面があるということ、   われわれ人間を主の働きのために用いてくださるということです

神は強制されるかたではありませんが、ようは私たちもできることでいい、主イエス=キリストの栄光をあらわすべく、重荷を負うべきだということです。

私事で恐縮ですが、私の場合、キリスト者としての視点からこの世の闇を知らせ、暴露し、警告のラッパを吹くということを師匠の援護射撃をすべくやっております。そして願わくは、一人でもいいからキリストに帰依するかたが現れたらと願っております。

 闇がなければ光は輝きません

光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった

ヨハネ 15

 私の導かれ方は、上記の聖句どおり、闇の中に唯一なる希望の光を見出したことによるものでした。だからこの世の闇を暴くことが、私のささやかな奉仕なのではないかと思うわけです。そのためにこのような特殊な道を通ってきたのではないかと・・・

知らせ続けることが、使命なのではないかなと思うわけです。

そのためにここまで生かされてきたのではないかなと・・・

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