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2006年8月30日 (水)

イゼベルの教え=カトリック

またまた例によってエレミヤさんのメルマガより引用します。

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    □□□□□
「黙示録を読む」□□□2417号 (土曜版)
    2006/8/19
発行
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黙示録220しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼ
ベルという女をなすがままにさせている。
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今週のもくじ□□□

イゼベルの教えその140

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土曜版では、「イゼベルの教え」として、
カソリック教会の偽りの教理に関して学んでいきましょう。
フリーメーソン、悪魔礼拝者の関与がしきりに
噂されるこの教会の教理にはまさに蛇の偽り、
狡猾そのもののような、巧妙な
偽り、惑わしがはびこっています。

*「救いは恵みによる」と名目上語りながら、
実質は、善行、告白等の行いが必要であるとする「行いによる救い」。

*モーセ10戒のうち、偶像礼拝禁止の箇所を
「改ざん、削除」した偽りの教え。

*「ことばは神である」といわれた神のことば、聖書にも間違いがある、
間違いがないのは法皇だけである(!?)などと
進化論を教える、猿法皇を聖書の上に置く冒涜教理。

等々、この女、イゼベルの偽り惑わしは数えきれません。これらの偽りの
教えを某神学博士の文章から見ていきましょう。

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イゼベルの教え その140
 
 プロテスタント諸教会にとって、「聖徒の交わり」といえば教会の本質の一
つであると信じています。また、この「聖徒の交わり」はもともと使徒信条の
言葉です。しかも、この「聖徒の交わり」を明確にしたのは宗教改革者たちで
あるといわれます。「聖徒の交わり」はラテン語で Sanctorum ommunio
いう言葉で表現しています。しかし、私たちと違ってロ-マ・カトリック教会
は、別な意味で用いています。ロ-マ・カトリック教会は、この「聖徒の交わ
り」を「聖人たちの通功」と理解しています。 
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(エレミヤのコメント)
ロ-マ・カトリック教会は、この「聖徒の交わり」を「聖人たちの通功」と
理解しています。とのことです。ですから、「聖徒の交わり」とは
要するに死んだ聖人と交わり、その助けを求めることなのです。

しかし、聖書は明らかに死人との交流、交わりを禁じています。
以下の通りです。

申命18;11「呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立て
る者があってはならない。」

ですから、カソリックでいう聖徒の交わりとは、食わせ物であり、
生きた聖徒間の交流ではなく、何と死人との交流という神のことばへの
明確な反逆をクリスチャンに行わせようというものなのです。
罪への誘いなのです。

結果、これを実践し、死んだ聖徒の名前を自分につけたり、さかんに
聖徒に祈り、すなわち、死人と交流をする人々は、おかしな
霊現象を経験し、精神や、霊に変調をきたします。
おかしくなるのです。幻視やら、幻聴が起きたりします。

かくのごとく、カソリックの教えには、巧妙に聖書のことばに
反逆させ、結果信者を不幸にさせる教理が多いのです。

偶像崇拝のみことばをかいざんし、偶像マリヤを拝ませたり、法皇を
拝ませたり、信仰義認に関する教えを改ざんし行いの奴隷にしたりです。
この「聖徒の交わり=死人との交流」もしかりです。

我々プロテスタントのクリスチャンは、これらの事実を正しく理解し、奴隷と
なっている同胞の解放のための重荷が神から与えられていることを知りましょ
う。かつてこの重荷をルターを始めとした人々が負いその時代において、立派
な戦いをしました。

今の時代、この国のルターとして立つべき人々に対して、主からの召しの声が
響いていることを知りましょう。
 

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    □□□□□
「黙示録を読む」□□□2424号 (土曜版)
    2006/8/26
発行
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黙示録220しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼ
ベルという女をなすがままにさせている。
■■■

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今週のもくじ□□□

イゼベルの教えその141

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イゼベルの教え その141
 
                                                   
       使徒信条に
ついては、基本的にロ-マ・カトリック教会もプロテスタントも同じです。し
かし、あくまで基本的に同じなのであって部分的には違います。使徒信条の構
造は、三つに分類することができます。第一は「父なる神について」、第二は
「子なるキリスト」、第三は「我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交
わり、罪の赦し、からだのよみがえり、永遠のいのちを信ず」です。


この中で
特に、ロ-マ・カトリック教会は「聖徒の交わり」を「諸聖人の通功」と訳し
ます。その上で、「我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、諸聖人の通功、罪の
赦し、からだのよみがえり、永遠のいのちを信ず」となるのです。そして、諸
聖人の通功と罪の赦しを結びつけて、これは一つであるとするのです。


諸聖人
というぐらいですから、複数の聖人の存在を意味しています。この諸聖人との
交わりについて理解するために、聖人とは何なのかを考えなければなりません。

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(エレミヤのコメント)
「諸聖人の通功と罪の赦しを結びつけて、これは一つであるとするのです。」
とのことです。

罪の許しは我々クリスチャンにとって大事なことです。
しかし、その良いものとくっつけてカソリックは、諸聖人との交わり、
すなわち、死んだ聖人との交わり、死人との交流という
聖書で禁じられた罪を信者に犯させようとします。


カソリックでは、ミドルネームとして聖人の名前、死んだ聖人の名前を自分に
つけます。そして、その聖人が自分の守護であるとして、聖人に対して祈った
りしているということです。これは何か?
巧妙な死人との交流、実際は聖人を語った悪霊との交流、悪霊に祈る罪を犯さ
せることになるのです。

この様なこと、聖人との交わりなどというシロモノは全く聖書に根拠のない、
悪霊的な習慣です。

この様にまどわされたカソリック信徒は、教会に熱心に通う程ますます、悪霊
と深く交わるようになっているのです。結果、あらゆる悪霊の惑わしに入りま
す。おかしな霊現象がカソリックに絶えないのは、そのためです。

我々プロテスタントは、これらのことがらを黙視したり、まして、
エキュメニカル賛成などの愚を犯すべきではありません。
むしろ、彼らの罪を指摘し、悔い改めをうながすべきなのです。
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ザアカイのコメント:

カトリックの方々には面白くないかもしれませんが、反論の余地はありませんね。

私も以前、掲示板でカトリックの方と、ちょっとした議論をしたことがあります。

マリヤ崇拝は偶像崇拝には当たらないと言います。金の子牛、バール崇拝が偶像崇拝であると。

今時、金の子牛の偶像を所持し、拝んでいるクリスチャンなどいるのでしょうかね?

また、カトリックには、マリヤ被昇天の教理なるものがありますが、これも教皇が代わるたびころころ代わります(-_-;)

確かに聖母マリヤは“神の母”として偉大なる使命を果たしました。しかしあくまで人間なのですよ。

贖い主はイエス=キリストただおひとりだと思いますがね。

また都合の悪い事に関しては、ダンマリ決め込むのも特徴です。みんながみんなとは言いませんが・・・

進化論に関しちゃ、無視、ノーコメント。

女性信者、少年少女にいたずらして、ボストン司教区を破綻させたハレンチ神父を指摘してもダンマリ、無視。

それどころか、統一協会の文鮮明、聖神中央教会の金保を持ち出して、「歴史と伝統のないプロテスタント」はけしからんなどと言って・・・統一協会、聖神中央などのカルト教団をプロテスタント諸教会と一緒にされてはたまりません(--;)

ある意味卑怯だなと思いましたね。私たちプロテスタントは、同胞であっても、ビリー=グラハム、キャサリン=クールマン、ベニー=ヒン、ピーター=ワーグナー、ジョン=ダービー、そして極めつけが、私の大きらいなパット=ロバートソン等、数え上げたらキリがありませんが、おかしいものはおかしいとサタンの僕としてはっきり糾弾します。「ベネズエラのチャべスは暗殺されるべきだ」などと平気でのたまう神経の持ち主であるパット=ロバートソンなどが、テレバンジェリスト(テレビ伝道師)やってるんだから、アメリカの福音派の人たちの信仰もおかしくなるというものです。そしてまた、宗教学者(あくまでも学問として宗教を捕らえる、信仰とは無縁)の井○○彦とか言う人。学者が宗教を語る事ほど百害あって一利なし。「ユダヤ、イスラム、キリスト教集中講座」などという本で、キリスト教代表としてパット=ロバートソンみたいなチンピラテレビ伝道師にインタビューして、これがキリスト教ですみたいに妙に納得して・・・だから一神教は過激でけしからんなどと・・・この人、世間では結構評価されているようですけど、私に言わせれば、はっきりいって論外ですね。いいかげん宗教を語るのはやめていただきたいです。八百万の神がお好きのようで、勝手にどうぞという感じです。

ふ~、つい熱くなってしまう、私の悪い癖です。悔い改めなくては・・・

“このイエスこそは『あなた方家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。この人による以外に救いはない。私たちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。” 使徒411,12

一般平信徒の私にはこのへんが限界のようです・・・

なお、カトリックを100%否定するわけではありません。必要以上にドグマ主義に走るのが御心でもないでしょうし、私のようなへんちくりんな不良信徒ではなく、純朴で熱心な信者もいることでしょう。また問題があるとはいえ、マザー=テレサの身を粉にした行いによる奉仕には、プロテスタントが束になってもかなわないことでしょう。聖マラキなども評価しておりますので。

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