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2006年9月21日 (木)

聖霊は人を通して証しする

久しぶり、本当に久しぶりです。鳩の部分である、神の愛を今回は語ります。蛇の部分である影ザアカイは今回お休みです。光ザアカイが登場します。

まず、毎度おなじみ、エレミヤ牧師のHP"角笛"から紹介します

いのちを与えるのは御霊(神の霊)

テキスト:ヨハネの福音書 6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。”

「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。」と上記聖書に書かれています。
このことばのいわんとすることは、その人の生まれつき持っている、肉、肉体に属する物には、
益がない、役に立たない、逆にその人を真に生かすものは、神から与えられた霊なのだということです。
 

我々の考えでは、肉に属する物、その人が生まれつき持っている美人の顔だとか、
良い頭などは、大変益になると思うのですが、聖書はそうは、いいません。
逆に霊、神から与えられる霊こそ、その人を生かすというのです。

そんな風に思えない人もいるかもしれませんが、神がそのように言う時には、
そうかなと考えてみることが賢明だと思います。

このこと、神の霊こそ、真に人を生かすものであることは、実際であり事実です。私はそのことをよく知っています。

キリスト教会で有名な人に「田原米子さん」という人がいます。
彼女は高校生の時に鉄道に飛び込み自殺をしました。その結果、一命を取りとめたものの、
両足とそして、左手を失いました。右手は助かったものの、指3本しか残らなかったのです。
彼女は助けられた病院の中で、そのこと、自分の手足が失われてしまったことを知り、更に
絶望しました。「こんな姿でどうやって生きていけるの」と、今度は、睡眠薬自殺をするべく、
病院の睡眠薬を貯え始めたとのことです。

そんな時、病院を訪問してくれた、外人宣教師と通訳の青年を通して、彼女は、キリスト
を信じるようになったのです。その訪問の中で、キリストを知るようになりました。
かたくなだった彼女が、何ヶ月かの訪問の後、ある日、
「助けて下さい」と神に一言祈った時、神は触れられました。
そして、彼女は、神の霊に触れました。そして、次の日に読んだ聖書に書いてあったことば、以下の
ことばにより、救われたのです。
 

「コリント人への手紙第二 5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

上記、テキストに「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」と書かれているように、神のことばこそ、「霊であり、またいのち」なのです。そして、それゆえ、
神のことばを受け入れる人は生きるのです。

それから、彼女は一変してしまいました。今迄、「私には指が3本しかない」とうらみ、
つらみを持っていたのに、それからは、「私には指が3本もある」と思えるようになったのです。

確かに霊は人を生かすのです。神の霊は人を生かすのです。
2本の足をなくし、また左手をなくした人をも神の霊は生かすのです。
これらのこと、肉体の不足は彼女にとって問題ではなくなりました。

その彼女の様、いきいきとした様子を見て、通訳の田原青年は、彼女にひかれるようになり、
そしてプロポーズをし、それで2人は結婚するようになったのです。

その後、2人の娘さんが生まれましたが、米子さんは、その体でもって、立派にお子さんを育てたのです。
繰り返していいますが、問題は肉、すなわち、肉体に関することではありません。
霊は生かすのです。今、彼女はあちこちで講演会に呼ばれて話をする生活だということです。(現在は、召されてこの世にはいません。)
彼女の話を通して生かされ、強められた多くの人がいます。

人にはそれぞれ悩みがあるものです。もう少し背が高かったら、もう少し美人なら、
もう少し色が白かったら、そうしたら、もっといきいきと生活が送れるのに、と思いやすいものです。
でも、聖書は決してそのようには、いわず、「肉は益がない」、すなわち、私たちの肉体に
属することがらのみ追求したり、重大視することは、益がないと述べています。
人を生かすものは、霊、神から与えられる霊であることを知りましょう。
キリストのことばを受け入れる人こそ、この霊にふれる事を知って下さい。

この主イエスキリストに助けがあります。

ー以上引用ー

ザアカイのコメント;

彼女の話を通して生かされ、強められた多くの人がいます。と言う事です。

そうなんです、私も最近少しづつですがわかってきました。

田原米子さんもそうです、そして名前を忘れましたが(ごめんなさい)、口で筆をくわえてエッセーを書く、首から下が全く動かない、車椅子の方 。躁鬱病と戦いながら、ブログを用い闘病日記の中で、キリストを証しする青年。権力にたてつき、政治犯として刑務所にある兄弟。この世を覆う闇の住人の悪を糾弾し、警告を発し続け、孤軍奮闘している私の師匠である二人の牧師先生。

 そのような人を通して、神はその栄光を顕されるのです。そのような人の中に我々は神を見て、信仰に至るのです。聖霊のなされる業とでも言うのでしょうか・・・聖霊が働く時、イエス=キリストを見ることができると言うわけです。

 ここで紹介したように、いろいろな働き、タイプの神の僕を、父なる神は、この世に散りばめ、その栄光をあらわし、人類の救いのために、僕を通し働かれます。そこに共通するのは、無償の父なる愛とでもいうのでしょうか?

もちろん、私たちは神のその直接的な偉大なる力を期待しますが、「まず自分でいけ」と、人間を使うというのが神の方法なわけです。

エピソード~

ある時、天国で天使長ガブリエルがイエス様に言ったそうです。「イエス様、あなたが御自身の命を捧げて開かれた救いの道を、あのような頼りない人間に任せておいてよろしいのですか?」イエス様は答えられました。「ガブリエル、他に方法はないのだよ。」

ー小石牧師の礼拝説教集よりー

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