Merry Christmas!
Merry Christmas !
個人的には、あと何回この物質世界でクリスマスを過ごす事になるのか?の方に関心がいってしまいますが・・・
クリスマスには、冬至にかこつけた太陽神=ミトラ崇拝の異教の祭りだとか(ニムロデの誕生説という話も聞いたことがある)、聖書的な根拠はない(確かにない、おそらく聖書の記述から誕生は晩夏あたりだろう)という(おそらく)真実が存在しますが、主の生誕を、救い主としてこの地上に来られた(初臨)ことを祝うことは、決して悪いことではないと感じます。
何でも聞いた話では、アメリカにおいては「メリー=クリスマス」と言いづらくなっているそうです。ユダヤ教やイスラム教に配慮して、「ハッピー=ホリデイ」とグリーティング=カードには書くんだとか?
キリストの生誕すら祝えなくなる事を考えれば、「まだいい」とすべきでしょう。このように時代が迫害へと向かっていることに気づき、はじめてそのありがたみがわかるというものです。
キリスト者かどうかに関わらず、終末論や陰謀のみを語るだけの人がいますが(私も以前はそうでした)、まずは自分の罪を認め、許しを請い、十字架の贖いを受け入れ「救い」を確信することから始めましょう。
「出エジプト記」の、「過ぎ越しの羊の血」の箇所を読めばわかるように、仮に土壇場、9回裏、二死満塁、カウント2-3、スコア1-0、ロスタイムに入って敵のコーナーキックという場面まで生き長らえたとしても、キリストの血で洗われていなければ、何にもなりません・・・次元上昇(アセンション)など、おそらくサタンの惑わしでしょうから。
キリストが十字架につけられた過ぎ越し前のまさにその時、過ぎ越しの(オーストラリアに生息するあの)羊が屠殺されていたのです!なんというタイミング、私は単なる偶然などではなく、全能の父なる神の壮大なる業であると信じます。
このように「キリストの十字架による救い」は完全無欠、たったの一度だけで、それに付け加えるものは何もありません。
もし、付け加えるものがあるとするならば、キリストの十字架は不完全であったということ。そんなバカな話はないはず。その程度のものならば、信仰など持たないほうがいいです。人生を棒に振りますから(もうすでに、棒に振っているではないかという指摘もありそうですがーー;)。
「キリストを信じるか、信じないかは自由。しかし教理を正しく理解しないと救いが無効になる」という、自分は絶対正しいとうぬぼれ上がった律法主義的な方もいますが、そんなことはありません。そのような場合は「初めから救われていなかった」とするK牧師の解釈を、私は支持します。救われていたと自分で勝手に思いこんでいただけ。だからそれだけに、その歩みは必ずしも楽ではなく、狭い門なわけなのです。
「過ぎ越しのほふられた羊」であると同時に、「死=この世にすでに勝ち得て余りある方」、「来るべき来臨のメシヤ」である主イエスの生誕を、せめて今は・・・それすらできない時が迫りつつあるゆえに、無条件で祝おうではありませんか。
Let's tell the world of His love !
ですね!!
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